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だれもかれもキミも

『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』感想・最終話

◆ドン最終話「えんができたな」◆ (監督:田崎竜太 脚本:井上敏樹
 日本マンガ大賞贈呈式――その受賞作品は、『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(作:鬼頭はるか)。
 「先生、今のお気持ちは?」
 「身に余る光栄です」
 (……ふふふふふ、これだ! これが見たかったんだ! ネットのあやふやな情報に振り回される愚民どもは、汚れた出来事などすぐに忘れてしまう! だが! あの盗作炎上騒動を無かった事になどしてやるものか! そう、あの時私に石を投げた全ての者たちよ、私のマンガにひれ伏す時は今――鬼頭はるかの復讐の時は来た!)
 ……じゃなかった、
 (苦楽を共にしてきた仲間達……でも、私が一番会いたい人がいない。私のマンガの主人公でもある桃井タロウが。……何故、そうなったかというと――)
 レセプション会場の最前席には、新生ドンブラザーズの面々が各自おめかして並ぶ中、何故かタロウの姿だけがなく……不安と期待がないまぜになって迎えた最終回ですが、最終回ないしその1話ぐらい前で、そこまでの流れから時制を少し飛ばすなどして、別の時間/空間/視点から話を始める手法が結構好きなので(過去の東映ヒーロー作品でいうと『仮面ライダーブレイド』ラスト2話とか)、第1話の開幕との重ねから「そうなったかというと――」に繋げた小技も含めて、まずは+5点(笑)
 時は遡って数ヶ月前――職場でも自身の記憶の欠落を自覚したタロウは、学校帰りのはるかの元へ。
 「タロウ? どうした?」
 「……おまえ、どう思っている。ドンブラザーズに入ったこと」
 やや不安げな様子で問いかけるタロウが、船のオブジェに座っているのが、面白い。
 「何それ?」
 「後悔しているか?」
 「ぜんっぜん! ……そりゃあ、最初は死ぬかと思ったし。地獄だったけど」
 の背後で流れる、ドンモモからのフレンドリーファイアの数々(笑)
 「みんな変な人ばっかでホント笑えるし。私……ドンブラザーズになって、前より人間が好きになった気がする、かな?」
 「そうか……良かった」
 はるかにとってのドンブラザーズとは、「世界を広げる扉」と位置づけられ、現在描いているドンブラザーズを題材にしたマンガで、必ず漫画界にカムバックしてやると、力強く宣言。
 「なら……もう「盗作」とは言われないな」
 「それはいいのいいの。だって可愛いじゃん」
 「それがおまえのいいところだ。……じゃあな。すまなかった」
 割と最近、この言い回しを聞いた覚えがあるような……と思って自ブログに検索をかけてみたら、
 「…………でも……そこがおまえのいいところだけどな」 (フブキ/『ウルトラマンコスモス』)
 が出てきたのですが、他に出てきたのが、
 「目の前の障害をものともしないのが君のいいところだ。しかし、そんな行動を見過ごす、目の悪いところが俺のいいところだ」 (本郷猛によく似た警視総監/『仮面ライダーアギト PROJECT G4』)
 「しつこいわね、あなたも」 「そこがいいところですよ、俺の」(葦原涼/『仮面ライダーアギト』)
 だったので、何かの気のせいかもしれません。
 まあ根本的なところで、「ドンブラザーズに入った」というより「ドンブラザーズに入れられた」であり、「後悔しているか?」よりは「恨んでいるか?」の方が適切な気はするわけですが、序盤少々やりすぎになっていた学校内でのはるかへの「盗作」呼ばわりは、道中に気配があったようにすっかりあだ名として消化されている事が明言され、トラブルを前向きに受け止めて自分の肥やしへ変える、はるかの前向きな強さに頷いたタロウは、続いて猿原の元へ。
 「こんな事言うのは少々照れるが……いい勉強をした。ほら、あの雲……風のままに流れ、消える。まさに理想の境地。だが、幾ら手を伸ばしても雲には届かない。そう思い知った。だから……感謝してるよ」
 「そうか……なら良かった」
