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「その子は、亮は、おまえの息子だぁッ!!」

『機界戦隊ゼンカイジャー』感想・第34話

◆第34カイ!「カボチャをトリトリ競技会!」◆ (監督:中澤祥次郎 脚本:香村純子)
 注目は、トンネルで踊り狂うゾックスから脇目も振らずに走って逃げるハロウィンワルド。
 まるでホラー映画の一幕のようで、大変、まともな反応でした。
 本日はアース-45ではハロウィン! 介人たちは仮装に身を包み、ヤツデさんのピーター・パン(演じる榊原郁恵さんの代表作といえるミュージカル)という大技から子供たちの為にお菓子の準備を始めるが、カラフルにやってきたのは、ハロウィン強盗団。
 「このカオス……またトジテンドの仕業チュン!」
 セッちゃんの読みが当たり、街ではハロウィンワルドが人々を「お菓子は要らないから暴れる」ハロウィンそっちのけの世紀末軍団へと変貌させており……暴徒化するデモ隊のごとき映像がギリギリ全開。
 これが浦沢脚本だったら、物凄く毒っぽい話になっていそうだな……と思わず考えてしまいます(笑)
 ゼンカイジャー、ハロウィンワルド、ハカイザーの戦闘中、ハロウィンワルドが身につけていたカボチャヘッドが外れるとその能力が半減し、洗脳解除。
 「おまえは隠れてろ。俺がカボチャヘッドを見つけてやる。失敗は、挽回!」
 ドタバタギャグで場の空気が緩んだところから綺麗な流れでさらりと入れてきて、スタッフに、人の心が無い。
 かくして、戦況を見下ろしていたステイシー、介人たちに頼まれた海賊一座も加えてのカボチャヘッド捜しが始まり、ああでもないこうもでないとしている内に、ばったり出くわす介人とサトシ。
 「ステイシーもカボチャ探してたんだ。俺たちもチームワークじゃ負けないからな」
 「……チーム?」
 「ハカイザーと協力してるんでしょ?」
 「協力なんかしてない」
 逆さま事件で知ったステイシーの境遇を気にしてか、立ち去ろうとするステイシーに、バラシタラを越えたいなら「仲間と協力して、たっくさん勝つ方が良くない?」と声をかける介人……あっけらかんとステイシーと会話を交わすのはまだともかく、侵略組織相手に勝利のチームワークを勧めるのは、さすがに明後日すぎるのでは。
 幾らなんでも「ステイシーの(バラシタラへの)勝利」と「トジテンドの侵略活動」を切り離して考えるのは無理がありますし、遠回しに「自分たちと手を組んでバラシタラを倒そう」と誘っているように取れなくもないですが、それは介人にしては婉曲に過ぎますし。
 いっそ、「バラシタラを越えたいなら俺たちと一緒に戦おう」ぐらい言ってくれた方がスッキリしたのですが、諸々話の都合で各方面に配慮した結果、出てきたら爆殺対象のハカイザーと手を組んでくれたら気持ち良く全力全開キャノンで爆殺全開ちょわーーー、と何やら猟奇的な雰囲気も醸し出されてきました。
 介人の言葉にささくれ立つステイシーは川を流れているカボチャヘッドらしきものを発見し、ハカイザーもビルの屋上でそれらしいカボチャヘッドを発見し、カボチャをリヤカーで集めていた界賊一座は、ゴミ捨て場で擬態していたカボチャワルドを発見し……明らかに前回の番長のパワーが抜けきっていないヤンキーフォームで、待ち伏せ、ガン付け、そして襲撃。
 痛快番長に追い詰められたカボチャワルドが絶体絶命のその時、ステイシーとハカイザーがカボチャヘッドを手に駆け付け、ワルドが選んだのは、ハカイザーのカボチャ。
 ショックを受けたステイシーが愕然と立ち尽くす中、介人たちも合流した大乱戦の中でハカイザーの用意したカボチャヘッドが金によって破壊されるが、即座にカボチャはステイシーが手にしたままのカボチャをパイルダー・オンし、むしろこちらがベストマッチ。
 「結局どのカボチャでも良かったって事じゃないですかー!」
 「なんだったんだ……今までの時間!!」
 「いいカボチャ見つけたなぁ、ナイス・ステイシー!」
 「……たまたまだ!」
 ハカイザーからサムズアップを送られたサトシは、入学以来始めて、昼休みにクラスメイトから声をかけられた様子で激しく目を泳がせるとその場を立ち去り、そうかハカイザーは、いわゆる“陽キャラ”だったのか、と今になって深く納得(笑)
 カボチャヌンチャクワルドはスーパー化からの全力全開キャノンで撃ち破り、巨大カボチャワルドと全開恐竜が戦闘開始。
 充電に戻ろうとしたハカイザーをふんづかまえた赤黄桃青は、ボウケンジャーギアによるコンクリート拘束から遠距離で銃弾を雨あられと浴びせる必殺の戦法に出るが、全ての銃弾を弾き落としたハカイザーの充電が切れるとその動きが止まると共にヘルメットが消滅し……
 「おおっ……」「嘘でしょ……」「おぉ?!」「まさか!」
 後頭部の黒髪しか見せないまま、さらけ出されたハカイザーの素顔に4人が愕然としていると、イジルデが出てきて、ハカイザーを連れて撤収。
 巨大カボチャは白金が撃破して街には平穏が戻るが、ハカイザーの正体を知ってしまったジュラン達は、浮かない様子で言葉を交わす。
 「なあみんな……さっきのアレの事……なんだけど」
 反対側からの映像で、ハカイダーのヘルメットの下に4人が虚ろな表情の五色田功博士を目にしていた事が明かされ、バッチリ改造されていた!!
 「一緒に頑張ろう、か……」
 一方、充電中のハカイザーを見つめるステイシーは、なんだか心の隙間に忍び込まれた気配を漂わせていたが、正体を考えると、これはこれでまたキツい……ステイシーがようやく手に入れたかもと思ったものが、またも介人のものだったとわかったら、これもう完全に、今度こそ被り物だと思うのですが!!
 ハロウィン回としてはハロウィン回で楽しくドタバタしつつ、ハカイザーの正体とかステイシーの心境とか諸々を混ぜ込もうとした結果、各種要素が巧く馴染まず悪い意味でバタバタしてしまい中澤×香村としてはまとまりの悪い内容でしたが、介人とジュラン達に大きな情報差を与えるのは、香村さんらしさも白倉さんらしさも感じるところ。
 引っかかりの大きかった介人とステイシーのやり取りは、今作ままあるパターンとして、数話後になって、成る程そう持っていくのか……という事があるので、巧く転がってほしいです。

