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心の絆

ウルトラマンコスモス』感想・第42-43話

◆第42話「ともだち」◆ (監督:石井てるよし 脚本:大西信介 特技監督:佐川和夫)
 地球に近付く新発見の彗星の影響か大規模な通信障害が発生し、地球全体で大気圏外との通信が遮断されてしまう中、田舎町の少年・堀村のパソコン通信に繋がる、遠い宇宙からの声。
 「僕の名前は、ソル」
 生物学者である父と宇宙艇を怪獣デルゴランの攻撃によって失い、地球から遙か遠い宇宙の彼方、無人小惑星プティワールにたった一人で取り残された宇宙人の少年ソルと、転校してきた田舎町に馴染めずに友人とのビデオチャットに他者との繋がりを求めていた少年との、か細い糸で繋がった交流が描かれ、プティワール周りの特撮が大変美麗。
 本来は穏やかな性質の筈が、突如として凶暴化したデルゴランはカオスヘッダーに憑依されて地球に接近しており、彗星とは別に地球に迫る謎の巨大生物の正体を確認するべく、第21-22話以来となるテックブースター出撃。
 一方、ムサシは堀村少年の家を訪れるとソルと直接やり取りし、デルゴランを何とか助けてほしい、というソルの願いを聞いて、例え怪獣でも、父の仇を討とうとするよりも救える命を救おうとする『コスモス』の主題が真っ正面から盛りこまれる事に。
 デルゴランの接近を確認するテックブースターだったが、デルゴランはなんと、火星近縁から地球まで一気にワープし、ムサシはコスモスに変身。
 なお、本来はデルゴランの接近を確認したのち地球に帰還して情報を伝えるつもりだったと思われるテックブースターは、規格外のワープ能力の為とはいえ、宇宙に出て行ったと思ったら怪獣が突如として地球に出現する完全なボーンヘッドのあんまりな扱いで、マックスマグマが仲間になりたそうにこちらを見ている。
 コスモスはウルトラアイでカオス粒子を確認すると、コロナを経てイクリプス(なんかもう、ルナからイクリプスしてくれても別に構わないのですが、といういたたまれない気持ち)からオペを開始し……ひとまずカラテでHPを削ります。
 ……けっこう削ります。
 火の通り具合を見てカラテバーストするとカオス粒子は除去されて、改めて説明するまでもない場面までナレーションさんがひたすら説明を入れてくるのはどうも違和感がありますが、“星を越えたメルヘン”とでもいった内容なので、今回はナレーション多用により“語り”の効果を意識したのかもしれません(『ガオレンジャー』手法というか)。
 彗星と怪獣は地球を離れていくが、同時に通信環境の変化により近付く堀村とソルの別れ。
 「約束するソル、僕は、いつか君の星まで行けるロケットを作る。君と……君と握手する為に」
 宇宙の彼方に出来た「ともだち」に、いつか自らの力で辿り着く為に……別れの痛みを経て変わる事を選んだ少年は、馬鹿にしていた地元の子供達のロケット研究サークルに入れて欲しいと頭を下げて受け入れられ……正道のジュブナイル展開でまとめられるのですが、が、世話焼き委員長気質の女子1+地元男子3+都会からの転校生男子1で構成されるこのサークルには、いずれ修羅場の匂いしかしない……!
