東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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約束さ終わらないファンタジー

恐竜戦隊ジュウレンジャー』感想・最終回

◆第50話「恐竜万歳!!」◆ (監督:東條昭平 脚本:杉村升
 ……最終回だというのに、のっけから余談で恐縮ですが、どうしても、「よいこの友達 人造人間万才!」(『キカイダー01』)を思い出して落ち着かないのは、全て光明寺博士が悪い。
 よいこの友達度に関しては歴代戦隊の中でもトップクラスといって良さそうなジュウレンジャーであったが、頻繁にピンチに陥る事も歴代戦隊の中でトップクラスであり、大獣神らを復活させる為にバンドーラの作り出した魔法界に飛び込むも、ゲキとダンが奈落に落ちてバッドエンド寸前の危機!
 亡霊モンスターの攻撃を受けながらもゴウシが必死に命綱に食らいつき、外部で待機していたボーイとメイもギリギリでロープに飛びつくが、外の二人が先に力尽きかけたその時、横から手を伸ばしのはバーザ! はサポートキャラ最終回の見せ場として、とても良かったです。
 伊達に1億7千万年もの間、筋トレとマンション管理に励んできたわけではない、とバーザーは片腕でボーイを支え、魔力による拘束を筋力で打ち破った第1話から、綺麗に繋がりました。
 内部では唐突にゴウシの攻撃が亡霊に有効となって(この流れはよくわからず)邪魔する敵を蹴散らすが、外では支えに使っていたバーザの杖が折れそうになるも、筋トレのしすぎにより忘れていた呪文を土壇場で思い出したバーザにより、杖の補強に成功。
 「やったー! バーザ、とうとう呪文を思い出したんだね!」
 「ああ! はははははは!」
 何故か、バーザの満面の笑顔にかかる、最終回サブタイトル(笑)
 ちなみに第1話によるとバーザの魔法はバンドーラによって封じられたとの事ですが、多々良純さんは、この当時75歳。東映としても長い付き合いの俳優さんに、最終回は一つクローズアップを、といった意識はあったのもしれません。
 後背が安定した事により、力……じゃなかった知恵の戦士ゴウシはゲキとダンを引き上げる事に成功し、先へと進む3人は、守護獣たちが封印されている場所へと辿り着く。
 その前に黄金夫婦が立ちはだかるが、ロープの反動を利用して跳び上がったゲキが封印の破壊に成功し、甦る守護獣たち。
 現実世界に戻り、トライタロスの攻撃を受けながらゲキたち5人がダイノバックラーすると、それぞれの守護獣を呼び出すシーンがたっぷりと入って、個別攻撃から合体するとゴッドホーンを召喚し、さすがに、ダイノタンカーは経由されず(笑)
 割とああいう機動要塞形態みたいなのは好きだったのですが、重装砲撃モード! みたいな見た目に反して、さして防御力が高くないのがネックだったでありましょうか……。
 トライタロスに挑む大獣神はさっそくシーザーを召喚し、復活のドリル尻尾がアームブレードを叩き折って雪辱を果たすと、戦力的意味はさておいてダイノミッションから剛龍神を挟み、ブラキオ召喚から究極合体!
 「大サタン! ドーラタロス! これまでよくも地球の平和を踏みにじってくれたな! これで貴様もおしまいだ!」
 「「「「「グランパニッシャー!!」」」」」
 最後まで余裕の高笑いを続ける大サタンだったが、断罪の閃光が突き刺さると顔を歪め、実質生首が空中で木っ端微塵にはじけ飛ぶ、ショッキングシーン(笑)
 真の黒幕ともいえ、神に対抗する力を持ったボスキャラ系存在としては、概ね笑うか息を吐いているかだけで終わってしまいましたが、ここまで来てバンドーラ様を追い落としてもあまり面白くならなかったようには思うので、“悪の力”そのものの概念的存在であり、自らの意志を前面に出すわけではないとしたのは、英断であったと思います。
 「ママーーーーー!!」
 カイの絶叫と共にドラタロスも爆炎に消え、杖を取り落とし悲痛に呻くバンドーラ。
 「残るはバンドーラ達だけだ! 一気に突っ込むぞ!」
 「「「「おう!!」」」」
 全ての因縁に終止符を打つべく、ゲキ達がパレスにカチコミをかけるより一足早く、瀕死の状態でバンドーラの元へと辿りついたカイは母へと手を伸ばすと、その手を握りしめながら倒れ(大サタンが先に消滅した事により、一種の呪いが解けた状態とはいえそうでしょうか)……そんな場面に突入してしまうジュウレンジャー
 この空気で! 好感度を下げないように立ち回るの! ハードルが高すぎるのですが神よ!!
