『イナズマンF』感想・最終話
◆第23話「さらばイナズマン ガイゼル最期の日」◆ (監督:塚田正煕 脚本:上原正三)
白鳥ジュンの遺した暗号を解読した五郎と荒井は、遂にデスパーシティへの侵入方法を知り、荒井のその……目玉模様みたいな半袖シャツは、なに。
デスパー軍団の最終作戦として、ガイゼルが人工太陽を利用した日本全土破壊作戦を計画している事も明らかになり、急ぎデスパーシティを目指す中年同盟。
海辺の洞窟をくぐりぬけると、そこには地上の東京そっくりに作られた巨大地下都市が! というのは映像的にも面白くて凄く良いアイデアだったと思うので、1クール目の締めと最終話の登場のみになったのは、残念だったところです。
日本的な伝承でいえば、洞窟の奥や地下にあるのは竜宮であり、境界の向こう側の異界にして、ここでは酒呑童子の砦であるわけですが、そういえば、地球空洞説と紐付けられた地下都市アガルタは、ナチス・ドイツの求めたオカルトの一つだったでありましょうか。
シティ内部へと潜入した五郎と荒井は、馬にまたがり乗馬服で闊歩するガイゼル総統の娘・カレンと、そのカレンに向けて直訴に飛び出した男が無残に銃殺される光景を目の当たりにし、突然出てきたガイゼルの娘要素に目が白黒。
カレン自身はどうやら市民と交流を持ちたそうな様子を見せるも、近づく者は全て親衛隊に処理される事から後難を恐れる市民たちには怯えられており、恐怖のあまり投げつけられた鎌で負傷したカレンは馬から落下して頭を打ち、下手するとこれで死んでいます。
「大変だ、みんな逃げろ。早く」
そしてこの場合は親衛隊が出てこない、あまりにも雑な展開で、五郎と荒井は、道に倒れていたカレンを発見。
「私はガイゼルの娘。それを知ってて助けてくれたんですか」
「誰の娘だろうと関係ない。君が怪我をしていたから、手当したまでだ」
仕事して、親衛隊!
「…………ありがとう」
「私は君を助けるのは反対だった。君は可愛い顔をした悪魔だ!」
荒井がカレンを糾弾すると、どうやらガイゼルの所業は知らない様子を見せ、そこへようやく参謀と親衛隊が到着。
「死ににきたようなものだな、渡五郎!」
「渡五郎?! この人が」
驚くカレンは、歪んだ思想教育と狭く閉じた世界で生きてきた一種の被害者である事が繰り返し示されるのですが、話しかけてきた相手が目の前で銃殺された直後に平気で他人に近づこうとしていく(しかも、同じような体験が初めてではないと思われる)辺り、銃殺を派手なアトラクションだと思っているのでは疑惑も浮上して、受け止め方に困惑するゲストキャラ。
「なに?! 渡五郎が助けてくれた?!」
人間は凶悪な生き物だ、と教育してきた総統は、カレンの言葉に動揺すると平手打ちで娘を黙らせ、親衛隊に八つ当たり。
一方、つい先程、「誰の娘だろうと関係ない。君が怪我をしていたから、手当したまでだ」と格好つけていた渡五郎は、首尾良く敵の本部に入り込めたぜへっへっへ、と荒井と腕時計をスパークさせると牢破りに成功し、どうやら、何もかも計算尽くのパフォーマンスだった。
荒井が急に「君は悪魔だ!」と言い出すのも、五郎の善意を強調する為の不自然な茶番感ありましたし……人間は邪悪!
