東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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これは彼が、信じて飛ぶ日の物語

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』感想(長い)

 「駄目だよ。僕の出る幕じゃない」
 「そうよ。あなたの出る幕。uh?」
 「僕らに出来るのは、元の世界に戻す事だ。家に帰す事。それが彼らにとってベストだ」
 「彼らの? 自分の為でしょ」
 「…………」
 「ここをよく見て。するべき事は、人助けよ」

 ようやく見ました『ノー・ウェイ・ホーム』!
 案の定といいますか、キャプテン・アメリカスティーブ・ロジャースの退場以後――視聴直後はキャップの選択に引っかかりがあったものの、その後は消化が出来た上で――MCUそのものへの熱量をだいぶ失ってしまい(とにかくキャップが好きだったので)、『エンドゲーム』後のシリーズ作品を見るのは、『スパイダーマン』の前作にあたる『ファー・フロム・ホーム』以来。
 その為、間のシリーズ作品&その後の新作は未見なのに加えて、キャラの記憶・作品世界の勘所・ここに至るまでの様々な文脈の積み重ね、などはだいぶ忘却した上での視聴に基づく感想です。
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 ※参考資料として自分で読み返した、前作・前々作の感想はこちら→
 ■〔『スパイダーマン:ホームカミング』感想〕
 ■〔『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』感想〕
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 作品としては、『エンドゲーム』後の世界の描写に軸足のあった前作と地続きでストレンジ先生の登場などもある一方、《アベンジャーズ》から距離を取る意図が見え、「マルチバース」をキーにしながら、MCUの前提に加えて《スパイダーマン》全般の知識があった方が楽しめる、といった作りとなっており、近年の作品では、アニメ映画『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018)が、直接的なキャラの繋がりこそないものの今作の有用な補助線になっている面があるかな、と。
 裏を返せば楽しみ尽くすには、原作コミックや過去の映画作品の知識を求められる内容でしたが、〔MCU過去2作・『アメイジング』1作目・ゲーム『マーベル・スパイダーマン』〕程度の知識しか無い為、特にヴィラン関係は、わかりにくかった部分はあり(最低限の情報は出てきますが)。
 ……「ノー・ウェイ・ホーム」と書いて、「ドクターが多すぎる」と読ませる勢い。
 小刻みにフォームを変えながらの物語の進行はテンポが良く、圧巻のクオリティによる戦闘シーン他の映像は迫力満点で、シリーズとして積み重ねてきた得意方面は盤石の出来でしたが、メタ要素が濃いめな事もあって整理が難しく、以下、筋を追いながらのネタバレありの感想となります。
 ……だいぶ長くなったので先に一つの結論を書いておくと、スティーブ・ロジャース去りし後のMCUについて、私の中のシリーズに対する熱を再点火するには至りませんでしたが、お時間ある時のちょっとした読み物にでもなれば幸いです。
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 「ミステリオを無残にも殺害した犯人は、スパイダーマンだったのだ」
 前作ラスト、トニー・スタークの遺産を手にしようと策謀を巡らすもスパイダーマンに敗北したベックは、自身が敗北してもなお、“異次元ヒーロー・ミステリオの虚像を永遠にする”為の仕掛けを用意しており、偽の告発映像によりミステリオ殺害の容疑をかけられた上、その正体を曝されてしまったスパイダーマン/ピーター・パーカーは、あっという間に「親愛なる隣人」改め「アメリカ最大の敵」とされてしまう。
 「ヤバい……」
 「ヤバい!」
 「ヤバい!」
 「ヤバい!」」
 「「ヤバーーーーい!」」
 宇宙も行ったけど心は小市民ヒーローに降りかかる正体バレの騒動が、軽快な音楽に乗せてユーモアをふんだんに交えながら描かれていき……もうこうなったら、衛星からのドローン攻撃でみんな抹殺だ!!
