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昨日までの記憶と明日の地球

『平ジェネFOREVER』感想(長い)

◆『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』◆ (監督:山口恭平 脚本:下山健人)

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 2018年12月に公開された、『仮面ライダージオウ』(2018年9月スタート)と『仮面ライダービルド』(2018年8月終了)のクロスーオーバー作品にして、平成仮面ライダー20作記念の映画作品。
 なお筆者は、『ビルド』は全話視聴も現在さすがにうろ覚え、『ジオウ』は序盤(第10話まで)で脱落しております。
 お薦めを受けて見たので最初に触れておきますと、個人的には、苦手方面でありました。
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 2018年――やっぱりゲイツは、秋山蓮顔。
 「逃げても無駄だ!」
 「なんで逃げるの?」
 巨大ロボで男子高校生を追いかけ回しながら、心底疑問そうに呟くこの女子怖い!!
 自転車に乗った少年・常磐ソウゴを追いかけ回す巨大ロボは、突如として空間を割いて出現した電車に轢かれてヒーローのイニシエーションを達成させ悪役の可能性を高めるが、電車は電車で派手な脱線事故を起こし、そこから飛び出してきたのは、両目がそのまま角になって伸びた凄く邪悪な見た目の生命体――アナザーライダー。
 一方、巨大な竜巻に巻き込まれて宙を舞う少年を拾ったのは、六畳一間でカップラーメンとかすすっていそうな侘しくもベストマッチな2人組(桐生戦兎&万丈龍我)で、飛んできた少年に向けて、万丈を突き出してキャッチさせるのが、冒頭から噎せ返るほどに桐生戦兎感。
 「あいつが来る……」
 赤青黄、玩具カラーの衣装に身を包んだ少年を追って竜巻と共に姿を見せたのは、黒と緑、半分こカラーのこれまた邪悪な見た目の生命体で、“異形の改造人間”としての「仮面ライダー」像を呼び起こし、《平成ライダー》を改めて人外の悪魔や鬼としてデザインし直す発想は単品で今見ると割と面白く、白倉P的には現行『ドンブラ』に繋がる要素でもありましょうか。
 「さあ、おまえのツミをカゾえろ」
 「あいつってあいつか」
 「ブロッキング高気圧じゃなさそうだな」
 2018年では、何故かジオウに関連した記憶を忘れていたらしい魔王様――冒頭のロボット女子・ツクヨミの発言には理があった事がここで判明するのですが、何故ゲイツは「逃げても無駄だ!」と問答無用で追い詰めるムーヴなのか(笑)――が、懐から転がり出たライドウオッチを手にすると記憶を取り戻し、ゲイツと並んで変身。
 ジオウコンビとビルドコンビがそれぞれ変身を決める一方、装飾過多の謎めいた男が爆発を背後にいずこともしれぬ場所に立ち、
 「『仮面ライダークウガ』から始まった平成ライダーの歴史が今……終わりを告げる」
 物凄いメタ発言とともにタイトルが出てきて、ちょっと困惑。
 ジオウ&ゲイツを前にアナザー電王が逃げ出すと、いつの間にやら戦いを観戦していたギャラリーから喝采を送られるまたも困惑する描写から、ビルド&クローズがアナザーダブルにより劣勢に追い込まれると、そこにグリス&ローグが助っ人に現れて、アナザーダブルも逃走。
 本来、新世界Cにおいては戦兎と万丈の記憶を持つはずのないネットアイドルの追っかけ29歳とヒゲ司令だったが、何故か旧世界Aの記憶を有しており、彷徨える戦龍コンビを喜ばせたのも束の間、売れないロックミュージシャンみたいな見た目をしたヒゲ司令が唐突に記憶を失ってパーティーを離脱してしまう。
 魔王様の世界では、未来から来たサバイバーだった筈のツクヨミがすっかり2018年の女子高生と化してしまい、二つの世界で記憶があったり無かったり急に消えたりがグルグル回り、万丈と猿渡は、二人についての記憶を持った美空に遭遇。
 「顔も見せないし連絡も無いしなんなんだし?! またなんかまずい事したんじゃないかって心配してたんだよ?!」
 今、凄く、まずい事をした感が浮上している真っ最中ですが、それはそれとして、美空のキャラクターや喋り方の記憶が、全くない……(笑)
 ところが二人に絡んできた美空はあっという間に記憶を失ってしまい、『ジオウ』本編の基本要素である「記憶の喪失」を軸に置いて、いったいぜんたい何がどうなっているのかさっぱりわからない状況を、二つの世界を細かく移動しながらサスペンスとして(合間にキャラ物としてのサービスを交えながら)見せていく作りで、ところどころサイコサスペンス調なのは、珍しい印象のアプローチ。
 ……しかし、記憶の有無に関係なく、いつどこを歩いていても、不審者にしか見えないゲイツ
 その頃、玩具カラー少年・シンゴを発見する戦兎だが、そこに少年を追う装飾過多男が姿を現し、その正体はタイムジャッカーのティード。
 少年を逃がす戦兎であったが、ティードの能力により変身を強制停止されると目からハイライトが消え、誰かの操り人形にされるの、十八番です!
