東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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春の読書スイッチ3

家に海外SFが積まれている

●『玩具修理者』(小林泰三
 第2回日本ホラー小説大賞短編集を受賞した表題作と、小長編「酔歩する男」を併せて収録した、著者の第一作品集。
 「玩具修理者」の方は、〔ホラー大賞受賞作品・タイトル・「玩具修理者は何でも直してくれる。独楽でも、凧でも、ラジコンカーでも……死んだ猫だって」のあらすじ〕から苦手方面の予感しかしないので、塩谷さんにいただいたコメントを参考にすっぱり諦める事にして、以下「酔歩する男」のみの感想になります(単純なページ数では、「酔歩する男」が全体の4/5)。


 ある晩わたしは、飲み屋で出会った見知らぬ男から、「わたしを覚えておいでじゃありませんか?」と声をかけられる。男に全く覚えがなかったわたしはそれを否定するのだが、すると男は、「わたしはあなたをよく知っているが、あなたがわたしの事を知らないなら知り合いではないのだろう」と奇妙な事を呟き、それは「男の勘違い」でも「わたしが忘れている」わけでもなく、「最初から面識がなかった」にも拘わらず、男はわたしと「大学時代に親友だった」と言い出す。その不可解な言動がどうしても気になったわたしは、男に納得のいく説明を求めるのだが……。

 飲み屋で出会った奇妙な男、という如何にもな奇談の導入から、思った以上にがっつりSFへとツイストし、物語が進むにつれて、成る程これは、そういうタイプの恐怖か……と思っていると、その奥にもう一枚の恐怖が潜んでいる、というのが、さすがホラー作家の手管、といった具合で鮮やかな一編でした。
 主体はあくまでSFで、おどろおどろしいわけでも、グロテスクなわけでもなく、なんというか、“人への害意”といったものは物語の中には強く存在していないのですが、その辿り着くところに恐怖が生み出される、のが角度として面白かったです。
 若い頃に読むとより刺さりそうというか、若い頃に読まなくて良かったのかもというか(笑)
 文庫版解説(井上雅彦)によると、作者はラヴクラフトのフォロワーでもあるとの事ですが、そこから導き出された一つの解釈がまた、サブテキストとして作品に違った光を当てて面白かったり。
 最近、宮内悠介を読んで国産SFに波長が向いているのもあるかもですが(二昔ほど前は、海外SFに偏向した読書だった)、ミステリ寄りの作品から読んでみた小林泰三、SF寄りの作品の方が、相性がいいのかも。

●『消失グラデーション』(長沢樹


 強豪として知られる藤野学院の女子バスケ部では、3年生の引退後、2年生エース・網川緑のワンマンプレーによりチームに深刻な亀裂が生じていた。緑に片思いする男子バスケ部員・椎名康は、友人の放送部員・樋口真由と共に、緑がリストカットを行う場面に出くわすが、その数日後、フェンス修理中の屋上から転落したと思われる緑の姿が、忽然と消失してしまう……。

 “あるトリック”を成立させる事に徹底してこだわり抜いた学園ミステリ。
 一つ一つは、それはちょっと無理があるのでは……と思う部分が無いわけではないも、とにかくある一点の為に全体を奉仕させる事により、この物量を注ぎ込んでいるならば、まあ仕方ないか……と思わせるぐらいの作り。
 一方で、そのトリックが解き明かされた時に、ある割と陳腐な構造が浮かび上がるのが、物語としてちょっと考えさせられる小説でした。
 先鋭が一周回って平凡に辿り着いてしまったみたいな現象が、内容以上に混乱させられたといいますか、物語の核心に関わるので触れにくく、忘れた頃にこの文章を読むと意味不明になりそうですが!

●『倫敦暗殺塔』(高橋克彦


 1885年(明治18年)――ロンドンでは、100人あまりの日本人が日本での日常生活を再現してみせる実質的な見世物興行としての「日本人村」が注目を集めていた。浮世絵に興味を持つ美術学校の学生エミーは、新聞記者の青年ホープと共に日本人村を訪れ、流暢な英会話をこなす日本人通訳・村上剛と知り合いになる。
 一方、日本では時の外務卿・井上馨が日本人村に関するある謀略を進めていたが、その矢先、繋ぎ役として命令を与えようとしていた駐英武官・桐山が、砲弾に頭を潰された無残な死体となって、ロンドン塔で発見される……。