 ……大量殺戮は思いとどまったピーターだが、スターク社がそもそも、色々アレだしな感じで身辺の暗雲は収まるどころか広がり続け、いよいよ連邦警察に事情聴取を受ける事になると、だいたい僕の夏休みが台無しにされてミステリオ殺害の容疑をかけられるようになった原因は、あの分からず屋の眼帯野郎のせいだよ! と、ニック・フューリーへの連絡を求めるが……
 「フューリーはこの1年、地球の外に居る」
 「は?」
 変身宇宙人を代理によこしていたフューリーの手ひどい裏切りを知る事となり、次に再会した時は、ウェブで自由の女神の先端から三日ほど吊しておいても許されると思います(でも、堪えなさそう)。
 ……あの腐れ外道に一言云ってやりたいアベンジャーーーズ・アセンブル!!
 辛うじて証拠不十分で不起訴処分になったピーターだが(ここで出てくる盲目の弁護士は、デアデビル……?)、スパイダーマンはヒーローか、はたまた殺人鬼か、世論は真っ二つ。更にスパイダーマン=ピーター・パーカー、そのものに好奇の視線が向け続けられる事となり世間の好餌とされ、MJとネッド、二人と共にM.I.T.に進学してボストンで心機一転新生活の夢も、3人まとめて非情な不合格通知によって絶たれてしまう。
 これもまた、自らが選んだ“大いなる責任”の一つとはいえるのかもしれませんが……考えてみればアベンジャーズキャプテン・アメリカ@氷の下から甦ったモンスター、アイアンマン@人生だいたいグレーゾーン、マイティ・ソー@生まれついての神にして王……とティーンエージャーの教科書になりそうなサンプルが大変少なく……教科書になるかどうかはともかく、一応同情して話を聞いてくれそうなのは、アントマン@前科持ち、ぐらいでしょうか。
 ……アフターフォローやメンタルケアに配慮する気のないあの冷血漢に一言云ってやりたいアベンジャーーーズ・アセンブル!!
 失意のピーターは、ハロウィンの飾り付けからトンデモな髭のおじさんの存在を思い出し……ここで、自分の為ではなく、大切な人たちの未来を取り戻す為にこそなのが、動機付けとして良かったところ(ストレンジ先生もそこにほだされる事に)。
 マントにトレーナー姿のトンデモな髭の魔法使いは、時間をねじ曲げてミステリオの告発映像を無かった事には出来ないが、全世界的に一部を黒塗りにする事なら可能だと言い出し、つまり、衛星軌道からドローンを召喚するんだ。
 ……訂正します。
 「時間は戻らないが、君の正体を忘れさせる」
 “戦友”ピーター・パーカーの為に便宜を図って魔法を発動するドクター・ストレンジだったが、その効果が「ストレンジ自身をも含めた全人類の“スパイダーマンの正体”に関する記憶の抹消」だと知ったピーターは、あれ? それ? 下手するとMJに捨てられる?! と激しく狼狽して、呪文の修正を要求。
 更に、ネッドが……メイおばさんが……ハッピーが……と後から後から小出しに要望を重ねてくるクライアントに対し、リアルタイムで修正を続けていた忘却魔法がとうとう暴走してしまい、ギリギリで時空の破断を食い止めたストレンジ先生との好感度ゲージは一気にマイナスに突入。
 ついさっきまで「丁寧語はやめろ」と言っていたのが、あっという間に「敬称をつけろこの青二才」になる辺り、早い、切り替えが、早い。
 額に青筋が浮かび気味のドクターから、魔法に頼る前に大学に直談判の一つでもしたの? としごく真っ当な説教を受けて叩き出されたピーターは大学の偉い人に交渉を試みるが、その途中、ピーター・パーカーに憎悪を向ける、謎のタコ足おじさんが出現。
