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仮面ライダー鎧武』感想・第14話

◆第14話「ヘルヘイムの果実の秘密」◆ (監督:諸田敏 脚本:虚淵玄
 「あれはもう人間じゃない! 人を襲う怪物だ!」
 大事の前の小事で割り切り力の高いメロンは怪物として初瀬インベスを抹殺しようとするが、鎧武はそれを妨害。戒斗が唐突に「ここは俺に任せろ」ムーヴを発動してメロンを相手取っている間に初瀬インベスを止めようとする鎧武が敢えて変身を解いて呼びかけると、苦しむインベスは初瀬の姿に。しかし、その右手と獰猛さはインベスのままで、紘汰は殴り飛ばされ、その間に初瀬は姿を消してしまう……。
 「無駄な抵抗はやめろ。おまえに勝ち目などない」
 「黙れっ。俺が屈しない限り、貴様が勝ったわけではない!」
 面倒くさい事を言い出したバナナはメロンに完封負けを喫すると黒影部隊によって連行され、紘汰はひたすら初瀬を探していた。
 ミッチは兄に探りを入れようとするがすげなく拒絶され、思い切って兄の車の後部に潜むと、ユグドラシルへと潜入。……受付のお姉さんが、出社した主任の背中をしばらく笑顔で見送っているのがおいしいですね!
 ステルス技能を発揮したミッチは割とあっさりプロジェクトの深奥部に辿り着き、ユグドラシルには、対人レーザーを発射する監視カメラとか、部外者が機密に触れると建物ごと吹き飛ばす自爆装置とかが足りていない!
 警備の雑さに定評の高まりつつあるユグドラシル、“悪の秘密結社”を現代的な大会社にコンバートするとリアリティとファンタジーのバランス調整が難しくなり、緩さがそのまま物語の床に空いた穴になってしまうのは近年では『ゼロワン』も盛大に踏みつけた地雷ですが、“箱庭世界の支配者”としては、『W』の園咲家とか『フォーゼ』の天ノ川学園高校ぐらいが、適度なスケール感なのかな、と。
 (どうしても、ミッチのステルス技能凄い……! よりも、カードキー区画ぐらい無いの……? となってしまうわけで)。
 ユグドラシルの雛形とおぼしき『555』のスマートブレイン(本社ビルは『555』世界における世界樹――ユグドラシル――の象徴である)は、ワンマン社長がだいたい節穴と個人に責を負わせつつ、箱庭型の世界観ではなかったので外縁が曖昧にぼやけていても比較的流しやすい面はありましたが、《平成ライダー》における「悪の組織(種族)と怪人ポジションの位置づけの変遷」は一度真面目に比較検討すると面白そうかとたまに考える部分です。
 ミッチは兄とシドが話し合っているのを目撃し、プロフェッサーの研究データから、インベスとは、ヘルヘイム果実を体内に取り入れる事により細胞の変化を起こした既知の生物である事を知る。
 いうなれば、ヘルヘイム植物の摂取による不慮の改造人間であり、「怪人ポジションとしての改造人間」モチーフが、果実の摂取を通して“異界の法則に干渉された存在”として定義付けられ、それが劇中マクロにおいては「森の侵食」と照応される事に。
 そして、「ヒーローの変身能力が怪人ポジションと本質的に同一である」改造人間テーゼを考えると、ヘルヘイム果実をロックシード化し、その作用を部分的に抽出するのがアーマードライダーのドライバー、という事になりそうでしょうか。
 「怪人ポジションが元人間である事へのフォーカス」という点において、今作は『仮面ライダー555』と接近したアプローチを行っていますが、『555』における、人間が死を経験する事によってオルフェノクとして蘇生する(この「死」の経験が劇作としてはエクスキューズと同時にメインテーマでもあった)プロセスが、今作では「ヘルヘイムの果実を摂取する」事に集約・象徴されているといえ、スマートブレインとユグドラシルの相似性からも、作品としての意識が窺えるところです。
 『555』における「死」は、今作では異界――ヘルヘイムの森――との接触が担っており、ヘルヘイム果実はザクロに似た印象だったのですが、これは「よもつへぐい」(黄泉の国のものを食べると黄泉の国の住人になる)のイメージでもあるのだろうな、と。
 ミッチが禁断の果実に触れていた一方、初瀬がパフェ店に現れるとチーム鎧武のメンバーを傷付け、市民を守る為にヒーローダイブを決めた紘汰は、初瀬インベスを前にやむなく変身。
 覚悟を決めて切りつける鎧武だが、戦う内に初瀬の顔が思い浮かんでしまい……ここだけ見ると、凄く仲良しだったように見えますね。
 (俺たちは今何をやってる? どうしてこんなふうに戦わなきゃならない?!)
 ――「敵に何故などと問いかける者は、そもそも戦う資格すらない! 戦いに意味を求めてどうする? 答を探し出すより先に、死が訪れるだけのこと」
 「こうなる事を、あいつは知ってて!」
 苦悩しつつも鎧武が初瀬インベスを追い詰めていた頃、ミッチは研究データの中に、音信不通のチーム鎧武リーダーがヘルヘイムの果実を食べてインベス化する映像を発見する。
 「俺は人殺しなんて出来ない……出来るわけねぇだろ! こいつは初瀬だ! ……初瀬なんだ」
 弱った初瀬インベスにトドメを刺す事が出来ずに膝を付く鎧武だが、その刃は既にリーダーインベスを爆殺していた事が明らかになり、鎧武の慟哭と軽いノリでリーダーインベスを惨殺していた過去を重ねるえげつない構成ですが、さすがに紘汰にとっては想像の埒外すぎて責任を負わせるのも不条理(ゆえに物語のスプリングボードとしては使いにくい印象)ではありますし、正直、リーダーの消息についてはある程度は読めていた展開だったので、衝撃度はさほどでもなく。
 基本的には、ではここから何を描くのか? という要素なので、今後の転がし方で何を見せてくれるのか、に期待したいところです。……紘汰にまともにぶつけると再起不能になりそうなので、どちらかというとミッチの爆弾になりそうですが(紘汰とリーダーの事に加え、兄がこの事実を把握していた事を知ったのも相当きつそうですし)。
 一方、初瀬インベスの理性に訴えようとするも手負いの獣でしかないその反応に立ちすくむ鎧武だが、その時、高いところに現れる四つの影――それは、上の上のアーマードライダーズ! その名もユグドラクローバー!!
 メロン! チェリー! レモン! ピーチ!
 4つの邪面が次々と召喚されると、ジェネシスドライバーの起動により一挙4人の新世代ハカイダーもといアーマードライダーが登場し……デザインは……かなり……無理矢理感……。弓矢が共通装備という事で、片方だけの肩アーマーと左右非対称な胸部装甲が弓矢使いとしての共通項になっているのですが、ゴーグル部分が顔からはみ出しすぎていると、いまいち格好良くならない感(メロンでギリギリか)。
 「おまえの悪ふざけが招いた結末だ。後始末ぐらいしたどうだ」
 「はいはい」
 メロンの弓矢の直撃を受けた鎧武が変身解除後、軽い調子のサクランボが初瀬インベスを蹂躙し、紘汰の絶叫むなしく、射殺された初瀬は大爆死。
 「どうして……どうして殺した……そいつは!」
 「何故かだって? いったい何がおかしいってんだ」
 変身を解いたサクランボの正体は錠前ディーラー・シドで、シドの悪い表情は、引き続き大変素晴らしい。
 「…………シドぉ!」
 「人を襲う化けもんを始末したんだぜ? こいつはいわゆる、正義ってやつだろ?」
 うそぶくシドに詰め寄ろうとする紘汰だが、量産型黒影に拉致されて、つづく。
 ユグドラシルの策謀! 森の影響! 果実の秘密と衝撃の真実! 怒濤の情報開示の中で、これまで居た世界の崩壊の象徴として、思い切った形で容赦なく初瀬を退場させてきましたが……「ヒーロー」「正義」の悪意を込めた敢えて皮相的な描き方と合わせて、それが面白いかというと、うーん…………といったところで、ここまでの今作とは相性の悪さを感じる、というのが正直。
 劇作としては、バネの“たわみ”の部分とはいえるので、たわめたバネが物語(紘汰ら)を大きく跳ねさせてくれると良いのですが。
 ところで、今作は『555』と接近したアプローチをしている部分があると上述しましたが、商業展開の物量を筆頭に10年以上の隔たりがあるので単純に比較する事は出来ないものの、似た性質の悲劇性をベースにしながらも、作品から受ける印象がだいぶ違うのは何かとつらつらと考えてみた時に、『555』にあって現状の『鎧武』に足りないものは、


