『イナズマンF』感想・第18話
◆第18話「レッドクイン 暗殺のバラード」◆ (監督:塚田正煕 脚本:長石多可男)
あくまで脚本参加なので(今回は助監督チーフでもない)、映像にはそこまで関与していないと思うのですが、冒頭、白い服の女を横からロングで捉えた画面で、女が銃を撃つ背後に空を横切っていくジャンボジェットを重ねるのが、物凄く長石多可男でビックリ(笑)
「……花は死んだ」
通信機に向けて告げる女の背後にサデスパーが立つと、傘と銃を回収して新たに楽器ケースを渡し、風吹きすさぶ中、ピアノのメロディに合わせて歩き出す女。
ピアノを弾く女が、飛鳥夕子、と書かれた名札を裏返しにしたところでサブタイトルが入ると、ジャズピアノのメロディに乗せて街の雑踏が描かれ、平和な町並みを歩く五郎。
一方、飛鳥夕子は楽器ケースの中に収められたライフルを手にすると、同郷の恋人だか兄弟だか(後半の台詞によると「友人」)を射殺し、手向けの紅い花束がビルの上から撒き散らされるのがスローモーションで描かれる凄く趣味性の高い映像で、映画詳しくないのでわからないのですが、ここに至る文脈がなにやらありそうなシーンが連続します。
(……あなたの命は無駄にしないわ)
デスパーに恨みを持ちながら、同じ恨みを持つ者を自ら葬り去ってまでデスパーの内側に入り込もうとする女の姿をじっくりシリアスに描いているのに、何故、回想シーンにおける母親の死因が、よりにもよってハンマーデスパーに殴り殺されただったのですか……?!
今度こそ、ナイフデスパーとかで良かった気が凄くするのですが。
「今日から、おまえはデスパー暗殺の女王――その名は、レッド・クイン」
女は渡五郎の抹殺を命じられ、いつの間にか参謀に就任していたサデスパー(台詞としては今回が初)は前任よろしくこまめなサポートとして、渡五郎を苦しめる“死のメロディ”を放つが、それに難癖をつけるハンマーデスパー。
「サデスパー参謀、なぜ俺にやらせないんだ」
「貴様には無理だ」
顔も向けずに切り捨てる新参謀が、正論すぎます(笑)
ライフル銃で五郎を狙うクインだが、ハンマーデスパーの無駄な折檻で右手を痛めていた事により、狙撃に失敗。五郎と荒井は手分けして女の後を追い、今回、エピソードの雰囲気作りの一貫としてか(市民生活に紛れ込む殺意、という点では前作初期のテイストともいえますが)、街頭シーンの大半がゲリラ撮影というか通行人に周知されていない節のある映像が繰り返されて、大丈夫かな東映……大丈夫かな70年代……と、本編と離れたところでドキドキします(笑)
「あたしはあたしの目的を達成する為に、今あなたの命を利用しなければならない」
敵の敵は味方ではない、というスタンスの入ったクイーンの台詞回しはなかなか面白く、銃口を突きつけられた五郎は、後ろ回し蹴りから思い切り顔面パンチを叩き込むが、参謀の死のメロディに頭を抱えて苦しんだところで、荒井の助けが入ってクインは逃走。
前回から杖のデザインが物騒になったガイゼルは、暗殺失敗の報告と参謀の仲裁を聞くと、任務失敗の責任としてクインではなくハンマーデスパーの処刑を命じ、前世では手柄を焦って若頭を後ろから刺した末にガイゼルに首を飛ばされ、今生では同僚への嫌がらせにより何もしない内に処刑台送りにされ………………デスパー軍団はこいつを、どうして再生してしまったのか。
ガイゼルから一日の猶予を与えられたクインが片手でピアノに向かうのは、冒頭からの変転を示す巧い構成で、運命の翌日――前回に続いて東京の私邸に居るらしい総統は、一番強い奴に幹部の地位を与える、と半裸の男達にデスマッチを命じ、あまりにも渋くて重すぎるという判断だったのか、突然カンフー映画パロディが放り込まれて、一応ガイゼルの非情さを示す場面になってはいるものの、ここまで積み上げてきた雰囲気は率直に台無し(笑)