 背中からメタルアームを伸ばして天地を自在に歩くタコ足おじさんは、スパイダーマンの鏡像めいたアクションに加えて、どこか『宇宙戦争』の火星人兵器めいているのが“世界に現れた異物”として印象的で、いまいち話の噛み合わないタコ足おじさんを何とか食い止めたスパイダーマンは、なんだかんだと魔法失敗の後始末に奔走してくれていたストレンジから、現在起きている事態について説明される。
 「ピーター、願い事をする時には気をつけろ。スパイダーマンだっていう記憶をみんなから消している途中で君が邪魔したせいで、ピーター・パーカーがスパイダーマンだと知っている者全員が、あらゆる世界から、ここにやってきた」
 なんか、滅茶苦茶、言い出した。
 アメコミ的には基礎教養という事なのか「マルチバース世界」なる言葉がさらっと盛り込まれ(『アントマン』辺りで触れていましたっけ……?)、かくして世界の崩壊を食い止めるべく、マルチバースからの来訪者を捕まえる事になるピーター・パーカー……ここでストレンジ屋敷の地下に作られた牢獄に、TVドラマ『フラッシュ』におけるメタヒューマン私設刑務所を思い出したのは私だけではないと思いたい(笑)
 「たとえ椅子を奪われたって俺は一生、“椅子の人”だ」
 MJとネッドの協力を得たピーターは電子のウェブで情報をかき集め、前2作では、間接的/直接的にトニー・スタークが生んだといえる“悪”と戦う事になったピーターが、今作では自身の蒔いた種でもありつつ、多元世界のピーター・パーカーの敵と戦う事になる、ひねった展開。
 前作との接続から事の発端までを序章とすれば、ここから本編開始で“多元世界のスーパーヴィラン大集合祭”といった趣向になるのですが、『エンドゲーム』以前、『ブラックパンサー』や『アンドマン&ワスプ』といった作品が、ヴィラン側の事情や誕生の経緯にウェイトを割いていたのと比べると、今作では原作知識が無いとさっぱり背景のわからないヴィランが次々と登場し、スパイダーマンが多元『スパイダーマン』と一人クロスオーバーしながら、オリジンをマルチバースに置いてきたヴィランと戦うという、ガラリと違う構造に。
 映像の派手さや次から次への未知な敵の面白さはあるものの、当のピーターにも因縁の不明な敵と殴り合う展開は少々ストレスも生まれてくるところで、電気人間と土のエレメントを捕まえて戻ってみると、ストレンジが最初に捕まえていたリザードと電気人間が顔見知りであり、置いてきたオリジンが地下牢で繋がっていく、のは成る程。
 見るからに怪物めいていたトカゲ人間が思わぬ理知的な言動を見せるのも効果的なインパクトとなり、最後の一人、解離性同一性障害を患っていると思われる空飛ぶ小鬼の中の人を連れて戻ってきたところで、ストレンジの結界をくぐり抜けてこの世界へ迷い込んだ異邦人たちは、いずれも死すべき運命のただ中にあった事が判明。
 ストレンジが魔法の逆転処理に成功すると、元の世界に戻った5人――タコの人・トカゲの人・電気の人・砂の人・小鬼の人――に死が待ち受けている事を見過ごせないピーターは、半ば衝動的にストレンジの呪文を妨害し、ここでスパイダーマンvsドクター・ストレンジ、が挟まるのは盛り上がる趣向ですが、本格的な盛り上がりが生まれるには、ドクター・ストレンジ、あまりにも強かった!(笑)
 空間制御魔法を操る魔法中年の前に、玄関出て5秒で完封負けを喫したスパイダーマンだが、ストレンジ先生の放った幽体離脱パンチが、かえってピーターの眠れるセンスを解放してしまったのか、離魂状態で肉体を操ったピーターはドクターに一杯食わせると魔法のサイコロを手に逃走を再開し、試合続行。
 が、魔法のちゃんちゃんこであっさり確保されるとドクター十八番の奇天烈世界に放り込まれ、ストレンジ先生、強い。
