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救わなければ生き残れない-或いは東條悟について-

20年ぶりの『龍騎』メモ・第46話

(※サブタイトルは本編中に存在しない為、筆者が勝手につけています。あしからずご了承下さい)
◆第46話「虚像」◆ (監督:長石多可男 脚本:小林靖子

  • 「誰かを守るというのは……究極ああいう事なんだ」……優衣を守る為にトラックを吹っ飛ばしたオーディンについて蓮が述べ、まあそれはそうだけど……ヒーローフィクションとしては、そこをなんとかするのを見たいわけで……とはなるところ。
  • 一ヶ月後に迫る優衣の誕生日が物語のタイムリミットとして設定され、編集長は、花鶏に、出勤していた(笑)
  • 「おお! 真司! 踏み台として、お役に立ってるぞ! 椅子が、あるのになぁ……椅子が、こんなに……」……もともと、芝居のきっちり出来るキャスティングというのもありますが、前回今回と、オフィスから飛び出した編集長がやたら面白い。
  • 「次に何をすればいいかわかんなくなっちゃったから……全部なくしてしまえばどうかな……って思って。香川先生が居れば、教えてくれたのかもしれないけど」……祭壇にどれだけ犠牲を捧げても奇跡が起きないどころか、捧げたつもりの犠牲がハリボテであった事を指摘された東條は、香川の残した資料を焼き捨て、自己の世界に関わるあらゆる存在の破壊を進めていく。
  • 研究室の内部に小さな焼却炉みたいなものを据え付けて資料を燃やしているのは若干無理のあるシーンなのですが、東條にとっては「焼く」事により(無意識に)儀式的意味が生じていて、それが後半の布石にもなる事に。
  • 「そうだ。全ては優衣の為にある」……資料の燃え残りを手にした真司の前には神崎士郎が現れ、優衣を助ける為にはライダーが最後の一人まで戦うしかない事を告げる。
  • 「これでようやくおまえの望みが決まったな。……おまえも本当の意味で、仮面ライダーとして戦える」……は、凄くいやーな台詞。
  • 「おまえは今までずっとそうやって迷ってきたな。……それで、……誰か一人でも救えたのか?」……真司にクリティカルな一言を突きつけた秋山は、神崎士郎の思惑がどう転がろうが、「どっちしろ恵里か優衣が助かる」と戦いを受け入れる姿勢を改めて見せつける。
  • とはいえ、真司の目的意識はそもそも「モンスターから人々を守る」なので、名もなき人々はだいぶ救っている(この点では、蓮もまた、何人も救っている)のですが、「ライダーバトルを止める」に意識が向きすぎて、「モンスターをどうにかする」事について思考が及ばなくなってしまったのが、“ヒーロー”としての真司の問題点であった、とはいえるでしょうが。
  • この点、今作の主題がそこにはないので物語が意図的に誘導している部分は大きいですが、香川先生と接触した辺りで、真司としては一度、思い当たってもおかしくはなかった要素ではあったかなと。
  • 東條の呼び出しを受けた蓮・北岡・浅倉の3人がミラーワールドに突入後、三つ巴の戦いの最中に、外の世界で車にガソリンを撒く東條……完全に、卑怯卑劣が専売特許になっておりますが、東條にとっては「祭の再演」であり「炎で焼き(浄める)」事に無意識の意味を感じているところはあるように思います。
  • シロアリ軍団が続々と乱入する中、またも藪の中から飛び出したトラに引きずり殺されそうになるゾルダだが、銃撃回避。待ちぼうけを食ったタイガは、逆にサイに乗った王蛇に轢かれるが、乱戦の中、王蛇が自ら召喚したヘビの毒液を浴びている内に逃走。
  • 浅倉と北岡は現実世界に転がり出し、毒の影響に苦しみながら車のキーを回した浅倉、東條の撒いたガソリンにより、爆死……?!
  • 炎の中で生まれた怪物が炎の中に消えていくのは一定の美しさがある一方、これだと、東條に浅倉撃破ポイントが付いてしまうのは納得しがたいとか、本気で勝ち残るつもりならライダーバトルよりも外の世界で処理した方がいいが実践されてしまうとか、浅倉威との決着としてはあまり面白くなく、もう一踏ん張りしてほしいところですが、さて。
  • ライダーバトルなら殺しが出来るのは「モビルスーツに乗っているなら撃てる」ようなものではあるのですが、結局その外で片付けてしまうのは、自業自得の自爆とかならともかく、これまでの積み重ねに対する面白みには欠けるな、と。
  • 「先生……僕は……また英雄に近づいたかもしれません」……香川の幻想を見始めた東條は、横断歩道で暴走してきたトラックから、香川父子の姿を重ねた親子を救い、倒れ伏す……。
  • 「蓮、俺やっと答を出した」……一方、消滅していく優衣を見過ごす事の出来ない真司は、戦いを決断。
  • 「おまえの言う通り、迷っていても誰一人救えないなら、きっと戦った方がいい。戦いの……つらさとか、重さとか、そんなの自分が背負えばいい事なんだ。自分の手を汚さないで、誰かを守ろうなんて……甘いんだ」「おまえがそう決めたんなら、俺も俺の為に戦うだけだ」……龍騎とナイトの対峙で、つづく。