 プティワールのソルの元には、どうやら同胞が救援に訪れたと思われるカットが描かれ、綺麗にまとめに入っているけどソルは助からないのでは……? と不安だったので、これはホッとしました。
 今回から新EDテーマとなり、「君が教えてくれたね 「生きてる」っていうこと」「いつの日か夢を つかむ旅と」「心の絆が きっと僕らを会わせてくれたんだ」など、もしかすると、メイン脚本の大西さんがこの歌詞の内容に合わせて書いたエピソードだったのかも。

◆第43話「操り怪獣」◆ (監督/特技監督:村石宏實 脚本:川上英幸)
 突如、地中から出現したトカゲ怪獣によって道路が大きく隆起すると、それに巻き込まれたパトロール中のアイズカーが角度のついた路面で大ジャンプを決める、冒頭から気合の入った特撮シーン。
 マシン改造を受けて何者かに操られていたトカゲ怪獣は、しばらく暴れ回ると急に動きを止め、口から泡を吹くと改造の拒否反応によりショック死してしまう。
 怪獣のサイボーグ化に怒りを燃やすムサシはその夜、夢の中でノワール星人を名乗る黒ずくめの怪人に呼びかけられる。一人、誘いに乗って指定された工業地帯へ向かったムサシはまんまとノワール星人の罠にはまり、目を覚ますと何故か銭湯の床に転がっていた。
 夢にアクセスしてムサシを誘い出した電波が、以前にアヤノを捕らえたドリームヒツジ脳波と紐付けられる事もあり、不安定なカット割りとカメラワークによる幻想的で不気味な空間の中で、ムサシの前に姿を見せるノワール星人。
 「君に、見せたいものがある」
 某妖怪人間のような正体を現したノワール星人(変身前の扮装も、つまりベムか?)は、マシン改造したもう一体の怪獣をムサシに見せ、ノワール星では怪獣に様々な改造を施してきた上で生きた資源として活用していた事を語る。
 だが、その結果としてノワール星人は母星の怪獣を絶滅させてしまい、新たな怪獣の供給元として地球に目を付けると、ドリームヒツジ作戦により地球人の知識を手に入れ、ラグストーン作戦により地球人の欲望の在り方を計測していたのだった。
 「地球人は、合理的で、貪欲で、なのに、なぜ怪獣を資源として活かそうとしないのか。それがわからない」
 過去エピソードの要素を繋ぎ合わせた上で(どちらも川上脚本)、照明暗めの基地とか、街の風景の入れ方とか、夕焼け空の見せ方とか、全編に渡り古典オマージュぽい演出がされているのですが、地球人類の考えを問うノワール星人との対話も、いかにも。
 「怪獣も地球の一部だ」
 「なに?」
 「怪獣も、野生動物も、原生林も! あらゆる生物は同じ地球の一部なんだ!」
 ……その物言いだと、その“地球の一部”を資源として用いない事への反論には全くなっていないのですが、やたら大きな異星人のリアクションによりムサシが力強く切り返した雰囲気を出しているものの、「そんな考え方が?!」ではなく「こいつ話なにも聞いていないな!」と衝撃を受けているように見えなくもなく。
 会話が噛み合っていないのはともかく、ここでは寓意としての怪獣を現実と並べる事で、“守るべき自然(命)”として位置づける事を優先しているのですが、そもそも「怪獣」こそが、“現実的問題の寓意(例えば、「街に熊が出てきたらどうするか?」を置き換えた存在)”である事を思うと(つまりノワール星人については寓意が成立しているのですが、ムサシがそれを破壊している)、それを現実になぞらえて再定義する事には何やら「怪獣」という虚構に関して本末転倒の感もあり――ある意味では、シリーズ30数年の時を経て、「怪獣」が「虚構」からズレ始めている、ともいえますが――、脚本の川上さんが当初今作のコンセプトに疑念を抱いていたと聞くと、「怪獣保護」の問題を如何に物語に落とし込むか、についての苦悩も窺えます。
 ノワール星人は明らかに、ブレーキをかける事なく星の資源を食い尽くしてしまった地球人類の鏡像であり(鏡の中に正体が浮かび上がる演出も示唆的)、では、そうしない為にはどうすればいいのか? 地球環境とどう向き合っていくのか? に踏み込んでこそ物語の主題になると思うのですが、「地球の一部だから守るべき!」で止まってしまって、「文明」と「自然」の対決が欠落しているのが、『コスモス』のどうにも噛み応えの足りないところ。
 それこそ、文明の利器の恩恵を最大限に享受しているチームアイズだからこそのアプローチが描けると思うわけなのですが、「対決」を前提として落としどころを探る事なく、「対決」を無いものとして「融和」と「全面的尊重」が描かれてしまうのが、個人的にはどうしても、???、となってしまうところです。
 ……とはいえ、放映当時、親子層に大きな人気を博していたと聞くと、この案配こそが的を射ていた面はあったのだと思われ、とするならば、「怪獣」の中に「対決」の要素が存在している、という前提(先入観)を私自身が持っているからこそ、その存在を極力無視する事に対する根本的違和感を覚えている事に気付かされるのですが、今回は『コスモス』としてその違和感を取り外そうとした話、であるのかもしれません。
 「見当違いもいいところだな」
 怪獣の安定供給の為にムサシを窓口にしようとするも、こいつ話が通じない……! となったノワール星人は実力行使に訴えようとするが、寸前でフブキが異空間に入り込み、見せ場が!
