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ギザギザハートのコロンブス

超獣戦隊ライブマン』感想・第44話

◆第44話「ブッチー涙の大暴走!!」◆ (監督:東條昭平 脚本:曽田博久)
 ギルドスは宇宙人ではなかった!
 その事実に衝撃を受け、自らの体をスキャンした結果、自分もまたロボットである事を知るブッチー。だが、母星で過ごした記憶が確かにある事に、ブッチーは疑問を抱きビアスに問いかける。
 「その過去の記憶も私が作ったのだ」
 ビアス様は残酷な真実を優美に告げ、ブッチーもギルドスも、地球の天才たちを刺激するカンフル剤に過ぎなかった事を明かす。
 「おまえたちの出現が良い刺激となって、ケンプたちは成績を上げた」
 つまり、キラキラ輝く為に僕らは巡り会ったんですね!
 「やはり俺たちこそが、ビアス様の真の弟子だったんだ」
 地球3天才はこのやり取りを物陰から覗き見し、目の前で他者が「道具」として切り捨てられている姿を見つめながら、ビアスに認められる喜びに少年の様に瞳を輝かせるケンプの描写が、「なんの為にか」を見失った歪んだ頭脳と自尊心の行き着く先としてえぐみを感じさせます。
 滔々と語るビアスと、ショックで転げ回るブッチーの傍らで、階段に腰掛けて黙々と武器を磨き続けるガッシュの姿が同じ画面に収められているのがこれまで以上に意識的に見え、ガッシュがどんなピースになるのかも期待したいところ。
 「誰に作られたかを忘れるな」
 ビアスはブッチーにボルトの「道具」である事を重ねて告げ、自暴自棄になったブッチーは、ボーソーヅノーと共に地球へ。巨大な鉄杭を手にローラスケートで走り回りながら当たるものみな粉砕してゆき、コミカル寄りな演出と破壊規模のギャップから迸る狂気!
 そしてとうとう流れ出す『パラダイス銀河』をバックに、次々と吹き飛ぶ市街(笑)
 岬めぐみ役・森恵さんのブログ回顧によると、以前のタイムトンネル回で、当時、丈役・西村和彦さんが大ファンだった繋がりで矢沢永吉の楽曲が複数用いられているのは割と奮発した演出だったそうで、一曲いくら使用料取られるのかはわかりませんが、なにかと爆発激しいのみならず、こういうところでも地味にお金を渋っていないようなのは、今作の特徴といえるでしょうか(その陰で色々と節約はしているのでしょうが)。
 「おまえらに暴走族の気持ちがわかってたまるものダスか。わしは走らないではいられないのダス!」
 曲は光GENJIだが、言っている事はチェッカーズなブッチーの暴走をワンダーチェーン作戦で止めようとするライブマンだが(なお、この辺りで元号が「平成」の放映になったとの事)、ブッチー強し。
 今回は! 俺の! ボクサー回じゃ無いのかよ?! とブラックバイソンの叫びも空しくライブマンは次々と殴り飛ばされるが、涙で視界の曇ったブッチーはめんたまリボルバーを放つ事ができなかった上、暴走ヅノーの攻撃に巻き込まれ、半壊。
 一緒に吹き飛ばされためぐみは、無惨に半壊し、ギルドスと同じように鋼鉄の骨格を曝したブッチーが、ラジカセから流れてきた歌に耳を傾けるのを目に留める。
 「……減点300点」
 音楽に合わせてローラースケートで踊り狂うブッチーに思わず微笑むめぐみだが、ビアス様は減点を宣告。アシュラの飛び蹴りを受けて尻を叩かれたブッチーは再び暴走を開始し、めぐみはそんなブッチーに、武器ではなくショルキーを構えて歩み寄る。
 「踊りましょう、ブッチー」
 「な、なんだと?!」
 「歌は、切ない気持ちをなぐさめてくれるわ。踊りは、何かも忘れさせてくれる」
 ブッチー初登場回のカラオケ要素が拾われ(それ以外に、掘り下げも接点も無かった、とはいえますが)、ブッチーの中に、破壊や殺戮ばかりではない、歌や踊りを愛する心を見るめぐみ。
 「暴走したり、破壊したりするより、あなたも本当は、歌って踊ってたいんでしょ?」
 俺たちのめぐみちゃんがまたトップギアに入っちまったぜ、と野郎4人は物陰からこれを見守り、『ライブマン』定例・めぐみさんの魅力で強行突破が発動するのですが、時に、物語のロジックを越えていくのが、(プラスでもマイナスでも)「役者」の説得力、なのだと思います。
 悪役陣の魅力が光る今作ですが、最大の当たりキャストは、森恵さんだな、と。