 ソウゴが尾行していた「ツクヨミ」の名を知る同級生・久永アタルは、「ライダーを引き寄せる力がある」と自称し、二人で屋台のラーメンを食べていたところ、少年を追うアナザーダブルと遭遇。
 これを撃退したソウゴは、屋台の店主からいきなりダブルライドウォッチを渡され、シンゴ少年との接触によりバラバラかと思われていた二つの世界が繋がった辺りで、ソウゴや戦兎を「物語のキャラクター」として捉えているらしきアタルはイマジンに憑依されている節があり、シンゴ少年は、『クウガ』前夜の時間からやってきたアタルの兄であると見えてくる事に。
 ジオウ&クローズと戦っていたビルドタンタンは、ハザードボトルで暴走し続けてきた俺に、あれぐらいの洗脳は無効だぜ! とティードの思惑を確かめる為に「敵を欺くには味方から」を実践していた事を明かすが、それさえもティードの手のひらの内であり、グリスがアナザー電王とアナザーWにさっくり敗北した事でシンゴはさらわれ……あれ、グリスって……負けると死ぬ仕様じゃありませんでしたっけグリス……大丈夫?
 幸いキラキラしなかったグリスですが、ちらっと出てきてあっという間にフェードアウトするローグ/ヒゲといい、出番は多めだけど必要以上に美空に邪険に扱われ、特に見せ場もなく怪人ポジションに敗北するグリス/猿渡といい、割とあんまりな扱い。
 猿渡については、アタルが「『キバ』の音也」かを確認するメタ要素の意味合いもあったようですが、シンゴの行方を追ってソウゴと戦兎が家を訪れると、全ては「俺の妄想」と言い出す久永アタル。
 仮面ライダーは現実の存在じゃない。虚構の産物だ。君たちがライダーとしてここに居るのは、俺の妄想なんだ」
 ソウゴと戦兎は、歴代ライダーのフィギュアが所狭しと並べられたアタルの部屋に招かれ……そもそも二つの作品にまたがり・『ジオウ』自体の基本設計が結構ややこしく・時間移動の要素が見られ、と割と複雑な構造だった作品に、『仮面ライダー』をフィクションとして認識している人物が登場し、フィクションとメタフィクションの人物が交錯する事態に。
 「ライダー好きの俺の前に、イマジンが現れた」
 “仮面ライダー”は虚構の産物と断定する割に、その虚構の世界の存在である“イマジン”については受け入れている心理がだいぶ飲み込みにくいのですが、イマジンは実際に力を発揮したけれど、仮面ライダーは自分の苦しい幼年時代に助けに来てくれなかったから……で納得するには、強引な印象。
 そのイマジンに「仮面ライダーに会いたい」と願ったように、結局のところアタルは、“逃避先としての幻想”を求めている人物なのでしょうが、絵空事の真っ最中に、現実になんら影響を与えられない絵空事になんの意味があるのか? と絵空事への懐疑を剥き出しで持ち込まれるのは、個人的にはとても苦手な手法。
 絵空事には絵空事でしか描けない綺麗事があると思うし、その綺麗事の批判をしたいなら別にヒーローフィクションでやる必要は無いと思うわけで、絵空事をやっている時には、絵空事だから表現できるものもある、事に胸を張っていてほしいわけなのですが。
 というか、絵空事は現実には無力でしょう、と言われても、いやそれは大前提の上なのでは? と思うのですが、そういった点に対する制作サイドのナイーブな自問自答を生のまま皿に出されても大変困り、自室で片付けてから表に出てきてほしい、というのが正直。
 アタルは、ソウゴや戦兎の存在は、イマジンへの願いによって自分の妄想が具現化した存在に過ぎないと語り(この自己矛盾は、アタルの世界解釈に間違いがある意図的なものとは思われますが)、関係人物の記憶が出たり消えたりするのは、イマジンのパワーの限界によるものと説明される一方、手中に収めたシンゴをティードが封印すると、巨大な電王タワーがにょきにょきっと生えてきて、混合戦闘員軍団が街に大挙出現。
 「……俺たちって……虚構だったの?!」
 「……そうかもしれないな」
