東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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久方ぶりの読書メモ

ようやく読書スイッチが入った

●『君が護りたい人は』(石持浅海
 ある人物を殺す事を決めた男・三原と、その決意を事前に知らされた男・芳野。殺そうとする男と、殺されようとしている男、双方をよく知る芳野は、ある事情から三原に賛同すると、その殺人を見届ける事を約束する。7人の男女が集まったキャンプ場で、果たして三原は目的の殺人を完遂できるのか――。
 探偵モンスター・碓氷優佳もの、第6作。
 殺人の意思を伝えられた男・芳野の主観で物語は進み、殺人が起ころうとしている事はわかっているが、その計画の詳細については全く知らない、犯人でも被害者でも探偵役でもない男が、見届け人の立場から殺人の方法について想像する、石持さんらしい実にねじくれたコンセプト。
 基本は、「事件」が発生する前に、その「手段」について芳野が考えを巡らせる形で進み、通常の推理小説ならば、事件が起きた後の推理ディスカッションとして行われるものを、事件が起こる前に傍観者の脳内で一人で行う非常に倒錯した構造となっており、それを“面白い”と思えるかどうか次第、といった内容。
 個人的に、発想は面白かったと思うのですが、いざ実作を読んでみるとうーん……といった感じで、わかった事は、推理小説(フィクション)における「事件」とは、物語の中で実際に発生する事をもって、その実現可能性を担保されるものであり、発生する前の「事件」についてどんなにありえそうな正解を導き出してもそれは虚構における実現可能性を立証されない為、空想の産物にしかならない事。
 “どんなにあり得なさそうに見えても、発生した事件はあり得るもの”であるのに対して、“どんなにあり得そうに見ても、発生しなかった事件はあり得ないもの”でしかなく、後者について如何に思考を巡らせようと、そこに推理小説としての面白さを見るのは、個人的には難しかったです。
 石持さんはデビュー当初より、メタ的な観点を持った「本格推理」を書いている作家ではありますが、もしかすると作家の意図以上に、「本格推理」の持つ空虚性を描いてしまったような、そんな一作。
 碓氷優佳ものの半分ほどは、碓氷優佳を出す事を保険にした実験的な作風ではあり今作もそれに当たるのですが、究極的な解決装置としての碓氷優佳が物語の安全弁として配置されているだけで、キャラクターの魅力が特に活かされなかった点も、残念。
 やはり第一作『扉は閉ざされたまま』はあまりにも美しかったし、そこで描かれた「“得体の知れない犯人を追い詰めていく”興奮ではなく、“得体の知れない探偵に追い詰められていく”恐怖」を越える魅力はなかなか出てこないな、と改めて思う作品でした。

●『予告探偵 西郷家の謎』(太田忠治)
 ――「君が今回『摩神尊』だということは、君がもたらす災厄の中でも最も厄介なものがこの先に訪れることは確実なのだからね」
 時は1950年。歴史ある名家・西郷家に、一通の不可解な封書が届けられる。「すべての事件の謎は我が解く」の、“事件”とは一体何を示すのか……?
 貧乏文筆家の木塚は、傍若無人で自由気侭、おまけに正体不明の友人に連れられて西郷家の住まうユーカリ荘を訪れる事になるが、そこでは西郷家の美しい令嬢との婚約を巡り、きな臭い空気が漂っているのであった……。
 尊大で多才な探偵と、気弱で良識人のワトソン役、旧家にまつわる過去の事件と婚約者を巡る軋轢……と意識して大時代的な道具立てを揃えた長編推理小説
 特に探偵役と助手役については、どこかの推理小説で触れた既視感の詰め合わせのような造形になっていますが、そこは練達の作家だけあり、巧みな筆致で殺人事件の謎を追わせつつ、散りばめられた些細な違和感がラストの仕掛けにきちっと収束してみせるのは、鮮やかな手並み。
 個人的にちょっと、判定の厳しくなるネタだったので、ぼちぼち、ぐらいの評価ですが……作者の技巧は出た一作でした。