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めざすはめでたし

『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』構成分析と簡易総括

 以前に書いた〔『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』前半戦振り返り〕と一部重複しますが、改めて全50話、左から、話数-内容-〔主要キャラ〕-簡易評価、です。
 〔主要キャラ〕は、特に序盤、シリーズ従来的な意味でのキャラ回、といった作りになっていないので、その回で出番が多め、スポットが当たったといえそうなキャラを独断と偏見に基づいて選びました。

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 1 はるか、どん底に落とされる 〔オニ〕 -
 2 はるか、戦士になる 〔オニ-ドン〕 ◎
 3 はるか、照明を盗まれる 〔オニ-ドン-サル〕 -
 4 タロウ、おにぎり道を説く 〔ドン-キジ〕 -
 5 犬塚、たてこもる 〔イヌ-オニ-キジ〕 ◎
 6 雉野、ポイントを使う 〔キジ-ドン〕 -
 7 タロウと猿原、先生になる 〔オニ-サル-ドン〕 ×
 8 タロウはソノイと出会い、雉野は犬塚と惚気を語り合う 〔キジ-イヌ/ドン-ソノイ〕 ◎
 9 はるかと猿原、きびだんごを作る 〔オニ-サル-ドン〕 △
10 ドンブラザーズ、ロボとなる 〔オニ〕 ○
11 犬塚は呪詛に倒れ、はるかと猿原はキジの正体を知る 〔イヌ-キジ-オニ-サル〕 ○
12 ドンブラザーズ、大合体する 〔ドン-ソノイ〕 ○
13 タロウ、正義の刃に倒れる 〔ドン-ソノイ〕 ○
14 ジロウ、出番が来る〔ドラ〕 ○
15 ジロウは覚醒し、タロウは現世に舞い戻る 〔ドラ-オニ-サル〕 -
16 ジロウ、やみうちする 〔ドラ〕 -
17 犬塚、約束の日を迎える 〔イヌ-ソノニ〕 ○
18 タロウはお供たちと勝負し、ムラサメは風を切って現れる 〔ドン-サメ〕 -
19 はるか、幽霊を助ける 〔オニ〕 -
20 ジロウ、リーダーになる 〔ドラ〕 ○
21 猿原、空想のラーメンを食べる 〔サル〕 △
22 はるか、椎名ナオキと対決する 〔オニ-ソノザ〕 ◎
23 犬塚は犬の祟りを受け、ジロウは分裂そして合体する 〔イヌ/ドラ〕 ○
24 タロウ、赤の他人の息子にされる 〔ドン〕 -
25 雉野、クビになる 〔キジ〕 △
26 マスター、最終回を宣言する 〔-〕 -
27 タロウ、ソノイと決闘する 〔ドン-ソノイ〕 ○
28 犬塚、怪盗になる 〔イヌ〕 -
29 ジロウはムラサメと出会い、タロウはソノイを弔う 〔ドン/ドラ-サメ〕 -
30 タロウ、ツルの獣人と話す 〔キジ-ツル/オニ〕 ○
31 ドンブラザーズ、イヌブラザーの正体を探る 〔イヌ〕 ◎
32 ソノイ、甦る 〔ドン-ソノイ-ドラ〕 ○
33 タロウ、手術を受ける 〔-〕 -
34 雉野、犬塚を売る 〔キジ-イヌ〕 ◎
35 犬塚、獣人の森に飛び込む 〔キジ-イヌ〕 ○
36 雉野はみほを探し、犬塚は獣人の森から帰還する 〔キジ/ツル〕 ×
37 ソノーズ、上司を後ろから撃つ 〔-〕 △
38 犬塚、料理対決に挑む 〔イヌ〕 ◎
39 ジロウ、スイッチを押す 〔-〕 △
40 犬塚は記憶を失い、はるかは路上教習を行う 〔オニ/イヌ〕 ○
41 ソノーズ、サンタになる 〔ドン〕 ×
42 猿原、詐欺師と戦う 〔サル-ドン〕 ◎
43 はるか、椎名ナオキの正体を知る 〔オニ〕 ◎
44 犬塚、みほに刃を向ける 〔キジ-イヌ-ソノニ〕 ×
45 タロウ、ペンギンと会う 〔ドン-ドラ-イヌ〕 ×