 さらっと空も飛べるし、自由自在に四次元ポケットな空間魔法がズルいレベルですが、大局的な視野から理性的な選択を優先する“大人”ストレンジに対し、青臭い感情の赴くままに信じるもののため行動する“子供”として粘りに粘るスパイダーマンは、ストレンジの作り出すミラーディメンションが幾何学に通じている事に気付き、主人公の頭脳が「発明・開発」以外でも発揮されたのは良かったところ。
 「ねえドクター。魔法より凄いもの知ってる? ――数学だ」
 「やめておけ」
 何十ものウェブでストレンジを拘束したスパイダーマンはサイコロと指輪も奪い取り、今回のストレンジ先生は、善意から友人の頼みを聞いただけなのに、踏んだり蹴ったりの目に遭っています。
 ここを抜け出したら、人類に仇なす魔王中年にクラスチェンジしても許されそうなレベル。
 「やめろ」
 「すみませんドクター。でも――試してみたい」
 ほとんど見知らぬ異世界人の為に(知らないが故にこそ、の面はありますが)、その死すべき「運命」を受け入れるのではなく立ち向かい変えようとする事で、今、スパイダーマン/ピーター・パーカーは、何者でありたいのか、への一歩を踏み出す姿を示したのは、トニー・スタークからの真なる巣立ちを感じたところ。
 ミラー空間に置き去りにしたストレンジ先生に振り返りながら告げるの、決めカットですし。
 ……それはそれとして、事が全て都合良く片付いたと仮定しても、ピーターは上手くミラー空間を開く事が出来るのか。
 これはやはり、自力で現実世界に舞い戻ってきたストレンジ先生が魔王中年にクラスチェンジして、多元世界のピーター・パーカーを殺戮して回る新たなルートが開いてしまうのではないか。
 「この世界にピーター・パーカーはいねぇかぁぁぁ!!」
 次回――『マジカルアベンジャーズ:エンド・オブ・ピーター』、全世界公開未定。
 はさておき、地下牢に戻ってきたピーターは、このまま元の世界に戻って死ぬか、ヴィランを卒業する事で生存の可能性を探るかどっちか選べと5人に迫り、そう今こそ、キャップの更生プログラムが炸裂する時。
 「クールを気取るのはよせ。65年も氷浸けでクールな思いをした僕の意見。本当にクールなのは、ルールに従う事」
 ……じゃなかった、トニーの遺産を持ち出すと、貴様は今日から、スターク社の改造人間・ガトリングオクトパスだ! と治療もとい改造手術を始めていくが、ろくな面談もしていない人たちを相手にまあそうそう上手く行くわけがなく、前作における「第二のスタークを選び出せ」解釈に続いて今作でも、「第二のスターク」である事の先へ巣立つのかと思われた途端の、人が好いにも程があるやらかしを発動。
 ……きっとそんな事になるだろうとは思いましたが、数分前は凄く格好良い、新たなスパイダーマンとしての第一歩だったのにな!!
 ピーターに協力的だった鬼の人の中で、目覚めてしまったゴブリン人格の扇動をきっかけにして危うい均衡が崩れると、電気の人はスターク印のおもちゃ箱のエネルギー(アイアンマンのコア?)を奪い、砂の人は黙って姿を消し、真っ先に治療に成功して理性を取り戻していたタコの人はビルの外に叩き出され……
 「しっぺ返しを食うと言っただろう!」
 不参加だったトカゲの人はトラックから飛び出すとスパイダーマンに一撃を食らわせ、
 「全てを手にする力を持ちながら……手に入れぬ意気地無しめっ!」
 小柄な熟年男性といった見た目の小鬼の人が、ステゴロで物凄いセメントマッチを挑んでくるのですが、いったい何者(笑)
 向こうの世界では、ドクターは体を鍛えているのが当たり前なの?!
