『忍者戦隊カクレンジャー』感想・第18話
◆第18話「ハローきのこ君」◆ (監督:渡辺勝也 脚本:杉村升)
唐草模様のマントをまとい、自転車に乗ったスーパー少年、その正体は、妖怪・座敷童。
「どーじゃい。バッティングは力じゃない。タイミングじゃ」と、草野球に混ざってスーパープレイを見せた少年は、懐から取り出したキノコの胞子を飛ばして子供達を空に浮かせ、通りすがりにそれを目撃したカクレンジャー一同、
「いや、悪い奴こそ、いいふりしてみせるもんなんだ」
「そう、クライムは悪いに決まってるんだ」
と逃げ出した少年を追いかけていくが、少年を襲う貴公子ジュニア一味を目撃して、行きがかり上、助けに入る事に。
「僕と遊んだ子は、幸せになれるんだ。楽しくて、夢が膨らんで、一生の思い出になるんだ」
「おだまりぃぃ!」
子供たちに幸せを与え善なる心を持った座敷童を悪の妖怪に変えようとするジュニアだったが、カクレンジャーの妨害に遭って一時撤収すると、「相当の大物と見た。第一級のスパイだ」……じゃなかった、座敷童は本当にいい妖怪らしい、と殺意を収めるカクレンジャー、しばらくジライヤと子供達を加えたほのぼのタイムとなり、「子供」と「夢(悪夢)」を中心に据えていた『ジュウレンジャー』を思い出させる作り。
しかしその穏やかな時間は黒雲に引き裂かれ、虚空に浮かび上がった大サタン様もといアーミードクロの虚ろな眼窩から閃光が迸ると、大地が割れ炎が噴き上がり、黒と赤に包まれた世界でサスケたちが瞬間スーパー変化! で子供たちを守るのは格好いい見せ方。
本編デビューから3年目、翌年には《メタルヒーロー》にも参加する渡辺監督ですが、こういった外連味ある変身への焦点は後年まで続くスタイルの一つかなと(前回もサイゾウのダッシュ変身で盛り上がりを作ろうとしてはいたのですが、脚本の流れと噛み合わず)。
「逃げても無駄よ。ザシキワラシを渡してちょうだい」
座敷童を連れて逃亡した黒の前にはアーミードクロが降りたって初めての直接対面となると、高い格闘能力と光線技で黒を圧倒する力を見せつけ、変身の解けたジライヤに向けて取り出したのはチェーンソー…………が、フィクション感皆無なのですが。
専用武器の造形が間に合わず、急遽、近くのホームセンターで領収書切ってきたみたいな小ぶりで淡泊なデザインのチェーンソーにより、日曜大工でジライヤ解体直前、ジライヤを助ける為に身柄の引き渡しを受け入れた座敷童の声が響き渡るとドクロはジュニアの姿となり……役者さんがそのまま手持ちする関係で、あまり大型のプロップに出来なかったのでしょうか。
ジュニアがチェーンソーを放り投げるといつものギターに変わり、めでたく東映ギターに、打撃武器、投擲武器、そして、斬撃武器の属性が加わりました(ギターとチェーンソーが水色合わせだったのはここで判明)。
ジライヤはバラバラ死体の危機を逃れるが、身代わりとなった座敷童はジュニアの屋敷で悪の力を植え付けられると物凄く気持ち悪い顔となり、いきなり巨大化して街を大破壊。
正体はリトルグレイというか妖怪人間ベロ顔だった座敷童、悪の追加装甲がゲームパッドのモチーフというのは、なかなか面白いデザイン。
「大好きな座敷童の手にかかって、地獄へ行くがいいわ、カクレンジャー」
貴公子ジュニアの邪悪な性質が強調され、ジライヤの呼びかけにも応えず大破壊を繰り広げる巨大座敷童。
「どうしたらいいんだサスケ?!」
「仕方ねぇ! こうなったらザシキワラシを倒すしか無い!」
破壊規模も破壊規模ではありますが、はいサスケさん、割り切り速かった!
