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無敵ってなんだ? あいつの事さ

仮面ライダーバイス』感想・第11-12話

◆第11話「無敵のさくら、何のための力」◆ (監督:杉原輝昭 脚本:木下半太
 戦力の整ってきたフェニックとデッドマンズとの闘いが連続して描かれ、背中に翼を広げたコンドルデモンズが格好いい。
 だがデッドマンズ関連犯罪は増加の一途を辿っており……その背後には、大衆の不満を煽りデッドマンを賛美する“救世主”気取りのテロリストの姿が……? 
 一方、迷いを抱えるさくらの元には差出人不明の謎の小包が届いていた。
 「何よ、これ……」
 ファイ○アブソーバーですかね……?
 街にはスネーク……かと思ったらプラナリアだったデビルが出現して銀行を襲い、フェニックスと共に駆けつけた一輝と大二が並んで変身。……劇中初の並んで同事変身はもっと劇的に描いてほしいものですが、話的に特段の盛り上がりが無いので、ばらまかれた札束の中で変身する事で映像だけ強引に派手にした感じに。
 そして、リバイとライブが並んで戦うと、当然バイスとのコンビ感が失われる事になった上で、トリオの面白さを生むにはまだ遙か遠く(話としてはホント、勢いで3人並べているだけですし)、戦闘シーンの演出にも苦しさが見えます。
 ブラキオフォームは触角が時計の針なのでジオウモチーフだったようですが、Wライダーの並んで必殺技も、LV1デビルを二人がかりで滅殺する意味性も薄く、特にライブはキャッチフレーズを言わせておくだけ、になってしまい、構成的に盛り上げようの無い戦闘シーンで「初の兄弟共闘」を消化する羽目になっているのが、辛い。
 あとライブ、イビルやデモンズと比べても明らかにリバイと並んだ時にデザイン上の違和感が強く、この、並んだ時にしっくり来ない――別の世界観の戦士っぽさ――は、今後、物語に関わってくるのか来ないのか(Wライダーの方向性の違いをコントラストとして活かす見せ方も当然ありますが、今のところそういう感じでもなく)。
 「誰かを守る、人を助ける、口で言うのは簡単だけど、力の無い人間の言葉は、虚しく響くだけ。……デッドマンズに入れば、その力、手に入るかもよ」
 一方、プラナリアデビルの手を借りて銀行から金を奪おうとしていたのは、さくらの通う空手道場の師範代・聖子であり、ショックを受けるさくらはアギレラからまたもスカウトを受け、キャラクターの因縁を作ってくれるのは嬉しいのですが、フリオの道場潜入大作戦とは、本当の本当になんだったのアミーゴ!(如何にもでない組み合わせゆえの面白さがあったのですが……)。
 師範代・聖子は、難病の子供の手術の為に大金を必要としており、序盤のゲスト絡みエピソードの路線に戻って、“「ヒーロー」の手では解決しにくい問題”を取り上げてきましたが、うーん……今回の着地点をどこにするかがまだこれからですが、だいぶ不安。
 そして、年頃の一人娘への心配が、頑丈な長男坊への対応と変わってくるのはわかるとしても、あれだけ一輝に対しては全権委任で野放しだった母親が、「何が出来るかを一緒に考えようとしてくれる」わけでもなく(これなら印象が全然違ったのですが)、一方的に「あなたのやる事じゃない」「家にいなさい」と押しつけてきたら、それはハンコアブソーバー片手に、キレて家出もします。
 今作、“家族”物をやろうとしている割には、一輝・大二・さくら、の物の見方や考え方に大きな影響を与えている筈の両親のキャラクター性が今もって不安定なのは、現状かなりの深手。
 物語のコンセプトの中に“人間の多面性”があるのでしょうが、圧縮されたフィクションとしては今のところ、多面的なのではなく、のっぺらぼうになっており、状況に合わせて都合のいい顔を描いているように見えてしまいます。
 家を飛び出すも行く当てもないさくらは、牛島息子(もはやさくらのストーカー)と出会ってひとまず牛島家に招かれ、
 居間が殺風景で気持ち悪い
 のは、今回の好演出。そして、矢柴俊博というキャストを活用した、その場における牛島父の笑顔が大変気持ち悪い、のも良かったポイント。