勝ち残った男はハンマーデスパー2の素体に選抜され、前回のジェットもですが、「おまえを改造して、ハンマーデスパー2として、甦らせる」と、改造手術が“死”のメタファーでは無しに、明確な死、そして新生として言及されているのは、興味深いところではありますが。
物陰からガイゼルを狙っていたクインは五郎に止められ、五郎、ガイゼル私邸の庭まで入り込んでいるの?! とか、そういえば前回乗り込まれて私邸はそのまなのガイゼル?! とかが気になって雰囲気はどんどん台無し度を上げて行く中、「もっと命を大切にするんだ」と通り一遍に説く五郎は、「ガイゼルはこの俺が殺る」と宣言。
「あなたの力なんか借りない。あたしはあたしの手でガイゼルに復讐してやる」
復讐こそが自分の生きる全て、と銃を突きつけてくるクインをなんとか思いとどまらせようとする五郎は、だったらその左腕で俺を撃ってみろ、と煽り立て、躊躇なく撃つクイン。
……動体視力でそれをかわす五郎(それは、ズルなのでは……?)。
対デスパーで手を組むでもなく、私には撃てない……と銃を取り落とすでもなく、ゲストキャラが、徹底的に五郎のヒーロー性を無効化してくるのですが、“救い”を拒絶する者にヒーローの手が届かないままクインがデスパー兵士の銃弾に倒れると、総統・参謀・金槌二つのハンマーデスパー2がゾロゾロと出てくる姿が、だいぶ間の抜けた事に。
……一応、映像や筋立てで雰囲気重視の作りにしていた今回、既にカンフーデスマッチでほぼ台無しになっていたとはいえ、話の都合でフラフラ散歩についてくる総統がチェストーーー! とばかり崩れかけの雰囲気に完全なトドメを刺し、話の都合を制御しきれず、雰囲気重視さえ貫ききれなかったのは、残念です。
怒りの形相の五郎がデスパー組に向かっていくと、その背後で身を起こした瀕死のクインの銃口が火を噴いてガイゼルの右耳を吹き飛ばし、今作好みの流血衝撃映像でありますが(何故予告ナレーションで触れてしまったのか……)、最後の最後まで、ヒーローは復讐者の遮蔽物にしかならないのが大胆な作りである一方、この後は、ここまでの経緯を忘れたかのような「自由の戦士・イナズマン!」に収束する他ないのが、今見ると物足りなく感じてしまうところです。
今作にはどうも、“ヒーローの機能”に対する懐疑と、結局はその機能に頼るしかない物語構造による、(制作サイドの)自己矛盾が付きまとって見えるのですが、結果として、マスタードを入れたいから入れた! 塩辛を挟みたいから挟んだ! はともかく、そうやって加えたスパイスと全体の味を調える工夫が放棄され気味なので、ただ途中でマスタードの味がしたり、塩辛が飛び出してくるだけの印象になるのかな、と。
まあ、放映当時に諸作の中で見るのと、後々になって見るのとでは、印象の変わり方が大きいタイプの作品であるのかな、とは思いますが。
響き渡る死のメロディとハンマー連打に苦しむイナズマンだったが、ここまでのドラマにほぼ関わっていなかった荒井が急に飛び出してくると、死のメロディ装置を破壊して、妙に「やってやったぜ」な笑顔を浮かべ、頭痛の解消したイナズマンは、電撃キック・念力パンチ・イナズマンフラッシュキックの怒濤の連続攻撃でハンマー2を撃破するのであった。
既に「自由の戦士・イナズマン!」のターンに切り替わっている以上は、クインが最後の銃弾で死のメロディを止めた方が収まりは良かったように思えますが、そこは“あくまでクインとイナズマンは交わらない”を貫き続け、しかしそこで、交わり「変える」のが“ヒーローの機能”だと思うと、味付けの調和よりも入れたいスパイスを優先するので、甘いのや辛いのや苦いのや爽やかなのや酸っぱいのが互いの主張をぶつけて喧嘩して、一皿の料理としては、何を食べさせたいのかよくわからない『イナズマンF』、に収束している感。
ナレーション「渡五郎、イナズマン、23歳。暗躍するデスパーが居る限り、彼に、青春の日は遠い」
と、別に今回のエピソードに「青春」要素無かったよね?! と、ナレーションさんまで違う味をブレンドしながら、雑踏に消えていく五郎の姿が描かれて、つづく。