映画感想の、HTML版。
■〔『仮面ライダーZ0』感想〕
■〔『仮面ライダー1号』感想〕
本日は『ハリケンジャー』感想を書きました。
人類に自我は必要なのか
◆NKさん
>和田さんはチームの代表として五人分の演武を披露されたのですが、尺の都合でキリンとホウオウはカットされてしまったのだとか。
ああ、現場ではあったのに、カットでしたか。やむを得ない部分ではありますが、残念なカットになりましたね。
◆gariさん
>『○○ディストピア』と『○○ユートピア』は飛電ゼロワンドライバー(○○インパクト)ではなく、滅亡迅雷フォースライザーで発動する際の必殺技ですね。
ディストピアは劇中で使った記憶がありましたが、ユートピアもあったのですね(使ったのに覚えていないだけの可能性もありますが)。……思えばこの頃は、滅亡迅雷側の主張の方が「ディストピア」みたいなイメージ形成でしたね……。
◆タイキさん
>本当は原作終盤の段階(道士が去った後)でこの段階に至れると良かったんですけどね…そう考えるとダイレンって本当に後半の失速が惜しまれます。
その点では今回、「餃子へのこだわり」(私)を「ヒーローとしての在り方」(公)と綺麗に接続したのは、『ダイレンジャー』のエクストラストーリーとして、巧かったですね。
>ダイレンの生身での名乗りって「カーレンジャー」以後にも継承されていきますけど、これがテーマだったんだと知ると慧眼だなあと思います。
生身の名乗りに追い込まれた状況を考えると、『ダイレン』の場合、「“正義”に依存しない」ヒーローの在り方、というのは狙っていたのかもですね。信じていた“正義”に裏切られた時に、どう立ち上がるのか、というか。
>「変身出来るからヒーローなのか?力があるからヒーローなのか?」という。
80年代までの蓄積を踏まえた上で、90年代には「前提を問う」という1つのテーゼが底流にあった感じはありますよね。
>鎧みたいないわゆる「いい奴」って本来の自分から外れると取り乱して八つ当たり気味になるそうです。
そう言われると、憧れの先輩相手だからこそ、一種の「甘え」が出た、というのもあるのかもですねー。
>分かりやすい所だとアバレッドが本来の自分から外れたときってキレて暴れまくりますが、あれに近いのかも知れないですね。
……つまり、鎧マックス。
>ただ、あの作品がきっかけで亮役の和田圭市さんと道士役の中康司さんはリアルに師弟関係になったそうです。
おお、そうだったのですか。ダイレンジャーメンバーは、今でもかなり仲が良いそうですね。
◆chi-chanさん
>残る面子だとブレード2号を創ろうとかアイちゃんを説得に持ち出そうとかいう発想にも至らなそうな事も考えると
気がつくとアルトのポケットに行方不明のアイちゃんが入っていて、相談している内に問題解決したら笑えますね……(笑えない)。ヒーローフィクション的にバッドではない解決方法を考えるなら、アークに対抗するキーが飛び出してくる、というのはありそうでしょうか……。
>逆説的に「純粋なる憎悪と絶望」が「アーク内で純化された悪意の器」にぴったりだったということに…。
アルトって、「人間よりもヒューマギアの純粋性に引きつけられたマッドサイエンティスト」の気質があるので、この辺りもホント、ぴったりといえばぴったりなんですよね……これが祖父の仕掛けた意図的な呪いである可能性は、まだ疑っています。
>せめて「対人用悪意増幅ブレード」とかが出てこないことを祈ります。
アルトの思想を突き詰めていくといっそ、「対人用心神耗弱ブレード」ですかね……(邪悪すぎる)。