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やきゅうやろう

『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』感想・第48話

◆ドン48話「9にんのドンブラ」◆ (監督:諸田敏 脚本:井上敏樹
 9人いれば何が出来るのか?
 それは勿論、「野球」である。
 日本では古来より怨霊調伏の祭儀として、現代では「野球」としてスポーツ化した一連のプロセスが執り行われていた事は、ほとんど常識といってもいい。
 この際、入念に浄めた白い石(地方によっては、まんじゅうなどが用いられる場合もある)を東西南北の四方に配置し、その中央に盛り土を作る。ここに祟りの原因とされる人物の名を記した木片を埋め、シャーマンにあたる人物がその言い分を聞くと、その無念や未練を用意していた球状の粘土(「龍玉」と呼ばれる例が多い)へと移し替える。
 これを、東西南北の4方いずれかに向けて放り投げ、そこに置かれた鏡を砕くのが、現在よく知られている「野球」の発祥である。
 いつの頃からか、それをただ投げるのではなく、鏡の前に立った武官が斬る、後に打つようになり、打球の飛んだ場所で都の吉凶を占うようになるが、時代が下ると共に形骸化。室町期には、娯楽として庶民の間に広まるようになったとされる。
 この時期、粘土の球では飽き足らない民衆が手頃な石を代用品として用いるようになると、けが人も多く出るようになり、幕府は何度か禁令を出しているが一向に収まらず、これが「僧が槍持ちゃ民は石打つ」とうたわれた、《投石》技術の一般化に繋がった事も周知の事実である。
 かくも日本文化に深く根ざした「野球」と「悪霊祓い」であるが、ここで我々は、その「野球」と『桃太郎』の関係について考えてみたい。
 そう、桃太郎が道中でお供への報酬とした「きび団子」とは当然、野球のボールだと考えられるのである。
 文献の不足から、これまで研究者の間でも謎とされてきた、桃太郎はなぜ8人のお供を必要としたのか。それは、此の世の「鬼」を祓う為に、野球をやる為だったのではないだろうか……真相を追うために私たちは新史料の発見された大泉へと向かい、『電撃戦隊チェンジマン』見ていない方には意味不明ですみません本当にすみません。
 果たしてドンブラザーズは、大会までに9人のメンバーを揃える事ができるのか?!
 「ソノシ達と戦う為、ドンブラザーズに入りたいと申し出たソノイ達。だが、その矢先――ドン・モモタロウがヒトツ鬼に吸い込まれてしまった……!」
 モノローグの猿原が、チーム結成を前に、自分が無駄にごねた部分を丸々すっ飛ばしました。
 「タロウ……!」
 「ふん、お話にならないわ」
 赤影仮面の感想が適切すぎて、返す言葉もありません……。
 ネオソノーズは、超光仮面のシャイニング流星雨でドンブラ連合とヒトツ鬼を追い散らすと、余裕を見せて帰宅。
 「まさかヒトツ鬼が二体も居るとは……」
 凄く重大な要因だったように台詞で補強するのですが、どうにも無理がありますし、今回のオチまで見ても、前回は脚本・演出ともに、あまりにも緊張感を放り捨てすぎていたなと(グダグダしていたら予想外のピンチ! をやりたかったのかもですが、効果的にはなっておらず)。
 「情けない! ドンブラザーズの力とはあんなものか!?」
 「君らと組んだせいでもある。どうもいつもと勝手が違う」
 「責任転嫁かぁ? 自分たちの無力を恥じろ!」
 実際、共同戦線を張っていたとはとても言い難いですし、前回から教授がひたすら冴えません。
 猿原とソノザが揉めたところにソノニが仲裁に入り、しばらく自分が指揮を執ると猿原が言い出すとソノイがそれに同意し、退避していた障害物の陰などから各人が次々と顔を出しては会話に加わると、どうにか話がまとまりそうになったところで、皆にそっぽを向いた犬塚の姿が画面左端に入ってくるのは、冴えた演出。
 犬塚の姿勢などから『ジェットマン』(結城凱)オマージュの節もありますが、その前のひょこひょこ出てくる流れも面白く(そうやって話がまとまっていく流れがあるから、犬塚の態度が効く)、つくづく前回もこういう面白さが欲しかったなと。
 「どうも気が乗らないな。俺は、自由にやらせてもらう。あんたらが仲間と知って、色々と面倒になった。何も知らない方がマシだったぜ」
 呪いのサングラスに導かれたヒーロー活動そのものには決定的な不満が無いが、いざメンバーの正体が発覚してみるとノリを合わせたくないので距離を取りたい、のは凄く今作の構造が効いた良い台詞にして、「反転」。