 「おまえの弱点はな、人の良さだ。それが首を絞めてる。よくわかったろ?」
 激しい肉弾戦でピーターを痛めつけた鬼の人はフロアぶち抜き落としを決め、ピーターを救おうとその前に立つメイおばさん。
 「ノーマンの言う通り、こいつが病的に情けないのは、おまえのせいだ!」
 メイおばさんがゴブリンスライダーに轢かれて無残に宙を舞う衝撃シーンの後、スライダーに飛び乗ってフードを被った小鬼の人が浮かべる邪悪な笑みが強烈なはまり方で、事態の深刻さと合わせて、悪役としては実に痺れる表情でした。
 「ピーターいいか良く聞け。人助けってのはかえって仇になるもんだ。後で俺に感謝するぞ?」
 小鬼の人は小型爆弾を撒き散らして飛び去っていき、だいぶ思い切り轢かれた割には無事だったメイおばさんだが……
 「大いなる力には、大いなる責任が、伴うものよ」
 特大の禁句により自身の死亡フラグを摩天楼にそびえ立たせると、勿論無事なわけがなく大量の出血で生気を失って倒れ……ピーター・パーカーは良かれと思って踏み出した自身の一歩――しかしそれは、真の「責任」を知らない“子供”の行為ではあった――の代償として、あまりにも残酷で大きすぎるしっぺ返しを受ける事に。
 全世界的記憶の消去に始まって、摂理をねじ曲げようとしまくった挙げ句に、己の領分を見誤り近しい人の死を迎えるのは因果の報いとしては一定の納得がいく一方、ここまで来てメイおばさんを殺さなくてはならなったのか? には引っかかるところもあるのですが、それも含めて今作は、ヴィランを外注した上での、MCUにおける改めてスパイダーマン:オリジンの物語の面が強い構造。
 ……まあこの時点では正直、今作世界ならラストで実は生きてたワンチャンスあっても良いかな、とは思ったのですが、結局ピーター・パーカーは、近しい人の死を生贄に捧げる事でしか、“大人”への通過儀礼を果たせない宿命として、描かれる事に。
 絶望のどん底に落とされたピーターが、メイおばさんの遺体を残したままダメージコントロール局からの逃走を余儀なくされる一方、待機組ではストレンジ先生から強盗した指輪でネッドがゲートを開く事に成功してしまうと、呼ばれて飛び出てネッド家の居間に現れたのは、少々ぬぼっとした感じで髪のボリュームがあって髭の青い、ピーター・パーカー/スパイダーマン(以下:ピーターもじゃ)。
 もう一度ネッドが念じてゲートを開くと、続いて現れたのは、年嵩で髪をなでつけて落ち着いた雰囲気の、これまた、ピーター・パーカー/スパイダーマン(以下:ピーターおでこ)。
 (※視聴後に調べたところ、両者とも、過去の映画作品の主役キャストそのままとの事)
 ヴィランたち同様、呪文の影響で多元世界からやってきていた二人のスパイダーマンのスパイダー共感により、MJとネッドはこの世界のピーター・パーカー(以下:ピーター童顔)との再会に成功し、ピーター童顔は別ユニバースのピーターたちと出会う事に。
 大いなる力を軽挙に振り回した結果として大いなる代価を支払う羽目になり、「奴を殺したい……八つ裂きにしてやりたい」とまで憎悪を抱くようになったピーター童顔が、それぞれ哀しい過去を持ち深い闇を覗き込んだ経験を持つピーター先輩ズの説得で憎悪に身を委ねる事なく踏みとどまるのは少々物足りさを感じましたが、ここは、原作コミックや過去の映画作品など《スパイダーマン》シリーズ全体の積み重ねを踏まえた上での、メタ的なニュアンス濃いめのターニングポイントではありましょうか。
 “スパイダーマンを助けに来たスパイダーマン”に、どれぐらい痺れられるかなど、各種シリーズ作品への思い入れを求められそうな場面ではありますが、まあそもそも『ホーム・カミング』が、MCUに“御存知スパイダーマンが参上!”といった作りではあったので、今回の中心におかれている「メイおばさん/ベンおじさん」を筆頭に、ある程度のメタ知識は前提になっている感じはあり。