 「……戦兎はなんとも思わないの?!」
 「俺は元々、存在しない人間。作られたヒーローだ。でも……現実とか虚構とか、そんな違いに大した意味は無い」
 『ビルド』は1年をかけて、《平成ライダー》の文脈に基づき、《平成ライダー》の文法によって「仮面ライダー」の再定義付けを行おうとした節のある作品であり、最終的に「みんなの想いを受ける理想の鋳型」がビルド=戦兎に落ち着いた部分を踏まえると(個人的にはそこが合わなかったのですが)、“実体化した虚像”である事に戦兎が頓着しないのは『ビルド』本編から上手く繋がり、そして相変わらず、戦兎を演じる犬飼さんの瞬間最大火力の高さで雰囲気突破していくのは、大変『ビルド』的であり(笑)
 突如、実体化した“怪人”により街が大パニックに陥る中、アタルに憑依していたイマジンが契約完了を宣言してアタルの中に飛び込んでいくと、シンゴ救出に向かっていた、クローズ、ビルド、ジオウは立て続けに消滅。
 と思うと、ここまで全く出番のなかったウォズの元でソウゴは目を覚まし、これまでの出来事は全部夢だったと段ボールに収めて押し入れに片付けられそうになった所に何故か戦兎が現れると、集めた情報を基に魔王様の脳細胞がトップギアだぜ。
 「夢でも現実でもなんでも救う、俺は、そういう王様になる!」
 久永シンゴとアタルの兄弟関係を把握したソウゴが、屋台で受け取ったダブルウォッチを触媒にして“久永アタルの世界”へ転移していくと、そこは電王タワーによって引き起こされたカタストロフの真っ最中。
 ……単品で見た時は、なんだこのデザイン、と思ったインベスが、独特のフォルムゆえに混成軍団の中で妙に目立ちます(笑)
 『ジオウ』本編で魔王様の脳細胞トップギアに入っていたっけ……と思ったら、ウォーズが星の本棚に入り込んで「イマジン」について検索を行い、共に過去作オマージュだったようで、イマジンとは何かを知ると、その目的地は、2000年1月29日。
 それはアタルの生まれた日にして兄シンゴが行方不明になった日であり、仮面ライダークウガ』誕生の前日。
 敢えて、放映、と言わずに、誕生、と言わせる事で、『仮面ライダークウガ』と「仮面ライダークウガ/五代雄介」を混在させているのですが、台詞の上では思いっきりメタ発言をさせつつ、ギリギリのところで言い訳が効くようにしている手法も、面白いというよりは、どうにも引っかかるやり方です。
 2000年1月29日に時空転移したソウゴとアタルはそこで、何故かシンゴをアナザーダブルから守ろうとするイマジンの姿を目撃。
 2018年において、幼い兄が自分をかばった事を知りアナザーダブルへと飛びかかっていったアタルはアナザー電王にされてしまい、シンゴをさらったアナザー電王&ダブルが、アナザーデンライナーに乗って飛び去っていく一方、ティードは中央アルプス・九郎ケ岳遺跡発掘現場で棺に触れてクウガウオッチを作り出すが、そこにゲイツが現れ、この辺りからソウゴが「俺には 家臣 仲間が居るから」を連発するのは、『ジオウ』本編との接続要素でありましょうか。
 「今、おまえがここで行おうとしている事が、今回の事件の始まりだった、というわけか」
 「ここで仮面ライダークウガが生まれた。平成ライダーの始まりだ。その歴史を、俺が潰してやる。一足遅かったな?」
 ここでも、棺と古代の戦士のミイラはそこに実在する事で『仮面ライダークウガ(作品)』と「仮面ライダークウガ(未確認生命体第4号)」が重複しつつ(時空の分岐点、の意味合いもあるのでしょうが)、「平成ライダー」という紛う事なきメタ表現が突っ込まれてくるので、これを消化できるかできないかで割と感触の変わる作品であるのかな、と。
 私はどうにもこの、「《平成ライダー》をぶっ潰す!」的な発言を連発する悪役に、ノる事が出来ませんでした。
 「遅くはないさ――変身!」
 ゲイツの変身ポーズは基本格好いいと思うのですが、仮面ライダーオレはあっさりと吹き飛ばされ、ティードは自らにウォッチを使用。