今は90年代なんだよサスケ?! とジライヤが反対すると、座敷童と親しくなった子供たちも走ってきて次々と助命嘆願を口にし、
「OK! ザシキワラシは必ず助ける!」
となるのは、困難を乗り越えて子供の願いに応えようとするヒーローとして、格好良く決まりました。
だがカクレンジャーの繰り出した獣将ファイターも座敷童の暴威を止められず、咄嗟にカウンターで放ったチョップから大車輪投げ、そしてデンジエンドへとコンボがオートで繋がってしまう事が危惧されたその時、割と派手に瓦礫の下敷きになった子供達の悲鳴と助けを求める叫びが座敷童の心に届き、遂には元の姿を取り戻す。
……ジライヤ以外のメンバーは特に座敷童と遊んでいなかったので、そもそも説得フラグが立っていませんでした!
「人の気持ちが妖怪の心を動かすとは、意外だったわね」
「貴公子ジュニア!」
自身に凄惨な破壊を引き起こさせたジュニアを許せない座敷童は、怒りに燃えて突撃するが大ドクロビームを受けて無残に吹き飛び、“いい怪人”の暴走を食い止めるも結局は組織に誅殺される苦い結末となって、子供たちに見守られながら座敷童が消滅すると、後には小さなキノコが残る。
妖怪・座敷童は、キノコの妖精だったのだ。
「みんな! ザシキワラシは死んじゃいないって。……キノコに戻っただけだ」
哀しみを飲み込んでサスケが子供達を元気づけようとするのですが、が、が……これそのまま、
「泣くなみんな。茂くんは、死んではいない。機能が一旦停止しただけだ」
次作『オーレンジャー』における杉村升マッドサイエンティストテーマの極致・傑作第18話「父の異常な愛情」(監督:辻野将人)の台詞の下敷きとしか思えない事を、約20年後になって知ってしまいました。
くしくも同じ第18話なのですが、どうして、「ヒーローのちょっといい台詞」を「長官の狂った発言」に流用魔改造してしまったのですか杉村先生っ…………!!!
「そうよ。みんなが夢をなくさず、楽しく遊んでいれば……また必ずあのキノコが、ザシキワラシとなって戻ってくるわよ」
……それはそれとして、哀しい別れを未来への希望に繋げたのは綺麗にまとまり、ジュニアの非道に怒りを燃やすカクレンジャー。
「ジュニアめ……許せない!」
「必ず俺たちの手で……ぶっ倒してやるからな!」
善良な妖怪との交流エピソードでカクレンジャーが妖怪を倒さない変則パターンを持ち込む一方、当面の宿敵であるジュニアの悪辣さを押し出してカクレンジャーが倒すべき存在としての意識を高め、物語の動力となる要点を押さえて、今回は講釈師によるオチもなしで、つづく。
前回はあまり上手くいきませんでしたが、
・無理にコミカルな演出を持ち込まない
・変態妖怪に尺を割きすぎない
・サスケたちが“正義のヒーロー”として自覚的に行動する
と、ジュニア登場後の『カクレンジャー』ニューモデルが明確さを増し、杉村さんの脚本も『ジュウレンジャー』寄りとなった結果、良くも悪くも従来作のセオリーに近づく形でまとまりの良くなった一本。
……作品の狙いとしては、そもそもはその型を崩したかったのだろうとは思われるのですが。
『カクレンジャー』としては、何か転機となる事件があって、「サスケ達の心境の変化」と「作品の構造の変化」を重ねられればまた違ったかとは思うのですが(鶴姫とサスケらの意識差とか使える素材はありましたし)、そういったものが特に無かった為に、制作サイドの事情、としか思えない急カーブに見えるのは、スムーズな切り替えが出来なかったという点で惜しまれるところです。