 「俺にすら彼女が居ないのに……なんでおまえに」
 「なによそれ。要するに僻んでるの?」
 「二股なんて、言語道断ってやつだぜ!」
(『仮面ライダー555』第12話より)

 なのかなと(笑)
 丁度、似たような話数で、ラッキークローバーとか、付けると死ぬベルトとか出てきた頃合いに、こんな流暢な会話のドッジボールが叩き込まれるのが実に井上脚本なのですが、『鎧武』にはどうも、日常の息継ぎとキャラクター同士の横のやり取りが不足している気がします。
 商業展開の関係で各種ギミックに尺を持っていかれがち&メインキャラが各勢力にバラけてしまっている、といった条件の悪さもありますが、例えばコミカルな要素を入れても、ほとんどの場合が紘汰単独のシーン(或いは、ピエールや城乃内などの誇張したギャグ)であり、軽いくすぐりの場面からメインキャラ同士の関係性の奥行きが広がらないのはじわじわと物語の栄養不足に繋がっているのかなと。
 そう考えると序盤、城乃内と初瀬のやり取りが妙に好きだったのも、自分の中で納得(ゆえに今回の退場には、膨らませようのある部分を切り離捨ててしまった残念さを感じます)。
 まあ、「世界には悲しい事も沢山あるけれど、それでも今を生きているならその事を楽しもうぜ」というのは井上敏樹の作家性といえますし、それに対する好き嫌いも当然分かれるかとは思いますが、この辺りは私は、井上敏樹に馴らされているなと(笑)
 もっと言うと、井上ワールドの中にある「悲劇と喜劇の表裏一体性」は、私が大きな影響を受けている富野由悠季の劇作と繋がるものがあって、それは私にとってしっくり受け入れやすいのだろうなと。
 その上で、誰にでも“ファーストインパクト”があって、戦隊や仮面ライダーがその根幹で常に“物語の入り口”を意識している事や、『鎧武』時点で既に『555』から10年経っている事を考え合わせた時、物語の要素の抽出・再構成には一定以上の意味があるし(これは焼き直しなどのネガティブなニュアンスを含みません)、例えば10代の時に『鎧武』と出会っていたらもっと刺激的に感じていたかもしれず、そういった“いつ出会うか”性の部分が大きめの作品ではあるかもしれません。
 次回――女性キャラから足蹴にされまくる戒斗の姿に覚える、この一ヶ月で3回目ぐらいの既視感……。