 高等遊民の風流人を気取っていた猿原は、桃井タロウという正真正銘“聖なるもの”との出会いにより、地上の俗人でしかない己を見つめ直し、空想のラーメンで満腹になれるブッ飛んだ奇人ゆえに途中から描写をセーブしすぎたのか、或いは、脚本の脳内で完成しすぎていてかえって出力が切れ切れになってしまったのか、特に後半は影も薄くなり、猿原に関しては舌足らず感はどうも付きまといます。
 猿原、それなりの年齢・自分の生き方に一定の満足をしている・通りすがりの善良な市民としては模範生、と劇的な「変化」はつけにくいキャラであり、〔雉野-犬塚〕ラインには関わらず、〔はるか〕ラインの背後に立っても存在感を出せるキャラに、という事ではあったのでしょうが、達観しているつもりが〔タロウ〕に振り回されてしまう部分が概ね、俗っぽいプライドとして表現されたのは、損になってしまったかなと思うところ。
 「あっけないもんだ……あれほど求めた女なのに、結局手が届かなかった。……あーーー! 何もいいことが無いぜ、俺の人生。これも、ドンブラザーズのせいか」
 犬塚翼はとうとう倉持夏美に別れを告げられ、自分の中にある、恋人と同じ夢を追いかけ続けるのに限界を感じ、ささやかな日常の中で幸せを得たい想いに気づいてしまった身としては、「恋人は指名手配犯」はハードルが高すぎるのは、納得はいくところ。
 また、獣人の行動がコピー元の情念をベースにしており、ある意味ではヒトツ鬼の代替えを果たしていたと考えると、1年間をツル獣人にコピーされて過ごした夏美から祓われた情念は、「女優として成功する夢」の方だったという事なのかもしれません。
 「だが……不思議だな。俺は、ドンブラザーズで居たい。俺は戦う。誰かを愛している者の為に。誰かに、愛されている者の為に」
 1年間の逃亡生活の末に何もかもご破算になり、失恋のショックでハードボイルド回路がちょっと暴走している犬塚はそれでも、自分の決断に後悔は無かったと口にするが、別れを切り出してきた恋人に向けて「おまえの事は全部わかっているから、口に出さなくてもいい」みたいな事を言っちゃう男は少し「変わった」方がいいと思うんだ犬塚!(まあ、それら全てを「優しさ」として解釈してくれる女が右斜め後方300メートルの所まで近づいてきてはおりますが)
 そして最後に、雉野の場合。
 「好きなのか? ……ドンブラザーズが」
 「はい! 僕の……誇りです。……これからも、人々を守る為に生きようって、それが……自分を救う事になるような気がして。……構いませんよね? 自分の為に戦っても」
 「……ああ。全然いい」
 お供たちの言葉に反応して喜怒哀楽を示してきたタロウが、ここで雉野の言葉を噛み締めるように肯定する際の、ちょっと泣きそうな表情は大変良かったです。
 雉野にとってのドンブラザーズは、「何者にもなれずに居る自分自身に意味を与える」ものと置かれ、雉野については“その力で他者を害そうとした”問題が結局は流されたままになってしまうのですが、今回全体的に、着地点としては一定の納得が出来る一方、納得できるがゆえに拾い切れなかった要素が気になってくる作り。
 一連のお供訪問シーンは本来なら物語の流れの中で表現したい事を、最終回にまとめて台詞にするしか無かったのが惜しまれますし(この点を持って、“一年間の物語”としては合格点を出せないと言わざるを得ない面はあり)、ヒーロー(もまた人生として)肯定――お供たちの肯定によりタロウもまた肯定と救済を得るわけで――の味付けが急激に濃度を増すのも強引さが否めませんが、ただそれでも、「タロウの物語」から「彼らの物語」に焦点を移した上で、一人一人がちょっとずつ違うがどれも間違いではないそれぞれの景色からのドンブラザーズを肯定してくれたのは、嬉しかったところです。
 そしてそれはきっと、ヒーローとの縁で結ばれた、いつかどこかのキミの物語でもあるのかなと。
 タロウが此の世に残された縁を辿り、恐らくはドン・モモタロウが神聖性を発揮し続ける為に捧げられた供物としてのお供たちに、もたらしたものが不幸ばかりでなかった事に救いを得ていた頃、元老院から送りこまれた刺客、ソノナとソノヤが、456を次々と処刑。