 これが愛?! 愛の力なんですかフブキさん?!
 「よりによってそんな話し合いに一番乗らない相手をおまえは選んだってわけだ」
 フブキは鏡撃ちでムサシを救出するが、深傷を負ったノワール星人は最後の力でメカ怪獣を出撃させ、爆散。
 夕陽をバックに工業地帯に改造怪獣が出現し、捕獲に出撃するシノブ機とドイガキ機だが、麻酔弾は無効。さすがにキャップには終始真面目に話しかけるのが、こんな場面なのにちょっと面白くなってしまったカワヤ(臨時アナライズ担当)の解析により、怪獣は全身に強力な改造処置が施されている事が判明し、暴れ回る怪獣を前にやむなくヒウラは攻撃を決断する。
 「救ってみせる! コスモース!!」
 それを止めようとムサシはコスモスに変身し、人外の干渉があった末だからこそウルトラの力が出てきて釣り合いが取れるのは、カオスウルトラマン後編に続き、如何にしてコスモスを物語の中に落とし込むのか、に対する川上さんの意識が見える部分。
 かれこれ第43話にして、「これが『コスモス』!」が一つの形になった感はありますが、一方で画面の方が思い切り過去作オマージュなのは、演出と脚本でボタンが掛け違っていたのか、敢えてこの画面にする事によりシリーズ従来作を乗り越えていく意志を強く示そうとしたのか、悩ましいところ(村石監督への信頼度が微妙な為、個人的には前者に見えるのですが……)。
 イクリプスしたコスモスは、ウルトラカラテ・機命断空拳により、怪獣のマシン部分のみの破壊に成功。ノワール星人の呪縛から解放された怪獣は、しばしコスモスと触れ合うが、無理な改造の影響によりその命の灯火は既に限界に達しており、絶命するのであった。
 「……コスモスも……神ではない」
 コスモスは怪獣の死骸を宇宙に運び……一部の先輩たちなら、そのままノワール星にカチコミかけて宇宙からまた一つ悪の星が消えるところでしたね!
 「怪獣は……資源なんかじゃない。怪獣だって地球の一部なんだぁ!!」
 悲しみにくれるムサシは絶叫し……話の意図はわかるのですが、重ねて、人類視点において、「資源」と「地球の一部」は矛盾しないので、せっかくノワール星人という鏡像を用いて“人類の業”に触れたにも拘わらず、レトリックの問題もあるとはいえ、その“業”に対して主人公が抗おうとする肝心の一言がびしっと決まらないのは、惜しいポイントでした。
 そこからもう一歩、その“業”とどう向き合おうとするのか踏み込むムサシが見られるとまた感触が変わったかと思うのですが、基本的に踏み込まない作風であり。
 で、つまるところ私は、
 「藤宮は、ずっと地球の事を考えてきたんです。矛盾だらけの問題を、真剣に考えているんです」(『ウルトラマンガイア』第41話)
 が凄く好きだった事を思い出し、色々と、自分の視点を省みる機会になった点では、面白いエピソードでした(決め球がすっぽぬけた以外は、話に込められた意識も悪くなかったです)。
 次回――おおっと! これはいけません! ロープを乗り越えて、背後から掟破りのチョップ! チョップ! ミスター・ギギ、溜まらずリングに崩れ落ちるー?!