 一方で、めぐみさんの“優しさ”は個人の器を越えたアガペー的なものに達しており、もはや一個のキャラクターというよりもライブマン』における「聖母」概念と化しているのは、良し悪しではありますが。
 ただ、磔・投石・救済、がシンボリックに持ち込まれた第14話「ナベ男勇介の叫び」などを見るに、今作はこの点に関しては自覚的と思える節があって、“復讐”という強烈な私怨を越えた先で、全ての命の為に戦う時、“人と神の間に立つ”のが、今作におけるヒーロー像なのかも、とも思うところ。
 めぐみの呼びかけに涙ながらに応えたブッチーに、ビアス様は遂に0点を宣告。暴走ヅノーの指揮権を奪ったアシュラの攻撃にさらされ、身を挺してめぐみをかばったブッチーだが、海へと辿り着いた二人が手を取り踊ろうとする姿に堪忍袋の緒が切れたビアス様、自爆装置をぽちっとな。
 「わしは、ビアスに作られた事を、呪ったダス。でも、めぐみさん…………めぐみさん、あなたに会えただけでも良かったダスよぉ……! さようならーー!」
 作られた存在であった事に絶望するも、めぐみとの出会いによって作られた存在理由を越えたブッチーは、壮絶に弾け飛び、卒・業。
 2クールぐらいは使えそうなロボットテーマを1エピソードに超圧縮した感はありますが、今作の場合、ライブマン側の身近にコロンさんの存在があるのでロボットに「心」を見る事には違和感がなく、ビアスの手の中で最後まで踊らされていたギルドス、ビアスの言うがままに踊り続けるケンプたちに対し、最後の最後でビアスの手の上から躍り出たその姿は意義深く、どう生きるかを決めるのは、自分自身だ!
 「さらばだ。哀れなライバルよ。劣等生は消え去るのみ。ボルトは我ら真の天才に任せておけ」
 なんだかんだ別れの挨拶を送るのが、アシュラっぽくて良いところ。
 「アシュラ! いったい……あなたたちの先には何があるっていうの?!」
 「真の天才としての名誉と、栄光! それに決まってるではないか!」
 背中を向けたアシュラにめぐみは怒りの叫びを叩きつけ、ボルトの天才たちの行き着く未来は、どこまでいっても「自分の為」のものでしかない事が語られ、ケンプの青雲の志がいつしか形を歪めてしまったように、「誰が為に」を忘れた頭脳がボルトの悪として示されるのは、「技術は、科学の発展は誰の為にあるのか?」という、シリーズ過去作とも繋がるテーマ性を感じるところ。
 そして、ギルドスやブッチーのような、プログラムを離れた心さえ持つロボットを道具として使い捨てる事が、倫理観を失った科学技術の象徴として機能し、劇中に散りばめた要素の連動が実に鮮やか。
 「ブッチーの怒りと悲しみ、あたしが代わって晴らしてやるわ! ――ブルードルフィン!」
 儚い泡沫のごとく消えた「心」の為にめぐみは変身し、5人揃ったライブマンは背後に爆発を背負って、スパーク!
 めぐみのテーマソングをバックの戦闘となり、イエローがジェットスケボーを持ち出してサイバー分身を蹴散らすと暴走ヅノーにトリックアタックを決めたところに岬流秘伝の三連射でドルフィンアローが突き刺さり、バイモーションバスターだ!
 今回はボクサーディメンションから描かれ、暴走ヅノーの打ち壊しアタックを回避すると、必殺ミラクルパンチで粉砕。
 巨大戦そのものは完全におまけ扱いでしたが、2人がかりで用いる巨大武器を使う事による派手な破壊行為・途中でアシュラに指揮権が強奪される、と頭脳獣の存在に物語の中で意味をしっかり意味を持たせているのが、今作の長所。
 めぐみとブッチーは幻の浜辺で共に踊り……ラストにきゃっきゃうふふのサービスシーンがあったのは、前作のアナグマスに引き続いて神山卓三さんを起用したものの、今ひとつ存在感を作れず仕舞いだった分、というのはありそうでしょうか。
 「踊ってあげたかった……ブッチーと、心ゆくまで」
 命を弄ぶビアスの所業に、怒りを新たにするライブマンで、つづく。
 ギルドスにしろブッチーにしろ、明らかにボルト側の頭数を増やしすぎて持て余している感はありましたが、仮にブッチーが不在だった場合、地球3天才(特にアシュラ)のコミカル描写が増えて作品全体の空気にまで影響及ぼしていた可能性はあったやもしれず、色々な意味で、3天才にとっての防波堤的な存在だったのかもしれません。
 次回――熾烈を極める真の天才への道、ドクター・アシュラは、自分が“戦う天才”だった事を思い出せるのか?!