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友よ、君たちと明日へ

超獣戦隊ライブマン』感想・最終話

◆第49話「大教授ビアスの崩壊!!」◆ (監督:東條昭平 脚本:曽田博久)


――友よ、君たちは何故、悪魔に魂を売ったのか?!

 「僕は大教授ビアスの頭脳を持ったまま若返り、少年王ビアスとなったのだ! 僕にはたっぷりと勉強できる時間が出来たというわけさ。僕はもっともっと勉強する。そして、大きくなったらもう一度、大教授ビアスになるのだ!」
 少年王ビアスは、ブレインシステムの残骸からデンシヅノーを生み出し、その攻撃を受けた赤は変身解除。勇介をぐりぐりと踏みつける少年ビアスに大教授ビアスの笑い声が重なる不気味な演出で、ここまで妖しい悪のカリスマとして物語を牽引してきた中田譲治さんが、ラスト前で完全退場してまさかの形でラスボス交代にならなかった(少年王の中に大教授の人格が確かに存在している事が明示された)のはホッとしました。
 「おまえを今死なせるのは勿体ない。ヅノーベース、発進」
 ビアスは勇介を磔にするとヅノーベースを地球へと向け、ガッシュに甲斐甲斐しく給仕をさせながら、地上を総攻撃。
 「地球をミンチにしてやる」
 ケーキを頬張りながらの台詞が、なかなか洒落ています。
 「……やめろ……やめろビアス!」
 「まだまだこんなのはほんの遊びさ。子供の遊び。――これからが本番さ」
 (こいつ……姿形は子供でも、心はまさしくビアス
 大教授ビアスとしての意識が強くなると、声が中田譲治ボイスになる演出が表現する歪さでラスボスとしての存在感を保ち、地球を蹂躙していくヅノーベース。だがその時、勇介の目に入ったのは空を飛びヅノーベースへとぐんぐん迫る 腹マイトを巻き付けた スーパーライブロボの勇姿!
 星のオヤジの仇じゃぁぁぁ!!
 引き続きコロンさんをセンターに乗せたスーパーライブロボはヅノーベースへ捨て身の体当たりを仕掛け、慢心からその直撃を受けたヅノーベースは、墜落・半壊。
 スーパーライブロボも大地に倒れ、ヅノーベースの残骸へと向かっためぐみ達は事情を知らぬまま少年ビアスを発見するが、ケンプ脳による攻撃を受ける。
 「愛しいケンプの脳は、色々と役立ってくれる」
 すっかり光線銃扱いされるケンプ脳だが、そこへ飛び込んできた勇介が脳を奪い取る。
 「勇介、生きてたのね?!」
 割とお構い無しでしたね!
 「こいつはビアスだ!」
 「ええ?!」
 「大教授ビアスは、ケンプたちの脳を利用して若返り、少年王ビアスとなったんだ」
 驚愕する一同の視線が少年王に集まり、前回ラストで少年の姿になった時はどうなる事かと思ったのですが、若き天才たちの犠牲を糧にそのブレインエネルギーで延命を繰り返してきたビアスが極端に若返る事により、若者の“時間”を奪って生き続ける醜悪な老怪という本質が非常にわかりやすくなりました。
 「ビアス様には指一本触れさせん」
 ガッシュと電子ヅノーの攻撃を受け、勇介たちは5人揃ってライブマン。戦いの最中、ケンプ脳を取り戻した少年ビアスが逃げたのに気付いた青はその後を追い、血痕を辿って少年ビアスを発見。
 見た目は子供、中身はビアスなので躊躇なく攻撃してくる少年王に反撃する青だが、取り落とした脳カプセルを拾おうと飛び出してきた少年ビアスに至近距離で銃を向ける事になると、引き金を引く事ができない。
 「……撃てまい。僕が子供だから撃てないんだ。撃てない。おまえには撃てないぞ。おまえは僕に生まれ変わってほしいと思っているんだ。おまえの心ぐらい、手に取るようにわかるのだ。僕が心を取り戻したら、真人間になれると思っている。そうだろう?! だからおまえには撃てないんだ」
 いくら巨悪とはいえヒーローが子供の姿をした相手を撃てない、とメタ弱点かと思わせて、なぜ「子供だから撃てない」のかといえば、それは「生まれ変わってほしいと思っている」からだ、と即座に物語の中に理由を落とし込んでこれまでのめぐみ(ライブマン)の行動理念にラスボスがカウンターを叩きつけてくるのがえげつなく、最後の最後まで曽田さんの筆が冴え渡ります。
 そしてこれが、今作全体の大きなテーゼとして集約されていく事に。
 めぐみの心情/信条として、ケンプ17歳回が強い効果を発揮しているのは勿論、その回でケンプが胎児のイメージ→全裸(生まれたままの姿)を見せた事により、比喩としても文字通りとしても“生まれ変わり”――若返ったビアスの新生の可能性も説得力を増し、長石監督が広瀬さんを脱がせた甲斐もありました!
