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愛と哀しみの逆転

イナズマン』感想・第11-12話

◆第11話「バラバンバラはイナズマンの母」◆ (監督:石森章太郎 脚本:石森章太郎/島田真之)
 (※当時の筆名は「石森章太郎」ですが、以下、「石ノ森章太郎」で統一します)
 バラバンバラに襲われた少女の悲鳴を聞きつけた五郎らだが、少女は何故か、五郎が首からさげたペンダントを見て、激しい恐怖を訴える。
 ペンダントが発する音に呼ばれている気がする、と少女の事を同盟女性に任せた五郎は丸目を乗せて雷神号を走らせると帝国兵の襲撃を受け、マンガのコマ割りのようにキャラの顔アップが小刻みに切り替えられたり、帝国兵の飛ばしたクローがスローモーションで戻っていくのは、石ノ森章太郎のマンガ的表現の実写化、といえそうでしょうか。
 以前に『仮面ライダー』で監督を務めた際は、マンガのコマ割りとは違って実写では必要になるカットとカットを繋ぐシーンが不足して、当時助監督だった長石多可男が尺に合わせて間を埋める映像を足したという話はどこかで読んだ覚えがありますが、今回はその辺りはどうだったのか。
 第1話以来となる、帝国兵の大集団(1画面に20人ぐらい)が不気味に描き出され、丸目がたまには帝国兵を相手に活躍……できず(笑)
 丸目の危機に五郎は新演出で剛力招来し……その頃、少女の父・石川博士の秘密研究室にバラバンバラが入り込み、帝王バンバが危機感を抱く世界的な食糧危機の要因として、博士の口から「小氷河期」について触れられるのが、いかにも当時の科学スリラー。
 ナレーション「サナギマンになるのは、超能力エネルギーを蓄える為だ。エネルギーが100%になった時、サナギマンは、イナズマンに変身する」
 丸目を守りながら帝国兵の攻撃を受ける事でゲージを貯めたサナギマンは、超力招来すると、群がる帝国兵を念力で吹き飛ばし、「瞬間移動」(と口に出して宣言)。
 ナレーション「瞬間移動能力とは、精神の力によって、思った場所に、一瞬で移動できる、能力の事である」
 により、知りもしない博士の秘密研究室に移動するとバラバンバラから石川博士を救出する出鱈目さで、ナレーションがなんのフォローにもなっていません(笑)
 博士を丸目に任せたイナズマンはバラバンバラと激突し、両者が短距離ワープを繰り返すのは、後の展開を考えると同質の力を持っている事の印象づけの意図もあったのかも。
 バラバンバラの連続攻撃を受けるも超筋力で蔦を振り払ったイナズマンは、影の中で打撃が炸裂する念力パンチ・キック・チョップで帝国兵を次々と屠り去り、監督・脚本:石ノ森章太郎の勢いで、新技と新演出が怒濤のごとく増えていきます。
 イナズマンとバラバンバラが空中で激突すると衝撃と閃光が発生し、気を失っていた五郎は、同じく地面に倒れていた黒衣の女を発見する。五郎のものとよく似たペンダントを身につけたその女性はなんと――幼き日の記憶に残る五郎の母・シノブ。
 「……母さん?」
 目を覚ました女性も五郎の生き別れの母親である事を認め、キャプテン・サラーの投薬実験疑惑もあった、渡五郎は何故これほどまでに強力な超能力者であったのかについて、そもそも五郎の母親も超能力者であった、と血統的背景を裏付け。
 もっとも、大学生になるまで全く自覚の無かったその能力を覚醒させたのはやはり、とうやくじっげふんげふん、サラーは正義! バンバは悪!
 とにかく、母と子は15年ぶりの再会を果たし、喜びを分かち合うのであった。
 「とにかく俺の寮に行こう。色々話もしたいし」
 「それがね……五郎、行けないんだよ。おまえが来てくれないかい?」
 「どこへ? どこへ行けばいいんだ?」
 「新人類帝国」
 振り返る五郎と悪魔へと変貌していくシノブの姿が小刻みなカットの入れ替えで描かれ、早い! 早かった!