 人が人を殺める事にたいする倫理観の欠落(感情の欠落では、ない)が繰り返し描かれてきた割には、反射的な行動で“小さな英雄”となった東條が比較的綺麗な最期を迎えた点は因果としてスッキリしないところはあるのですが……今作世界においては、優衣ちゃんに害意を持った者はどんな酷たらしい死に様をしても文句は言えないのであり、まがりなりにも優衣ちゃんを助けた事があった東條には、神崎士郎ポイントが加算されていたのかもしれません。
 東條が英雄になりたいと願うのは、平たくいえば「ちやほやされたい」、井上敏樹的にいえば「俺を見ろ!」であり、周囲の人々に顧みられる為の手段、世界の中に己の居場所を手に入れる為の方法であると落ち着きましたが……それがあまりにも自分にとって“奇跡”に近いものであると認識していた為に、今そこにある「居場所」を壊す事で、「もっと素敵な居場所」を手に入れられるに違いないと錯覚した事こそが、東條の不幸であったのかもしれません。
 (普遍的なテーゼといえますが、この「居場所」への希求は、蓮や佐野、究極的な意味での北岡にも反映されており、次作『ファイズ』では大きな主題として扱われる事に)
 “大を救う為ならば小を犠牲にし、その犠牲を出す事から逃げない(自らの手を汚す事をいとわない)”者こそが真の英雄ではないか、という命題を手に『龍騎』世界に乗り込んできた香川先生と東條悟、その「英雄的行為」を、自身のかなわぬ(と思い込んでいる)願望と結合する事により過剰に神聖(神秘)化してしまい、結果として「代償」の先払い・「試練」の自家生産により“奇跡”がもたらされる筈だという一種の妄想に取り憑かれ、盲信と狂信の道を突き進んだのが東條であったのかなと。
 最終的には自らの命を代償に捧げる事で、路上に倒れる東條の周囲を群衆が取り囲む最期を迎えるのは、その願望充足の示唆であったとは思われますが、好戦的な行動を続け、状況を引っかき回し、あの浅倉さえ時に退ける終盤のキーマンとしては、どうにも魅力的に感じられずじまいではありました。
 類型的な造形を避ける狙いはあったのでしょうが、不意打ち常套だけど別にそこに美学が信念があるわけでもなんでもない、というのは、なかなか面白く受け止めにくかったところです。
 香川先生と共に持ち込んできたテーゼといい、満を持しての終盤の新ライダーの立ち位置といい、その暴れぶりからも、作り手の中ではかなりウェイトの大きいキャラだったのでしょうが、ここまでのメインライダーを食いにかかられてもさして嬉しくない、という点のズレは、東條周りのスッキリしない部分になった印象。
 ある程度、愛嬌を付ける事でキャラクターのレギュラー化を図らざるを得なかったのに対して、終盤ということで“徹底的に愛せない”事で差別化を狙ったのはわかるものの、それが上手くいったかといえば、言行へのストレスと「だいたい狂っている」を理由にした都合の良い立ち回りを生んでしまった面はあるかなと
 この辺り、作っている側の想定以上に浅倉に人気が出てしまい、浅倉を正面から食いにくくなった事情などもあったのかもですが。
 実際のところ、ゾルダや王蛇とは戦っても、ナイト/蓮とはほとんどまともに対峙していない、のはタイガ/東條の立ち位置の限界になっており、最終的には「真司と蓮」に集約されるとしても、そこに割って入りかねない爪痕を刻む、ぐらい出来ればもう少し印象も変わったかもしれません。
 奇跡でも起きないと手に入らないと思い込み、自らの居場所を自ら破壊し続けた東條が、自らの命と引き替えに他者に認められる最期を迎えた一方で、“目の前の人を救う為に他者を犠牲にしても、その責任は自分が負う”事を飲み込もうと覚悟し、親しい存在が消えていく事を認められない「人間的行為」の基点にして極点を選び取ろうとする真司だが……年末大掃除の向こう側で待ち受けるものは何か――?!