 「撃てるものなら撃ってみろ。撃ってみろ!」
 後ずさる青は少年ビアスの眉間に銃を突きつけるも迷いを振り切る事が出来ず、傷の痛みで屈み込んだのかと思いきや狡猾にも足下の脳カプセルを拾ったビアスの攻撃を受け、変身解除。
 「弱いな、めぐみ。その心の優しさが、おまえの弱点だ」
 「……いいえ、弱いのは、あなたよ」
 ……だが、ここからめぐみさんのターンだ!!
 「なに?!」
 「あなたにこそ、子供の心が残ってるのよ。また人生がやり直せるかもしれないって思い……別な生き方をすれば、別な人生がある。……大教授ビアスになるよりも、そっちの方が素晴らしいかもしれないっていうような」
 めぐみさんの語りモードは、主人公(赤)&長官ポジション以外としては、歴代最強クラスだと思われますが、現場としてもそれだけ魅力的なキャストだったのだろうな、と。
 めぐみパワーがあまりに強すぎて、ドラマ部分では勇介さえ食ってしまう面があったのは若干の良し悪しではありますが、個人的にはすっかりめぐみファンなので、最終回で集大成といえる岬めぐみオンステージが入ったのは大変嬉しい。
 序盤はそういう気配もありましたが、紅一点+ハイスペックのキャラ付けから女帝ルートへ入るのではなく、『ライブマン』における「救済」の役割を担い、作品の大きなテーマを代表する事になったのが、ならではの魅力になったと思います(そして、それを見事に演じきった森恵さんが、つくづく素晴らしい)。
 「黙れ黙れ!」(中田譲治ボイス)
 冒頭では大教授/少年王ビアスの不気味さを示していた少年の容姿+中年男性の声が、ビアスの本心からの動揺を現すのが、お見事。
 「あなたはそんな心の底はわかりたくなくて、あんな事を言ったの」
 「違う! ……違う」
 ビアスがこれ見よがしに「生まれ変わり」の可能性をめぐみの弱みとして口にしたのは、むしろビアス自身が抱える弱さなのだと突きつけ、聖女めぐみの《かたりかける》! こうかはばつぐんだ! ビアスはもうメロメロだ!!
 「たとえ頭脳がビアスでも、若返った体は、正直に若さに反応するわ。若いって素晴らしい……生きるって、素晴らしい」
 「言うな!」
 振り払うようにめぐみにケンプ脳を向ける少年ビアスだが、それは無反応。
 「どうしたんだ?!」
 (俺も……俺も戻りたい……懐かしい、子供のあの日へ)
 ガッシュらを振り切ったらしい勇介たちも合流したところで、カプセル脳からケンプの声が響き、OPのクレジットにも名前が無かったので、因縁の宿敵として嬉しいサプライズ。
 (やり直せるなら、もう一度……)
 脳だけとなりながらもケンプは遂にビアスの呪縛から卒業し、死の寸前や実質的な死後も含めてではありますが、最終的に弟子たちがビアスの否定に到達するのが一貫して、まさしく「大教授ビアスの崩壊!!」。
 ケンプ脳の覚醒が引き金となり、恐らくシステムにおいて連動しているヅノーベース内部の脳も連鎖的に覚醒。
 (地球だ! 地球に帰ってきたぞ!)(私たちの故郷よ!)(出してくれ、ここから出してくれ!)(体を返して下さい)(僕の青春を返してくれー!)(お願い、ここから出して!)