 「おまえには私と同じ、新人類の血が流れているんだよ」
 「やめてくれ母さん!」
 生き別れの母親が新人類のミュータンロボである事を否定しようとする五郎だが、そこに帝王バンバの声が響き、スカウト再び。
 「馬鹿な……馬鹿なことを言うな!」
 「五郎」
 「……それに……こいつだって……俺の母かどうかわかったもんじゃない!」
 異議あり
 実の母親に疑問を呈す五郎だったが、「二人が首にかけているペンダントは、合わせると一つの薔薇の形になるのです!」と弁護士バンバは法廷に証拠品を提出。
 !?
 渡五郎はたじろいだ!
 「わかったかね渡五郎。おまえの母は新人類なのだ。我々の同志、新人類なのだ」
 「……違う。この人は俺の母さんじゃない。母さんは15年前に死んだんだ! ……それに……」
 「それに? どうした五郎くん」
 母ならば腕に薔薇の花のようアザがある筈だ、となおも否認を続ける五郎だったが、弁護士バンバはシノブの腕のアザをつきつける!
 !?
 渡五郎はダラダラと冷や汗を流している!
 「どうだ? これでも母親を殺すつもりなのか」
 五郎の精神に揺さぶりをかけるだけかけてバンバとバラバンバラは姿を消すと、バラバンバラは再び石川博士を襲撃。護衛に当たっていた丸目と少年同盟に向け、渡五郎は既に高額な移籍金に目が眩んで新人類帝国に鞍替えした! と虚言で惑わし、遅れて駆けつけ、バラバンバラとの戦いに迷いを見せた五郎は、仲間たちから腰抜けの守銭奴野郎の烙印を押されてしまう。
 当時の作劇もあってか「そこに至る経緯」よりも「描きたい要点」が重視されているので、少年同盟と丸目が五郎に対して「見下げ果てたクズ野郎だ!」と見損なう手の平の返し方はあまりにマッハですが(ガスバンバラの時は、罠に違いないから危険だ、と止めてましたし……)、己でも受け入れがたい事情を説明できず孤独に思い悩む五郎の姿は、象徴的な石ノ森ヒーロー像ではありましょうか。
 確保した石川父娘を人質に、五郎と少年同盟を離間させる一石二鳥を狙う弁護士バンバの奸策に対し、骨肉の争いに苦しむ五郎はバラバンバラへと念を送信。
 押さえ込まれた精神の深層にアクセスできたのか、助けを求める母の声を聞くと、母は邪悪な改造手術の被害者に違いなく、チェストする事が救済になるのだと戦いを決断するが、念を受けたバラバンバラのリアクションが挟まったりはしないので、思い込みで自己解決したように見えなくもありません。
 ……石ノ森先生的に同盟コスチュームに不満でもあったのか、私服姿のまま石川親子の救出に向かっていた少年同盟が危機に陥ったその時、一面のススキ野原に雷鳴を轟かせながら姿を現すイナズマン
 石川らを逃したイナズマンは、バラバンバラに懸命に呼びかけると証拠品のペンダントを突きつけ、ペンダントチェストー!
 投げつけられたペンダントが一つに戻るとバラバンバラはシノブの姿に戻り、親子の証が、情愛の心を取り戻させる絆として機能するが、そこに弁護士バンバが出廷し、待った!
 「おのれ~、バラバンバラめ~。人間の心に戻ったおまえは、もはや用は無い! 死ねぇ、バラバンバラ」
 バンバの念動攻撃により大爆発が起こり、最後に人の心を取り戻した母は、イナズマンの腕の中で無情にも死亡。
 「くそぉ……バンバめ……」
 「バーラバラバラバンバ~」
 怒りと哀しみに燃えるイナズマンは目を輝かせると帝国兵たちをオーバーキルぎみになぎ倒し、弁護士バンバ、本当の逆転を見せてやる!