 ……と、この辺りまでは前回の不出来を払拭してくれそうな期待感の高まる出来だったのですが。
 ドンブラの輪に背を向け、リアル夏美といちゃいちゃしていた犬塚だが、突如として、取り下げられた筈の指名手配で警官に追われる身となり、目に入ったのは、壁一面に貼られた「みほちゃんロックオンby雉野」……ではなく、「この顔ロックオンbv国家」な懸賞金500万円に跳ね上がった指名手配書。
 ――「君の身に不幸が降りかかる可能性がある」。
 「そうか、この事だったのか……」
 ……あまりにも酷すぎるドンブラシステムとキビポイントですが、結局、「相応の揺り戻しが必ずあるから人の身を越えて摂理に干渉してはいけない」ならば、「摂理に干渉する力」はいったいなんのためにあるのか……逆説的には、「その代償を背負う覚悟で摂理をぶん殴りにいける者」こそがヒーロー(そして内在する強い人間性)である、という事なのかもしれませんが、流されるかと思っていた揺り戻しがここで浮上してきたので、キビポイント関連のもう一掘りは期待したいところ。
 夏美と共に逃げようとするも警察に追い詰められた犬塚はソノニに助けられ、夏美視点だと、
 ・恋人がいきなりの指名手配
 ・事情をろくに説明しない
 ・下の名前で呼んでくる知らない女
 と、完全に、修羅場。
 「言った筈だ。もう俺には構うなとな」
 犬塚は夏美の手を引いて立ち去って強制的に修羅場をスキップし、喫茶どんぶらでは、もしかするといずれ修羅場を生み出すかもしれないはるかとソノザが、着々と友好度を上昇させていた。
 ……自分のマンガを認めてくれた存在なのが何より大きいでしょうが、はるかがここまでソノザに懐いたのは、全くの予想外でありました。
 まあソノザはソノザで、「マンガだけ描いていればいい」発言とか、脳人としての情緒の問題はあるにしても言行に難が多いので、ソノザ依存があまり強まらない方が良さそうではありますが……。
 「おまえのマンガには、人を幸せにする力がある。……おまえ、なぜ俺がムラサメをおまえのマンガで封印したか、わかるか? ムラサメに読ませたかったんだ、おまえのマンガを。少しでも奴の荒ぶる魂を、鎮めるように」
 常々、今作の基本構造に含まれていると思われる要素に要素については触れてきましたが、割とストレートな台詞に盛り込まれたのは、ややビックリ。それが“人間の力”の一つとして強調され、同じくそれにより変化したソノザは……現金の持ち合わせが無かった。
 「おまえに奢ってもらうのは、おまえが売れっ子マンガ家になった時だ!」
 「編集長……」
 やはりなんか、凄く駄目な感じの師弟というか、下敷きが完全に、昭和無頼伝マンガ編集者版な感じで……後、今作におけるはるかがコケ芸の人になっているのはありますが、いちいち突き飛ばすのは、ギャグとしてもどうかとは思う次第(鬼編集-マンガ家の、一種DV的な関係性がそのまま投影されてしまっているので)。
 これがタロウだとまだ、ああタロウは誰に対してもこのスタンスなんだな……と思えるのですが、ソノザの場合、中途半端に「情」がある分、タチが悪くなっている気はします。
 ……まあ、はるかははるかで、売れっ子に舞い戻った途端に過去の人間関係を全て切り捨てたりしそうな怖さはありますが、そこは、良い方向に「変わっている」と思いたい(笑)
 俳句の詠めないソノザがバイトする事になったどんぶらに、ソノイ・ソノニ・猿原がやってきて集う一方、ソノロクは街で親切を押し売りしては扉の向こうにあれこれ放り込み、ネオソノーズの「仕事じゃなければ関わりたくない」ネタが揃うのですが、これはやはり、前回に3つともねじ込んでほしかったところ。
 「みほという名に覚えはないか?」
 「どうして知ってるの? その名前」
 (獣人は夏美の夢を演じていた……そういう事か)
 事態の経緯をどう説明したものか悩む犬塚の問いに、夏美は、夢の中ではみほという名前の美容師だった事を語り、敢えてここで獣人問題がもう一度触れられたので、二人の間に生まれた微妙な亀裂に雉野も含め、残り2話で、もう少しなんとかしてほしい部分です。
 電撃鬼とフィーバー鬼は再会、の寸前に、ソノシに飛騨忍法・錯乱吹き矢を打ち込まれて凶暴化。ドロップキックの打ち合いを始めたところにドンブラ召喚されると、ネオソノーズには旧ソノーズが立ち向かうが、赤影仮面の妨害もあり、今度はオニとイヌまで吸い込まれてしまう。
 仮設作業中に新生ドンブラが戦力激減の一方、華果村における20年間エアフレンズ・エア彼女の仕打ちを受け入れられずに「かごめかごめ」の幻想に沈んでいたジロウから、荒ジロウが分離。