 ……条件が全く違うので完全な余談ですが、この「ベンおじさん」問題を視野に入れていたと思われる『仮面ライダー剣』第22話(監督:諸田敏 脚本:會川昇)の台詞「それじゃまるで、不幸な方がいいみたいね!」が好きな身としては、同じテーゼを与えられたヒーローが悲劇の共有によってトラウマを乗り越えていくのとは、また別のアプローチも見てみたかったところはあります。
 「……おばさんは襲われた後も、僕らは正しいって言った。…………大いなる力には」
 「「……大いなる責任が伴う」」
 「……え、どうして知ってるの?」
 「おじさんがそう言った」
 「最後の言葉だ。……おばさんの死は無意味じゃない」


――「そうよ。あなたの出る幕。uh?」


 かくして3人のピーター・パーカーは、魔法のサイコロを起動する事なく、あくまでも彼らを“救う”為に一致団結して戦いを続ける事を決断。
 「全員助けてやろう。な? ……それが“僕ら”だ」
 そう、何度世界から“わきまえろ”と地面に叩きつけられても、この蜘蛛のウェブが届く限りは手を伸ばし続ける――それが、“スパイダーマンであり続ける”事の証明であり、その糸は今、時空の壁を越えてさえ繋がっているのだから。
 上で、ピーター童顔が(完全ではないなりに)憎悪を乗り越えるくだりが少々物足りない、とは書きましたが、ここでピーターおでこが、それでも“スパイダーマンであり続ける”事を選んだ先達として、誰にどれほど否定されようともどうしようもない程にピーター・パーカーである事を示すと共に、その想いはきっと繋がっていて、一人では乗り越えがたい苦難も、今は共に分かち支え合いながら戦える事を暗に告げるのは、今作全体の中でも、好きなシーン。
 そしてそれはきっと、
 「スーツ無しじゃ駄目なら、スーツを着る資格はない」
 という事でもあるのでしょう。
 「約束する。俺はスーパーヴィランになっておまえを襲わない」
 ピーターおでこの親友が哀しい最期を遂げた事を知ったネッドはピーター童顔に誓ってきょとんとされ、さすがにメイおばさんの死後は控えめなものの、多元ピーターの召喚後は、ところどころで小さなくすぐりを入れるのは欠かさない作り。
 ……それはそれとして、大丈夫かネッド、いずれ電子と魔術を融合した超人マン・オブ・チェアー(目からビームを出し、高いビルもひとっ飛び!)になったりしないかネッド。
 要監視案件はひとまず置いて、それぞれの治療アイテムを完成させたスパイダートリオは、異邦のヴィランを誘い出す為にJJJの番組を通して魔法のサイコロを見せつけると、ネッドの魔法(すっかり使いこなしている……)でリバティ島へと跳び、再建中の自由の女神が、キャップのシールド掲げている(笑)
 「世界のみんな、見てる? 祈ってて……――“親愛なる隣人”の幸運を」
 かくして、異邦のスーパーヴィラン軍団vs多元スパイダーマンの決戦……の前に、メタ要素を含んだサービスシーンっぽい少々気の抜けたやり取りを挟んで(緊張をほぐすというニュアンスも入って)、改めて、激突。
 襲撃を受けたらサイコロは待機中のネッドとMJに渡して安全な場所に確保する筈が、開けたゲートを閉められないアクシデントが発生するなどありつつ、飛び交う電撃、巻き起こる砂嵐、駆け回る蜥蜴の王、と戦う中で、連携が全く上手くいっていない事に気付くスパイダートリオ。
 「上手くいかないにも程がある!」
 「わかるよ、最悪だ! 僕はチームでの戦い方がわからない!」
 「僕もだ」
 「僕は知ってる。チームで戦ってた。自慢じゃないけど自慢。アベンジャーズに入ってた」
 「アベンジャーズ? 凄いな」
 「ありがとう」
 「それはなんだ?」
 「……アベンジャーズ無いの?」
 ピーター達のピーター差にまつわるここのやり取りは大変面白く、改めてコードネームの確認からやり直した3人は、俺達は軽口担当だ! とテンション上げてスイングを連携させると、満月をバックに自由の女神の頭上に並んで決めポーズ。
 離脱していたタコの人の助けもあり、砂の人・電気の人・トカゲの人の治療に成功すると、グランドキャニオンに数日吊されていたストレンジ先生も帰還するが、そこに最凶最悪の小鬼の人が飛んでくると魔法のサイコロを爆破し、た、盾がーーー!!