 ヅノールームで次々とカプセル内の脳がざわめき出し光を放つ場面に続いて、ヅノーベースブリッジのカットが挟み込まれ、勇介を磔にしていたオブジェが、巨大な十字架として機能するのが、鳥肌の立つ演出。
 繰り返し、演出面でも感嘆してきた今作ですが、最終回でも東條監督が会心の一撃を見舞ってきて震えます。
 捕まえた勇介に地球の破壊を見せつける(話の都合も含めた)悪の嫌らしさ・ヒーローを捕まえたらとりあえず磔は伝統文化の範疇、の自然な流れにより、この瞬間まで、「十字架」である事が隠されているのは、まんまとしてやられました。
 先の「子供だから撃てない」もですが、最終回にして、メタ的なお約束ともいえる要素を鮮やかに物語の中に落とし込んでみせる事で、特撮ヒーロー作品の作劇そのものに、こういうやり方もある、と見せつけてきて、80年代戦隊を駆け抜けてきた練達のスタッフの技量に脱帽します。
 そして、《スーパー戦隊》の強みというのはやはり(例えば今も、荒川さんが30年目のトップフォームを見せているように)、シリーズが連綿と途切れずにいる事で熟成を重ね続ける遺伝子の継承にあるのだなと改めて(勿論、この「秘伝のタレ」にアレンジを加えてみよう、というのは歴史の中でアリだと思いますし、その上で、変化を続けながらも「秘伝のタレ」に戻れるのが《スーパー》戦隊だな、と)。
 「おのれ、ケンプ……よくも、この私に逆らったな……」
 ヅノーベースから溢れ出たブレインエネルギーに取り巻かれたビアスがケンプ脳カプセルを取り落とすとそれは爆発し、全てのエネルギーを失ったビアスは、一同の前に老いさらばえた老怪の姿を曝す。
 「あれが本当のビアスの姿だ」
 めぐみ達が衝撃を受ける中、追いついてきたガッシュが老ビアスを助け起こすと電子ヅノーをけしかけ、「行くぞ!」の掛け声に合わせて、主題歌をバックに5人は「「「「「ライブマン!」」」」」。
 実質ラストバトルの相手がぽっと出の電子ヅノーなのは正直盛り上がりに欠けるところで、最終回ながらフル名乗りも無いのですが(これは多分に尺の都合か)、物語の焦点はここからビアスの最期にスライド。
 ライブマンは電子ヅノー&戦闘員軍団を次々と打ち倒し、青のチョップに微妙に腰が入っていないように見えるけど、アクション大好きだったという森恵さん、とうとう中に……? と思って、ブログを覗いてみたところ、やはりご本人アクションでした。

 〔ライブマン最終回みました?/光の中のめぐみ〕

 この戦闘シーンのアクション(一部?)は、それぞれ、主演俳優陣がスーツを着ている模様。
 ガッシュビアスはヅノーベースへと逃亡を図るが、そこに立ちはだかるレッドファルコン。
 「待てガッシュ、俺と勝負だ!」
 なんだかケンプよりよほど因縁の勝負みたいになっているのはちょっと強引ですが、アクション面で赤に花を持たせる一騎打ちに。お互いに剣を抜いてぶつかり合うも相討ちになると銃を抜き、早撃ちで勝った赤は、ジャンプ斬りでガッシュの右腕を切断。そして、渾身のファルコンブレイクが炸裂し、倒れるガッシュ
 「おお……ガッシュ……」
 ファルコンは、もはや一人では立ち上がる事も出来ないビアスを捨て置いて仲間の救援に戻り、一応トリプルバズーカを挟んで、バイモーションバスターだ!
