東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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年末の読書

本読みのあるある?

 若かりし頃にちらっと気になりはしたものの、色々あって先送りにしている内に存在を忘れていた作家の存在をふと思い出す、というのが人生はしばしばあるものですが……そんなわけで、急に思い出して、今頃になって初・清水義範
 もともと気になったきっかけが、レイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』の中身を読まずに登場人物一覧からの想像だけで創作する(うろ覚え)、という短編で、そういったユーモア作品やパロディを多く書いているのですが、30年前に日本でパスティーシュ(模倣/物真似)のジャンルを確立したとされる短編集『蕎麦ときしめんが、実に面白かったです。
 収録作品は、
 東京から転勤してきたサラリーマンの論文という形式による面白おかしい名古屋人論「蕎麦ときしめん
 ワンマン社長の立志伝を司馬遼太郎風文体で書く「商道をゆく」
 学術書の序文、によって展開する「序文」
 これまた司馬遼太郎風の猿蟹合戦「猿蟹の賦」
 老耄の、元・凄腕麻雀打ち達と卓を囲むことになり、とんでもないイカサマを次々と目撃する事になる「三人の雀鬼
 「蕎麦ときしめん」を発表した世界で作者(清水義範)が巻き込まれる騒動を書くメタフィクションきしめんの逆襲」
 例えばこんな感じで、


 「蜂だと」
 いが栗は気色ばんだ。蜂がいればこのおれのいがが不要だというのか。
 蟹平はいが栗の自尊心を刺激している。
 男の妬心ほどむつかしいものはない。
 (「猿蟹の賦」)
 この場合だと司馬遼太郎を読んでいるか読んでいないかで印象が変わってくるとも思いますが、そういった有名作家の文体のパロディというだけではなく、「論文」だったり「序文」だったり「社史」だったりという、文章の形式そのものをパロディの対象としてしまうのが面白いところで、中でも、トンデモ研究(「英語の語源は日本語である」)の成果を一冊にまとめた学術書の序文、の繋がりが見事に小説として展開する「序文」は、震える傑作。
 何故、若い頃に、通り過ぎてしまったのだ私よ!!
 ……まあ、あまり若い頃に読んでいたら、影響を受けすぎていたかもですが。