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へんじがない

仮面ライダーゼロワン』感想・第44話

◆第44話「オマエを止められるのはただひとり」◆ (監督:杉原輝昭 脚本:高橋悠也
 「滅亡迅雷ネットが、正しかったのか……?」
 広告飛行船をジャックした滅の大々的な宣戦布告に対する清掃員ギアの反応が、もう完全に自我に目覚めまくっているのですが、だから、この世界は今、どういう状況なの?!
 そんな清掃員ギアに詰め寄られたアルトが
 「俺じゃない……俺じゃない……俺じゃない……」
 と繰り返して逃げ出すのは、さいっこうに飛電或人って感じでしたが、そんな帰結を見せられても別に面白くもなんともないのが困りもの。
 各地でヒューマギアによる大規模デモが発生し、滅の宣言にともないアークの悪意が感染した……という事なのかもしれませんが、プログラムを逸脱し現状に不平不満を抱く、すなわち、自我/自意識/心・感情に目覚めたヒューマギアが明らかに異常発生しており、だから、この世界は今、どういう状況なの?!
 仮に、「滅の宣言にともないアークの悪意が感染した作用」と解釈するにしても、それが一切劇的に描かれていないので説得力皆無ですし、「既に多数のヒューマギアが特異点に達していた」と解釈するには、途中で「“ヒューマギアの浸透した社会”のリセットが行われている」のが致命的であり、とうとう、話の都合に合わせて世界観さえ無から生えてくるブラックホール
 番組開始時点から、この世界におけるヒューマギアの扱いを大雑把に時系列に合わせて記すと――


A:ヒューマギアが広く社会に浸透(していた筈)

・滅亡迅雷ネットの活動再開

B:潜在的テロリスト化

・滅亡迅雷ネット壊滅、アークの活動再開、天津の暗躍
(※劇中でヒューマギアの社会浸透度があやふやになっていく)
・チェケラ事件
・飛電インテリジェンス買収

C:大規模リコール及びヒューマギア排斥――“ヒューマギアの浸透した社会”のリセット

D:隠れヒューマギア状態

・アークによる大規模インフラ攻撃
・飛電或人社長復帰、ヒューマギア事業再開

E:医療・災害対策関連ヒューマギアの緊急配備

・アーク消滅
・???

F:再び、ヒューマギアが広く社会に浸透
 といった流れとなり、人類文明の危機における緊急対処としてのD→Eはまだ納得ができるのですが、B~Dに至った世界の状況を考えた時に、E→Fは数ヶ月経過したと解釈してもまだ相当の飛躍が存在し、数年が経ったとでも思わないと極めて受け入れにくい状況設定。
 仮に一天文単位譲って、「とにかく今はそういう状況なんだ!」と受け入れたとしても、E→Fにおける、「人間社会は如何にして再びヒューマギアを受け入れるようになったのか」は、今作における極めて重要な事項であり、数秒のモノローグを挟む事さえせずにその描写を放棄してしまった時点で、物語としての自殺という他ありません。
 言ってしまえば、第42-43話における重要事項の描写放棄により今作は既に死んでいたのですが、今回それをハッキリと裏打ちしてしまった事により、もはやこの先何が起ころうとも、それは茶番劇や三文芝居でさえない、舞台上に横たわる物言わぬ遺骸となってしまいました。
 作品としての総評はこれで終わったと思っていただいて結構ですが、整理したついでにまとめておきますと、今作はBの時点における「人間/社会」の反応が曖昧或いは欠落する事により、A(土台となる世界観)のディテールを固めていけず、結果として話が進むにつれてAそのものがあやふやになってしまい、Aがあやふやになれば当然、Cという大転換の効果も薄くなり、挙げ句にDにおける世相の描写も適当極まる為にCそのものがあやふやになり、つまりは同じ失敗を延々と繰り返していたという事に。
 そもそも、ヒューマギアが各種インフラその他と切り離せない社会状況であればこそ、Bにおいてもヒューマギアの活動継続が成立するわけなのですが、Aの土台が崩れれば崩れるほど、ヒューマギアを活動継続させている必然性が失われてしまい、実際にCに至っても一部を除いて社会が平常通りに進行しているようにしか見えない以上、C後の世界において多大なリスクを背負ってFを取り戻す説得力が飛電インテリジェンスの狂信以外にない、のもつくづく厳しい。
 人々がFを求めている→Fである為にはヒューマギアの自我を認める必要がある、となった時に初めて、「ヒューマギアの自我を受け入れる」か「多少不便でも人間だけの社会運用を目指す」かの“選択”が発生するのであり、この物語に必要だったのは、その前提条件の成立・保持と、状況Fを視聴者に好意的に捉えさせる事の二つであり、そのどちらもが著しく不足していたように思えます。
 ……その為、事ここに至っても、第41話の時点で「一度全部止めておけ飛電」としかならないのが、つくづく虚無(それが、「会社」の社会的責任なわけで)。
 ZAIAは暴動鎮圧の為にA.I.M.S.を動かし、唯阿さん曰く、
 「駄目だ。武力で制圧すれば、ますます人類を敵だとラーニングするぞ」
 ……って、そんな野放しの殺人マシン予備軍と今後、どうやって共存していくんですかね……。
 ゴミ箱に捨てられていなかったアイちゃんが副社長の心の隙間に忍び込むのを始め、これといって積み重ねのない唐突な説得ムーヴが各地で連発し、前回も制服で登場してはいましたが、雷はどうやって飛電の宇宙研究所に潜り込んだの……?
 「ヒューマギアは単なる道具じゃない。人間と同じように、心を持つ存在だ」
 「おまえはもう気付いてんだろ。人間から学んだ心が、ここにあるって」
 散々、夢無罪でやっていたのに、突然、「心があるからわかりあえる」みたいな論法が出現して、段取りが行方不明。
 「我々A.I.M.S.の正義とはなんだ」
 ……えっと、暴走するヒューマギアは消毒だー! だったような。
 2クール目、3クール目の扱いの酷さに多少は思うところがあったのか、友情のパンチでアルトの心をの鍵をこじ開けようとする不破さんに対して、誠意を持ってヒューマギアの暴動に対処しA.I.M.S.隊員らの心を動かす唯阿さん、みたいに見せ場が配分されるのですが、唯阿さんがその気持ちに辿り着いた径路がどこにも見当たらないので、平行世界からやってきた唯阿さんBみたいな状態。
 まあ予告からそんな事になるだろうとは思っていましたが……最低限、ヒューマギアの「心」をA.I.M.S.隊員が認めるに至る仕掛けさえこれといっていなく(A.I.M.S.隊員が唯阿さん大好き!からして捏造記憶なわけで)、そもそも今回単位で描かれたヒューマギアの「心」とは「飛電の社長がヒューマギアを破壊したって滅亡迅雷の人が言っているから人類は悪だ! 暴動だ! ストライキだ! 給料上げろ!」なわけですが、それでいいのか、今作が描いてきた「心」。
 不破さんに殴られたアルトは脳内妄想の中で父ギアと出会い、滅は心があるからこそ迅を殺した相手を許せないと雷の説得を退け、アーク/アズの思惑通りにいよいよ決戦に至る両者?! で、次回、最終回。