 以下、《スーパー戦隊》×「父親」の余談となりますが、シリーズとしては割と(「母性」に対して)「父性」のウェイトが大きいのは《スーパー戦隊》の特徴、とはいえるのでしょうか。
 これは恐らく、ロボットアニメ文脈における「父親(ないし祖父)-博士ポジション」及び、東映任侠物の血脈の影響があるのかと思いますが、特に初期作品は、「組長」と書いて「オヤジ」と呼ぶ関係性が背後にちらつき、『電撃戦隊チェンジマン』の伊吹長官とチェンジマンは、まさにこれ。
 そこから、親分気質ではなくコミカルな描写の目立つ太宰博士(『ターボ』)や母親的役割のアーサーG6(『ファイブ』)、初の女性司令官(ただし「母性」の要素は薄い)である小田切長官(『ジェット』)などを経て、90年代後半に入ると、より柔らかな疑似家族的構造が描かれるようになり、その中で父性を担う代表的キャラが久保田博士(『メガ』)とモーク(『ギンガ』)といえるでしょうか。
 その後、ズバリ「父親」を司令官ポジションに据えた『ゴーゴーファイブ』は序盤しか見ていないのでコメントできず、以前にもちょっと触れましたが、00年代になると塚田Pが『デカ』『マジ』『ゲキ』で「母性」の要素を押し出したのは、シリーズ史において、カウンター的意図はあったのだろうと思っています。
 『マジ』は「家族」テーマなので当然「父性」の要素も強く入り、『ゲキ』では更にそれが歪みとともに顔を見せるのですが、この辺りは『キョウリュウ』以下、大森P作品にも多少の影響を与えているのではないか、と思うところ(実際は知りませんが、大森Pは塚田Pフォロワーっぽい雰囲気を感じるので)。
 その『キョウリュウ』は半分しか見ていないのでなんともいえず、恐らくシリーズで「父親」の扱いが大きい三傑が『ゴーゴー』『マジ』『キョウリュウ』かなと思うのですが、最後まで見てるの一つだけですね私! なんだかんだでウルさんは嫌いではないのですけれども。
 2015年の『ニンニン』になると、かつて「父親」でも良かったポジションが「祖父」となって三世代ものとなり、それは《スーパー戦隊》シリーズの積み重ねてきた歴史を示しているともいえるのですが、その劇中で、かつてヒーローだった男が年経て「若きニンジャ達を見守る父親になる」――その責任と立場を受け入れる――エピソードであった『ジライヤ』コラボ編が描かれたのは面白いところで、この、「オヤジになる」(事を受け入れる)エピソードは、結構好きです。
 ……まあそうすると、どうして実の父親である旋風はああなってしまったのか、に返す返すも首を捻る事にはなるわけですが、後にVS映画で天晴が「父親になっている」のは、『ニンニン』本編におけるテーマ性を汲んだところであろうな、と。
 そのVS映画の脚本だった香村さんは、『ジュウオウ』では父と子の面倒くさい男同士の関係性を割とスタンダードに描き(『タイム』の浅見父子は念頭にあったのかと思われますが)、『ルパパト』では「父性」そして「母性」の否定と欠落こそが、作品の核にある「家族の“喪失”」を浮き上がらせていたのですが、この後、介人とステイシーにとって「家族」がどう描かれていくのか、後半の筆の冴えを楽しみにしたいです。
 で、どうして日記タイトルがこうなったのか、と問われると、戦隊シリーズ屈指の駄目人間(親父)として大変印象深いからです、鉄面臂張遼
 杉村升が、いつものナチュラルボーンマッドサイエンティストを書くノリで「生き別れの父親」を書いたら、とんでもないものが生まれてしまったというか……そういえば『オーレン』のジニアス黒田も杉村さんの筆でしたね……。
 他、個人的に印象深い父親キャラを挙げていこうかと思ったのですが長くなりそうなので一人に絞ると、台詞を日記タイトル候補に考えていた丈瑠父(『シンケンジャー』)。
 「忘れるな! 今日からおまえが……シンケンレッドだ!」
 私の中で未だ、聞きたくなかった今際の際の台詞ナンバーワンです(笑)
 実は、「《スーパー戦隊》における「父性」(「母性」)」は、一度真面目に掘り下げたいなーと考えている題材なのですが、今回は余談の範囲という事で。
 次回――予告は凄く盛り上げているのに、どうして苦し紛れ感の強いサブタイトルなんだッッッ!