 辛うじて全壊していなかったガッシュはギガファントムで電子ヅノーを巨大化し、ライブマンスーパーライブロボに乗り込んでいる間に、ビアスをヅノーベースへと運び込む。
 「ガードノイド・ガッシュ、必ずビアス様をお守りしますぞ」
 特に衝撃の正体とかはなく忠臣ロボットの位置づけでフィニッシュしたガッシュですが、後の名悪役グレイ(『鳥人戦隊ジェットマン』)を彷彿とさせるデザインの格好良さもあり、もう一つのラストバトル担当として一定の満足。ビアスを怪人化する想定もあったかとは思うのですが、この後の収まり方が非常に納得度が高いので、最終的にガッシュが巧い位置にはまってくれました。
 スーパーライブロボvs電子ヅノーの巨大戦が始まっている間に、ガッシュと老ビアスはヅノーベースに到着。
 「……ヅノーベース、発進……」
 弱り切ったビアスは、ヅノーベースの惨状にも気付かない様子で、巨大な十字架の立つブリッジの椅子に横たえられる。
 「メインエンジン……噴射……」
 「メインエンジン、噴射」
 朦朧とするビアスの弱々しい指示をガッシュが復唱している頃、電子ヅノーは、ジャイアントスイングからスーパービッグバーストで木っ葉微塵(もういっそ、補助席を出してコロンさんを座らせておいてほしかった勢い)。時同じくして、メインエンジンの起動に耐えられなかったヅノーベースの船体が火花をあげて、崩壊を開始する……。
 「なんだ、これは……?」
 「花火です。ビアス様の地球征服をお祝いする花火です」
 ビアスに忠誠を誓い続けるガッシュは、生死の境を彷徨うビアスの心を慰める為の「嘘」をつき、最後までビアスに付き従い黙々と命令を遂行するだけであったガッシュに「心」が垣間見えるのが、今作における高性能ロボットの扱いとして一貫。
 「おお、そうか……素晴らしい……」
 もはや目も見えないビアスは、崩壊を続けるヅノーベースの中で、自らを讃える群衆の、空しき幻聴を耳にする……。
 「ガッシュ……おぉ……聞こえるか? こ、この声が……」
 「はい。全人類が、ビアス様を讃えております。ビバ・ビアス!」
 歪んだカリスマの成れの果てとして妄執にすがるビアスを呑み込んで、今作における「罪」「罰」「救い」を象徴する十字架の立つブリッジが崩れ落ちていき、大教授ビアスはヅノーベースを巨大な墓標として虚妄の中で爆発に消えていく……。
 最後の巨大戦の意味が時間稼ぎでしかなく、最終局面で悪役側のドラマに重心が移るのは、ある意味では曽田さんの悪い癖の面もあるのかもしれませんが、世界の歪みを体現する真の巨悪として大変気合の入った悪役像でありました。
 曽田戦隊でいうと、見るからに巨大な「世界そのもの」であった星王バズー(『電撃戦隊チェンジマン』)に対して、人間の姿のままそれを象徴したのが、お見事。
 電子ヅノーを倒したライブマンの目の前でヅノーベースは完全に崩壊を遂げ、6人の足下に転がってきたガッシュの頭部が、停止しかけた機能で空中に第1話の映像を映し出すのは、モチーフを繰り返す今作らしい演出。
 「ボルトの、戦いの記録だわ」
 「……美しいものは、何一つ映ってないのね……」
 美獣! 今、美獣映ってますよめぐみさん!!(絶対わざとだ……)
 「彼らはもっと、美しいものに気付くべきだったんだな」
 「この星の、美しさにね」
 ガッシュの頭部と、野に咲く花の姿が対比され、締めのシーンでも台詞の配分が苦しいのは、鉄也&純一の少々可哀想なところでありました。
 「何故この星が美しいか、それは多くの命が助け合い、譲り合いながら一生懸命に生きているからなんだ」
 「……みんなと一緒に生きる素晴らしさがわかってくれたら、決してこの星を支配しようなんて考えが浮かばなかったんだ」
 人・動物・自然の映像が織り込まれ、どんな生き物でも熱い生命がある、と一握りのエリートによる支配を否定し、皆で手を取り合って生きていく素晴らしさを謳い、『ライブマン』として着地。
 ナレーション「ライブマンは、命の重さを噛みしめながら、生きとし生けるものを守る心の前に、敗れ去っていた者たちの記録を、見続けるのであった」
 実質、本編ラスト直前の映像が、アシュラミサイルで、スタッフは、ほんとぉぉぉに、岡本美登さんが好きすぎませんか?!