 自由の女神建設現場の倒壊とともにMJも墜落し、ピーター童顔の手は小鬼の人の妨害によって空を切ってしまうが、かつて恋人を失ったピーターもじゃがキャッチに成功すると感極まった表情を見せるのは、断片的な知識と情報からでも、グッと来るシーン。
 ストレンジ先生が次元の崩壊を食い止めようとする中、ピーター童顔は憎しみのままに小鬼の人を殴り倒すと、スライダーでぐしゃぁっとしようとするが寸前でピーターおでこに止められ、ピーターもじゃの投げた解毒剤を打ち込む事で、小鬼の人に元の人格を取り戻させる事に成功する。
 だがマルチバースからの無限の敵の侵攻はもやは寸前まで迫っており、ピーター童顔は残された最後の手段として「全員の記憶からピーター・パーカーの存在を消す」事を選択すると、MJとネッドに別れを告げて姿を消し、次元の崩壊は食い止められ、異邦のヴィランと多元ピーターは元の世界へ帰っていくが、ピーター・パーカーの存在は、誰の記憶からも忘れ去られてしまうのだった……。
 小鬼の人とのラストバトルが、転がった盾の上だったり、憎悪に身を任せた乱暴な殴り合いだったり、哀しみに溢れカタルシスに欠けるものだったり……は個人的に『シビル・ウォー』を思い出したところですが(特に盾は相当な意図を感じます)、最初に書いたように今作にはどこか、スパイダーマンアベンジャーズの間に距離を作る意図が見え(実際それは記憶の消去によって果たされ)、後の「アセンブル」を前提にしつつ、再度の「分断」を描く、そしてその為の、「スパイダーマン:リ・オリジン」といった印象。
 ハイテク化の進みすぎたMCUスパイダーマンを、一度リセットしておく意味もありそうですし。
 後日――MJの勤める店を訪れたピーターだが、出会った瞬間に記憶が戻るような奇跡は起こらず、用意してきたメモはほとんど役に立たず、しかしネッドとMJが無事にM.I.Tに進学できそうな事を知って、多くのものを失いながらも、願い事は一つだけかなう事に。
 幸い、不審なストーカーとして拳銃に撃たれる事もなしに店を離れた、この世界に一人だけのピーター・パーカーは、きっちり殺されたメイおばさんの墓標を前に、行きずりの見知らぬ人物同士として、ハッピーと再会。
 「以前も大事な友を失った。あの時と同じだ。二人が逝ってしまったのも辛いが、彼らの信念まで消えてしまったのかと思うと……それがまた辛い」
 「……消える事はないよ。……彼女が支えたみんなが……引き継いでいく」
 そしてピーター・パーカーは、一人アパートで高卒認定テストに備えながら、手作りのスーツに身を包み、“ただの”スパイダーマンとして、マンハッタンの街へと飛び出していく――


――「僕はいつスパイダーマンになれるの?!」
――「……わからない。でも、信じて飛ぶんだ」

(『スパイダーマン:スパイダーバース』より)

 「それが“僕ら”だ」

 恒例のタイトルコール後のおまけシーンは……ヴェノム、でしょうか?(映画は1作目しか見ておらず)
 スタッフロールの後に、今回散々な目に遭った津波を止める人ことストレンジ映画の予告が入り……あ、本当に魔王が(笑) 果たして全マルチバースのピーター・パーカーは、怒れる魔王ストレンジによって誅戮されてしまうのか。MCUはつづく!
