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『ウィザード』特別編感想

仮面ライダーウィザード』感想・第52-53話

◆第52話「仮面ライダーの指輪」◆ (監督:石田秀範 脚本:會川昇
 話数としては第52話のカウントですが、主題歌は無しで始まり、「助けて!」と叫ぶ声の主を探していた晴人は、砂浜で巨大な黄色い石を拾うと、その中に吸い込まれてしまい……目を覚ましたのは、「堂夏」家の縁側。
 本編(セミ)レギュラーが本編とは少々違う姿で登場し、怪人集団に追われる少年少女が指輪の力で仮面ライダーを召喚。何故か「仮面ライダー」という名称を把握している晴人は、夏の日差しが見せた白昼夢のような世界と騒動に巻き込まれていく事に……。
 「……ここがウィザードの世界か」
 「いや。たぶん、違うな」
 「そうか。大体わかった」
 基本的に、本編クライマックスからは温度差の激しいドタバタ喜劇テイストで進行し、ライダーリングの力によって怪人たちの魂が封印されているこの世界に住まう者たちは、時が来れば怪人種族に「変身」する運命を背負っており……前編の範囲だと、この設定にバトルの都合以上の意味があるのか見えてこない、のが温度差と合わせて呑み込みにくい要素。
 世界の主アマダム(舞台演劇的な、大袈裟な衣装)に呼び出しを受けた晴人は、そこで過去の時空からこの世界に引っ張り込まれた本物の仁藤と合流し、世界が崩壊して怪人の魂が解放されるのを阻止する為に、ライダーリングを取り戻そうとする事に。
 次々と仮面ライダーが召喚されて怪人軍団およびウィザード&ビーストと戦闘になり……あくまでも「イメージ」の具象化という事で意図的な部分もあるのでしょうが、本人吹き替えはさすがに難しい事も含めた口調の嘘っぽさも合わせて、召喚ライダー達の人形めいた存在――理想のイメージの投影である代わりに、人間味の抜けた感じといいましょうか――はちょっと気持ち悪く感じる部分。
 怪人となる運命から逃れる為、ライダーリングの力で世界から逃げだそうとする少年少女の助けを求める声は…………なんか、沢芽市に届いた。
 先行お披露目の新仮面ライダー・鎧武がたっぷり暴れ回って、つづく。

◆第53話「終わらない物語」◆ (監督:石田秀範 脚本:會川昇
 うーん……うーん……うーん……とにかく端から端まで物凄くメタで、「仮面ライダーとは……悪と同じもの」と、英雄とその戦う敵が根を同じくする異類であるテーゼがストレートに持ち込まれると、
 「……ある人が言った。俺たちは、正義の為に戦うんじゃない。俺たちは、人間の自由の為に戦うんだと」
 と、初代『仮面ライダー』OPナレーションの文言が引っ張ってこられ、
 「仮面、ライダー? 俺が?」
 「全ての人の自由を守る、戦士の名だ。助けを求める声があれば、必ず駆けつける」
 と、仮面ライダー(ヒーロー)とはなんぞや、がシリーズを包括する形で定義づけをされ、あまりにも色々と剥き出しに放り込まれすぎて、個人的には、そういうのは本編から勝手に摂取しているからいいかな……となってしまい、合わない作りの前後編でありました。
 基本的に、この前後編における仮面ライダー」という単語自体がメタ(過去のコラボ劇場版で繋がりが生じていたりしたのかもですが、少なくとも『ウィザード』TV本編には出てこない単語)なので、それを用いた台詞そのものが全てメタ要素を孕む事になるのは、好みとしては乗りにくかった部分。
 「たとえ俺達の力が、悪と同じものだとしても、俺は、絶望を希望に変えた。……そしてなったんだ――」
 「なったんだ――仮面ライダーに」
 「……俺達だけじゃない。たとえ悪と同じ存在から生まれても、仮面ライダーとなる者が、現れる、次々と」
 少年少女たちが助けを求める事情としての、成長すると「怪人になる」世界だが、そこから別のものが生まれてくる可能性もある――その「運命」は戦い、乗り越えられるものである、というのは成る程ではありましたが、これにしても、本編レギュラーを出す都合により、凛子・瞬平・輪島は、怪人への変身が起きなかった“なりそこない”で処理されているのが、半端なやり口にはなった感。
 “正義”の文言にこだわる割に、“悪”の方はざっくり連呼されるのも、ちょっと引っかかりますし。
 メタ要素の他は前編後編ともに、バトルが目一杯盛り込まれる作りで、デカ物軍団との戦いで、ディケイドの乗り物にされるアギト……。
 全体的に、バトルは劇場版風サービスに徹した作りで、最強フォームが豪華に勢揃いすると、アマダムが変じた指輪の怪物に次々と必殺キックを打ち込み、最後はウィザードと鎧武のキックが怪物を貫いて、フィニッシュ。
 「……まだ、旅を続けるのか」
 「俺達はいつでも旅の途中だ。またどっかで出会ったら……そん時も一緒に戦おう」
 本人出演の門矢士は去って行き、『ディケイド』はどうしてもアレルギーを克服できずに見通す事が出来なかったのですが、こういう所の空気そのものは嫌いではないので複雑。
 異世界を抜け出し、バイクで走り去っていく晴人の姿と、少年と少女が再会する姿がEDで重ねられ、本編ラストよりも明るい余韻を残す形で、幕。

 ……本編(第51話)ラスト、バイクで走り去る晴人の姿でのフィナーレは、《昭和ライダー》で定番だった、バイクで走り去って行く主人公、を意識した決め打ちであったろうと思うのですが、そこから繋げつつ「割り切ってお楽しみ下さい」だった前後編、作りとしては好みとは違いましたが、同じバイクで去って行くでも、本編ラストに較べると、もう少し苦みを和らげつつ、晴人への“救い”を意識した見せ方で、作品としてのバランスを取った感じに。
 一応、本編から通し話数でカウントされているものの、内容としては劇場版時空みたいな感じであり、これはこれという事で、本編については改めて別項でまとめられればなと思います。