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えいゆうオンリーワン

『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』最終話感想の補足

 昨日の今日で、ジロウについての補足をちょっと。
 最終回の感想に書いたように、「ドンブラザーズの中心としてのドンが、ヒトツ鬼の情念を罪や穢れとして代替わりした末に、死(追放)を迎える事でそれを祓い清める」のが、ドンブラシステムの本質であり、ドンは祀り棄てられるのが前提であったと仮定してみると、ジロウは当初の主張通り、タロウの後継者として用意されていた存在と受け止めるのが自然になるな、と。
 そう考えると、登場初期にお供のサングラスを奪って強制解雇する能力を持っていた事も、タロウの命を狙う事で王権の簒奪(王殺し)を成そうとした事も、そのままストレートに受け止めれば良かった、という事で一定の筋が通りますし、タロウの一時退場で覚醒エラーを起こして騒動になったものの、実際本来は、タロウが記憶のリセット(共同体の中での死)を迎えた後ないしその少し前に、起動する予定だったのかな……と。
 すると今度は、ジロウを「後継者にしようとしていた」寺崎の行動がおかしくなるのですが、寺崎があくまで、“素体の情念をベースに行動する獣人”であった事を考えると、寺崎ペンギンは寺崎ペンギンで、「森の番人を続ける」事への情念が暴走しており、ジロウを後継者に育てようとしていた事そのものが、ドンブラシステムの本来の目的を逸れた寺崎ペンギンの暴走だった、と考えられ、寺崎もまた確かに獣人であった事の証左と見える気がします。
 だからジロウ周りが面白くなるのか、というと別にそういうわけでもないですが、ドンブラシステムが、超パワーと表裏を成す“廃棄と交替”を大前提していたのだと仮定すると、ちょっと手続きのミスがあったもののジロウは登場初期の言行を素直に受け止めた方が、むしろスッキリするという気づきでありました(和ジロウについては、寺崎が生み出したバグ的存在でありますが)。
 そんなわけでその内、ジロウが背負う穢れの堆積に限界が来た頃に、竜宮浜に流れ着いて育てられていた桃川サブローとかが出てきて、「タイやヒラメの舞い踊り、ドンウラシマン!」とかになりそうな(笑)
 まあ、登場回のサブタイトルが「みがわりジロウ」であった事を考えると、タロウは健在のまま、2号ロボとしてのジロウに穢れを押しつけて、文字通りの生贄として彼岸に追放するシステムだった可能性もありますが。
 …………これは、今ふと思いついた90%こじつけですが、「ドンドラゴクウ」の「ごくう」は「人身御供」の「ごくう」と音が通じますね……。
 ドンブラシステムにおけるお供の存在のように、荒ぶる神霊を制御する祭儀としての人身供犠のモチーフは背景にどこか漂う今作ですが、実は供えられる側だと思っていたドンこそが、究極的には“世界に対する生贄”であったのかもしれないと思うと、そこにも今作の重視する「反転」の要素が見て取れるといえるでしょうか。
 「狡兎死して走狗煮らる」の故事のように、今作割とこの辺り、ヒーローが「使い(祀り上げられ)捨てられる(追放される)」事に対してドライな部分はあって、祀り上げによるコントロールに失敗したタロウが此の世に害を為すラスボスになる可能性は、やはりあったのではないかな、と(笑)
 出オチ気味に処理されたドンキラー、劇中では「ドンブラザーズが本来の使命を忘れて暴走した時の抑止力」とされていましたが、多分あれ、「いざという時にドン・モモタロウを強制的にリセットする為の保険」だったのだろうなーとも。
 それはマスターが、いつでも、ぽちっとなできるようにしていたわけです。
 ラストシーンでは再び生まれる「縁」を描いて暖かさを示したものの、タロウは結局、「システム」からは逃れ得なかったといえるのですが、そこは今作のちょっと面白いスタンスだなと思いつつ、特にオチのない補足でした。