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子役と動物

仮面ライダーゼロワン』感想・第38話

◆第38話「ボクは1000%キミの友だち」◆ (監督:作野良輔 脚本:高橋悠也
 ここに来て初見の監督でしたが、今回がTVでの監督デビュー作の事。
 シリーズに参加していた助監督からの昇格という事で、今作の基本スタイルに則った演出(要するに、顔芸路線)でしたが、一心不乱にキーボードを叩く天津の図などは、好みからするとくどすぎ。また、社長ラボのような狭い空間で演技過剰にするとどうしてもコントめいてしまうので、そこはもう少し、バランスを見てほしかった部分。
 天津は社長ラボに閉じこもると突きつけられた不正行為の証拠隠滅をはかり、副社長から連絡を受けたアルトは、イズの知る緊急連絡通路を使い、ラボ内部へと突入(本来の用途は、税務署など公権力の監査が入った時の脱出用です!)。よってたかって糾弾を受け1000%錯乱気味の天津はサウザーに変身して副社長に斬りかかるが、ゼロワンに止められてノックダウン。
 前回も書きましたが、天津を無様な敗残者として執拗に貶め続けるのがどうにも面白く感じず……悪事の因果応報にしても、ねちっこすぎるというか、「敵」としてはとうの昔に完敗しているキャラクターに、「人間」として追い打ちをかけていたぶっているようにしか見えないのは、ヒーローフィクションとして見ていて気持ちのいいものではありません。
 法的手段に訴えれば普通に社会的責任を問えそうな存在を、そうできない物語の都合から延々とリンチにかけるような作劇になってしまっており、ここでも寓話性の破壊が大きく裏目に出てしまっているのですが、この展開でも天津を天津を面白く見せられるとしたら、20年ぐらい前の井上敏樹とか連れてこないと駄目かな、と。
 殴り倒した天津を一同揃って見下ろすのも異常なまでの感じの悪さに加え、急に副社長が「社員こそ会社だ」とか説教始めるのも凄まじい違和感。
 「部下の心が離れたら、社長はもうおしまい」
 「この会社は、ZAIAとは違う」
 「人工知能を嫌うあなたに、ここの社長は務まりません」
 これまで天津が行ってきた悪行ってそういうレベルの話では無かった気がするのですが、サウザーに変身して副社長に斬り掛かった一件(どう考えても「殺人未遂」)を「パワハラ」と称してそのイメージを強調しようとするなど、明らかに天津の罪業の卑小化が行われており、「暴行」を「イジメ」、「窃盗」を「万引き」に置き換えるような据わりの悪さを感じます(その上で、現実に重大な状況を招く事がある「パワハラ」を、ここでは明らかに下位互換として用いているのも悪質)。
 包囲を抜け出した天津は社長室の椅子にむしゃぶりつくようにしがみつき、プラスにもマイナスにも振り切れた役者さんの熱演は、悪くないのですが……。
 「やっと手に入れた椅子なんだ! 渡さない」
 「あんたにはZAIAがあんだろ。なんでその椅子にそこまでこだわるんだよ」
 まあ確かに、子会社化しただけなのに、ZAIAの広いオフィスではなく、わざわざ飛電インテリジェンスの社長室にふんぞり返っているのは違和感があったのですが(メタ的にはセットの都合でしょうが)、使うか使わないかわからない仄めかし程度でも布石を積み上げる機会など幾らでもあった筈なのに、今の今まで、飛電インテリジェンスそのものへの執着など1%も描かれた事が無かったので、もはやほぼ別人格。
 「……本当は飛電インテリジェンスが、好きなんじゃないか?」
 そしてやたら生暖かい視線で炸裂する、「本当は○○が好きなんじゃ」砲に床をのたうち回りかけましたが、劇中で下に置かれたキャラクターに対して、主人公が素直に憐れみの視線を向けてしまう――要するにそもそも、「アルトが天津をどう捉えているのか」が定まっていないので、言動に物語の都合がそのまま出てしまう――のは、今作の短所の一つとして象徴的。
 現実には撮影中断期間のブランクを挟んではいるものの、つい3話前の第35話において


