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シベ鉄の出番です

『王様戦隊キングオージャー』感想・第5話

◆第5話「冬の王来たる」◆ (監督:上堀内佳寿也 脚本:高野水登
 ラクレスとカグラギの共謀によりギラは国際犯罪者として紫の王・リタに引っ立てられてシベリア送りとなり、「ゴッドカブトが奪われた失態」なの……? そして、「そんな事より!」って大きな声を出すと、それで切り抜けられるの……?(笑)
 とりあえずこの、ハッタリ屋がデカい声を出すとその場を誤魔化してしまえるのは単純に感じ悪いので、改善されてほしい部分。
 国際裁判の場である紫の国・ゴッカン(ちなみに、次回予告の書き文字以外に「中立国」である旨は特に表現されず、こういった番組におけるメタ情報をどこまで考慮するかは難しいところですが、各国の関係性に関しては、積極的に行間を読まないとわかりにくいというのが正直)に連れて行かれたギラはひとまずドームポリス式雪だるまの刑に。
 これまで何故かずっと、赤の国に強制送還されたら速攻でラクレス野郎の事務所にカチコミじゃぁできる気満々だったギラだが、紫の国で裁きにかけられると知って動揺し……まあ、ここでなくても普通、武装解除されて監獄送りか送還中に暗殺がオチだと思うのです。
 「奪う者よ。そこで凍るまで、ゴッカンの吹雪に震えろ」
 バグナラクの気配に気付いたリタはパピヨンオージャーに王鎧武装し、立ち上がり5話、メインの王様の一人アクションをがっつり見せていく趣向となりましたが、スローモーションによる強調を繰り返し、一枚絵を次々と見せつけてくるような手法が、どうもツボに合わず。
 「招かれぬ者は入れず、許されざる者は逃がさない。最果ての牢獄、ゴッカンへようこそ」
 如何にもウケ狙いな転売屋への判決シーンを挟み、私室は散らかり放題にぬいぐるみだらけで、だいぶストレスが精神に来ていそうだったリタは、ぬいぐるみとの自問自答を経てギラと行動を共にしていた各国の王様から証言を集め、実は可愛いもの好きの定番……と見せて少しずらしてきましたが、ぬいぐるみに話しかけるぐらいはまだしも、急に絶叫する辺りは笑いで済ませていいかスレスレ感あるので、気配りの欲しい描写ではあります。
 後半の逆転劇に向けて、「なぜギラはゴッドクワガタを操れたのか?」を中心に情報が集められていくのですが、自らの底を浅くしていく事に余念の無いラクレスさんが面と向かってリタを恫喝すると、リタはリタで「蚊が止まっていた」と言いながら平手打ちをぶちかまし……今作における政治劇って、寓意でなしに、だいたい学園ファンタジー物(広義)の権力争いぐらいのリアリティラインで捉えれば良さそうでしょうか。
 これは勿論、引き上げれば良いというわけではなく、肝心なのはラインを安定させる事でありますが、なまじ最初に5王国間での外交要素を取り入れてラインを上げてしまった分、まだちょっと色々な事象に戸惑いが先行します。
 「……恨まない」
 「え?」
 「……正しさを守る人ほど嫌われる。……だから……あの人がそうだというなら……受け入れる。……でも……悔しい……かも」
 牢獄のギラはリタとゴッカンの事情を聞き、どうにもギラのこの、突然語りモードに入るのも、まだ飲み込めずにいるところ。
 そして裁判当日、連夜のイメトレを重ね、胸をワクワクさせながら処刑の宣告を待つラクレスだったが、リタの調査により、ギラはシュゴッダム王家の血筋どころか、ラクレスの実の弟と判明して、判決は逆転無罪。
 王家の人間だから、国家の所有物を勝手に持ち出していいのかについては疑問も湧きますがそこはファンタジー解釈として、ギラについて各国の民の証言を集めてもいたのは、作品が意識している「王」-「民」集合体としての「国」の関係性にも繋がる良い目配りで、リタさん仕事人(ゆえにストレスを溜め込むタイプ)。
 被告人が幼少時に食べたと証言しているレインボーなんちゃらは、10年以上前、シュゴッダムの厨房にのみ記録が残る幻の食べ物なのです!