 「俺が歴史を作り直しぃ……君臨する」
 まさしく異形の巨大クワガタモンスターとなるが、そこに飛んできたツクヨミロボが体当たりを仕掛け、ゲイツツクヨミもソウゴの世界に居た本物を連れてきたという事なのでしょうが、アタルの世界の二人が途中でフェードアウトしてそれっきりなので、どうも唐突に過ぎて困惑します。
 ツクヨミロボもジオウロボももティードクワガタに撃破されて、アナザーデンライナーが2018年12月3日に到着したところで冒頭の脱線事故に接続され、その混乱に紛れてシンゴがティードの元から逃走した事で、仮面ライダーの存在にねじれが生じ、過去のソウゴは謎のイマジンから、ティードがクウガに成り代わる事で、“仮面ライダーの存在しない世界”を作り出した事を説明される。
 「最初の《平成ライダークウガが無くなれば、平成ライダーの歴史は、無いからな」
 「それでライダーが虚構になったのか」
 この辺り、『ジオウ』本編でどういう扱いだったのか覚えていないのですが、未来視点から一時期の仮面ライダーが《平成ライダー》と称されている可能性はありますし、クウガ(『』ではない)誕生が歴史の分岐点であったとすれば、その後の仮面ライダーが生まれなかった虚構世界もありえはするので、あくまでフィクションとメタフィクションの領域を重ねたまま進行はするのですが、個人的にはここまでメタに寄りすぎるとアレルギーが発生。
 それ言い出すと、そもそも『ジオウ』の基本設定に無理があるのでは? となるわけですが、結局のところ、本来バラバラの複数作品を同一世界にまとめるのが苦手、といういつもの話になり、近年そういったクロスオーバー作品に一定の耐性が出来てきたと思ってはいたのですが、今作に関してはそれを楽しめる許容限度を複数の要素で超えてしまいました。
 ビルドとクローズは2018年でティードのアジトにカチコミを仕掛けており、各フォームを一通り見せていく趣向。魔王様ご一行はタイムトンネルを移動中にデンライナーに拾われて2018年に到達すると勢いで電王タワーに直撃。
 ティードが執着するシンゴは歴史の改編に影響を受けない「特異点」であり、その封印により存在を消されそうになるライダー達だが、不意にどこか(『電王』世界のステーションぽい場所)にまとめて転移されると、いきなり乱入してくるM電王。
 「よ、大丈夫かよ? 俺のくせによえぇじゃねぇか」
 「いきなりとは卑怯だぞ!」
 「知らねぇのか? いいか、俺に前振りはねぇ。へへっ、最初から最後までクライマックスなんだよ!」
 いつでもどこでも空気を塗り替えられる飛び道具が参上して大暴れすると、アックスフォーム、ガンフォーム、ロッドフォーム、と次々と変身し、ズルいなこのライダー(笑)
 アタル世界における「イマジン」の存在も考えると、電王(デンライナー)は時空間を超越した存在という事なのでしょうが、トドメの浦島キックを受けたアナザー電王が吹き飛ぶとアタルの姿に戻り、目を覚ましたアタルに手を差し伸べたのは、変身を解いた野上良太郎(本人出演)。
 『電王』のキーだった「人の記憶こそが、時間」と繋がって、オーナーまで登場したイマジン劇場を挟み、誰かの記憶にある限りその存在は消滅せず、重要なのは細かい内容ではなく「覚えている」事であり、忘れられたら消えてしまうが、良太郎(を比喩に使った「不特定多数」のみんな)が覚えているからクッキリ消えないよ、と示すと、良太郎(演出としては画面の“こちら側”)に向けて
 「ばかやろぉ。俺たちも、おまえを忘れるかよ」
 とM先輩に言わせて、虚構と視聴者、相互の関係を結びつけるのですが……うーん…………『電王』における世界の原理だった「人の記憶こそが、時間」を引っ張ってきて、強烈にメタな意味を付加するのは、上手いというよりあまり好ましくない手法に思え、制作サイドにとって「忘れられたら消えてしまう」のは重い実感であり立ち向かうべき課題ではあるのでしょうが、だから視聴者に向けて暗に「覚えていていほしい」まで言い出すと、押しつけがましさは感じます。