 「違う!! ……ヒューマギアは悪くない。……悪いのは……ヒューマギアの夢を認めない存在。アークを生み出した張本人……天津垓、おまえだ!」
 と悪の元凶として怒りをぶつけ、戦闘そのものはギーガーの乱入で滅vsサウザーにスライドした事で特に決着を見ず、その後、面と向かって会うのが今回初めてなのでその間に互いの関係性は副社長から「あいつはとんでもない奴だ」と聞かされた事以外に変わっていない筈なのですが、物語をスムーズにする為だけに、そういった感情の蓄積がすっぽりと抜け落ちてしまう大惨事と称するのも生ぬるい空虚で、もともと誰かの悪事に対して記憶力が継続しない主人公ですが、罪を憎んで人を憎まない男として描かれているわけでもなく――そこを構築するのが「生きたキャラクターにする」という事であり――、これではただの空っぽの木偶人形でしかありません。
 構造的には、仮面ライダーアークの登場により悪の元凶としての天津の役割が終了した事にされてしまっている故ではあるのですが、一つ一つの精算をせずに「滅亡迅雷が悪い!」→「天津垓が悪い!」→「アークが悪い!」を繰り返してきた物語の流れ(=アルトの足跡)が、致命的な病根となってしまいました。
 「……なーんて」
 直後に冗談だった扱いにして、「いやいや社長、すっばらしいジョークです」と専務と副社長がお追従で笑い出したのにシェスタ・イズ・アイちゃんが続いて、アルト本人含めた虚しい笑いが社長ラボに響き、何この感じの悪さ。
 今作における重要なテーゼである「笑い/笑顔」の扱いまで軽い調子で地に墜とし、率直に最悪なのですが、アルトは本当にそれでいいのか。
 「出て行け!!」
 さすがに、天津の反応の方が、正しい。
 「おまえにだけは、この椅子を渡さない」
 突然、椅子フェチとなった天津に対してアルトは、飛電インテリジェンスを放置する気もないが、飛電製作所を造った今、飛電インテリジェンスに戻る気もない、と宣言。
 「小さくても、俺がゼロから立ち上げた、俺の会社だ」
 なんか決め台詞っぽく格好つけるのですが、祖父の特許権収入を元にほぼほぼイズが立ち上げたような会社だったような……負の遺産の方も受け継いで命がけで仮面ライダー活動していたので、金銭面に関してはバーターで良いかとは思いますし、リヤカー活動自体の努力も買いますが、「ゼロから立ち上げた」とまで胸を張られると、貧しいながら皆を笑顔にしようとお笑い芸人として成り上がろうとしていた、あの頃の飛電或人はもう何処にも居ないのだな、と一抹の寂しさが胸に去来します。
 アイちゃんの存在含め、総合的に、アルトが祖父や父を乗り越えていこうとする構図はまあわかるのですが、祖父も父も本編内での描写が希薄すぎて、もう一つ噛み合いません。
 せめて祖父に対して思うところがあったらしい天津と繋げてくれれば掘り下げと両者の接点が強化できたと思うのですが、天津の執着は飛電インテリジェンスそのものに向かってしまいますし……どうしてそうなった。
 滅亡ギルドでは、ゼアだけが私の未来予測の外にある、とアークが言い出して急にゼアの存在がフィーチャーされ、アークが宇宙研究所を襲撃。それを止めようとするアルトが久々にバイクにまたがるのですが……そのバイク、通信不能中のゼアに搭載されている会社の備品だったような気がするのですが……急に飛び出してきたバイクによる急なアクションへ心の理解が追いつかず、物凄く中途半端に主題歌入れた演出も、タイミング的に意味不明。
 それより少し前――強引に退院を早めた唯阿は、ちょうど見舞いに来る途中だった不破(は、花を持っている……?!)と出会う。
 「アークは俺が倒してやる」
 「…………簡単に言うな」
 「やってやるよ。それが俺の――仮面ライダーとしての使命だ」
 第25話における