46 ソノイ、赦しの輪を回す 〔-〕 ×
47 ドンブラザーズ、手打ちの席を設ける 〔-〕 ×
48 ドンブラザーズ、9人となる 〔サル-ソノイ〕 ×
49 タロウ、誕生日を祝われる 〔ドン〕 -
50 タロウ、名乗る 〔-〕 ○
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 前半戦振り返りの際に書きましたが、第19話以降、従来的な意味での「キャラ回」といえる形式が入るようになっていた今作、総集編的な第26話を契機に、3クール目からは再び、序盤に近い方向性――ただし、序盤ほど視点差が明確ではない――に戻るのですが、そこに「何かあると喫茶どんぶらに集合の常態化」が加わった結果、今作独自の緊張感が大幅に減じてしまう(前作『ゼンカイ』に近い印象になる)事になり、この緊張感の緩みは、後にソノーズにも伝染する事に。
 その時期のエピソードが面白くなかったのかといえば全くそんな事はなく、〔タロウvsソノイ〕や〔みほ/夏美〕問題といったロングスパンの要素も起伏として配置されてはいるのですが、最終盤、「ソノーズの「変化」がなし崩し気味になってしまった」「獣人問題の解決が面白くならなかった」事を考えると、トータルとしてはこの時期の舵取りに失敗していたと言わざるを得ないのかなと。
 重ねて、この時期の1話1話そのものは十分に面白かったのが、今作の難しいところでありますが。
 個人的には、犬塚を除く4人+1が互いに正体を知ったのはまだともかく、「安易にどんぶらに集まるようになってしまった」のが最大のネックではあると思っていて(恐らく、固定のセットで済む撮影の都合は大きかったのでしょうが)、3クール目に入った辺りで、最近落ち着いてきたと思ったら……そんな事はなかった! と状況をザブンと混沌に叩き込み大波の一つは欲しかったなと。
 それが出来なかった為に、結局去年と同じような事をしているのでは……? という印象が出てきたり、犬塚関連に頼りすぎる事になって視聴者の期待の風船を際限なく膨らませてしまったのが、最終盤失速の要因の一つであったとは思います。
 波といえばジロウにはそれを引き起こす役割があったとは思うのですが、エピソードによってキャラクターの露出差が大きい今作にしても、情報共有シーンの不在や、繰り返される「仲間はずれ」発言など、あまりにも出番の差が大きく(そこに何らかの意図はあったと思われるのですが……)、登場最初期を除いては、これといった大きな波乱を巻き起こすわけではないが、かといって初期メンバー側からのしっかりした仲間意識が存在しているのか微妙に疑わしい「+1」のまま終わってしまったのは、かえすがえすも残念。
 プライベートの切り分けはドンブラの基本スタイルではありますが、一方でなにかと喫茶どんぶらで顔を突き合わせる4人が描かれ、一方で一人寂しくあばら屋で寝込んでいるジロウが描かれる、その隔たりが交わるどころか近づきもしないまま、エアフレンズと“もう一人の自分”問題を概ね自己解決したジロウが、9人のドンブラの中に加わっている図は、どうにもこうにも消化不良になってしまいました。
 これがメンバーほぼ全員、一定の隔たりが交わらないままだったら初期のスタイルを貫き通したとなるのですが、明らかにジロウだけ、オフ会の集合場所を間違えて青海ではなく青梅に居たっきりだったので、最終盤の劇的さを欠く要因になってしまったなと。
 「シリーズ従来作とは大きく切り口を変えてスタートしながら、結局はセオリー通りに登場した追加戦士に関して、何か仕掛けようとした気配はあったが、気配だけで終わってしまった」のは、《スーパー戦隊》史における『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』においては、大変残念だった点となりました。

