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ふらふらと『響鬼』

仮面ライダー響鬼』簡易総括2

 つらつらと落ち穂拾い的にあれやこれ。
 えー、そんなわけで、なぜ名指しで「勢地郎」……?
 と思われた向きもあるかもですが、私の中で勢地郎、だいぶ不憫枠といってもいいキャラクターながら、それについて語るタイミングさえ無かったキャラ、という扱いでして、『響鬼』の総括にあたっては、ちょっと触れておきたいなと。
 で、勢地郎がどうして不憫枠になってしまったかといえば、第一に『響鬼』世界の基本ルールとして、「ヒビキさんよりも(特に明日夢くんに対して)メンター性を発揮してはいけない」がある為で(例外はザンキ-トドロキのみ)、これによって勢地郎は、二人の娘を持つ年嵩の男性で、ヒビキにとっては直接の上司でもある猛士関東支部の要職にある事務局長にして、「おやっさん」とさえ呼ばれる存在ながら、《無駄説得》スキルの持ち主になり、定期的に吉野に飛ばされては情報メールを送ってくるのが主な役目の存在になってしまったのは、勿体ないというか物足りなさがありました。
 この辺り、主役に細川茂樹さんを配した時点で、勢地郎役の下条アトムさんの出演をどこまで確保できる皮算用だったのか、はちょっとわからないところではありますが、全体の半分ぐらいは、吉野に出張していた印象(笑)
 では勢地郎が存在しなかったら……? と考えると、「たちばな」にも猛士にも恐らく重石が足りず、そこまでヒビキに担当させるのは厳しいという判断は正解だったとは思うのですが、それで勢地郎というキャラクターを配置するならば、実質的に日菜佳の上位互換のオペレーターというだけではなく、もう少し面白く使ってほしかったと思うところです。
 なんでもかんでもメンターポジションが道を示してしまう作劇もそれはそれで当然問題ですが、勢地郎、あまりにも明日夢くんの「変化」に関与できないので、対明日夢くんにおいては、喫茶店のモブマスターぐらいの存在感でしかないのは、辛かったところ。
 第4話の初登場シーンを見る限りでは、最初はもうちょっとぶっ飛んだところのあるキャラクターを想定していたのかもですが、それも、ヒビキさんより突飛ではいけない、みたいな扱いにされてしまいましたし。
 ヒビキに無い鉱脈としては、年頃の二人の娘を持つ父親要素があったのですが、イブキさん(宗家筋)にはほとんど絡まず、トドロキには一回詰め寄ったきりで終わってしまい、「家長」「父親」の顔もほとんど発揮できず……これも考えてみれば、「ヒビキに(恐らく無意識に)父性を感じている明日夢」とバッティングしかねないので排除されたのかもですが……。
 とまあ、考えれば考えるほど、いやもっと最初から、ヒビキと違う立ち位置で存在感を出せる設計をしなくては駄目だったのでは?!
 と、気になって仕方が無くなり、まあ最初から、出番も存在感も控えめ、という設計だった可能性もありますが……ならそこで「おやっさん」を持ち出すのは、悪い形の内輪ネタみたいになっているような、といった具合で割と色々、引っかかりのあるキャラだったり勢地郎。
 後、基本的にどんな事態にも我を失わずに穏やかに対処する、ところに熟練の貫禄を表現する意図だったのではと思うのですが、ただでさえ劇中に「怒り」の要素が少ない前期『響鬼』では、しばしば落ち着き通り越して他人事感が出てしまい、正直、現場のトップのキャラクター像としては、あまりよろしくなかったと思うところ。
 一つ一つの事象に心を揺り動かされないのは、今作におけるプロフェッショナルヒーロー(猛士/鬼)像ではあるのですが、その冷静さが優れた現場指揮などで発揮されるといった立ち位置でも無い勢地郎の場合、ただただ“慣れきって麻痺してしまった人”になってしまい、そこはもう少し、表現と描写を考えて良かったのではないかな、と(実際、勢地郎は“慣れきって麻痺してしまった人”なのだろう、と受け止めてはいますが、それが物語として面白いかどうかは別問題)。
 そんなわけで、組織の現場トップで年長者ポジションながら、誰の心も動かせるわけではない立花勢地郎とはなんだったのか? とは、『響鬼』全体において、割と消化に困った要素の一つなのでありました。