 「いつまで泣いてるつもりだおまえ。あぁ……俺だって哀しい。だが思い出せ。おまえにはずっっと俺が居た。そして、俺にはおまえが。……今こそ俺たちは、一つになる時だ。自分の足で、歩く為に」
 「……そうだ。……僕は……僕になる!」
 決意も新たに立ち上がった和ジロウは荒ジロウと融合し、中華風衣装でオールバックとなった新ジロウが誕生するのですが……うーん……ジロウといえば個人的に、第23話の「ルミちゃん、いつか僕が真のヒーローになったら……僕の為にお弁当作ってくれないかな?」が印象深いのですが、喪失したその「夢」の更新が描かれるでもなしに、なんとなーく真実と向き合って立ち上がりましたで片付けられてしまい、一週煮込んだ割には、大変残念。
 実際どういう構想と経緯だったのかはわかりませんが、ジロウに関しては色々どうにもならなかった感があります。
 おでん屋で456と遭遇して決闘の申し出を受けたソノイは、ネオソノーズとダブル鬼の双方を相手にする状況を打開する為、残り4人中の3人が敢えてヒトツ鬼に吸い込まれる事でソノシらの油断を誘い、その隙に残った一名が鬼を倒して戦力を取り戻す作戦を提案し、決戦当日――
 「清潔第一――ソノシ!」
 「美貌一番――ソノゴ!」
 「親切大好きぃ! ――ソノロク!」
 「「「我ら、脳人監視隊!」」」
 W鬼を人質にする事で一方的に攻撃してくるネオソノーズだが、フィーバー鬼が自力でチェーンを引きちぎった事で方針転換。錯乱吹き矢を放つと凶暴化したフィーバー鬼にソノニとソノザが吸い込まれ、残るは2名。
 「真一! やれぇーーー!!」
 赤影仮面に踏みつけにされたソノイが突然の名前呼びで、タロウが残した剣を事前に託していた猿原を促すのですが…………この状況で、何をやればいいのか。
 こちらはこちらで、2名減った時点でソノシ達に油断が見えたので計画変更、というニュアンスだったのかもしれませんが、事前の作戦では3名が吸い込まれて油断を誘う作戦だったわけなので、このタロウの剣で、ソノイを殺ればいいのか。
 その後、
 「いやいや私はただの自由人で、もともと組織というものが肌に合わず、君たちと敵対する気も全くないのだ。ドンブラザーズはこれこの通り解散したので、どうか私に関しては、全て水に流してくれまいか。金は無いが、君にこのねじねじをあげよう。……ここで一句――油断した 君の瞳に 彼岸花、隙ありぃッ!」
 みたいな感じで、全方位土下座外交からの必殺! を決めればいいのか。
 「ソノイ、君がやれ」
 前夜、「そこまで君を信じていいものか、どうか」とソノイが最後の一人となる事に難色を示すも、そのソノイから受け渡された剣を手にしばし考え込んでいた猿原は、ソノイに剣を投げ返すと徒手空拳で突撃して電撃鬼に吸い込まれ、ソノイと猿原、両者の「信頼のパス」を描く狙いだったのでしょうが、やり取りが全てネオソノーズの前で行われるので、茶番と呼ぶのも生ぬるい溺死体。
 どうしてこんな組み立てになってしまったのか。
 ネオソノーズは、タロウの剣を手に立ち上がったソノイを前に、今の二人のやり取りなどまるで無かったように振る舞うと、ハンデと称し目隠しをつけて武器を振り回し始め、結果としてはソノイがソノシらの性格をよく把握していたとは言えますが、それにしても、もはや油断を通り越しておふざけの領域に入ってしまい、金棒や短剣をくぐり抜けて二体の鬼を斬るバロム仮面の姿が、全く格好良くならない大惨事。
 悪をしっかり描かないと、それを乗り越えていくヒーローも魅力的にならない、の典型例となってしまいました。
 目隠しが示唆するように、ここでは慢心と自惚れからソノシらが“鬼”となっているとも取れますが、「悪が悪ゆえに足下をすくわれる」表現としてもあまりにも雑な為に、新生ドンブラザーズ(仮)がパスを繋いだ末の、ソノイによる土壇場の逆転劇、としてまるで面白くならず。
 ……これなら、してやったり、とソノイが思ったところでソノシの陰湿なトラップに引っかかってしまうが、そこにジロウが飛び込んできて生まれた隙に作戦を成功させる……とかなら、新生ジロウの存在感も出せ、解放後に9人並んでサブタイトルも回収でき、それこそ、フル名乗りから主題歌バトルに繋げてもスムーズに行ったのではと思うのですが。
 作品として名乗りは徹底してやらないのなら、それはそれで一つの貫いたこだわりとなりますが、なにぶん中途半端な形で2回やっているので、今のところ今作、「名乗りを(最後の最後まで)やらなかった戦隊」ではなく「名乗りをやらないのかと思ったら凄く雑に2回だけやった戦隊」になっているわけで、現状、《スーパー戦隊》としては、第36話の悪ふざけは、相当な痛手になっている感。