 前半はシリーズ恒例のドタバタ風味で進む一方、メイおばさんの死、MJやネッドと別離する結末など、MCU作品が割とそこまでスカッと終わる作風でないにしても、「爽快感」や「気持ちよさ」が少なめの一作でしたが(『ホーム・カミング』もやるせなさのあるラストだったとはいえ)、その中で特に感じた問題点を一つ挙げると、最終的に“救う”事を選ぶにしても、最大の仇敵となるグリーン・ゴブリンが、別世界から来た解離性同一性障害ヴィランだった点。
 MCUだけ追いかけていると背景事情が全くわからず、ピーター童顔との因縁は特になく、治療されると自分の所業を全く覚えていないヴィランが、MCUとして積み上げてきた『スパイダーマン』世界で「メイおばさんを殺す仇役」となるのは、さすがに不適だったように思えます。
 《アベンジャーズ》から距離を取った形でのスパイダーマン再誕と、庇護者を失ったピーターの巣立ちを描いた今作の構造を考えると、それが出てくるのは(あれば)次作という事なのでしょうが、一本の映画としては、「メイおばさんを殺す仇役」には、この世界における“ピーター・パーカー自身の敵”が欲しかったなと。
 クライマックス、ピーター・パーカーに群がるマルチバースの無限の敵が示すのは恐らく、「物語が続くほどに“悲劇”と“敵”が増えていく事こそがヒーローの最大の「運命」」というところまでを視野に入れた今作のメタ構造で、知識不足なのでどこまで話を広げていいのかわかりませんが、なんとなく、「アメリカのヒーロードラマの話法」そのものをメタ要素としてテーマ化している上で、それでも、「その運命に立ち向かっていける者がヒーロー」であるのでしょうが、そこに生じる気高さと、そこに付きまとう哀しみとのバランスが、やや後者に寄りすぎた印象。
 父性的庇護者に続いて母性的保護者を失いつつも、二人から受け継いだ想いを信じて明日へと飛ぶスパイダーマンの姿は美しく、納得のラストではありましたが、過去の映画作品の統合も含めたスパイダートリオvsヴィラン軍団のお祭りとして楽しむには「メイおばさんの死」が重すぎましたし、そこまでやった上で新生スパイダーマンの活躍が描かれるかといえば次に持ち越しなのは、どうしても収まりが悪く感じたところです。
 まあ、そこについては今作のというより、MCU作品にままありがちな短所であり、充分に面白かった事は面白かった一方、一つの作品としてのまとまりを犠牲にして“その先へ”“その先へ”のMCU手法に付き合っていくだけの情熱が、私の中に無くなっている事を、改めて感じてしまう作品とはなりました。
 ……そうは言いつつ『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の第3弾はちょっと気になってはいますけど!(笑)
 ただまあそれで、あーまたそういうオチかー……となると、それは辛いなーと及び腰になるところがあるわけですが、そういえば現在のMCUって“誰”を中心に展開されているのでしょうか……『エンド・ゲーム』までの《アベンジャーズ》は、色々あるけど、基本的には“アイアンマン/トニー・スタークの物語”と“キャプテン・アメリカスティーブ・ロジャースの物語”の二つを重力の中心に置いていたのが上手かったのだな、と改めて。
 まあ現在は、その重力を失った後の物語群を意図してやっているところなのかもですし、見たら見たで、そう来るのかーー、となる事はあるかもですが、私の映画の評価基準はかなりざっくり「見て気持ちよかったかどうか」なので、そこの部分のピントが合う作品にまたいつか出会えれば良いな、と思うところであります。