 最終盤、トドロキの奮起に繋がる一幕もありましたが、それも、勢地郎の伝えたかった事とトドロキの受け止め方がズレているコミカルな状況として処理されていましたし……徹底的に“メンターとして機能してはいけない”事を宿命づけられているという、ちょっと変わったキャラクターであったな、と。
 ……まあ、これが別の作品なら、メンター的性質の有無はそこまで気にならなかったかもですが、今作の場合、主人公(ヒビキ)が明確にもう一人の主人公(明日夢)のメンターである、のが構造の中心を成すので、ちょっと気にかかった次第であり、どうせ相手の心に響かないなら、格好つけて気取った事を言うが相手にはポカンとされる、みたいなキャラもありだったかもな……とは思ってみたり(笑)
 そこで、既にシリーズでは恒例になりつつあった、キャラクターにやや極端に色を付けたり尖らせたりする手法を採らなかったのが『響鬼』の長短といえますが、勢地郎は支援ポジションゆえに、その方針の影響が後々まで及んだ、ともいえるでしょうか。
 ……イブキさんとか、登場当初はあまりにもつるっとしすぎていて、主要キャラとしては異例なほど毒にも薬にもならない感じでビックリしましたし。
 威吹鬼としてはスマートなシューターとして特色を出しつつ、イブキさんのつるっと路線はその後も続いて、続いた結果、あきら説得に失敗するのですが、後期に入っても、最後の最後でギリギリ香須実さんの前で見せる本音を除くと見えてこない、イブキさんの「情念」の薄さというのは、今作世界における“宗家の血”の結晶であったのかもしれません。
 感想も後半になって言語化できた事として、今作の前期はは恐らく「自然体」を重視していたのですが、ヒビキとイブキは、“鬼”としてのその体現者としての面があったのだろうな、と。
 で、鬼の修行描写なども見るに、鬼の行き着くところは、天然自然の法則を己の内に取り込み、それによって人間を少しはみ出すところにあるように思われ、それは、天然自然の孕む人間への苛烈さ(荒ぶる自然霊)としての魔化魍と、それを調伏する鬼との、同質性を示しているとも受け止められるかなとも。
 また、今作前半の拘るところであった「人助け」という表現、その精神の発露というのは、特に構えずとも、人間の中に“自然にあるもの”として置かれ、体制変更の事情もあって掘り下げきれなかったテーゼですが、誰もが持つ自然な心の先に、鬼、そしてヒーロー性がある、というのは企図していたところであったかもしれません。
 ただそれは、比較的「情念」重視の井上脚本とはあまり相性が良かったようには思えず、京介投入を皮切りに、あきらにスポットを当てるに際しての背景の増築、まだ若いトドロキ、そして「師弟」という要素をもって「自然体」を乗り越えられるザンキ、を大きく取り上げる流れに繋がったのかもなと。
 ところで、今作における、地上的他界(山・丘・海・湖沼・河原・峠・村のはずれや境など)で誕生する(そこから入ってくる)神霊的存在、としての魔化魍へのこだわりは好きなところで、1年間トータルで物語を巧く収められたのかはさておき、魔化魍に関しては、序盤の路線の方が好きだったり。
 それゆえ、傀儡や和服の男女など、何者かの“悪意”めいたものがそこに介在してくる展開にはいまいち乗れなかったのですが、コメント欄で教えて頂いた高寺P構想や、構成分析で見えた物語の組み立てからすると徐々に“背後の存在”に焦点が移っていくのは前期体制からの想定だったようなので、前期体制が破綻を迎えず、想定通りに今作における“悪”を組み上げられたらどういった収束を見たのか、は今作にある数多くの「もし……」の中でも、ちょっと気になる部分ではあります。
 勿論、「後から語られた構想」は「絵に描いた餅」でしかないのは大前提でありますが、高寺Pは、劇中における“悪”とは何かにこだわる傾向が強いですし、私は割とそこを気にして見るタイプなので、『響鬼』における“悪”として何が描かれるかは少し見てみたかったというか、もう少し早くそこに焦点が向いていたら、私と『響鬼』の間合いも少し変わっていたかもなーと。
 個人的には『響鬼』、そういったところにはあまりこだわりがなさそうに見えていたし、実際に劇中で高寺Pが部分抽出した「万引き少年」の要素は、1回目も2回目も少々浮き気味に感じたので、少なくとも前半段階では、狙いをあまり上手く見せられていなかったとは思いますが。
 …………えー、取り留めの無いまま書き連ねてまいりましたが、何か綺麗にオチそうにないので、『響鬼』簡易総括というか、もはや雑語り、もう一回ぐらい続きます。