 ……何がそこまで引っかかるのか、と考えてみると、これ、ひところ盛んだった、作家自身による「売れないと続きが出せません」アピールと似たものを感じているのかな、と。
 書き手も商売ですし、リアルの事情として格好つけてなどいられない部分もわかりはするのですが、「作品の宣伝」を通り越して作家が自ら「物語の続き」を人質にし始めたら、それはもはや自分が売ろうとしている“幻想”を毀損する行為ではないかという軽い忌避感、楽屋裏をどこまで見せていいのか、の感覚的ズレによる悪印象みたいなものを個人的に持っているのですが(勿論それはそれで、私からの“理想の押しつけ”は重々承知しております)、それと近い感触を、このやり取りから受けてしまったのでありました。
 ……で、ここからちょっと、割と長めの脳内対話に入ってしまったのですが、それは割愛するとして、つまるところ私の理想のヒーロー像とは、忘れられたって消えないよ、と力強く断言する存在であり、同時に、思い出した時にはいつでもそこにあるものであり、「忘れられた消える」今作のヒーロー像とは、大きくズレが生じてしまったな、と。
 表裏一体としての、「君たちが覚えている限り、ヒーローも君たちを忘れないよ」というのは美しいですし、ここまでメタ要素を積み重ねていなければ割とグッと来る部分もあったかと思うのですが、もう少しメタ要素を排除してスッキリと辿り着けなかったものなのか……後、ここまであまりにメタな為にどうしても、「忘れられたら消えてしまう」対策についての制作者による自己正当化も感じてしまい、それを作品の外側でアピールする分にはともかく、内側に持ち込まれるのは“幻想”を毀損する余計な行為に思うのです。
 作品世界のコンセプトが大きく違うので一概に比較はできないものの、これが『海賊戦隊ゴーカイジャー』だと、究極的には「忘れられても構わない」をテーマにした物語だと思っているのですが、やがて「忘れ去られてしまう」事を前提に、それでも、何かが伝わって残り続けていくと嬉しい、を重視して「受け取った側の思いが描かれる」のが『ゴーカイ』だったのに対して、「存在そのものを覚え続けてくれ」という今作では、「過去ヒーローの実体化が描かれる」のは、興味深い差異とはいえましょうか。
 「覚えている限り……ライダーは居る!」
 ファン代表としてのアタルが啖呵を切ると、美空の危機に、猿渡とヒゲが復活して変身。
 「心火を燃やして、みーたん、ぶっ潰す!」
 なんかもう普通に警察を呼んでも良さそうな猿渡一海、29歳・独身。ネットで初めて貴女と出会った時から、心火を燃やして、フォーリンラブ。
 「大義の前の、犠牲となれ」
 そしてローグのそれは、大事の前に小事を切り捨てる完全に悪役の台詞なのですが、そもそもこの世界のヒゲの職業はなんなのか。だいたい猿渡とセットで出てくるけど、M-1でも目指しているのか。
 街では、人々の思い出に応えるかのように、次々と平成ライダーが実体化して戦闘員軍団に立ち向かっていき……今作のスタンスが明確に出ているところなのですが、一般市民に「ライダーから貰ったものが宿っている」のではなく、「ライダーは居る」のであり、その作用は


 「最悪だ、絶望だ、神も仏もないのか!」
 「助けてぇ、誰か、助けて!」
(『特捜ロボ ジャンパーソン』第1話)

 に対する神仏の加護、すなわち「都合のいい神様」であって、ここで描かれる大衆の喝采や祈りの姿は、「百鬼夜行に行き会ったが尊勝陀羅尼の加護で助かった話」であり、《平成ライダー》一つの集大成が、仮面ライダーが神仏の代行者に回帰する物語」(極言すれば、それは“70年代ヒーロー”像なわけですが)であるのは色々と考えさせられますが、これはこれで『ゴーカイジャー』とは違う形での、“神話化”のアプローチではあるの、かも。
