東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
旧ダイアリー保管用→ 〔ものかきの倉庫〕
特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)
HP→〔ものかきの荒野〕   Twitter→〔Twitter/gms02〕

後半の脱線が本題みたいな感想

仮面ライダーエグゼイド』感想・第40話

◆第40話「運命のreboot!」◆ (監督:上堀内佳寿也 脚本:高橋悠也
 バラ園で鼻歌を歌う正宗、個人的にはもはや大物ムーヴをするほど滑稽に見えるのですが、物語としてはあくまで大物扱いなのか、既に道化扱いなのか、わかりにくくて悩ましい(上堀内監督がまた、実情以上に演出で盛ってくるタイプでもありますし)。
 正宗が持つ『仮面ライダークロニクル』のガシャットを破壊する事により、『クロニクル』を強制終了、『クロニクル』由来のゲーム病をまとめて無効化しようとする飛彩・大我・貴利矢、そしてついてきた黎斗は正宗を取り囲み、10秒無敵を使い回すのは、なかなか面白いアイデア
 だがエグゼイド不在の緊急株主総会は不発に終わり、Zゲンムは切り札の無敵ガシャットを保持する為に逃走。残り3人は《ポーズ》に翻弄され、ゲーマドライバーを奪われてしまう。
 正宗は奪い取ったゲーマドライバーを、世界展開に協力してやるからドライバーよこせ、と言ってきた人へ渡す手筈を整え、やはり、自力ではドライバー作れないのでしょうか……ガシャットは作っていたようなので、その辺りは例の如く曖昧。
 「僕とパラドの心は繋がってた。だからこそ感じてたんだ。……あいつの心を」
 一方、屋上に佇む永夢がXXガシャットを起動すると、爆殺の間際、永夢が体内に取り得込んでいたパラドが復活。
 「これでおあいこだな。パラド」
 「どういうつもりだ」
 「思い知っただろ。死ぬって事がどれだけ怖いか」
 ゲーム病の発症の際の借りを返しつつ、パラドに「死とは何か」を体で覚え込ませた永夢ですが、この件について口をつぐんでいた為に、「俺がニコを治療するんだぁぁぁぁぁ」となった花家先生を始め、同僚がまとめて人生の絶版に陥る寸前だったので、正直色々どうなの感。
 「勝手な行動されたら困るんだ」
 目の泳ぐパラドに飼い主モードを発動する永夢だが、パラドは絶叫しながら逃走し、グラファイトと合流した所へ姿を見せるポピ子。
 「本当は、永夢に影響されて、永夢に憧れて、永夢と同じような存在になりたいって思ってたんじゃない?」
 「パラドが? ありえない」
 「じゃあなんで、パラドはずっと心にこだわってたの?」
 永夢がパラドに影響されたように、パラドもまた永夢に影響されていたのではないか、とポピ子は説き、そこまでは納得できるのですが……
 「プログラムされたゲームキャラじゃなくて、心を持つ存在で居たかったからじゃない?」
 突然、特にこれまで掘り下げてこなかった「心」が重視されて困惑。
 そもそもパラド、黎斗を殺害して『クロニクル』をかすめ取っている時点でとっくにプログラムを逸脱していると思うので、今になってパラドには「心がある!」と言われても、劇中で「プログラムされたゲームキャラ」らしく描写されていた時期の記憶がむしろ無いわけなのですが。
 パラドの場合、心が有るとか無いとかではなく、「学習」に問題があったので、おまえの心に今から死の恐怖を刻み込んでやるぞこらぁぁぁしたシンプルな入出力で良かったと思うのですが、やりたいテーマを強引に横からねじ込んで、余計な混線をした印象(後の『ゼロワン』を思うと、大森×高橋コンビにおける「プログラム」「心」へのこだわりがこの時期からあった感じで)。
 ニコがゲーム病の発作に激しく苦しむ中、ひとり屋上に立ち尽くす永夢の前に再び現れたパラドは、臨死体験による恐怖を激しく吐露し、深く反省。
 「僕が今まで出会った患者はみんな……命を失う事の怖さを知ってた。だからこそ……命が如何に大切で……健康に生きていられることが……どれだけ有り難いことか知ってるんだ……」
 パラドの感情の奔流を共有しながら、飲み込む永夢。
 「死ぬことが怖いって感じたおまえには……命が掛け替えのないものだって理解する――心がある」
 「…………なんでこんな俺に……おまえに感染してる……ウィルスなのに」
 「……ゲーム病も僕っていう人間の個性。人格の一つだから。おまえを生んだ僕には、おまえと向き合っていく責任がある」
 ここで、病気も個性である、というのは、『エグゼイド』が描きたかったものの一つであったろうか、と現実に対するフィードバックの視点もあって悪くなく、ようやく、ようやく、急転直下で永夢がパラドという存在そのものと向かい合い、人相悪く黙り込んでいた間は、ずっとパラドについて考えていました! とする力業。
 「おまえの罪を一緒に背負って……償っていく」
 「……永夢」
 「一つだけ約束だ。これからは命を奪う為に戦うんじゃない」
 永夢の差しだした手は水底に沈んでいくパラドに向けて延び――繋がる。
 「命を救う為に――一緒に戦うんだ」
 今作は、本歌取りの要素も含め、“死と再生”の儀礼的モチーフが頻繁に繰り返されており、“死”のメタファーである適合(改造)手術はもとより、永夢・黎斗・貴利矢といったキャラクターが劇中で“死”を体験しているのですが、ここでパラドも“死と再生”の通過儀礼を経て、ヒーローとして新生。