 すっかりグダグダのフニャフニャになって馴れ合いの気配さえ見せ始めていた456を容赦なく処刑する事で一気に緊張感を引き上げる狙いは成功しているものの、これなら前回の内に始末して、最終決戦編に2話使って欲しかった感はあり。
 ヒトツ鬼モチーフコンプリートなどの事情も影響したのでしょうが、今作の場合、詰めようと思えば詰められるエピソードは後半に入っても幾つかありますし、タロウの記憶絡みの要素も含めて、とにかく、もう少し早くこの着地点を決められなかったものかは、作品として非常に惜しまれる点。
 「彼の記憶は今――リセットされつつある」
 マスターはお供たちにタロウの抱えていた秘密を明かし、そのタロウは独房ポイントに転送され、もはや誰かさえ覚えていない囚人と、最後の食卓を囲んでいた。
 「ソノイたち脳人がドンブラザーズに入り、後継者であるジロウが成長した今……彼の仕事は終わった」
 「でも、だからといってなぜ記憶を?!」
 「彼は休む時なんだ。記憶を一新して、戦いとは無縁の人生を送る」
 戦力が揃ったからお役御免、というのはどうも無理なこじつけになりましたが、スーパー過ぎる力の代償としては納得できる範囲ではあり、また、年末すき焼き回における


 「しかし、お兄さんにもよく見ると、いろいろなものが、憑いていますな。怪物のような、妖怪のような……」
 「――それでいい。それが、俺というものなのだろう」

 を踏まえて考えてみると、脳人によるヒトツ鬼退治が人間の消去・隔離となるのに対し、ドン・モモタロウによる退治では人間が元に戻るのは、鬼に成った人間が爆発させた情念を、退治の過程を通してドンモモが“穢れ”として引き受けていたからなのかもしれません。
 とすれば、その行き着く先が〔記憶の一新=コミュニティの人間としての死(追放)〕であるのは、今作の背景に見える、古い神や英雄の姿としての、異人・異常児・マレビトのモチーフに基づき、共同体の外側から訪れた異人が祭儀的時空で神霊としての機能を発揮した末に、再び共同体の日常から去って行く事で、一定以上にその身に背負った“穢れの形代として祀り棄てられる”役割が、タロウに課せられているといえましょうか。
 そう考えると、雉野の不行状や、犬塚の狭山殺しが取り上げられないのは、それらもタロウの死(記憶のリセット)と共に此岸から彼岸へと流されるからであり、漂泊する王による穢れの肩代わりと追放による浄化こそが、ドンブラシステムの本質であるのかも。
 ここには、恐らくドンモモのイメージソースの一つであろう記紀神話素戔嗚尊、その高天原追放を見て良いでしょうし、「さかしまの王」や「偽王」など、一時的に王権を与えられた末に王の身代わりとして殺害(追放)される人身御供の伝承は世界各地に存在するのですが、〔人/鬼〕〔聖/俗〕〔荒/和〕といった二面性を重視しながら「ヒーロー」を描いてきた今作が、そこに「漂泊する貴人(王)」の姿を重ねながら、〔英雄(王)/生贄〕に到達するのは一つの必然ではあったでしょうか。
 でまあ、ヒーローをただの「生贄」にしないものが何かあるとするならば、それは、「人の縁」なのであろうかな、と。
 独房前のタロウは、陣のつくったおにぎりを頬張って「うまい」と口にし……
 「……だが、誰だったかな、あんた……確か前に会ったような気がするんだが」
 「気にするな」
 育てのおじいさんの泣き笑いの顔に見送られて、タロウは転送。
 (……ご苦労だったな、タロウ)
 陣に関してはプロローグだけ見ると巻き込まれ案件みたいなのに(元々ドン家ゆかりの人物だったのかもですが……)、劇中ではずっと訳知りの情報提供キャラとして扱われ、その20年間の空白を全く埋められないきりだった為に、マスター同様、都合のいいジョーカーに終始してしまいましたが、最後は、なんとなく“いい感じのシーン”で突破。
 いよいよ記憶の欠落が激しいタロウは、お供たちに屋台に呼ばれ、ここでようやく合流したが未だに事情のわかっていないジロウに向けて、頭を下げる。
 「桃谷ジロウ……後はよろしく頼む」
 そして、介添えを頼んだソノイに個人情報を耳打ちされながら、メンバーそれぞれに言葉を贈るタロウ。
 (鬼頭はるか……マンガを書く)
 「はるか……おまえのマンガを楽しみにしている」
 (雉野つよし…… 妻に逃げられた 気が弱い)
 「雉野つよし……泣くな! 名前のように強く生きろ」