 「逆転チェスト!」
 により、念動爆発を真正面から叩き返されるバンバ(笑)
 「バーラバラバラバンバ~……バーラバラバラバンバ~」
 バンバは退廷し、母の亡骸を抱え上げたイナズマンは、異形の仮面で涙を流す。
 「私は戦う。平和に暮らす人々を、俺たちのような悲惨な目に遭わせない為にも。戦って、戦って、戦い抜いてやる!」
 ここでは、ヒーローとしての「私」と、復讐者(渡五郎)としての「俺」が混ざり合い、公私の混沌が発生しているのがちょっと面白い台詞で、新帝国根絶やしでごわす、と闘志を新たにするイナズマンの姿で、つづく。
 次回――「「待て、母の仇バンバ!」怒り狂うイナズマンは、敵を追って新人類帝国に乗り込んだ!」
 果たして弁護士バンバは、この絶体絶命の状況を逆転する事ができるのか?!

◆第12話「母の仇バンバ対イナズマン」◆ (監督:山田稔 脚本:島田真之)
 なんかちょっと心配になるぐらいキャストクレジットがさっぱりとし、新人類どもは皆殺しでごわす! と片っ端から帝国兵をチェストし続けるイナズマン
 「新人類帝国はどこだ!? 吐け! バンバはどこにいる!?」
 帝国兵の自爆から地割れに飲み込まれたイナズマンは渡五郎として人工の地下空間で目を覚まし、その背後にはアクマバンバラ(尖った両肩のシルエットで悪魔の翼ないし角を表現しつつ、全身に巻き付いたヘビが悪魔のシンボル、という事でしょうか)が忍び寄る。
 悪魔バンバラの火炎放射を浴び、帝国兵から左腕を執拗に痛めつけられた五郎は剛力招来に失敗するが、調子に乗った悪魔バンバラにカウンターの前蹴りを叩き込むと逃走に成功。帝国の勢力下で労役を課せられる人々に助けられ、突然の、シスター。
 ここではシスターは、不戦・平和主義・無償の人類愛、といったものの象徴的存在であり、その浮きまくった衣装も、汚れなき希望(意思)を示すがゆえに敢えて、というところがあるかとは思うのですが、周りが薄汚れたお仕着せの男たちの中に一人だけ綺麗なままの衣装のシスターが混ざっていると、画面上の違和感は凄まじいことに。
 「バンバをやっつけに行くんだ。俺の母親は、新人類に殺された!」
 「でもいけない! 戦いはいけません!
 「仇を討つんだ! 止めないでくれ!」
 復讐の連鎖に飲み込まれていく五郎はシスターの制止を振り切ると、家族を皆殺しにされたという眼帯男の案内で帝国の本社ビルを目指し……眼帯男は、丸目より強かった(笑)
 (強すぎる……あの男はいったい何者なんだ?)