 目安程度のものですが、中心的扱いの回数としては、

ドン・モモタロウ/桃井タロウ
 〔2.3.4.6.7.8.9.12.13.18.24〕:11回
 〔27.29.32.41.42.45.49〕:6回
サルブラザー/猿原真一
 〔3.7.9.11.15.21〕:6回
 〔42.48〕:2回
オニシスター/鬼頭はるか
 〔1.2.3.5.7.9.10.11.15.19.22〕:11回
 〔30.40.43〕:3回
イヌブラザー/犬塚翼
 〔5.8.11.17.23〕:5回
 〔28.31.34.35.38.40.44.45〕:8回
キジブラザー/雉野つよし
 〔4.5.6.8.11.17.25〕:7回
 〔30.34.35.36.44〕:5回
ドンドラゴクウ/桃谷ジロウ
 〔14.15.16.20.23〕:5回
 〔29.32.45〕:3回

 一度、前半戦をまとめていたので、折角なので前半と後半で分けてみましたが、そうしてみると明らかな前傾型がはるかで、後傾型が犬塚。
 これは上述したように、後半に入って〔雉野-みほ/夏美-犬塚〕問題のウェイトが大きくなっている為で、前半、出番絞り具合の大きかった犬塚が後半にフィーチャーされるのは、ある程度は予定通りだったのかとは思われますが、いざそうなってみると、タロウはともかく、はるかと猿原にスポットを向ける手段が無くなってしまった事が如実に出ています。
 これ以上こんがらがるせるとキャパシティオーバーの判断があったのかもですが、後半、〔雉野/犬塚〕問題に、はるかと猿原を絡める余地が無かったのは、「それぞれの主観により、見えている問題や関係性が違う」今作の魅力にとってはマイナスに響きましたし、白倉P関係作品としては、「キャラごとに固有のストーリーラインを用意する発想は面白かったが、その縦のラインABC……を横に繋ぐ作業を怠った為に、ラインAで発生した変化がラインBには反映されない、などの問題が次々に生じて後半になるほど物語の破綻を招いた『五星戦隊ダイレンジャー』」と似たような失敗に陥る事に。
 井上敏樹の得意とする「情報の分断と思わぬ接続」を物語の中心に据えた今作ですが、分断の先行ではるかと猿原が〔雉野/犬塚〕問題から離れすぎた為に、〔雉野/犬塚〕ラインで何が起きても、この両者に対してほとんど影響を及ぼさなくなったのに加えて、獣人関連の引き延ばしに次ぐ引き延ばしにより、情報の「接続」と「共有」――そこに生じる関係性の蓄積に基づく「変化」――が機能不全に陥る事で(これはソノーズにも影響する)、『ダイレン』と同じような過ちを犯す事になったのは、率直に、白倉Pの“やりたい事”と“出来る事”の限界、を見た気はします。
 勿論、スタッフワークの産物ですので、どこに主因があったのかは外野からは窺いきれませんが、『ダイレン』の時と、軽視して失敗した部分の根が通じているように思われ、そこをトータルでプロデュースする仕事だと思うわけなので。
 分断には分断そのものの面白さはあるわけですが、物語としては、
 〔分断(渡五郎) → 接続(サナギマン!) → 劇的な変化(イナズマン!!)〕
 の状況が右に進むほど面白くなる為にはどうすればいいか、の工夫が不足してしまったかなと(タロウにしろジロウにしろソノーズにしろ、全体構成としてはその意識は見えるだけに、尚更)。
 これは最終回を迎え、全話を通して見た後だから言える話ではありますが……前半~中盤の内に、鬼猿ジロウの誰かに、雉野妻とは知らずにみほと接触させておくのは、明確に欠けてしまった石であったとは思います(後半、はるかが鶴野夏美と出会ったり、犬塚がはるかオバと接触したのは、この点を補おうとした節はあり)。
 前作が、“回避したと思っていた落とし穴に、実はとっくの昔に落ちていた”構成だったとすると、今作は“その時その時の妙手に目を奪われている内に、気がついたら全身に毒が回っていた”構成とでもいいましょうか。
 そして、あまりにも巧妙で魅惑的であった為に、見ている側ばかりでなく、作っている側もまたその魔術に幻惑されていたのかもしれないなと。

 特に好きなエピソードは、はるかが戦士となりタロウを掘り下げ雉と猿の基本的紹介から鬼退治までを見事にまとめた第2話、気がつくと誕生日が始まる井上敏樹のテクニック全開の第5話、タロウとソノイが出会い衝撃の結末が待ち受けるろんげの第8話、はるかが再びマンガ道に舞い戻る第22話、イヌブラザーに関する盛大な勘違いが発生する第31話、雉野と犬塚の関係がど派手に弾け飛ぶ第34話、鬼退治エピソードとして抜群の出来だった料理対決の第38話、劇団サルブラザーの第42話、椎名ナオキの正体はともかくラストの演出が最高だった第43話、といったところ。
 逆にマイナス評価なのは、タロウの態度が納得しにくかった第7話、いまひとつピンとこなかった第9話と第21話、仕掛けの進み方が好みではなかった第25話、揃い踏みに関して致命的な悪ふざけとなった第36話、転換点と見せて1話でお片付けに乗りにくかった第37話と第39話、ドンブラとソノーズの馴れ合いがひどすぎた第41話、最終盤の第44-48話。