 (猿原真一…… 風流人気取りの無職 俳句を詠む)
 「猿原真一……俺はいつか、おまえの句集が読みたい」
 「俺は……俺は……もっと、おまえと……」
 (犬塚翼――)
 「誰だ? あんた。……確かどこかで会ったような気がするが」
 だがとうとう、タロウはソノイの記憶さえ失ってしまい……
 (タロウ、忘れたというのか。私の事まで……! そんな)
 ショックを受けるソノイの皿に、屋台のオヤジ(こんなに何度も出てくるとは)から、そっと差し出されるおでんの卵……
 「……いいものですね、おでんというのは」
 ここの口調の切り替えは、ソノイ1年間の集大成として素晴らしかったです。
 「こうして偶然同じ席についても、心が和む」
 「ああ……いいもんだ」
 タロウと並び立てる“友”として一番最後までその記憶に残ったソノイは、出会った頃のように接する事でタロウと束の間の縁を結び直し、“縁が繋がる場”としておでん屋台が機能したのは、良い意味で井上脚本らしい接続。
 卵を口にしかけたソノイだが、屋台に突き刺さったソノニからの緊急矢文に気づき、456を葬り去った7と8に襲撃されていた、ソノニとソノザの危機に駆けつける。
 「あらソノイちゃん、ドン・モモタロウはどこなの? まあ、どうでもいいけど」
 ソノナとソノヤは過去作キャストの怪演で瞬発力勝負に持ち込む事になりましたが、一瞬、フェードアウト気味のはるかオバの二役かと思ったソノナは、元イエローレーサーの本橋由香さんが、好演(村上幸平は、実に村上幸平さんで(笑))。
 「タロウは今――仲間達と最後の時間を過ごしている。邪魔はさせない!」
 犬塚は「誰かを愛している者の為に、誰かに愛されている者の為に」、雉野は「人々を守る為に、そして自分の為に」、その二人の台詞を受けた上で、ソノイ(ソノーズ)の、“ヒーローとして戦う理由”が鮮やかに更新され、「ソノイの物語」に関しては、凄く綺麗に着地。
 「タロウさん……本当に、どこか遠いところに……」
 「タロウ……」
 「よせ! ……タロウは、これから、新しい時間を生きるんだ」
 人間としてのタロウとは繋がっていたいが、ヒーローとしてのタロウにはお休みをあげたい一同は、受け止めてきた世界の穢れ、或いは、孤高のスーパーヒーローとしてのひずみを一身に背負ったタロウ(ここではタロウに、“去って行くもの”として「完成する」ヒーローの姿が仮託されている)がシロクマ宅配便の車に乗って走り去る姿を見届けると、7と8に苦戦するソノーズに合流。
 「こいつらは脳人最強の処刑人! 逃げろ!」
 「そうはいきませんよ。僕は、タロウさんから後を託されたんですから!」
 ジロウがセンターに入ってアバターチェンジし、タロウ訪問シーンどころかエピローグで個別の出番も与えられない、さすがにどうかと思うジロウの存在感を出すシーンとなるのですが、ドンブラシステムの本質が私の推測通りなら、いずれジロウも、記憶が消えそう。
 もはやただのタロウは喫茶どんぶらで「君に読ませてくれと、作者から頼まれた」と、マスターからはるかのマンガの原稿を渡され……お互い色々あった(ある)けど、ドンブラザーズとしては共に戦う仲間として認め合った黒桃がコンビ攻撃を見せたりしつつ、7と8が姿を奪い取ったナショナル仮面と超光仮面に立ち向かうドンブラザーズだが、超光仮面に使われていたムラサメが、自らの意志で7と8に敵意を示す。
 「僕はあなたが気にいらない! だから反抗します! いいですよね、マザー」
 (思う通りにしなさい、ムラサメ)
 ……ジロウ同様、どうにもならなかったシリーズでありますが、露骨に「追加戦士」と「追加装備(?)」の二点が雑な扱いに終わってしまったのは、作品としては不誠実な部分もあって、残念なところです。
 タロウがマンガを読む形で、これまでの物語の積み重ねを最終話に取りこむのは上手く行きましたが……「カブトムシのギィちゃんが帰ってきた」は、割とお供が邪悪案件では(笑)
 そしてタロウは、空白のままの名乗りを目にし――ムラサメが陣営に加わるも、7と8の前にドンブラザーズ全滅寸前! 「最悪だ、絶望だ、神も仏もないのか!」「助けてぇ、誰か、助けて!」
 「はーっはっはっはっはっはっはっははは……!!」
 その時、風を切って響く高笑い!