 最後の最後で超凶悪な試練に見舞われたゲキたちは、ひとまずラミィらが立ちふさがってくれたのを幸い、無言で時間を稼ぐ作戦を実行し、その奥で、最後の抱擁を交わす悪の母子。
 「カイ、頼むから、死なないでおくれ、カイー。あたしを、また、一人にしないでおくれぇ……!」
 「ママ……」
 愛する息子を抱きしめたバンドーラの目から涙がこぼれ落ちるも、大サタンの魔力によって甦っていたカイは、消滅。
 バンドーラ様は再び復讐の炎を燃やす事で、ヒーローが啖呵を切りやすい空気を作るが、その杖の先からは魔法が発動せず、子供の為に涙を流したバンドーラからは、闇の魔力が失われた事が告げられる。
 「バンドーラ、おまえも敗北したのだ!」
 ここぞとばかり、雲の上から目線で勝ち誇る大獣神は、積もり積もった恨みを込めてバンドーラパレスにゴッドホーン! ……はせずに、目からビーム。
 「永久に地球から去るがいい!」
 光線の照射により封印の壺が作り出されると、バンドーラ一味はまとめて壺の中に吸い込まれて永久宇宙放浪刑の執行を受け……これは、相当の確率で、どこかの星で拾われて封印が解けるパターンなのでは(笑)
 この作品の主役は実質ワシだから、と最後にしゃしゃり出て神の裁定を下した大獣神は、バーザと合流し、それぞれ固い握手をかわしたゲキたち5人に使命の終了を告げると、無事に孵化寸前となった恐竜のタマゴを渡す。
 峠を越えた聡少年と、病室に集まった子供たちの前でタマゴから雌雄の恐竜が誕生し、初登場から約40話(!)、実に長い長い道のりの末、恐竜の誕生がまさかの番組フィナーレの象徴となって、繋がっていく命――大サタンの去った地上には再び生命が芽吹き、宇宙放浪刑となったバンドーラ一味は……全く懲りずに壺の中で歌っていた(笑)
 「覚えているがいいジュウレンジャー。あたしは諦めたわけじゃないよ。必ず魔力を取り戻し、地球に戻ってみせる、ふふふ」
 テーマ曲をバックにカメラに向けて宣言し、最後の最後まで、圧倒的な愛されぶり(笑)
 ところが、ラミィとグリフォーザに赤ん坊が誕生すると、無垢な赤ん坊の笑顔にあっさりほだされてしまい、バンドーラ一味が揃ってめろめろ、というミラクルすぎる着地に(笑)
 まあ勿論、悪の英才教育を施されたスーパーエリート悪の王子が誕生する可能性はありますし、一味の所業を考えれば、壺の外でやってしまうと虫が良すぎますが、基本的に終身刑である壺の中の閉じた世界ならば、笑って受け止められる範囲に。
 ……もしかするともしかすれば、邪心を失ったバンドーラ一味が世に再び出てくる事もあるかもしれない、と思わせるのは視聴者サービスとしては頷ける貢献度であり、「子供」という存在にはそういう力――可能性がある、というのは今作のテーマに沿っていますし。
 かくして、愛嬌をつけすぎた悪役をどう始末するのか、という問題と直面したバンドーラ一味は、最終的に全滅回避&全員生存(!)となりましたが、いずれも(特に顔出しのラミィさん)相当上手くやらないと、いまさら直接的に倒しても爽快どころか下手すると感じ悪くなる危険性があったので、納得できる判断。
 また、通して尺の短さに苦しんでいた今作としては、「幹部退場エピソード」を切り捨てる事により、作品テーマと繋げた「カイ」という存在を軸に回した最終決戦4部作がスッキリしてまとまり良く収まったのは、結果的に大正解だったと思います。
 ……まあ、本人たちが暢気すぎて堪えていないだけで、刑罰としては本来、だいぶ重くはありますし(笑)
 組織としては、後半、にぎやかし幹部たちの存在感がほぼゼロになってしまったのは残念なところでしたが、滑稽な悪、を貫く難しさを感じさせられたところ。
 ただバンドーラ様がそれを補って余りある存在感を見せつけたので“悪”としての満足感は高く、その人気に納得するのでありました。
 封印の壺がのんびりと土星軌道上を通り過ぎていた頃、地球では――……すっかり健康になった聡少年たちに、希望の証として恐竜の赤ん坊を預け、伝説の戦士たちが旅立ちの時を迎えようとしていた。
 「俺たちの使命は終わったんだ。もうここに居る事はできないんだ」
 途中でバイト回などもあったので、現代で新しい人生を始める可能性も多少はあるかな……と思われた5人(+バーザ)は、“去って行く”事で永遠の英雄として完成し、流れ出す主題歌とともに、名場面集(いつぞやの総集編と違い、今回は、ちゃんと、活躍シーンでした!)。
 守り抜いた地上を雲の上から見渡し、子供たちに見送られた彼らの行く手には、守護獣たちが待ち受けており……しょ、昇天?(笑)
 ……というよりは、使命を果たした戦士たちは、神の園、常春の楽園に迎え入れられました、というニュアンスだと思われますが、ダン辺りは何かやらかして、早々にサルとして地上に堕とされそうな気もしないでもなく、負けるな、ダン!!
