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『機界戦隊ゼンカイジャー』感想・第33話余談

 昨日ちょっと、過去の感想などを漁る時間が無かったので触れなかった、《戦隊》×「学園」要素について、つらつらと雑文。
 まずシリーズ過去作において、「学園(学生)」といった要素がコンセプトに盛りこまれているものをあげると、
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 学歴社会への問題提起をテーマの一つとして、心の歪んだ天才たちを敵組織に据えた『超獣戦隊ライブマン』(1987)
 戦士メンバーが現役高校生の『高速戦隊ターボレンジャー』(1989)
 戦士メンバーが揃って小学校教師の『地球戦隊ファイブマン』(1990)
 再び、戦士メンバーが現役高校生の『電磁戦隊メガレンジャー』(1997)
 戦士メンバーが忍術学校の落ちこぼれ生徒である『忍風戦隊ハリケンジャー』(2002)
 一族単位ですがラストニンジャを目指して忍術道場で学んでいく体裁だった『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015)
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 といった辺りでしょうか。
 45分の6と考えると、だいたい13%ぐらいで、多いとも少ないともにんともかんともな数字となりますが、間隔でいうと、1980年代後半に偏った後、『ファイブマン』以降は、7→5→13年と空いており、『ニンニン』はかなり久々の学生要素であったという事に。
 過去忍者戦隊の要素が取り込まれている『ニンニン』には『ハリケン』への、学校壊滅やモチーフの構成などが重なる『ハリケン』には『ライブマン』への、それぞれ設定面での意識があったと考えると、『ライブマン』から『ニンニンジャー』まで糸が繋がっているのは、《スーパー戦隊》の歴史を感じるところです。
 基本的に、作劇の都合で職業要素の扱いは緩いシリーズであり、当然、学生要素もふわっとした扱いになる上に、ロケ地の確保やエキストラの都合で「学園生活」を継続的に描くのは制約が厳しいのが、作品コンセプトとして組み込むには一つネックとなりますが、そういった自由度を確保したい事情もあってか、上記6作品中3作品(『ライブ』『ファイブ』『ハリケン』)において、初回に学園が消し飛ぶ事に。
 なお、『メガ』では地上基地が、『ニンニン』では実家が、それぞれ初回で吹き飛ぶので、つまり、《戦隊》×「学園」=爆発
 試験に出ます。
 純然たる学生戦士ものである『ターボ』『メガ』では、さすがに初回から校舎崩壊はありませんでしたが、撮影の都合に加えて、事件の規模を学校に収めにくい、のは両作品とも題材としての難しさを感じたところです。
 学生主人公としては『仮面ライダーフォーゼ』が、同じ塚田プロデューサーによる『ダブル』の流れを汲んで、“ジャンルミックスと箱庭”により学園物としての精度を上げていましたが、放映時期の関係で9月に決着をつけざるを得なかったのは、惜しまれる部分。
 学園要素と《戦隊》で相性の良い点をあげると、「卒業」と紐付ける事により1年間の物語を締めやすい部分であり、『ファイブ』『ハリケン』はこれを巧く活用。また、『ターボ』→『メガ』の比較として、後者は「卒業」に至る過程として受験を扱っていたのが、その辺りは全くスルーした『ターボ』と比べると、学生戦隊しての解像度が上がった部分でありました(高校野球、最後の夏がなんの感慨もなく終わってしまったのはやはり引っかかったところで)。
 ターボレンジャーの5人が、それぞれ別々の運動部に所属しているのは、各分野のスペシャリスト招集パターンの系譜と思われますが、『メガ』になるとこれが共通の部活に所属している“部活もの”の文脈になっているのは、時代の流れを感じる部分。部室という事にしておけば、一箇所に集めても「学生」らしく出来る、という都合もあったのでしょうけれども(笑)
 上記6作の中では「卒業生(中退)」の立場であり、直接的に「学園・学生・学習」と関わってはいないのが『ライブマン』ですが、学歴社会や受験戦争への社会風刺をテーマに置き、エリート教育の歪みやそこからのドロップアウト、悪の教育者などの姿を丹念に描き、「学び」というテーマに対しては、歴代で最も真っ正面から扱った作品かな、と。
 実は90年代の劇薬『激走戦隊カーレンジャー』(1996)がこれに近いテーマを取り込んでいたりするのですが、メイン脚本の浦沢先生が毒や風刺を交えつつ「教育」という要素をしばしば扱うので、その辺りがあるかもしれません。