 明治新政府の樹立より十数年、各国との不平等条約解消が日本政府の悲願であった時代、実在した「日本人村」をアイデアの核に、ロンドンで起きた殺人事件と日本で進められる策謀、二つの舞台を行き来しながら歴史の荒波に翻弄された人々の姿を描く、歴史ミステリ。
 明治初頭の史実を織り交ぜながら、スケールの違う二つの謎で引っ張っていく物語なのですが、大きな謎の方の真実に無理を感じて、どうにもノれず。
 初・高橋克彦だったのですが、素直に『写楽殺人事件』から読むのが良かった……?(笑)

●『バイバイ、エンジェル』(笠井潔


 1970年代のパリ――ビクトル・ユゴー街のアパルトマンの一室で、資産家夫人の首切り死体が発見される。事件の背後に、大戦前後のどさくさにまぎれた鉱山の権利問題と、スペインで姿を消したレジスタンス闘士の影が見え隠れする中、パリ司法警察のモガール警視の娘・ナディアは、謎めいた日本人青年・矢吹駆を巻き込んで事件の謎へと挑む。

 初・笠井潔。初・《矢吹駆》シリーズ。
 解説によると、連合赤軍事件への作者の自問自答が執筆の背景にあるとの事で、劇中でたたかわされる革命にまつわる議論など、時代の空気を多分に含んだ作品。
 現象学の徒であり、その実践として“簡単な生活(ラ・ヴィ・サンプル)”を心がけ、必要が無い時は無口だが必要があればとめどなく喋り続け、禁欲的で超然とした探偵……というよりもヒーロー像は正直あまりピンと来ず、政治的な要素もわからない部分が多かったですが、この辺りは世相や新奇さなど、発刊当時に読んでこそ、の面白さの部分もありそう。
 個人的には、矢吹駆のややこしい長話よりも、パリ警察の地道で堅実な捜査シーンの方が面白く読めたりしたのですが、ヒーローもヒロインも登場しない場面(基本、語り手はヒロインのナディアだが、随所で、事件後に聞き集めた話、の態でナディア不在の場面が第三者視点で描かれる)が結構続いても面白いのは、小説としては凄いと思うところです(笑)
 多分、ナディア父、世界観がちょっと違えば、警察小説で主人公できるようなキャラだから、というのはありますが。
 今作の手応えはぼちぼち程度でしたが、シリーズ続刊は読んでみたい予定。

●『アルキメデスは手を汚さない』(小峰元)
 中絶手術の失敗による女子高生の死、弁当に盛られていたヒ素による毒殺未遂、失踪した会社員……いっけん無関係そうな事件が絡まり合う、第19回江戸川乱歩賞(1973)の受賞作にして、“青春推理”の分野を確立したとされる長編ミステリ。
 刊行当時の著者の言葉によると、16-17世紀にスペインで流行した悪漢(ピカレスク)小説に模範を取った“現代推理悪漢小説”を目指したという事で、1974年の文庫版解説者は「とにかく、この小説に登場する高校生たちは、男子も女子も、そろってカッコいい小悪党ばかりである」と評しているのですが、50年の歳月の差も合わせて、個人的には、全くそうは思えず。
 私から見ると痛快さの欠片も無い物語の中にはしかしどこか、全共闘には乗り遅れた世代(劇中の高校生たち)のもがきと、その行動に対する少なからぬ肯定的な眼差しが存在しており、“そういう若者たち”の存在に説得力が生じると同時に、フィクションにおける“そういう若者たち”に何かを仮託したい大人たちが多かった時代であるのかかな……と受け止めるのが精一杯の作品でした。
 正直、読後に時間が経つにつれて、受け入れがたい気持ち悪さ(と、自己整理の為に明言しますが)が滲み出てくる一作。
 ある種の“恐るべき子供たち”テーマなのですが。そこに対比に置かれる大人たち(仮想読者の一部でもある)が、“青春”を戦中ど真ん中であった世代、と考えると更に複雑ではあり、くしくも上記『バイバイ、エンジェル』同様、連合赤軍事件が時代の背景として影のように染みついていて、戦後30年と高度経済成長期が絡み合って様々な問題を社会の各所に投げかけていた時代の感覚があるかないかでは、だいぶ感触の変わる作品ではありそうでしょうか(作品自体は当時の大ヒット作であり、00年代にも復刊あり)。