 オルテカの接触を受けた“救世主”――心理カウンセラー・灰谷は、プラナリアスタンプの再生・増殖能力を用いて複製したプラナリアデビルと、心理的に誘導した師範代を上級契約させる事で強力な悪魔を増産する手管を見せ、病院を襲う師範代デビルと激突するリバイス&ライブ。
 「私が……聖子さんを止める」
 ハンコアブソーバーを手にそこに現れたさくらは、狩崎も驚いているらしいドライバーを身につけて変身しようとするが、ポーズが承認されずに変身失敗。
 セキュリティは多分、狩崎の認める、複雑で華麗な手の動きと腰のひねり。
 地面に転がるさくらを師範代デビルの攻撃から守ったリバイが倒れて、つづく。

◆第12話「弱さは強さ!?無敵のジャンヌ!」◆ (監督:杉原輝昭 脚本:木下半太
 「なぜあのベルトを持っているのだぁ?!」
 さくらの持っていたドライバーに狩崎が大興奮する中、凄く普通に立ち上がったリバイが戦線復帰すると、すっごく雑な兄弟Wライダーキックが炸裂するが、悪魔から解放したと思ったのも束の間、師範代は再生・増殖能力を持つプラナリアデビルによりさらわれてしまう。
 状況を引っかき回して悪化させたさくらに対し、前々回までトイレが寝床だった大二が上から目線で正論をぶつけまくり、フェニックス隊員としてはまあともかく、心配も入っているとはいえ大二そこまで家族に当たりが強いの?? とこの兄弟の関係性にまたも困惑する事になり、こんなところでも、ノーマル大二期間の不足が激しく足を引っ張ります。
 五十嵐母については、普段はなんでも自分に相談してくるさくらが今回は違う事に不安を感じている、と前回のフォローが入るのですが、これまでの描写を見る限り一輝も大二も母親べったりで別にさくらに限った話ではなく、どうにもこうにも五十嵐家は、台詞による設定説明に説得力が感じられない事が多々。
 またもさくらの前に姿を現したアギレラからは、物心ついた時にはデッドマンズに居たと自己申告があり、第1話でもカルト教団的な組織描写がありましたが、アギレラの口にする「家族」の意味に新たなスパイスが加わったのは面白く広げてほしい要素で、ぽんこつ化の進行するアミーゴトリオには、頑張っていただきたいです。
 一方、街では師範代デビル率いるデッドマンズ軍団が暴れ出し、現場に駆けつける大二と門田。
 「五十嵐……俺は昔、ひ弱でいじめられっ子だった」
 「え?」
 「いつかヒーローが助けてくれると思ったが、いつまで経っても現れてくれなかったよ」
 「はぁ」
 「それが俺の、戦う理由だ! ――我が命を懸けて、世界を守る!!」
 門田さん、いきなり感傷的な独白を始めても違和感のないキャラではあるのですが、突然の個人的ヒーローテーゼ投入(一応、さくらの悩みと関連はしているのですが)により生き急いでいる感にますますブーストがかかり、デモンズ初変身時から懸念される、2022年の初日の出を拝めるのだろうか、という不安が増大していきます。
 大量のデッドマンズ構成員と戦うライブとデモンズだが、モグラハンコを使っている途中に謎の拒否症状の出たデモンズが強制変身解除で門田は気を失い、2022年の初日の出を拝めるのだろうか、という不安が以下略。
 さくらに声をかけていた一輝が駆けつけてリバイスに変身するも、どういうわけかオオカミとイカも参戦して大乱戦となり、さくらの心情に焦点を当てた一方で、灰谷の作戦にオルテカとフリオまでが乗ってのデッドマンズ一大作戦になっている成り行きはさっぱり見えてこない為、仕込み不足の目立つ展開。
 ……いや、素直に受け止めると、カゲロウが失敗したので次は灰谷、と打倒リバイスを外部委託に頼るアミーゴトリオが本当にポンコツになってしまうので……大がかりなバトルにするならするで予備動作をハッキリしてくれないと、この後のジャンヌ誕生も劇的さを減じてしまうわけですが、とにかく右から左へ物量を捌くのに手一杯で、構成にメリハリと段取りが足りません。
 道場でベルトを身につけるも、何度ハンコを押しても変身できないさくらは決して無敵ではない自分の弱さを受け入れ……自らに近づく、紫色の影に気づく。
 「一輝にぃ大ちゃん、ごめん。……私、全然弱かった。……でもね。――自分の弱さを受け入れた私は、無敵よ」