 そして、運命の時は来る――。 
 「『仮面ライダークロニクル』が海を越え、羽ばたく時は近い。世界よ――これがゲームだ」
 上堀内監督の大仰でハッタリ重視の演出は、はまる時は非常にはまる一方、劇中の出来事と呼吸が合わないと上滑りを起こす諸刃の剣ではあるのですが、正宗に関してはもう、わざと滑稽に見せているという理解でいいのやら。
 永夢とパラドが二人並んで現れて、
 「マックス――」
 「ハイパー!」
 「「大変身!!」」
 は格好良かったですが。
 「「超協力プレイで、クリアしてやるぜ!!」」
 3クール目から4クール目へ、満を持して、エグゼイド&ブレイブLに続く二回目のクライマックスバトルという事で、ワイヤーも駆使したかなり気合いの入ったアクションが展開し、対するクロノスも、さすがに15秒では地べたに這いつくばりませんでした(笑)
 青パラ・赤パラ分離攻撃や無敵エアリアルコンボなどが放たれ、トドメのダブルライダーキックが炸裂すると、クロノスは……クロノスは…………大爆発。
 さすがにこれで、ガシャットだけを破壊するつもりでした、と陳述しても司法が許してくれるかどうか疑わしいですが、盛り上がり的に爆発は欲しいよね、という点と、それはそれとして爆発させていいのだろうか、という点で前者を優先するのはわかる一方で、後者の問題をクリアにする工夫は長らく放棄されているように見えるのは、対人ライダー戦においてどうしても気にかかるところです。
 かつて『クウガ』が、そういった“無意識の前提”を見つめ直そうとする所から生まれてきたように、出力の形は様々あれ、積み重なっていく約束事に対する確認・再構築の“視点”こそが、《平成ライダー》の立脚点ではなかっただろうか、とは思うので。
 この、中に人が入っているとわかっている敵ライダーとどう戦うのか問題は、例えば『鎧武』序盤も正面衝突していましたが、ちょうど公式配信の始まった『龍騎』ではどう対応しているのか思ったら、“背負っているものの為に、むしろ中に人が入っているからこそ率先して潰す”で、肚の据わり方が違いました(笑)
 で、その、肚が据わっているのか据わっていないのか、据わっているとしたらどう据わっているのか、据わっていないならどう対応するのか、を示す事が「キャラクターを描く」とか「説得力を与える」という事だと思うわけなのであります。
 勿論、それもまた、「情報の取捨選択」ではあるのですが、一連の大森P《ライダー》において「こだわらずにスキップしてしまう部分」と、私が「そこは形骸化しないでほしいと考えている部分」が、つくづく相性が悪いな、と。
 上に『鎧武』をあげたように、これは大森P作品に限った問題ではありませんが(『フォーゼ』終盤とかでも顔を出しますし)、2010年代の《平成ライダー》における標準的なリアリティラインを考えた時に、作品ごとに「対人ライダーバトルを登場人物個々の内心でどう処理するのか」について立ち止まって考える癖をつけておかなかったのは、後期《平成ライダー》の負の遺産となり、《令和ライダー》『ゼロワン』において、公衆の面前で会社社長が会社社長に斬りかかり、会社社長が会社社長を自ら焼き払おうとした末に、人道にもとる悪事を働きまくっていた会社社長を、爆殺するわけにもいかず、逮捕させるでもなく、なぁなぁで仲間とせざるをえない、に辿り着いてしまったのではないか、と思うところです。
 そういう意味で天津は、2010年代の《ライダー》作劇が宿題を先送りにし続けてきた末のツケの産物が、令和に噴出した面もあるかなと。
 ……まあこの点については「怪人の正体は人間だが、仮面ライダーの必殺技はその怪人化を無効にする事が可能であり、ライダーもそれを認識している」上で「ライダー(の左側)は法治を尊重している」『W』が上手くやり過ぎて、後のシリーズ作品が下手に手を出せなくなってしまった部分もありますが、『W』における、人治(私刑)の象徴になりがちな“仮面のヒーロー”(翔太郎)こそが、むしろ法治を尊重し、社会正義に信を置こうとしている――そしてその「社会の中の自分」に、物語のテーマがある――というのは、実に上手く出来ていた部分。
 これが『エグゼイド』になると、「ドクターに人を殺せというのか!」と言い出されても、いや、ドクターでなくても殺しては駄目では……? となるわけですが、そこのところで立ち止まって考えないまま話を成立させようとするばかりに、黎斗や正宗を死ぬほど殴りはするが、最終的な落としどころは決めていないので中途半端な処置を繰り返した挙げ句に、相手にイニシアチブを取り返される、みたいな事を繰り返してしまうのは、「対人ライダーバトル」を描く事に対する設計の甘さに見えるところです。
 「こんな筈ではなかった……ハイパームテキさえ居ななければ、私の計画は完璧だった。ハイパームテキさえ、居なければぁぁぁぁ!!」
 『仮面ライダークロニクル』は破壊され、血まみれだが幸い生きてはいた正宗が絶叫すると、突如としてその瞳がオレンジと緑に輝き、異変が発生。
 「運命をジャッジするのは、私だぁ! 私こそが世界の…………ルールだぁぁぁぁぁ!!」
 正宗の体に宿った光が右手に掲げたバグバイザーがから放出されると、<<リセット>>の声が響き……消滅するハイパー無敵ガシャット。
 そして……
 「ガシャットが……復元している」
 本人も驚く賞味期限延長で、つづく。