東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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休眠明けの読書メモ

 どうせなら、ネット環境壊滅中にHDレコーダーの肥やしとなっている作品を視聴して、復旧したら書き溜めておいた感想を一挙第放出! とか出来たら格好いい(?)のではないかとか思っていたのですが、そうそう都合良く視聴スイッチが入るわけもなく、どちらかといえば読書が捗ったとか。

久方ぶりの似鳥鶏、他

●『阿津川辰海読書日記』(阿津川辰海)
 ミステリ界の俊英として活躍中の著者が、「ジャーロ」HP上に月2回ペースで連載している読書日記と、書籍解説、そして過去の寄稿文などをまとめた1冊。
 基本的には、その月に読んだ本を中心としたお薦めの紹介であり、当初は文字数も制限されていたのですが、早々と「ミステリーを語りたい」著者の熱暴走が始まってボリュームが増大していくと、新刊にかこつけてシリーズ過去作を薦め、かと思えば近刊を片っ端から紹介し、更にはシリーズ全レビューを敢行したりと熱波が荒れ狂い、気がつけば著者の
 「好きだから、語りたいのです」
 にグイグイと引きずり込まれていく一方、顧みて、現在の私の文章にこれだけの“熱”はあるだろうか、と思わず考えてしまう内容でもありました。
 読書スランプに陥った時は「一旦底まで沈む」為に暗鬱な話を読むとか、そもそもノワールが好きとか、「不安」を感じる小説が大好物とか……多分、本の趣味は根っこのところで合わないのですが(笑)、紹介されている本がミステリ中心ときどきSF、といった具合でジャンル傾向としては割と重なるので、ブックガイドとしても十分な読み応え。
 特に海外の警察小説の紹介が多かったのは、たまに手を伸ばしてみるが取っかかりが足りなかった身としては有り難かったところ。
 ちなみに著者は1994年生まれで大学在学中に作家デビューしており、小学生の頃に『デルトラ・クエスト』直撃、とかが不意打ちでボディに突き刺さってきます(笑)
 わたくし、『デルトラ・クエスト』はむしろ、売る側でしたね……。
 あと、引用の引用になってしまいますが、本文中で紹介されている『謎解きが終わったら 法月綸太郎ミステリー論集』(法月綸太郎)まえがきの一節、


 私は評論や解説の仕事をする時も、ミステリーの実作者としてのクセがどうも抜けきらない。着想のオリジナリティとか、プロットのひねりとか、トリッキーな修辞とか、いつもそういうことばかり考えて書いている。「読み物」として面白い文章を書きたいという色気がいつもあって、その色気と思い込みの激しい分だけ、つい羽目を外してしまいがちなのである。そのせいか、作者の意図からかけ離れた極端な地点まで暴走してしまうようなことも珍しくない。

 が、普段からちょっと近い事を考えているので、思わぬ作家とのスタンスの近接に出会って(無論、私は実作者ではないですし、自分を法月綸太郎の横に並べる気は毛頭ありませんが)面白かったところ。
 法月綸太郎の小説作品はどうも肌に合わないのですが、一度、評論系の本を読んでみてもいいかもと思ってみたり。

●『夏休みの空欄探し』(似鳥鶏


 小さい頃から知る事が好きだった。昆虫。自動車の車種。電車の車両。世界の国旗。他言語の挨拶。日本と世界の歴史。ジャンルはそれほど偏りがなく、ただ知らないことを知るのが好きだった。知らなかったことを調べて知識を得ると、また一つポイントが上がった、と嬉しかったし、親たちは僕の物識りを褒めてくれた。ただ名前を知るだけではなく、それがどんなもので、それの属する体系の中でどんな地位を占めるのか。そういうことまで知るようにすると、その体系そのものの「常識」がなんとなく分かるようになって、未知の話でも推測ができるようになる。知識というものは、体系化すると無敵になるのだ。

 ……が、教室では話す相手が一人しか居ない高校2年生・成田頼伸は、クラスの中心人物である成田清春と苗字が同じだったばかりに陰で「じゃない方」と呼ばれ、自分の持つ知識が「役に立たない」ものではないかと心中密かに鬱屈を溜め込んでいたある夏の日、暗号パズルに頭を悩ませる姉妹と出会う。
 得意中の得意ジャンルが目に入り、我慢できずに(不審者にならないように細心の注意を払いながら)暗号の答を姉妹に伝えた頼伸は、姉妹と共に別の暗号にも挑む事になると、そこに偶然から清春も加わって……暗号×ボーイ・ミーツ・ガール×一夏の冒険、な超ストレートな青春ミステリで、恐らくは「暗号の解答」と「埋まっていく夏休みのカレンダー」を掛けたタイトルが秀逸。
 進みすぎると森見登美彦の世界に入って戻ってこれなくなる系の独白に始まる主人公は、いわゆる“陰キャ”の立ち位置に置かれ、ヒロインとは別に、陽キャのクラスメイトとの交流が描かれるのは、現代で学園物を描くならば常套手段ではあるのでしょうが、個人的にあまり“陽キャ”“陰キャ”のカテゴライズによるキャラ立てに基づき、お互いを見直していく歩み寄りのドラマにいまいち面白みを感じないのに加え、その経緯が定番と呼ぶにも陳腐なイベントの釣瓶打ちだったのは、だいぶ物足りなかったところ。
 今作が正道のジュブナイルを念頭に置いているのならば、そこはあえて定跡を忠実になぞったとも取れるので、年齢含めて、触れるタイミングで印象の変わりやすい部分かな、とは思いますが。
 一方、ミステリとしは次々と現れる暗号を解いていく“小さな謎”と同時に、序盤から一つ“大きな謎”を仕掛けておく事で、物語全体にサスペンスをもたらすは、さすがの手並み。
 ただ着地点が、うーん……。

