東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
旧ダイアリー保管用→ 〔ものかきの倉庫〕
特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)
HP→〔ものかきの荒野〕   Twitter→〔Twitter/gms02〕

伝説怪獣大事典とは

ウルトラマンコスモス』感想・第57話

◆第57話「雪の扉」◆ (監督/特技監督:原田昌樹 脚本:太田愛
 ――この扉の向こうの世界には、グラルファンが住んでいる。そう教えてくれたのは、トマノさんだった。
 中三の夏、打ち込んでいた陸上の地区大会で敗退した少年・暁は、グラルファンに音楽を聴かせている、と語る奇妙な老人――トマノ(天本英世!)に出会い……「時の娘」前後編より約40話ぶり! 今作ではもう無いかと思っていた太田愛さんが再登板し、幻想的なスローカーブが外角低め一杯に決まる見事な一篇でした。
 雪の結晶のような扉が絵が描かれたカードを手にするトマノ老人は、その扉の先の世界には、人の心の奥の古い大切な思い出を目の前にそのまま蘇らせてくれる伝説の生き物・グラルファンが住んでいるという。
 「そして、その、思い出の、風景の中に入ると、グラルファンと一緒に、ゆく事が出来ます」
 「……行くって、どこへ?」
 「扉の向こう――思い出の世界」
 それから三日後、真夏の街に雪が降り、トマノ老人と再会した暁は、半分ほど開いたカードの扉からグラルファンの世界との接触が始まった事を教えられる。その夜、「雪みたい光」が生じて扉が完全に開くと、時の止まった夜の街に神々しく輝くグラルファン(天馬+ユニコーン×人型、といったデザイン)が出現し、トマノの元へと向かった暁は、数十年前、今は亡き家族との一家団欒の風景を見ながら立ち尽くすトマノを目にする。
 「……トマノさん、あの思い出と一緒に、行くんだね」
 「……私は……ゆけません」
 「……どうして?! あれ、写真の中の、思い出の時間じゃない? トマノさんが想ってたもの、全部あそこにあるんだよ。なのになんで?!」
 「……こんな風に見て、初めて、わかりました。あれはみんな、あそこに居る私、あの時の、私のものなんです。この時間を、もう一度生きる事は、出来ない」
 幸福な思い出の中に去ろうとしていたトマノは、“美しい思い出”もまた“人生の積み重ねの産物”である事、今の自分があるから過去の自分があり、過去の自分があるから今の自分――思い出を大切に思う気持ち――がある事を悟ると、その積み重ねを尊重する事を選び、美しき懐旧を全面的に是とするのではなく、何故それが大切なのかといえば、一度きりの人生を生きてきたからなのだ、と持ってきたのは好み。
 「一度、きりです」
 「一度、きり?」
 「そう、どんな一瞬も、一度きりです」
 「……一度っきりだから、忘れない。……一度っきりだから、空っぽになるぐらい、何かに本気になったりする。…………トマノさん、グラルファンを、帰そう」
 終幕を迎えようとする老人の生を通して、“今”の大切さを知った少年は、老人から扉のカードを受け取ると、異常気象の調査中に知り合ったアヤノを巻き込んでグラルファンに向けてレコードを奏で、その旋律の中でそっと変身したコスモスにより、雪の扉へと導かれたグラルファンは、トマノ老人に見送られながら、翼を広げて自らの世界へと帰っていくのだった。
 「そのカードは、君が持っていてください。……お別れです」
 「お別れ、って?」
 「扉を開けた者は、この世界の時間から、消えなければなりません。……覚えていてください。私が、幸福だったということを。誰に知られることもない、平凡な、一生でしたけど……精一杯生きた。心から、寂しいと思えるほど、大切なものを持つことが出来たんです」
 大切な思い出の中へ去る事を良しとせず、“生き続けて辿り着いた今”を選んだトマノにとって、では“思い出”とは何を意味するのか? についても描くのがお見事で、美しいノスタルジーだけを全肯定せずに積み重ねた人生と今という時に賛歌を送りつつ、ノスタルジーそのものへも暖かい視線を残す筆が実に鮮やか。
 「……忘れない」
 「……ありがとう」
 再び動き出した街で、雪の扉を暁に託したトマノは、暁が差し出した手(ここで少年の方から手を差し出すのがまた美しい)と握手を交わすと光となって消滅し、人生の小石につまづいた少年が、懐旧と共に去って行く老人を見送るのではなく、今の大切さを教わって前へ進み始める、のが美しくも暖かい着地で好みでした。
 扉の向こうに向けられたレコードの針は演奏を終え、そして……
 ――僕は、思い出を作る為に、生きるわけじゃない。でも……

  そう、明日はどこにあるんだろう?