 「この声は……」
 「はーっはっはっはっはっはっは!!」
 「タロウ!」
 「はっはっはっはっはっ……さあ、笑え! 祭だ祭! はーっはっはっはっは! 情けないぞ、お供たち。立て、名乗りだ!」
 神輿に乗ったドン・モモタロウの言葉に立ち上がったドンブラザーズは、ムラサメも加えて一挙のフル名乗り。
 「清廉潔白完全主義――ソノイ!」
 「美しい花にはトゲがある……愛を知りたい――ソノニ!」
 「思い込んだら一直線! ――ソノザ!」
 「ジョーーズに目覚めた、ドン・ムラサメ!」
 「筋骨隆々――ドンドラゴクウ、ドントラボルト!」
 「ウッキーよにおさらば――サルブラザーー!!」
 「マンガのマスター――オニシスター!」
 「逃げ足ナンバーワン――イヌブラザー!」
 「とりは堅実! キジブラザー!」
 そして……ドン・モモタロウは皆に見守られながら、世界に向き合う為の名を、自らの言葉で白紙のページを埋める。
 「桃から生まれた! ドン・モモタロウ!!」
 「暴太郎戦隊!」
 「「「「「ドンブラザーズ!!」」」」」
 揃い踏みに合わせて巨大な山車が繰り出されると祭のパワーでソノナとソノヤをたじろがせ、よく見ると、大口スポンサーが喫茶どんぶら……(笑)
 他、シロクマ宅配便や脳人に加え、……マザーもちゃっかり、出資しています……(笑)
 そして、元老院は、出資しては駄目では。
 「さあ、楽しもうぜ」
 地上に降り立ったドンモモは、刀のギアをドンドン回し、回し、回し……縁・円・炎・園・怨・塩・鉛・艶・猿・燕・延・演・宴……と、ドンブラコー!
 必殺のモモタロ斬が脳人最強の刺客をまとめて切り裂くと、巨大な爆炎が晴れた時にドン・モモタロウの姿はどこにもなく……
 「――そして、タロウは私たちの前から姿を消した」
 ここからOP主題歌に乗せてのエピローグパートとなり、二人合わせて1500万円の賞金首となった犬塚とソノニは手に手を取って警官隊から逃走し、ソノニは、大変楽しそうだった(笑)
 引っ越し作業中の雉野の元には夏美が訪れ……
 「……あの……二人で……夢の続きを、見ませんか?」
 若干、夏美に悪い女感が出ていますが、これはつまり……ソノニの大逆転勝利なの?! ニーズに応えていったら、ところてん方式になったというか(笑)
 激しく狼狽した雉野が引っ越し荷物を取り落とすと、画面手前には、捨てようとして捨てきれなかったと思われる結婚式の写真が大きく写り、未来は白紙なりに春の訪れが見え始めた一方、猿原はひとり夜道で俳句を詠んでいた。
 「ここで一句――去る君の 足跡見えず 雪の夜」
 雪の夜に放り投げたねじねじが春の近づきを告げ、数ヶ月後――はるかは漫画界に圧倒的カムバック。
 (そうして私は、私の、私たちの物語を描き続ける―)
 編集長からリモートで駄目出しを受けつつ原稿を進めるはるかがチャイムの音にドアを開けると……
 「お届け物です。サインかハンコを」
 そこに立っていたのは、忘れがたき顔をしたシロウサギ宅配便の、宅配員。
 「神」として去り、恐らくは「人」として戻ってきたその男は爽やかに笑顔を浮かべ――
 「縁が出来たな」
 で、おわり。

 前回は、年末の詐欺師退治回(演出がやや過剰でしたが筋は良かった)から、今回は、椎名ナオキの秘密回(伏線回収は微妙でしたがラストの演出は良かった)から話の骨格が繋がっているといえ、タロウの神霊としての性質を最後まで貫く事で、「ヒーローにまつわる光と闇の二面性」を描いた着地点には一定の納得がいく一方(納得がいくだけに)、全体としてのあれこれ勿体ない感は募るところ。
 特にやはり、すき焼きパーティと着ぐるみの秘密の後からラスト2話までの、第44-48話が、準備していた爆薬に満を持して火を付け、散りばめた布石を回収しながらのクライマックスにならずに、期待感のコントロールに失敗し、無理の多い辻褄合わせに終始してしまったのは、非常に残念でした。
 話数にしてみればたった5話なのですが、3クール目の後半ぐらいからその徴候はあったといえ、全体の出来としては致命的な5話になってしまいました。
 ラスト2話に関しては、大逆転ホームランとはいわないまでも「タロウの物語」「ドンブラの意味」についてはしっかりまとめてくれましたし、おでんマジック(おでん屋の大将、ありがとう!)により「ソノイの物語」が美しく着地したのは、嬉しかったです。