 もともと1話完結への指向が強めのシリーズであり、基本的には1話にまとめて鬼退治も行う形式へのこだわりは好きなところではありますが、どんどん鬼の扱いが雑になっていったのに加えて、ジロウ登場編を除いては、シリーズ従来的な形での起伏をなるべくつけない事にこだわりすぎたのも、気がつけば最終盤のハードルがスカイツリーより高くなってしまった一因ではあり、良かれ悪しかれではありますが、道中のアベレージに比べて、最終盤の失速が目立つ事にはなりました。
 個人的に第38話や第42話辺りは、作品の特性を上手く活かした秀逸回として好きなだけに、本当に終盤も終盤、いざクライマックスの段階になって、全身に回っていた毒素に倒れる事になってしまったのは、つくづく残念です。
 そういう点でラスト2話は、あらかた毒素を排出し終わった後のエピソードなんだな、と(笑)

◇演出
 田崎竜太〔1.2.9.10.27.28.35.36.43.44.49.50〕:12本
 加藤弘之〔7.8.16.17.24.25.33.34.45.46〕:10本
 渡辺勝也〔5.6.13.14.15.22.23.41.42〕:9本
 山口恭平〔11.12.20.21.31.32.39.40〕:8本
 諸田敏〔18.19.29.30.37.38.47.48〕:8本
 中澤祥次郎〔3.4〕:2本
 茶谷和行〔26〕:1本

 『キラメイ』後半で『ギンガマン』以来のシリーズ復帰、『ゼンカイ』で6本担当した田崎監督が、パイロット版~劇場版~ラスト2本を担当して、堂々の最多演出。第1話はあまり上手く転がらなかったものの第2話は面白かったですし、終盤の第43話は演出の大勝利だっただけに、発案がどこベースかはわかりませんが、第36話の悪ふざけめいた揃い踏みが本当に惜しまれます。
 他、年間通して参加した加藤監督と山口監督、中盤抜けていた渡辺監督、中盤から参加の諸田監督といった陣容で、加藤監督は雉野の暗黒面をえぐり出した第8話と第34話、山口監督は勘違いされた男の主観が面白かった第31話、が印象深い出来。