 そしてガッシュの頭部のアップからEDテーマと共にクレジットが流れ出し、ガッシュによる戦いの記録映像の体裁で背後にボルト名場面集が流れるちょっと変わった形のエピローグ(ここにはED映像の都合以外にも含意するものがあったと思うのですが、後述)。
 完全に機能停止したガッシュの頭部が地割れに呑み込まれていくと、ライブマン6人(コロンさんが参加していて感涙)が富士の裾野をダッシュする通常ED映像を意識したと思われる構成で、ラストは雄大な富士を見上げてエンド。
 ……名・作。
 終盤で失速する事もなく最後まできっちり走り抜けてくれて、大変、満足の一作でした。
 鉄也と純一を使い切れなかった部分や、前半に構築した個人間の因縁が最終的にあまり活用されないなど、気になる点が無いというわけではありませんが、スーパーライブロボの熱量や、最終盤のテーマの収束などの素晴らしさは、それらを補って余りある見所となりました。
 どだい長丁場の物語においては、何かを得る為には何かを捨てないといけない局面というのが出るものですが、そこで何もかも得ようとして破綻する事なく、道中の様々な足し引きをしながら物語のコアを失わずに貫けたのが、今作最大の長所であったように思えます。その選択肢が、非常に適切であったなと。
 登場が遅かった事もありキャラクターとしては物足りない面の出た鉄純ですが、では登場がもっと早ければ今作がより面白くなったかというと疑わしいとは思いますし、第48話においてケンプ救援に抗議する(視聴者の代弁でもある)事で、「それでも助けに行くのがライブマン」を引き出したのは、限られた時間の中で非常に良い役割であったと思います。
 そういう点では、あくまでギミック的な扱いが主になったのが「キャラとしての物足りなさ」に繋がってしまうわけですが、今作は強固な因縁の物語なので、勇介・丈・めぐみの3人と同列に扱うのはやはり難しく、そこはまさに、今作におけるやむを得ない取捨選択であったかな、と。
 敢えて言えば、純一の姉・麻理にスポットを当てた回はあって良かったと思いますし(キャストの問題が出た……?)、5人用の新必殺武器開発(ないし見た目一緒だが強化した事にする)回でもあれば黒緑の存在感も高まったので、商業的事情が出るところではありますが、特に後者が無いままだったのは、ちょっと残念。
 残念といえば、開始当初に期待していた井上敏樹×ケンプ回が無かったのは残念でしたが、『フラッシュマン』以降の流れから他の脚本家の担当が増えるのかと思いきや、むしろ曽田先生が増産体制かつキョンシー回以降は特に絶好調で、改めてその筆力と底力を見せつけられた一作でした。サポートとしての藤井先生も安定し、特に第18話(ツインヅノー回)は、長石監督との相性も抜群で今作屈指の傑作回。
 演出陣では、1-3話の、シリアス! ハード! 爆発! の後に、4-5話で山田稔監督が度が過ぎない範囲でコミカルな空気を盛り込んで作品世界の枠を広げたのが後々まで効果を発揮し、今作の5本をもって引退されましたが、山田監督の立場だからこその仕事を果たして下さった感があり、印象的。
 そして、パイロット版を担当した長石多可男、ラスト3話を担当した東條昭平、の両雄が前作に続いて獅子奮迅のほぼ二人ローテを回し、最後まで見応え抜群の演出で、大変、有り難かったです。
 特に好きなキャラクターは、ビアス、ケンプ、めぐみ、コロンさん。もともと、今作を見たかった大きな理由がビアス中田譲治)とケンプ(広瀬匠)だったのですが、序盤から快調に飛ばすケンプ、妖しいカリスマから若者を貪り食らう邪悪へと一年通して存在感を増し続けたビアス、両者ともに期待以上の素晴らしい悪役ぶりで大満足。
 そして、今作における「救済」テーゼの説得力を引き上げるのに大きな役目を果たし、80年代女性戦士のハイブリッドとして縦横無尽の活躍を見せためぐみと、紛う事なき戦士の魂を持ったサポートヒロインのコロンさんは、歴代シリーズの女性戦士・サポートキャラの中でも、かなり好きなキャラクターとなりました。スタッフが最後まで、コロンさんをしっかり使ってくれたのも、嬉しかったです。
 ……以下ちょっと、余談というか、容易にバイアスのかかりやすい要素を孕むので、話半分程度に読んでいただければと思いますが、ビアスの最期を見て改めて感じたのは、やはり今作は「戦争」を大きなテーマに据えていたのだなと。
 割と万能の溶媒でありますし、軽々しく用いるべきではない見立てではありますが、「若さと科学」をテーマに据え今作と繋がりの深い傑作『科学戦隊ダイナマン』から線を引いてきた時に、“青春を焼き尽くしたもの”としての「戦争」が、ビアスを通して今作の中に確かな影を落としていたように思います。


 (地球だ! 地球に帰ってきたぞ!)(私たちの故郷よ!)(出してくれ、ここから出してくれ!)(体を返して下さい)(僕の青春を返してくれー!)(お願い、ここから出して!)