 「よくやった、お供たち」
 「調子に乗るな。私はお供ではない」
 復帰した一同は揃ってチェンジし、戦闘開始。
 「あれが新しいドンブラザーズか」
 その後にようやく駆けつけるジロウ、新生ドンブラザーズに、入ってない(笑)
 旧ソノーズがネオソノーズを相手取り、巨大フィーバー&電撃鬼を相手にオニタイジンとトラドラゴンジンが並ぶと、今作初な気がする主題歌バトルとなるのですが、あまりにもジロウの扱いが雑な為、さして盛り上がらず。
 この期に及んでのサブタイトル詐欺を含めて、ひねくれる事そのものが重視されすぎてしまい、これもまた《スーパー戦隊》である、と宣言するのは作り手の自由ですが、ではそこに、スーパー戦隊》だからこその面白さはあるのか? といえばまたも巨大な疑問符が浮かぶエピソードとなってしまいました。
 前作にしろ今作にしろ、この先もシリーズを続けていく為に《スーパー戦隊》の在り方に手を入れる必要がある、という制作サイドの危機意識は頷ける部分もあり、“《スーパー戦隊》の面白さ”を解体・再構築しようという狙いが、長期シリーズの新陳代謝としてプラスに働いた点もあるのだろうとは思うのですが、(恐らく白倉Pが)根っこのところで、「《スーパー戦隊》にしか出せない面白さがある」点について、懐疑的に過ぎるのではないか、とは思ってしまうところです。
 勿論、それが本当に広く面白いものならば、もっと数字が取れる筈であり、そうでない限りは、それをこそ見直さなくてはいけないのではないか、と言われれば、ぐうの音も出ない部分ではあるのですが、ではそういった見直しを経た上で、「これが《スーパー戦隊》の(新しい)面白さだ」を見せてくれているかのといえば、まだ見せて貰っていない気がする……というのが、正直(道中のドタバタの面白さ、は別に新しい面白さではないわけなので)。
 ……そんなわけでここ数話の『ドンブラ』は、見ながら“面白さ”とはなにか、について考えてしまう作品になっており、道中とは違った理由で消費カロリーが大きくなったりしています。
 「ほーぅ……帰ってきたか、ジロウ」
 「はい。新しい僕です!」
 変身も巨大ロボ化も特に劇的に描かれる事なくスキップされ、元々、視点の違いを都度必要とする『ドンブラ』の構造と追加戦士は如何にも相性が悪かったとはいえ、“タロウの代替えヒーロー”という要素もセルフパロディめいたネタの消費にほぼ留まり、ジロウの扱いはつくづく残念。
 90年代に誕生し、00年代に定着し、その後の20年あまりで形骸化した要素の最たるものといえば「追加戦士」に外ならないとは思われ、そこに何らかのメスを入れようとした気配は窺えたのですが、2話を残すとはいえ施術に失敗した雰囲気は漂い、それもまた「では何をもって《スーパー戦隊》の面白さとするのか?」を少なくとも現時点では打ち出しきれなかったように思われるところの一つ。
 巨大電撃鬼をさっくりカウンターで成敗した二大ロボは、究極えんやらやで巨大フィーバー鬼も撃破。地上では旧ソノーズがネオソノーズをぶった切って双方の大爆発が重ねられ、456は撤収。
 ここに初陣を勝利で飾った新生ドンブラザーズは雨降って地固まると、喫茶どんぶらでそれぞれの健闘を讃え合い、この期に及んでこの場に姿の見えないジロウは、果たして新生ドンブラザーズの一員として認識されているのか、本当に野球は出来るのか。
 都合良く前後の記憶を失っているらしい雉野と合わせて不安はありますが、
 「いや……みんなの力だ」
 とソノイが綺麗にまとめ、店内から漏れてくる談笑の声に微笑むと、踵を返すタロウ、に声をかける犬。
 「あれが狙いだったのか、桃井。わざとヒトツ鬼にやられて、皆のチームワークを引き出す」
 「……それは……答えたくない」
 「……わかってる奴がもう一人いるようだな」
 タロウの不覚と見えたのはチームを信頼しての深謀遠慮であり、それが最初の「信頼のパス」だった……はそう言われてもうーん……という感じでしたが(正直あまり上手く行っていなかったもくろみが結果としては成功した後、「実は最初から○○のつもりだったのか」と誰かが横で言い出すパターンが、ペンギン折り紙の一件とまるっきり重なってしまいましたし)、これをもって犬がタロウをちょっと見直すのと、タロウとソノイが無言で微笑をかわし合う場面は、良かったです。
 次回――ザリガニ王がやってくる。