 リバイスとライブの窮地に姿を見せたさくらは、ハンコアブソーバー(女性のハンドバッグに入るサイズ想定か)を構え、組み立てとしては、〔弱さの自覚と克服 → 心中の悪魔の制御 → 仮面ライダーへの「変身」〕の企図と思われますが、肝心要の“自分の弱さ”の掘り下げが甘く曖昧なマジックワードのまま処理されているので必然的に「変身」が劇的さに欠け、つい先日、カゲロウをどかーんしたら大二が変身できたぜ! の直後に、近似の状況設定を繰り返した上で、同じような失敗も繰り返す展開に、面食らいます。
 それぞれのにとっての“弱さ”とは何か、を描かないと物語にならないと思うわけですが……五十嵐家だけが納得する形で物語は進んでいき、とにもかくにも蛇のゆるキャラめいた悪魔の外部出力に成功したさくらは、狩崎セキュリティを乗り越える変身ポーズを修得すると、コブラスタンプを用いて、仮面ライダージャンヌへと変身。
 小柄でスマート、黒地に青黄の装甲というちょっと変わったカラーリングのジャンヌ(ライブが古代戦士なら、こちらは未来戦士風味)が空手の力でしばらく無双し、『リバイス』全体としてアクションは悪くないと思うのですが、上述したように、肝心の「変身」のトリガー部分がマジックワードのまま処理されてしまった為、さくら自身がベルトコンベアーの流れ作業で作られたキャラのようになってしまい、どうにも盛り上がれず。
 「なんで? どこ行ったの? え?! どういう展開? え?」
 バイスが“弱さ”を探して右往左往している間にジャンヌは空手のパワーで師範代デビルを撃破し、解放された師範代はフェニックスによって連行。子供は病気と戦っているから諦めないで、とさくらが声をかけると師範代はそれを受け止め、重いテーマを放り込んでは雑に解決する安定の『リバイス』クオリティ。
 師範代――悪魔化した人物――の反応に関しては、「魔が差した」から「憑き物が落ちた」ニュアンスもあるのでしょうが、大切な人がやむにやまれぬ事情で悪事に走った時にどうすればいいのか? という問いに対して、「力で止める」先のさくらなりの答えも全く見えないまま片付けられてしまい、それだと、大二と何が違うのかも描かれていないと思うのですが……そして、宇宙一のお節介兄貴も師範代の問題に関しては全く無力のまま終わっており、劇中の理屈で処理しきれないモチーフは基本的には扱わない方がいい見本みたいなエピソード。
 そして、師範代息子の病気に関しては、大二がフェニックスに掛け合って治療をしてもらう事となり、あーあーあーあーあーーー、何も後味が悪いのを好むわけではないのですが、難病設定のゲストが“ヒーローの知人であった”事から特別扱いを受けてしまうおよそ最悪の解決方法が選択され、あまりにもモチーフの扱いに対する慎重さが欠けていて、精密機械、と貼られた小包でキャッチボールしているのを見せられているような気持ち。
 これならいっそ、少年の治療費捻出の為にフェニックスと契約してジャンヌに変身する(最初から私欲を剥き出し)、の方がスッキリしましたが、それやると今作に影のちらつく『オーズ』の伊達さんとかぶってしまうところはあり、その辺りやはり『オーズ』は、ヒーロー物の抱える危うい部分と、自覚的に向き合っていくアプローチであったな、と。
 年末に控えるであろう一山を前に、五十嵐三兄妹が全員、仮面ライダーとなる事を『リバイス』色として打ち出してきましたが、三兄妹ライダー! と興奮するよりも、本来は20話ぐらいかける内容を1クールに無理矢理圧縮したような印象。
 ジャンヌに関しては、『ゼロワン』バルキリーの二の舞(反応が芳しくなかったので雑な扱いになったのか、雑に扱っていたら反応が悪くなったのかは知りませんが……割と好きだったので少々引きずっています)にならなければいいですが、
 ・送り主不明かつ狩崎が廃棄した筈のドライバー
 ・ハンコが「蛇」
 ・名前が「ジャンヌ」
 という不穏な要素を含め、うまく転がってほしいところです。
 そして、バイスに続いてジャンヌ蛇もキャラクター化したという事は、カゲロウは表に出てこないだけで存在している布石でありましょうか。
 次回――そろそろCG費用が馬鹿にならなくなってきたのか襲われるフェニックスベース! 果たして門田さんは、2022年の初日の出を拝む事が出来るのか?!