 さすがに疑問を抱きつつも最上階へ向かう渡五郎の前に姿を見せた帝王バンバはハリボテで、忍法・逆転代理人の術により悪魔バンバラの正体を現す、眼帯男。
 「罠にはまったな五郎。ここが貴様の墓場となるのだ。ぬはははは」
 骨折で変身できない……はどうも微妙なピンチですが、火炎であぶられ帝国兵の攻撃を受けた五郎は、なんとか非常階段から脱出すると、再び逃げ込んだ捕虜収容所の人々と共に逃走するが、洞窟に追い詰められてしまう。
 「くそぅ……殺してやる!」
 「待って! 戦いはいけません!」
 「君はまだそんな事を言っているのか!」
 復讐に囚われ、血走った目にどす黒い肌色の五郎と、それをじっと目詰めるシスターの対比は鮮やかで、前回ラストの台詞(五郎の中の大義と私怨の混沌)が拾われて主人公の迷走を克明にあぶり出し、五郎に代わって洞窟を飛び出したシスターは、入り口に仕掛けられた時限爆弾を抱え込んで爆死。
 「みんなを、みんなを、助けて……みんなを……」
 「……君はこんなにもみんなの事を思っているのに、俺は自分の事だけ考えてきた。許してくれ……! みんなを危険な目に遭わせた俺を許してくれ! 君の気持ちは決して無駄にしない!」
 殺す為ではなく、守る為に命を懸けたシスターの死に心打たれた五郎は復讐から解き放たれるが、脱走者たちが次々と帝国戦闘機の爆撃に倒れる壮絶な展開で、「捕虜収容所」に「強制労働」、そして「戦闘機(爆撃機)による虐殺」と、戦争のモチーフがストレート。
 戦争のモチーフは、時代時代の距離感が反映されやすい面があり、50年後の今日からは迂闊に言及しにくい部分ですが、放映当時はアメリカ軍が撤退してベトナム戦争が終焉に向かっていた頃であり、もともと新人類帝国にナチスドイツの影が見えるように、作品として過去数十年の「戦争」への意識は見えるところであろうとは思います。
 「……剛力・招来!」
 変身に成功したサナギマンは戦闘機部隊の機銃掃射を受けながら超力招来!
 雷神号を召喚すると戦闘機とドッグファイトを演じ、そろそろ残り時間が……と思ったら、悪魔バンバラ、戦闘機に乗っていた。
 そして、煙幕を張って背後に回り込んだ雷神号に噛みつき攻撃を受け、まさかの基地ごと墜落爆死。
 渡五郎をかなり苦しめた悪のミュータントでしたが、なかなか見ない気がする最期を迎える事となりました。
 ナレーション「新人類帝国の基地は壊滅した。しかし、帝王バンバを倒す事は出来なかった。今度こそ、今度こそきっとバンバを倒してやる。イナズマンは、強く心に誓った」
 かくして、基地カードを身代わりに捧げた帝王バンバ、サブタイトル詐欺からのナレーション逃げに成功。
 公私の境界を失い復讐に猛る主人公が、みすみす善良な魂を犠牲としてしまった事で自らを見つめ直すエピソードで――剛力招来できないのは、表向きは「骨折によるもの」とされていますが、その本質は「超人としての正しい心を失っている為」でありましょうし――、私怨に狂う渡五郎は決してイナズマンとなれない事で、復讐型ヒーローとは一線を画す“みんなのヒーロー”としてのイナズマン像を改めて明示。
 肉親の死をきっかけに、これまで自明の理と置かれていた「みんな」を一度忘却した主人公が、「私」を経て再び「みんな」に回帰する事でヒーローとしてステップアップを果たし、ここまで明確に「私を捨てる」事をヒーローの正しさとして描かれるのは今日見るとひるむところもありますが、この「公と私」はこの後も様々な作品において命題とされていく要素であり、今作ここまでの作風に楔を打ち込む一つのターニングポイントとなりました。
 ただ、過酷な環境下にあっても五郎を匿う人間性を失っていなかった人々が、傷ついてもなお立ち上がる五郎の姿に奮起するでもなく(まあそこでの五郎は「英雄」ではなく、私的な「鬼」に過ぎないわけですが)、場の熱狂に浮かされるように一緒に逃走した末、シスターの死後も、見張りが居ないから逃げられるぜ、と我先にと走り出しては爆殺されるのは、モブ処理の都合で、なんだかちぐはぐになってしまった感。
 エピソードの主題を考えると、シスターが死んだところで五郎がサナギマンに変身し、他の捕虜を救い出す方が収まりが良かったように思うのですが……強く押し出したモチーフに引きずられすぎた部分も或いはあったでしょうか。
 次回――壺と超能力者の組み合わせが胡散臭い。