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リハビリコスモス

ウルトラマンコスモス』感想・第56話

◆第56話「かっぱの里」◆ (監督/特技監督:村石宏實 脚本:川上英幸)
 それでは皆様、ご唱和ください。
 「河童は光線なんか吐かない!」
 『ビーファイターカブト』第20話「河童訪ねて三千里!!」(監督:石田秀範 脚本:扇澤延男)は、私の特撮河童観を決定的に歪めてしまった作品ですが、年々、悪影響が増している気がします。
 ……静かな山奥の村に入り込んだ都会の若者たちがキャンプを始めたのは、河童(的な何か)の潜む池のほとり。
 騒音を垂れ流し空き缶をポイ捨てし、村の老人に乱暴する若者たちの狼藉に、怒りの河童が若者の一人に河童パンチ!
 若者らの警察への通報から、巡り巡って「怪物が居る」とアイズに連絡が入るが、村人は河童の存在を知った上で共生を成立させており、そこではチームアイズも闖入者の側でしかないのは、面白いシチュエーション。
 人型か河童型かの違いだけでモチーフとしては第46話「奇跡の花」と同一なのですが、第46話がドイガキ×村井を一緒のエピソードに盛り込もうとして散らかってしまったのに対して、過疎化の進む村に残された老人たちと、同じくそこに“居続けるもの”としての河童との共感と交流にフォーカスした事でエピソードの芯が一本通り、善し悪しは別として、ここではチームアイズもその生活社会に外部から入り込んできた他者である事が明確に強調されるのも、スッキリとわかりやすくなりました。
 まがりなりにも“人間を襲った怪物”の処遇を見定めるべく、一芝居打って村人を油断させたアイズは村人と河童が盛り上がっているところへと踏み込み、視聴者には冒頭で村側の事情を描いて善玉悪玉をハッキリさせておくだけではなく、思わず人間を殴った事を反省した河童が、秘伝の薬を持ってくる事で善良さを補強するのが、今作らしからぬ手堅い作り。
 村に残った老人たちにとっては、“自分たちを置いていかなかった家族”といっていい河童――“かわのじ”との関係を知ったアイズは村人の事情を斟酌しようとするが、急病で倒れた村の長老を町の病院へと運ぶ事に。
 ところが長老を心配するあまりに河童が車をダッシュで追いかけてきてしまい、ここまでストレートな怪異譚を積み重ねてきた事で、この場面がなかなか染みる画になったのは秀逸でした。
 運転をリーダーに任せたムサシは河童の説得に成功するが、事情を知らない通りすがりの若い駐在が河童を撃ってしまった事から、荒魂と化した河童が、おどろおどろしい音楽で巨大化。
 警官を逃がしたムサシは荒れ狂う河童を大人しくさせる為にコスモスへと変身し、これより、スペース大相撲、結びの一番!
 にーしー、河童之字~。
 ひがーしー、月天空~。
 見合って見合って-、はっけよい、のこった!
 ……コスモス関、立ち合いの変わり身で瞬殺される(笑)
 手を叩いてはしゃぐ河童に、変化禁止とアピールしたコスモスが、改めての立ち合いで真っ正面から張り手勝負に持ち込むと明るい挿入歌が流れ出し、いつの間にやら村人やアイズの面々が見守る中、まさかのほのぼのバトルに(笑)
 老人たちはかわのじと相撲を取った幼い頃の懐旧に浸り、ここでは村は、一つの割り切りをもって、“やがて消えゆく世界”として描かれているのですが、そうする事によって“消えゆく過去”が“『コスモス』が描き出しきれない曖昧でややこしい未来”を飲み込む構図が発生しており、それが『コスモス』にとって良かったのかはさておき、かつてあった(今も僅かに残る)世界の中に、ムサシの探す答えの一端が存在しているのかもしれない、のは示唆的となりました。
 ただこれは一歩間違えると、“美しいノスタルジー”の中に安易な正解を設定してしまいかねない爆弾なのですが、川上脚本では第5話「螢の復讐」で、環境と開発の相克を描こうと試みるも、以後『コスモス』では投げ飛ばされていた要素なので、山の怪異譚シリーズの体裁を取りつつも、割と川上さんのやりたかった仕掛けが入ったエピソードであったのかもな、と。
 そしてそれを今回、“消えゆく世界”と設定する事により、ならば“過去ではなく未来をどうするのか”を託されたのがムサシ(であり我々であり)といった構造にしたのは、上手いところ。
 なお、巨大河童が思い切り送電線を破壊しているので、いつもの『コスモス』として考えると問題は出るのですが、今回は完全に怪異譚の構造に飲み込まれているので(河童の正体が遠い昔に地球に飛来した宇宙生物という解釈は可能にしつつ)怪獣被害とは別カウントでしょうか(笑)
 ……そう考えると、“科学”が“怪異”を“怪獣”とした時に、人類との間に新たな関係性が発生するのかもしれず、今回ドイガキが妙に仕事熱心で、河童を怪獣として扱う事にこだわっていたのは、メンバーの中で最も、ドイガキが“科学”の人であるからだったのかもしれません。
 今ちょっと掘り下げるエネルギーが無いのでメモに留めますが、ここにおいて〔神霊 → 怪獣 → 生物〕の転換による“神秘性の剥奪”がシリーズ従来作以上に『コスモス』の内部に強く存在する事が浮き彫りになってくるのは、興味深い部分。
 つまりこの時、「“怪獣”を同じ地球に住む“生物”として捉える事で共生していこうとする思想」と「“怪獣”ではなく“神霊”と捉えて向き合う事によって共生が成立しているコスモロジー」が邂逅を果たしているのは、今回の面白い副産物である気がします(そしてその時、ウルトラマンとは如何なる立ち位置になるのか、といいう問題も提起されているといえるかも)。
 水分補給でパワーアップしたかわのじに一度は投げ飛ばされるコスモスだが、最後は土俵際でうっちゃりを決め、勝負あり。
 神事としての相撲により再び祀り上げられたかわのじは元の大きさに戻り、チームアイズは事を荒立てずに村を去る事を選ぶのであった…….。