 個別のキャラクターにおいて、回想や潜入作戦などを除いて劇中で明確に学生生活が描かれたとなると、
 『ライブ』純一、『ジェット』アコ、『ダイレン』コウ、『マジ』魁、『キョウリュウ』ソウジ、『ニンニン』風花・凪、『キラメイ』充瑠、といった辺りでしょうか。
 何人か居る大学生キャラは判定が難しいのでパスしましたが、並べてみると思ったより少なく(まあそもそも、未成年戦士があまり居ないのですが)、『キラメイ』感想で充瑠の学生生活は本当に存在するのか……?! とか書いていましたが、そこ掘り下げられるのが実は珍しかったのだな、と。まあ『キラメイ』は、メンバーの職業にスポットを当てる作風だったので、充瑠だけそれが無いのが目立っていた、というのがありますが。
 80年代においては一大テーマだった「青春」ですが、意識的にそれを組み込もうとした節のある『メガ』は別にして、『ハリケン』『ニンニン』は、戦士メンバーの足場を“学生のようなもの”に設定しつつも「青春」要素はほとんど見えないのは、ドラマ性の変化を感じるところです(まあ『ニンニン』の場合は“内弟子”の方がニュアンスが近い上に「家族」要素の方が強かったですが)。
 近年だと一番、それらしい描き方で“部活もの”の文脈が見えたのは感想でも書きましたが『キラメイジャー』でありましょうか。各分野のスペシャリストがある時間だけ手を取り合うフェスティバルを、“青春の輝き”に落とし込んだというか。
 これは私に、そういうものとして見える、というのが大きいでしょうが。

 個別の学園系エピソードで印象深いものをあげると、まずは今回の日記タイトルに台詞を採った『轟轟戦隊ボウケンジャー』Task.32「ボウケン学校の秘密」(監督:中澤祥次郎 脚本:小林靖子)。
 学園潜入アイデアの変則パターンですが、チーフ愛され系エピソードとして、全編に渡って凄まじい切れ味でした(笑)
 それから、『海賊戦隊ゴーカイジャー』第39話「どうして?俺たち高校生」(監督:竹本昇 脚本:香村純子)。
 学生コスプレほのぼの回の体裁を取りつつ、「学園」「青春」という『メガレン』の要素を、「(一定の)安定した/平和な、世界の象徴」としてモチーフ化する事により、ザンギャックの支配する宇宙において海賊たちが求め方さえ知らなかったものに触れさせながら、「夢」という作品のキーワードに繋げてレジェンド回としての原典を尊重しつつ『ゴーカイ』する、香村さんの筆力が良く出た回でした。
 キカイトピア(トジテンド)という世界の在り方を考えた時には、今回の『ゼンカイ』に繋がる――介人が見せたかったものと重なる――エピソードでもあったかな、と。
 後、教育問題と浦沢先生、では『激走戦隊カーレンジャー』第22話「悲劇の交通ルール体質」(監督:坂本太郎 脚本:浦沢義雄)が、過去の勉強の結果、交通ルールを守らずにはいられない体質である事から市民を守れなかった事にシグナルマンが苦悩し、毒と風刺が切れ味抜群で、忘れがたいエピソード。
 「夏休みに塾に通って勉強しすぎたばかりに……本官は……融通の効かない体になって、市太郎くんを助ける事が出来なかった……!」
 「子供にとって夏休みは遊ぶ為にあるんだ! 夏休みまで塾に行って勉強しすぎるから、こんな体になっちまうんだよぉ!!」
 ……酷い(笑)