 「へへへへへ……いいじゃんいいじゃんすげーじゃん……いいじゃんいいじゃんすげーじゃん、とぉ。へへっ! 行くぜ行くぜ行くぜぇ! 俺――参上!」
 最終的に、ジオウ組・ビルド組・電王を除いて、(《平成ライダー》を虚構として捉えている)人々の幻想から具現化したヒーロー――より言えば、神仏が化身として「仮面ライダー」の姿を取った存在――が現れて「それでいいじゃん」という話になるわけですが、この辺りは、劇場(一つの作品を集団で見る場)で見るとまた感慨の変わってくる作品ではありそうでしょうか。
 ここから各ライダーが幾つかのセットに分かれてアクションシーンとなり、ウィザードの燃える足技は格好良かったです。
 そして、アギトとキバは紋章キックコンビかと思ったら、何故かアギトは謎の光る手刀を使いました(笑)
 しぶとく粘っていたアナザーダブルに対してはジオウがダブルウオッチを用い、いつの間にやら2018年に戻ってきていたマネージャーさんがダブルアーマーを讃えるとWの字キックで撃破し、アナザーダブルが黒と緑でダブル爆発、はちょっと面白かったです。
 「根絶やしだ……ライダーどもを……根絶やしにしてやるぅぅ!!!」
 劣勢となったティードはクワガタ大幹部へと変貌し、このライダー×甲虫×怪物、のデザインは割と好き。
 「俺に貸してみ」
 「え? あなた修理できるの?」
 「天っ才物理学者と未来のマシン……」
 最悪の組み合わせだ。
 「ベストマッチだ」
 本編でのやらかし具合を考えると危険な気配しかしませんが、ビルドがタイムロボを即席修理すると、ゲイツが過去で確保していたクウガウオッチによりクウガロボとなり、ビルドロボとのコンビ攻撃でクワガタ大幹部は超あっさり撃破。
 アジトに逃げ込んだティードは、『クウガ』放映開始前に未来に拉致された為に《平成ライダー》の存在を知らない特異点たるシンゴにアルティメットクウガウォッチを埋め込む事で融合すると、アルティメットクワガタ大首領へと超変身。
 「ライダーは俺一人で、俺だけが笑顔であればいい!」
 何故か木野さんの混ざったアルティメットクワガタは2000の技の一つ、ハイパークワガタ粒子砲を放って街を焼き払い、いよいよ最終決戦がスタートすると、何故、市街地から離れていくのか(笑)
 殺陣の都合が剥き出しするぎる究極クワガタをバイクで追ったビルドとジオウの前に暗黒戦闘員軍団が現れるが、歴代平成ライダーがバイクで駆けつけ、一部ほとんどバイクアクションのイメージの無いライダーも居ますが、ちゃんとクウガはモトクロス。
 これが平成の走り収めじゃぁぁぁ、と平成ライダー族が荒野を爆走し、あ、鳥と龍と車が混ざった(笑)
 クワガタ大幹部との激突あたりから忘れられかけていたゲイツとクローズが即席コンビを組んでタイムロボでクワガタ大首領を撃墜すると、歴代ライダーの必殺キックが次々と叩き込まれて、クワガタ大首領は消滅。
 無事に助け出されたシンゴ少年はデンライナーに乗って2001年に戻っていき、今作における「ヒーロー」ないし「ヒーローと一般市民の関係性」像の特徴は、「ヒーローから受け取ったもの」が描かれるのではなく「神仏としてのヒーローが常に居る」事が描かれる点にありますが、劇中で唯一、身を挺して誰かをかばう姿を見せた一般市民が、“《平成ライダー》を知らない存在”であるシンゴなのは、どうにも首をひねる部分。
 ソウゴには「なんだかんだ」扱いされましたが、終始シンゴを助ける為に行動していた謎のイマジンは、『電王』最終回のオマージュぽい演出で後頭部が映ると歩み去っていき、結局謎の存在のままでしたが、EDクレジットによると、フーテンのトラタロスとの事。
 そんなわけで、メタ要素の取り込みに関してと劇中におけるヒーロー観との相性が、個人的には合わずの一作でした。後まあ『ビルド』組にも『ジオウ』組にも思い入れが無い為のガソリン不足、も響いたとは思います。