 ――いつか、僕がこの世界から去って行く時、精一杯生きた、そう思いたい。

  繰り返す毎日を数えている
  君が教えてくれたね 「生きてる」っていう事

 カードを机の引き出しにしまい、日課のランニングを始める少年の姿からEDパートに入ると、ED歌詞に合わせるような形での本編ダイジェスト映像が流れ……暁とトマノの出会い → トマノの語った過去 → 開く雪の扉と、コスモス降臨 → 光り輝くグラルファン → 雪にはしゃぐアヤノとムサシ・チームアイズの姿・大会で暁を応援する友達……

  もうこれから

 ――僕は走る。ゴールが見えなくても。一番じゃなくても。……僕は、大人になる。

  ずっと忘れないでいて

 出会いと別れを経た少年が約束を胸に土手を走る姿で終幕となり、後期EDテーマとエピソード内容の関連づけ及び歌詞と映像の密接な重ねは、第42話「ともだち」で既に一度やっているにも拘わらず、別の形で行って完璧にはまるという、原田マジックが炸裂!!
 EDに至って一つ一つの場面の意味が新たな厚みを持って迫る太田脚本の手腕もさる事ながら、それを一枚の絵として完成させる原田監督の技量に脱帽で、エピソード内容を、3段ぐらい高みへ打ち上げる、素晴らしいEDでした。
 個人的には、「僕らを会わせてくれたんだ」のところに、少年の友達の映像が盛り込まれているのが、凄く好き。
 そしてEDの歌詞と重ねる事により、暁少年がトマノ老人から「生きてる」っていう事を教わるばかりではなく、精一杯生きた人生を覚えていてくれる人=暁少年と人生の最後に出会えた事で、トマノ老人もまた「生きてる」っていう事を与えられた、と相互の補完関係が成立しているのが明確に見えてくるのも、絶妙。
 今回、言ってしまえば『コスモス』でなくても成立する話であり、スタッフもそれを自覚的にやっているとは思うのですが(《ウルトラ》シリーズ的ではあり)、メタ的には天本英世さんのキャスティングで一つ一つの台詞に言外の意味を上乗せしつつ、丁寧に地雷を避ける太田脚本の細やかさと、真っ正面から美しくまとめ上げた原田監督の腕が光る佳品でした。
 また、太田脚本と《ウルトラ》シリーズ、という観点では、ウクバール(『ガイア』)と憐(『ネクサス』)の間、といった趣もあり、「俺の命は、どこへ行くんだろう?」の話でもあるのかな、と。
 ところで、第42話と今回は、ゲスト少年を実質的な主役に据えた〔人生の蹉跌 → 出会いと別れ → 大人への一歩〕という正調ジュブナイル構造でも重なっているのですが、「少年が大人になる話」とモチーフを取り出してみると、『コスモス』総体における主人公ムサシが「純粋な子供の代弁者」として描かれ、そのイノセントが肯定される作劇とは別方向を向いているとは言え、太田脚本ばかりでなく、メインライター大西さんが、そういうエピソードを描いていた事が浮き上がってくるのは、興味深い部分です(ムサシのその辺りに関しては、前日譚映画で触れられていたのかもですが)。
 勿論、『コスモス』としては、そのイノセントを貫くなら貫くのも一つの道であると思いますし、いよいよ最終盤、ムサシが、チームアイズが、人類が選ぶ道がどう描かれていくのか、見届けたいと思います。
 次回――(瀬沼じゃないけど)瀬沼さーーーーーん!!