◇脚本
 井上敏樹〔1-25,27-50〕:49本
 八手三郎〔26〕:1本

 前作に続いて実質一人体制となり、前作の香村さんが、2クール目に入る頃には切れ味に陰りが目立ってきていたのと比べると、多少の上下はありつつも一定のクオリティを維持し続け、40話近くなってもまだギアを隠していたのか! と思わせる筆力とペース配分はさすがでありましたが、最終盤の失速を見ると、本当にこれで良かったのか? との疑問は今作でも生じる事に。
 1年の長丁場に加え、芝居がどう変化するか未知数の若い役者を軸に用い、途中で商業的要請が追加される事もあり、また伝統的にそういった揺らぎを前提とした制作体制の特撮ヒーロー作品では、年間に複数人の脚本家を起用する事が多いわけですが、どちらがよりクオリティが高くなったか? についてはIFにしかならないものの、2年続けて一人の脚本家の技量頼りにした上で“終盤の失速”を招いた以上は、プロデューサーの失点は大きいのではないかな、と。
 元より井上作品は井上ワールドになりがちですし、サブライターを配置しにくい傾向はあるのですが、それを踏まえてサポートできる人材を準備する、その人材に作品世界に合った満足いくレベルの脚本を書いてもらう、そうする事でメインライターの負担を減らしつつ作品総合のクオリティを上げる、のは偉い人の仕事なのではと思いますし、今年だけならまだともかく、2年続けて同じような事を繰り返したのは、大変残念だった部分です。
 感想本文で触れる隙間が無かったのですが、前半に無かったわけではなく、厳密にカウントしたわけでもないものの、後半になるほど()的な「内心のツッコミ」が目立つようになっているのは、脚本のパーフォーマンス低下に見えたところであり、そうなる前に何か手を打つ必要があったのでは、と思うところ。
 背後で窺い知れない事情もあるのかもですが、『キラメイ』では塚田Pが、ベテラン荒川さんを軸に置きつつ、下さん・金子さん・井上さん、といった人材の起用を並行していただけに、脚本家の差配については、2年続けて、疑問の大きい作りとなりました。
 勿論、今作の場合、井上濃度が非常に高いので、対応できる脚本家が居たのか、という問題はありますし、全部書いて貰った方がクオリティが高い、という判断が下されたのかもですが、その解答は「終盤の大失速」でありましたし、何より重ねて「それで去年失敗したのでは??」という点は疑問に(まあ去年の香村さんの起用法、「失敗」だと判断されてないのかもですが……)。
 (念のために書き添えておきますと、当人が「書きたい」と言っても、総合的な判断で「書かせない」事を選ぶのもまた、偉い人の仕事だと思います)
 留意すべき点としては、往々にして受け取る側は“メインライターの書いた60点”と“サブライターの書いた70点”だったら、前者の方をより面白く感じる(というよりも後者はよりネガティブに感じる)バイアスを有しがちであり、また、“メインライターが書いたら80点が出てきたのでは”という希望的仮定を抱いてしまうものでありますが、そういった“期待の虚像”に引っ張り続けた要素の回収の仕方を合わせて、総合的には、期待コントロールが上手くやりきれなかった作品ではあるかな、と。

 ……トータルの話をするとやや辛くなりがちですが、これは究極的に「部分は全体の奉仕者」である事が、私にとって大きな評価ポイントになるから、というのはあります。


 調和が達成されるためには、オーダー(柱を主役とする、床から軒までのワンセット)各部の寸法、列柱の配列間隔、それらの全ての要素が細部にいたるまで、均整のとれた、しかも格調の高い比例を作りつつ、全体のプロポーションのうちに統一されなければならない。細部と細部、細部と部分、部分と部分、そして部分と全体が比例の連鎖によって有機的に関連づけられなければならないのである。

『図説 西洋建築の歴史:美と空間の系譜』(佐藤達生)

 以前に旧ブログで紹介した事のある西洋建築史の本の一節なのですが、部分部分の出来の良さは勿論否定しないし、1年間で珠玉のこの1本が大好き、というのも個人的にも沢山ありますが、出来ればそれらが一つの調和を成しているのが好みでありまして、『ドンブラ』はその観点でいくと、中心の祭壇は十分に見栄えがするし、柱の見事な金細工や、目を見張るような天井画も素晴らしい一方、裏に回ると素材が剥き出しの箇所があったり、遠くから見ると柱が屋根の一部を突き破っていたり、というのが悪目立ちしてしまい、部分と全体が有機的に結びつくはずだった工程の最終段階において、この模様にこんな意味があったのか! となるのではなく、大きすぎる寸法間違いを発見したままセメントが固まってしまったのが、実に惜しい作品でありました。
 ただホント、2022-2023年に、これが井上脚本の面白さだ! を味わえたのは、大変嬉しかったです(基本、部分が面白かったからこその全体への不満であり)。
 そして、EDテーマ「Don't Boo!ドンブラザーズ」(森崎ウィン)は、本当に最高でありました。
 最終話感想の日記タイトルに拝借しましたが、
 「ドンブラコ 大集合 踊れ笑えわっはっは さあ老いも 若きも 誰も彼も君も」
 の箇所が自分でもよくわからないレベルでツボに突き刺さり、また、ああそうか『ドンブラ』とはそういう作品か……と感じさせてくれた一節で、一年間、感想執筆の欠かせない友でありました。
 後、もっと体系的でしっかりとした学があれば、民俗学視点からの分解作業ともかやってみたいところではありますが、それは長期的な課題とするとして、ひとまず簡易的に総括めいた事も書けたので、現時点で『ドンブラ』について書きたい事はある程度までは書けた気はしており、以上長々と『ドンブラ』感想にお付き合い、ありがとうございました!
 ……そして、『ゼンカイ』の構成分析をやっていない事に気づいたとか。