五郎が脱獄したと報告を受けたガイゼルは、人工太陽の爆破により、デスパー・シティ5万の市民ごとイナズマンを抹殺する事と共に、人工太陽に仕込んだ核爆発装置を列島地下の火山帯に作用させる事で日本を沈没させる最終作戦を発動し…………前作最終回と同じ作戦なのでは(笑)
「サデスパー。…………おまえが犠牲になるのだ」
サデスパーにシティとの心中を命じたガイゼルは、こだわりの円盤兵器を次々と撃墜してきたにっくき雷神号との思い出を振り返り、雷神号の出番は回想シーンで確保。
人工太陽爆破のカウントダウンが始まる中、荒井は妻子と再会し、デスパーのもくろみを知った五郎は、サデスパーを前に剛力招来から、速攻で超力招来。
「自由の戦士・イナズマン!」
胸の開閉ギミックでイナズマンを挟み込むサデスパーだったが、時間が無いので、落雷の術により凄く適当に、爆死。
序盤のウデスパーが今作を代表する秀逸なキャラだっただけに、その後継に収まったサデスパーが、折角デザインは面白いのにこれといった個性を出せず、後半は完全にウデスパーの劣化コピーのまま大雑把に処理されたのは、大変残念な最期となりました。
これに関してはスタッフとしても勿体ないと思っていたのか、右→左で声優を続投させたのが、仇となった部分もありそうですが。
一方、ガイゼルとサデスパーの話を立ち聞きしたカレンは人工太陽の爆破スイッチを解除するも怒りのガイゼルに刺殺され、最終回にしてボスキャラの娘が無から発生すると、ヒーローの全く知り得ないところで最終作戦を阻止し、ヒーローの干渉不能なところで死亡する「ヒーロー性の無効化」は『イナズマンF』を貫いたとはいえますが、それが“ヒーローフィクションとしての面白さ”に特に繋がらないのも、どこまでも『イナズマンF』。
デスパーシティ市民とも繋げて、ヒーローの勇姿に力を得た人々が自らの意志で立ち上がる……とでもすればまた少し話は変わったかもですがそういうわけでもないですし、カレンがあまりにも突然の登場かつ掘り下げ不足の為に、ただただ話の道具でしかなかったのが、ひたすら残念。
歪んだ思想教育の生んだ存在、という点では、結局、刺激物を放り込んだだけ放り込んで全く回収されなかった少年デスパー兵(ギロチン回)の持つテーゼを内在させているとはいえるのですが、提示されたキャラクターの立ち位置に対して、最初から露骨に尺が不足。
この時代にしても、最終決戦1話はだいぶ急な印象ですし、つい2話前のサイボーグ父ちゃん回とか明らかに構成として浮いているので、本当は前後編でやる予定が、急遽1話足りなくなったとかあったのかもですが……(「五郎とカレン」を2話がかりで描く想定だったのなら、まだ納得がいく)。
「ガイゼル! 人の心を持たない奴は、許すわけにはいかん!
「ほざくなイナズマン! デスパーシティと共に消え失せろ!」
カレンの死亡後に飛び込んできたイナズマンとガイゼルの直接対決となり、凄いバールのようなものを振り回すガイゼルは、内部に仕込まれていた刀を抜刀。
肉体派のガイゼルはイナズマンと五分の格闘戦を繰り広げると、鍛えあげた肉体で打撃もガードしてみせるが、その動きに不審を抱くイナズマン。
(なぜ目をかばう? あの右目に秘密があるに違いない)
……いや普通、目つぶし攻撃くらいそうになったら、かばうのでは(笑)
イナズマンの発想はともかく、一応、ガイゼルの塞がっていた右目に焦点が当てられると、イナズマンはガイゼルの刀を奪い取り、渾身の目つぶしチェーーースト!!
刀を突き立てられたガイゼルが右目を失うと、デスパーシティを覆い隠していたカモフラージュ装置が効果を失い、両者は海岸で激突。イナズマンの必殺攻撃を次々とかわす総統だったが、これといった特殊能力が描写されず、イナズマンもイナズマンで派手な超能力は出ないのでキャラの色が弱い肉弾戦に終始し、正直、盛り上がらないラストバトル。
イナズマンがガイゼルの刀をマフラーで弾き飛ばすと、全力を注ぎ込んだパンチが互いの体を同時に捉え、その一撃でガイゼルは死亡。
デスパー軍団は崩壊し、シティ5万の住民は解放され、荒井・荒井妻子・イナズマンは、昇る朝日を共に見つめる。
(良かった、人類に平和が訪れて)
ナレーション「血みどろの死闘が終わると、美しい朝が巡り来た。デスパー市民5万人の解放と共に、正義の凱歌がこだまする。さらばイナズマン、ありがとうイナズマン。イナズマン、あなたはぼくらの、本当の自由の戦士だ」
イナズマンの感慨に締めのナレーションが被さり、ラストシーンに渡五郎が登場せずに、おわり。
……撮影順はわかりませんが、物語としては、渡五郎の最後の登場シーンは対サデスパーの剛力招来となり、理想のヒーロー存在として没個性化が進んだ末に、完全に“イナズマンの素体”扱いで最終話を迎えてしまいましたが、やはり多少話の筋に無理が出るとしても、主人公を社会性から切り離しすぎると、どんどん扱いが難しくなっていくな、と。
その、“孤立した個”(一応、荒井は居ますが)を掘り下げていくならまた話が違ったとは思いますが、渡五郎、そこに全く頓着しないので、“人として無”になっていくのは、哀しい必然の帰結でありました。
個人的に、肌に合わない作品になってしまって残念でしたが、全体を振り返ってのあれこれは、早めに別項でまとめたいと思います。