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それでも君が生き残ればいい

20年ぶりの『龍騎』メモ・第49-50話

(※サブタイトルは本編中に存在しない為、筆者が勝手につけています。あしからずご了承下さい)
◆第49話「最果」◆ (監督:石田秀範 脚本:小林靖子

  • 優衣の悲鳴に気が逸れたオーディンに、羽交い締めから必殺キックを叩き込む龍騎&ナイト。
  • 「私……死んじゃってたんだ……本当の、私は……」……12年前、本当の優衣と鏡の中の優衣が入れ替わった瞬間に大爆発が起こり、両親が死亡。親族に引き取られた神崎兄妹は日本とアメリカに生き別れとなり、士郎は、時限式の鏡の優衣を、本当の優衣として現実世界に固着させる為だけに生きてきた事が明らかに。
  • 神崎兄弟は実の両親によって虐待されていた事が示唆され、今作における“悪”の根源は、一つの「家庭」の中に存在していたと、どこまでも閉じたレベルの中に物語は集約。
  • 「大丈夫。俺が必ず助ける!」……ただひたすらに、個人的な呪術の為に自らの命を含めて多くのものを犠牲にしてきた士郎だが、己の正体を自覚した優衣は消滅。
  • 基本的に、悪のボスキャラの身内(中盤以降は「その目的」そのもの)という事で、悪印象を持たれないよう持たれないよう描かれてきた優衣ちゃん、それそのものは成功していた一方で、結果的に人間的臭みのないキャラクターとなってしまった末に、「そもそも人間とは言い難い存在だった」となったのは、論理的といえば、論理的……?
  • 悪い子だと思われないように描こう、とするあまり、確かに悪い子ではないが無味無臭になってしまったのは、どこまで狙い通りだったのかわかりませんが、1年間の物語を引っ張り、最終的に全ての謎の中心に位置するヒロインポジションとしては、優衣の苦しかった部分(特に最終盤、真司の動機にするのは厳しかったなと)。
  • 特に今作の場合、「悪い奴だが癖の強さが愛嬌になる」キャラ描写が一つの武器だったので、それらとバランス調整の意図もあったのかもですが……無色透明になりすぎた感。
  • 令子に変身を見られた真司は編集長にこれまでの経緯を全て説明。
  • 「上等だよこの野郎。いいんだよ、んな答なんか出せなくたって。考えてきたんだろ今まで? おまえのその出来の悪い頭で必死によ。それだけで十分なんじゃねえか?」
  • 「ただしだ。何が正しいのか選べないのはいいが、その選択肢ん中に自分の事もちゃんと入れとけよ」
  • 「おまえの信じるもんだよ。おまえだってここんところにしっかり芯がねぇと、話し合いにもなんねぇし、誰もお前の言うことなんか聞いてくんねぇだろ」
  • この一連のくだりは編集長うんぬんというよりも、作品のテーマを代弁させた感。会話している間に光が差し込んできて、暗かった画面が明るくなったところで「俺の……信じるもの」と真司が編集長の言葉を噛み締めるのですが、破局に向かう事態の活路が見出されるかというと、そういうわけでもないという……。
  • 最後の一日――ミラーワールドから外の世界に大量のトンボモンスターが溢れ出して市民を襲い、最終盤のカタストロフめいた展開となるのですが、特にこれといった物語上の理由付けはなく(優衣の刻限と連動しているのだろうとは思われますが)、なんとなくそれらしい雰囲気を出す為の仕掛けといった感。
  • 最後まで、あくまでも「個人」レベルの戦いでしかない、のは『龍騎』らしいとはいえますが、“群れ”による災厄がクライマックスとして描かれるのは、《平成ライダー》TV本編では初。
  • 真司は少女を助けてトンボの攻撃で致命傷を受け……最終回を前に主人公が血を吐きながら脱落する展開はショッキングでありますが、迷いに迷い、ぐるぐると彷徨い続けた末に真司の辿り着いた信念、「ミラーワールドを閉じて戦いを止める(その為には他者の願いを妨げる事も辞さない)」は、他者との衝突において一歩進んでいるとはいえ、そもそもの行動原理であった「モンスターから人々を守る為に戦う」という、ヒーローとしてのオーソドックスな目的意識への原点回帰にほど近く、しかしそれを果たそうとした時に「自己犠牲的な死」を迎える(事でしか「ヒーロー」に成り得ない)のは、個人的にはとても飲み込みにくい部分。
  • 「――変身!」
  • 龍騎とナイトは、なんとかトンボモンスターの大群を撃破するが、真司は死亡し、崩れ落ちた拍子に背後の車に血の跡がベッタリつくなど、かなりきつめの流血表現。
  • 真司を看取った蓮の前には士郎が姿を見せ、浅倉には警官隊の包囲が迫り、令子とデートの約束を取り付けた北岡はしかし浅倉と最後の戦いに挑む意志を口にし……次回、最終回。