 今作における怪人ポジション――ヒトツ鬼が、あらゆる人間の抱え持つ心の一面でしかない以上、「それを倒せば全てが片付く悪」は存在しない世界ではあり、ラスボス不在の物語とした事にも一定の納得はいきますが、ならばこそ、ではそんな世界でどう生きるのか? については、今作なりにもう少し踏み込んでも良かったのではないか、とは思った部分。
 ちょっとふわっとやりすぎましたし、そういったテーマ性で作品の背骨を補強していないので、「タロウの物語」としては芯が通っていても、ソノーズの「変化」や「ジロウの物語」に関しての説得力が薄くなってしまったなと。
 後、幾らラスボス不在の方向性にしても、一応最後の敵がナショナル仮面と超光仮面のコピーでしかないのは活劇としての盛り上がりに欠け、せめてもの新規造形を用意しなかったのは、幾ら何でも割り切りすぎ感。
 戦隊ギアの回収や先輩チェンジについては思い切りよく放り捨てられましたが、前作に続き、旧作関係の要素はメタな商業的事情第一で物語への取り込みが杜撰になってしまったのは(今作についてはだいぶ期待薄だったとはいえ)、不誠実さも感じて残念だったところ。
 他、置くだけ置いて拾われなかった石は色々ありますが、それ自体はよくある話としても、雉野問題、狭山問題、花村問題(まあ獣人は人間の捕食は多分しない筈ですが……)、456に扉に放り込まれた人々の安否(乳母車ごと赤ん坊が放り込まれていたりしたわけで……)といった、最後のはちょっと別ですが、シリアス方面に進んだ場合用の苦みのありそうな要素が軒並み放り捨てられてしまったのは、内容が内容だけにどうしても感じの悪いところ。
 上述したように、それらまとめて、世界の生贄としてのタロウが背負って追放された……とは解釈できるのですが……ああ、“赦しの輪”は、それと似たようなシステムだったのか……? ま、花村あたりはギャグになりそうなものの、据わりは悪いなと。
 そんなこんなで、「3クール分は存分に楽しませてもらったし、着地点には一定の納得がいく一方、終盤における集約の失敗により全体としての勿体ない感が募る」が個人的な総評となります。
 ……根に持ってるのでしつこく触れますが、途中の悪ふざけがなければ、最終回、桃井タロウが此の世に自分の存在を示す為の名乗りは遙かに劇的になってグッと来たのではないかと思われますし、もっとあれこれ《スーパー戦隊》として跳ねられる部分があったのではないか、そしてそれは必ずしも、『ドンブラ』の面白さとトレードオフでなしに両立可能だったのではないか、とは思うところです。
 まあ、終わってみると外野視点からは、ああ出来たのでは、こう出来たのでは……? と考えてしまうものですが、1年物の難しさを、改めて感じさせられる作品でありました(前作のように、脚本家は初期段階から組み込んでいたらしい要素が、最終盤に面白くはまるとは限らないパターンもありますし……)。
 絆というほど主張が強く(押しつけがましく)ないが、確かに人と人との間にある繋がりを“縁”と置くのは凄く良い切り口で、その緩やかな糸をベースにして、チームではあるがそれぞれの生活と距離感を大事にした人間関係の錯綜も面白く(ここはもっとこだわって欲しかったですが)、2022年に、井上敏樹のテクニカルな脚本を楽しめたのは、大変良かったところです。
 それから何より、EDテーマは、シリーズ歴代でもトップクラスに好きなものとなり、踊れ笑えわっはっは!
 ……正直、全然まとめきれておらず、とりあえず提示された情報を並べていく内に脳がほぐれてくるかなと思ったけどやっぱり消化できていない! みたいな感じなので、数日後にいきなり補足を書いたりするかもしれませんが、ひとまず、『ドンブラザーズ』感想、お付き合いありがとうございました!
 それではみなさまのおてをはいしゃく――
 ドン! ドン! ドンブラコ!

 次回作は今のところ、予告以外の情報はほとんど知らないのですが、紫の人がなかなか格好良さそう。
 あと、演技力と脚本の妙を問われそうですが、声質と口調が良い感じで、黒の人は上手くはまれば跳ねそうかも。
 過去作品からは、スタッフと私の相性は明らかに悪いのですが、新たな面白さを見せてくれる事を期待したいです。