 は、まあだいぶ無理がありましたが、あくまで推論の出発点として、決め手はヒメノによるDNA鑑定の方とすれば納得はいく範疇(蚊はだいぶ無理がありましたが……)ではあり、裁判長の支持に回るヤンマとヒメノの笑顔から法廷に溢れ出す、ラクレス凄い嫌われているな感。
 この血縁関係についてラクレスは把握していたようなのにギラは前後の記憶が消し飛んでいる様子なのはなにやら不穏ですが……
 「そうだギラ、おまえは精神に戦闘用人格を植え付けられ、死を恐れずに肉体能力を最大限まで引き出す人蟲義鎧、すなわち、我が国の対バグナラク用人間兵器・改造ジュルリラ人間第0号になる筈だったのだ。しかし実験は失敗に終わり、記憶と精神に異常をきたしたおまえは、密かに廃棄処分された筈だった……!」
 ……みたいな与太はさておき、変に引っ張るよりは良かったですし、王権を巡る物語としては定跡中の定跡の一つではありますが、結局ギラがクワガタを動かせたのは王家の血筋だからで、王の証=生体認証を通過する遺伝子情報、でしかなかったのは、序盤の伏線を綺麗にまとめたというよりは、身も蓋もない事実が確認された、といった印象。
 前回も思いましたがどうも今作、クライマックスにおける「実は○○でした!」に向けて物語のピントを合わせていく作業が下手で、今回でいえばこれまで誰一人としてギラの出自を気にした事がなかったのに、逆転の手札として「実は王族でした!」とやってくるので、あー……うん、そうだね……ぐらいのテンションになります。
 “実は王族でした”が悪いわけではなくて、“実は王族でした”への持っていき方が上手くないな、と。
 「私の忠告を忘れたのか? 奴を解放するという事は、この私を敵に回すという事だ!」
 「法とは、王を穿つ矛。法とは、民を守る盾。なればこそ、ゴッカンは不動なり! 地が裂け、天が降ろうとも、このリタ・カニスカは揺るがない! 私が無罪と言ったら、無罪だ!」
 裁判長が格好良く宣言するとラクレスは帰っていくが、直後にドリルカマキリ率いるバグナラクが法廷を襲撃し、王者の剣を返却されたギラも含め、五王国同盟の名に基づいて5人は出陣。
 「俺同盟、外された気がすんだけどな~」
 「この日が来るのを、ずっと信じておりましたー」
 「「「嘘つけ!!!」」」
 は面白かったです。
 中央先頭で変身しようとしたギラは背後から蹴り倒され、めいめい割と目立ちたがりな4人の王様が王鎧武装するとギラも慌ててそれに続き、トンボ・カマキリ・パピヨン・ハチ・クワガタ、5色の王者が勢揃い。
 それぞれ戦闘員を蹴散らしていき、プロデューサー・監督・アクション監督にそれぞれ《ライダー》畑の人が入った影響はあるのでしょうが、どうも今作のアクション、悪い点で近年の《ライダー》風味というか、これは完全に好みの問題ではあるのですが、必殺技ムービーの繰り返し(或いは、決めポーズのカットインとでもいいましょうか)みたいな映像がピンと来ず……過去の《スーパー戦隊》にそういう見せ方が無かったわけではないですが、この路線のアクションが続くようだと、正直ちょっと辛い。
 赤の攻撃を受け、巨大化(初めて、人間大→巨大化となりましたが、特に描写はなく瞬間出現)したドリルカマキリに対してキングオージャーを召喚し、真っ白い地平の彼方から、
 キング・キング・キングオージャー! キング・キング・キングオージャー!
 愛と勇気は言葉 感じ合えれば力!
 (探してはいないけど、キングオージャーがモンキーダンスしているファンアートが、この世界のどこかに必ずあると信じている)
 「よーし! 貴様ら! 俺様につづけー!」
 「……は?」
 「素人は引っ込んでろ!」
 「ここは! お任せ下さい!」
 「倒したければ、私以外降りればいいじゃない!」
 満を持しての主題歌バトルとなるも、全く息の合わない5人だったが、
 「「「「「いいから黙って引っ込んでろ!!」」」」」
 で心が一つになると、オーーバーーヒーート!
 大きく飛び上がって放たれたハイパーオージャエクソダス斬りでドリルカマキリは一刀両断され、戦いが終わると互いに無言のまま背を向けて、自らの守るべき場所――それぞれの王国へと帰っていくのは、序盤一区切りの締めとして良いシーンでした。
 「首を洗って待っていろ! ラクレス!」
 ……それはそれとして、血統的な裏付けは出来たとはいえ、これまで、政治のせの字にも関わっていなかった王弟さんが、血染めのクーデターを決行する気満々なのですが、シュゴッダムの国力が落ちると漁夫の利でウハウハなので、各国の王は誰一人として止める気がありません。
 ラクレスは、好感度の管理を失敗しすぎだと思う。
 次回――東映伝統の仁義なきカチコミ、の前に、王不在の内にゴッカン城がカメムシの襲撃を受けており、ゴッドサソリのコントロールシステムがバグナラクに奪われて、つづく。
 後半ところどころ悪くはなかったものの、飛距離の不足は色々感じた今回、5人の王者が勢揃いしたところで、個人的に今作にノりきれずにいる理由の一つがわかったのですが……どうも私、「民の庇護者として戦う王」に、いまいちヒーロー性を感じられずに居るのだな、と。
 これまでも公権力に所属し、職業的使命感で戦うヒーローは山ほど存在しましたし、私自身、公権力型エリートヒーローで好きなキャラも居ますが、公権力を背景に持っているのではなく、公権力そのものである王が、“王の責務として民(国)を守る”基本構造を「ヒーロー」の物語として見る事が、ちょっとピンと来ていないのかなと。
 ラクレスがちょっと雑な感じの悪役になっているのは恐らく、肩書きは「王」でも必ずしも民を守る者ではない、とする事で「王」と「ヒーロー」を差別化しようとする狙いもあるのでしょうし、その内いずれ「王」と「民」の関係を掘り下げていくのかとは思うのですが(「王権を支える民」と「ヒーローを支える大衆」の照応とか)、そういう仕掛けがどこかでツボに入ってくると良いなと思うところです。