◆最終話「希望」◆ (監督:石田秀範 脚本:小林靖子

  • 「行かせてよ吾郎ちゃん……このままじゃ俺、何か一つ染みを残している感じで、嫌なんだよね。……それにしても、今日は天気が悪いね。……吾郎ちゃんの顔が……見えないよ」……浅倉とケジメを付けようとする北岡だが、もはや視力も半ば失われており、北岡先生は最終的に「なんだよね」の言い回しが特徴的なキャラとなりました。
  • (おまえが最後に信じるものを見つけたように、俺にも信じるものがある。ライダーの一人として)……真司の亡骸を背に蓮がオーディンとの最終決戦に臨む一方、浅倉の前にはゾルダが現れて、戦闘開始。
  • もはやほとんど意味を失った二つの戦いは比較的淡々と描かれ、王蛇のファイナルベントを受けて倒れたゾルダの正体は、既に絶命した北岡の代理人として立った吾郎ちゃんだった、のは衝撃。
  • 「なぜだ……なぜだ……なぜだ…………なぜだぁッ」……北岡は病に倒れ、吾郎ちゃんは北岡に殉じてそのやり残しを片付け、世界に対して満たされない苛立ちを抱え続ける浅倉は、警官隊の包囲の中に飛び出すと銃弾に倒れ――浅倉をきちっと始末したのは、責任取って良かったと思います。
  • 「おまえは……きっと拒む……拒み続ける。……また駄目なのか優衣! ……また」……総集編ベント回収の必要があったのか、こんな戦いが繰り返されている事が示唆され、絶叫する士郎の精神崩壊とともに存在を保てなくなったオーディンはナイトを最後のライダーと認定して消滅。
  • CM前に放たれたオーディンのファイナル火の鳥アタックは、特に当たったとも避けられたとも描かれず(ナイトのサバイブ化が解除されており、蓮が深手を負っている様子なので、当たったのでしょうが)、ラストバトルの決まり手は「自壊」で、バトルの“気持ちよさ”を徹底して排除した形で決着。
  • 「この戦いに、正義は……ない。……そこにあるのは、純粋な願いだけである」
  • 傷ついた体で蓮は恵里の病室へと向かい、目を覚ました恵里は、病室の壁にもたれかかり満足げな表情で瞳を閉じた蓮の姿を目にし……そして、世界は――――

 …………実のところ私、20年前も『龍騎』は終盤にかけて物語に乗れなくなってしまい、今回、20年ぶりに見たらどう思うだろうか……というのがあったのですが、多少その先入観の影響もあるかと思いますが、20年ぶりに見てもいまいち乗れず。
 ラストの解釈は色々あるのだろうとは思いますが、結局、優衣と士郎は2人(4人)だけの世界に閉じこもって満足を得たようにしか見えず、その外側(?)で、みんな生きている世界があって……??? と納得が追いつかず、終盤の流れから最終回までは、あまりしっくり来ない作品であった事を、改めて確認する事となりました。
 最終的に「答が出せなくても、悩み、考える」事の必要性が説かれ、ヒーローフィクションを通してその過程を丹念に描く事に意味を見出していたにしても、ちょっと真司くんは足踏みしすぎた感がありますし、その足踏みを止めた途端に「死ぬ」のも、印象の悪い部分。
 個人的には、片方にままならない現実があって、片方にそれを突破できるヒーローが居たら、ヒーローによる突破をこそ見たいのであって、道中の様々な葛藤の先で、現実はままならない、に帰着するならば、別にヒーローフィクションで無くて良いのでは……? と思うわけなので(そこで「敢えてやる」事があまりピンと来ないタイプ)。
 ただラスト、それまでは成長した優衣と士郎が映っていた写真が、子供の頃の優衣と士郎が映っている写真に置き換わっていて、いつの時点でそう決めたのかはわかりませんが、劇中の設定を繋げていくと(多分)「そもそも成長してから優衣と士郎は出会っていない」ので、あの写真の存在――そしてそれが存在する世界そのもの――が矛盾していた、のは、成る程、と思ったところ。
 ただそれはそれで、そうすると1年にわたって見ていた物語は全て、「神崎士郎の幻想」でしか無かったの……? と腕組みして首をひねってしまうのですが……平成の『仮面ライダー』タイトルとして3年目に突入し、新時代のヒーローをどう描いていくのか? 00年代に示す「正義」とは何か? といった時代性とも密着した作品ではありますが、終わってみると、「テーマ」でっかちというか、やりたい「テーマ」の為に“神崎士郎が用意した世界”、の物語めいた着地となったのは、好みと合わなかったところです。
 後のシリーズ作品がライダーバトルを取りこむにあたって曖昧にしがちな要素を丁寧に掘り下げたり、緊張感を保ちつつ適度に愛嬌を持たせたキャラクター達など光る部分はあり、シリーズ史における大きなマイルストーンであるのは間違いありませんが……あー、私にとっての『龍騎』は、《平成ライダー》における『タクティクスオウガ』(世評は高く、後続作品への影響も多く見られるが、個人的にはいまいち肌に合わず、如何にも“これみたいな事がやりたい”雰囲気が出ている作品はどうも色眼鏡で見てしまう)みたいな位置づけなのかもしれません(笑)
 ……初代『伝説のオウガバトル』が好きすぎて。
 話が脇にそれましたが、良かったところは、20年ぶりに見ても格好良かった秋山蓮。
 基本、設定が得なキャラクターでありますが、『クウガ』の一条さんに続き、ロングコートの裾をはためかせて走るのが素敵キャラであり、黒いロングコートをコウモリの翼(ナイトのマント)に重ねた造形は秀逸。あと、声質と台詞回しも良かった。
 それから、北岡先生のことはなんだか、20年前よりもちょっぴり好きになれた気がします(笑)
 以上ひとまず、20年ぶりの『龍騎』メモでした。