 ヅノールームに満ちた脳たちの声には無念の魂の叫びが濃縮されているのですが、はからずも母なる地球――祖国の地――に帰還した事で、その魂が成仏/昇天を遂げるのは非常に示唆的で、それにより、いつか「やり直せるかもしれない」輪廻の輪の中に戻っていく事で寓意を巧妙に交えつつ、その若さの可能性を奪ってきたものとして真の悪が強調されるのが、今作の上手さ。
 そして、(これは政治的思想性を取り込みすぎるので)直接的に繋げる意図は無かったと思うのですが、ヅノールームの壁に“ビアスの写真”が掛けられていたのは、「戦争」を踏まえて見た時には、ビアスの自負心とはまた別の意味を持ってくるな、と。……それもまた一つの“象徴”であり、より普遍的な形で見るべき要素だろうとは思いますが。
 前年の《メタルヒーロー》作品『超人機メタルダー』が、「戦争」(太平洋戦争)を明確に意識して劇中に取り込み、ラスボス周りで今作と繋がる要素を持っているのは興味深い点であり、くしくも今作が一つの時代の節目に位置する事になるように、1988年当時の時代性が生んだ部分もあったでしょうか。
 そして今作のラストがガッシュによる戦いの記録映像となるのは、「失われた命と戦いの事実そのものを消し去る事は出来ない」事を示しているように思われ、それ――歴史――を受け止めた上で、一人一人が足下にある美しいものに気付き、皆で手を取り合っていける明日に輝く為にこそ、生き残った者として「敗れ去っていた者たちの記録を、見続ける」のは、多くの墓標を背負う(からこそあらゆる命に手を伸ばす)ヒーローであったライブマンにふさわしいラストであったように思えます。
 その上で、少年王ビアスを通し、他者の時間を奪い、利用するばかりだった“間違った指導者”の心の中にも、もしもやり直すことが可能であるならば、もっと平和な未来を築きたい想いがあった筈だ、とされるのはヒーロー作品らしい希望の描き方でありましたし、そういった見え隠れするテーマが、あくまで寓話としてヒーローフィクションの中に織り交ぜる形で描かれたのがまた、お見事。
 成熟した80年代戦隊作劇の精髄にして、テーマ的にも80年代曽田戦隊の集大成といえる今作ですが、善悪を越えてライブマンが生きとし生けるものを守ろうとするのは、可能性を閉ざさない為だというのは、実に美しい着地でありました。
 明日に生きるぜ ライブマン

 最後に、『ライブマン』感想から少し外れますが、今作の他、多数の東映ヒーロー作品に参加された、カメラマンのいのくままさお氏が亡くなられたとの事。感想記事において監督の名前を出しているところで、実際はカメラマンの領分であった部分が幾つもあると思うのですが、様々な作品をありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 構成分析と総括は、また別項で。
 『超獣戦隊ライブマン』感想、お付き合いありがとうございました!