●『名探偵外来-泌尿器科医の事件簿-』(似鳥鶏
 この作品のタイトルのお陰で、ずっと「ひつにょうき」と誤読していた事に気付きました。正解は、「ひにょうき」。
 そんなわけで、泌尿器科医を務める主人公・鮎川を主な語り手として、外来患者を発端とした様々な事件を描く、医療ミステリ短編集。
 著者の持ち味である、饒舌にして軽妙でユーモラスな語り口や、元総長な師長・神出鬼没のメディカルソーシャルワーカー・同僚の石田、といった周辺人物の妙味で楽しく読ませる一方、生と死の交錯する医療現場を舞台にしている事もあってか、生々しくも毒々しい“悪意”の描き方は、かなりきつめ。
 これに対して主人公(ら)が手にする剣は、現代医療の最前線で戦い続ける者としての、知識・良識・誇り、といったところなのですが……どうも個人的に、いまいち響かず。
 主人公に好感が持てないわけでもなく、どうしてだろう……と考えてみると、今作が解決に至って提供する快感の構造というのが〔半可通のネット弁慶を専門家が正論で切り伏せる〕に近いからなのかな、と。
 無論、現実では(構図そのものはしばしば目にしても)案外と成立しえないからこそ、フィクションにおける快感として効果を発揮するわけですし、主人公をはじめ医療現場の人々の姿は真摯に描かれているのですが、SNSにおいて可視化される悪意を戯画化し、劇中現実の“事件”にスライドした結果、そのエンタメとしての解決において「“言ってやった”の勝利」めいた様相を呈すのが、あまり物語としてツボに入らなかった模様。
 医療ドラマとしては“切って終わり”にはしないところに意識を持ち、気取った言い回しを使うなら“現代の病理”を描く事に二重の意味を与えており、しばしばネットコミュニケーションの世界を物語の小道具という以上に“小説を通して向き合うもの”とする著者の傾向からすれば、ある程度は狙った構造であると思われますが、今作におけるフィクションとしての快感は素直に受け止めるには、現実に肉薄しすぎて消化しにくい、といった感触でありました。
 あと、そういった構造が把握できたところで冒頭を読み返してみると、ああ成る程、と腑に落ちてみたのですが、落ちたところが私の好みとちょっと違った次第。

 そんなわけで似鳥さんは、文章もキャラクターの描き方も好きながら、どうも話の方向性が近年は肌に合わないな……と、落ち着くのでありました。
 ただ毎度書いていますが、『さよならの次にくる<卒業式編>』『同<新学期編>』は、学園ミステリとして素晴らしい出来なので、オールタイムお薦め。

 それから、以前にちょっと触れた儒教 怨念と復讐の宗教』(浅野裕一を読み始めたのですが、


 孔子の生涯を貫き、その人生を特色づけているのは、政界に地位を得て為政に参画せんとする、田舎者の上昇志向である。

 に始まって、


 「五十にして天命を知る」(為政篇)」と勝手に上天より受命したとの誇大妄想に取り憑かれた孔子


 儒教道徳としてもてはやされた仁の実践とは、天下簒奪を狙う謀反人の歪んだ動機から発せられたものであった。

 と、いちいちトゲのある言い回しが用いられて、儒教の怨念というより、著者から儒教への怨念が感じられなくもなく、一口に大学教授といっても色々あるので著者が学会でどういった評価や位置づけなのかは存じ上げませんが、理知と怨念の混合物から生み出される文章が、グイグイと読ませます(笑)
 また、著者の『論語』他の解釈に一定のバイアスがかかっているのだとしても、「後に一種の神格化をされる聖人としての孔子」像の虚飾を取り払ってみた時、「乱世に生きる思想家としてはむしろ当然の政治的野心をギラギラ燃やす孔子」という視点には相応の説得力があり、そういう読み物、としての面白さがあり。
 孔子を「肥大する野心と満たされない自尊心の末、天子になる事を夢見た誇大妄想の持ち主」と位置づける著者ですが、ではその孔子が失意のまま死を迎えたのち、如何にして聖人に祀り上げられるに至ったのか――が、どう紐解かれていくのか、この先が楽しみ。