 ひたすら公の大義の為に戦い続け、戦士の使命を果たして神の園に迎え入れられて“永遠”となったジュウレンジャーのヒーロー像は、「一人の人間」である事を決して忘れずに、個と全のどちらも守る為に戦えるものこそが真の戦士である、と辿り着いた前作とは実に対照的な結末となりましたが(個々の作品テーゼであり、どちらが良い悪いという話ではなく)、思えば前回のブライの「たとえ地球の人々全てが絶望の淵を歩こうと、おまえ達だけは希望を捨ててはいけない!」が、ゲキたちが「人間」を乗り超えていく最後の一押しであったような(笑)
 ……まあ勿論、1億7千万年の眠りより目覚めた時、より言えば、いずれ来るバンドーラ復活に備えて眠りについた時から、ゲキたちは「人間」を乗り越える宿命を背負っていたとはいえるのですが。
 そこで改めて「人間」と向き合う事よりも(まあ前作で散々やったので)、多くの試練と死闘を乗り越えて、「伝説」となる事を選んだ今作、特に前半は尺の短さに対応しきれないエピソードのキレ不足やキャラ描写のもたつきも目立ち、残念ながら好みのツボに刺さってくる作品というわけでもありませんでしたが、何度か触れたようにとにかく、「子供」「悪夢」にこだわった作品コンセプトを貫き切った点は、素晴らしかったと思います。
 東映ヒーロー作品は1年間の長丁場な事もあり、商業的事情や反応のフィードバックなどが物語構造に影響を及ぼす事がままありますが、これが『ジュウレンジャー』だ! という作品の軸を成す部分でブレる事なくやりきったのは、お見事。
 悪夢の形象としての魔女バンドーラ/曽我町子会心の化学反応を見せ、ちょっとスタッフが愛しすぎでは、という点も部分部分あったりはしたものの、その強烈な存在感で、作品のコンセプトに強い説得力を与えてくれました。
 そして長きに渡って海上を彷徨っていた「恐竜のタマゴ」が、その悪夢に対する「夢」の象徴として収まったのは、美しい着地。
 シリーズその後で定着する「追加戦士」の基本形を生み出した事と、商業的成功が特に著名な今作ですが、一つ面白かったのは、商業的に成功した=ロボットや玩具をひたすら前面に押し出した、かと思えば意外とそうでもなく、特に80年代作品では時にストーリーの重しとなっていた「なにがなんでも巨大戦」からは解放されており、玩具販売サイドとの話し合いもあっての事と思いますが、“シリーズとしての作劇の模索”と“商品としての売り方の変化”が、脱・80年代の中で、上手く噛み合った作品でもあったのだなと(勿論、個々の人気や世相など様々な要因が絡んだ末でありますが)。
 これまで、メインライターとしては信頼度をかなり低く見ていた杉村升ですが、《スーパー戦隊》初参加で、全50話中33話(連名2本)を担当、と杉村さんにしては本数多めだった事もあってか(参考までに、『ジバン』20本・『ウインスペクター』13本・『ソルブレイン』22本・『ダイレンジャー』26本)過去に見た杉村作品の中では最も綺麗にまとまり、特に最終盤、恐竜のタマゴを作品テーゼの象徴として使い尽くしたのは、鮮やかでありました。
 贔屓キャラはゴウシ、それから別格でバンドーラ様。もう一人ぐらい、戦隊メンバーが好みだとまた印象がちょっと変わったかもですが、キャラクター描写については、まだ“前夜”といった感じはあり、次作『ダイレン』はその辺り改めて、ヒーロー“未満”をどう掘り下げて描いていくか、への意識があったのかなと思うところ。
 前作『ジェットマン』に続き、「90年代戦隊」が大きな一歩を踏み出すエポックメイキングな作品として、改めてこの時代に見て、色々と興味深かったです。
 以上ひとまず、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』感想、お付き合いありがとうございました!