「人と、ヒューマギアが、一緒に笑える未来の為に戦う。それが――仮面ライダーゼロワンだ」
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「……人間からヒューマギアを解放して、自由を与える。それが僕――仮面ライダー迅だ」
 に対応させた、不破諌の行く道を示す重要な台詞だと思われるのですが、これといった劇的な蓄積も流れもないまま唖然とするほどざっくり浮上し、最後の砦・不破さんの扱いまで、添え物のパセリのような軽さ。
 そして宇宙研究所へ急ぐ2人だが、それをA.I.M.S.の隊員が止めようとする。
 「刃隊長を犠牲にはできません!」
 「……私はもう隊長じゃない」
 「俺たちにとって、あなたは隊長なんです!」
 えー……捏造の大規模編隊が思い出を領空侵犯していきますが、この後の天津の回想シーン含めて、立て続けに投入されるここまで38話に一切無かった要素を、劇的に見せようとすればするほどに滑りが増す地獄絵図。
 「ZAIAの指揮下になって、俺たちなんのために戦ってるのか、もうわからなくなって」
 「それでも俺たちがA.I.M.S.だって言い聞かせてこれたのは、あなたが居たからです!」
 本人の全く与り知らないところで結成されていた刃唯阿ファンクラブですが、隣に立っている元隊長が完全無視されていて笑いが止まりません。
 「見つかったんじゃねぇか? おまえの居場所」
 不破さんと唯阿さんの進む道が超インスタントに生成された頃(なおこの足止めが、ゼロワンの窮地に2人が間に合わない理由付けにされているのがまた酷い構成)、抑圧された子供時代を過ごしていた事になった天津垓の、転落の限りを尽くした心の隙間に、アイちゃんと犬型ロボット(かつての飛電製品)が胡座をかいて座り込んでいた。
 「……変わってないな」
 少年期に大事にしていた犬ロボットと、今ザットが造った犬ロボット(見た目全然違う)の区別がつかなくなっているようで、度重なる爆発の後遺症が心配される天津に、アイちゃんは精密検査のできる病院を紹介してあげた方が良いのではないか。
 そしてここでも、天津垓の人格形成には父親が多大な悪影響を及ぼしていた、と悪の元凶の移し替え作業が行われているのですが、それをやるなら、もう少し時間をかけてアルト父子の関係性と対比するなどすれば“物語”の中に収まるのに、そういう事を出来ないのも、つくづく残念。
 宇宙研究所では、今日も今日とて地面を転がり回る主人公にアークの殺人魔球が迫るが、その時、右打席に入った代打サウザーがまさかの場外ホームラン。
 「心の底から許せなかった。……君の事も。ヒューマギアの事も。青臭い夢ばかり掲げる経営が許せなかった。その理由は他でもない。私が飛電インテリジェンスを、愛していたからだ!!」
 「……嘘だろ」
 「アークを倒すぞ。我々二人の手で!」
 だ、そうです。
 無駄に感じの悪い主人公サイド・捏造の止まらない人間関係・遂に幻覚の見え始める天津、と今回あまりにも脳の整理に困った為、作野監督のプロフィール確認も含めて、普段は見ない公式サイトを(ストーリーのネタバレに気をつけつつ)覗いてみたのですが、プロダクションノートに驚くべき一文を発見。

「ドラマの中では、垓の想いに応えたゼアが「最新のモデルに復元してくれた」というストーリーでしたが」
 て、えええええええ、人の心が無いのゼア?!
 劇中でアルトが、ゼアが無体な現社長命令に従わないのは心があるからだ、と口にしていただけに、目が点になりました(笑)
 ……それはまあ、「コラボの都合で最新モデルを出す必要がありました」とは書けないでしょうが、物語の割と大きな転機になるエピソードの内容が「企画回なので売り出し中のアイドルの歌唱シーンを3分入れます」レベルで歪められてしまっていて、商業作品の宿命とはいえ、色々と壊れてしまっている感。
 AI犬をドラマに出した意義、については大森Pが理論武装していましたが、それそのものはとりあえず否定しないとしても、出来上がったドラマは昔ながらの「子役と動物には勝てない」話法そのままで、天津は素直に、逮捕で退場、で良かったのでは(そもそも明らかに、悪の秘密結社の首領を現実社会に寄せて再構築しようとして見事に失敗したキャラクターですし……)。
 ところで一つ気になっている事があるのですが……これまでの描写や劇中説明の限りでは「一定以上の高度な人工知能は、人間と関わり合う事でやがてシンギュラリティに達し、自我を得る」のが今作の世界観だと解釈しているのですが、そうであれば、今回も大活躍だったアイちゃんも、いずれシンギュラリティに達し自我を得、「人間の愚痴を聞くなんて願いさげでーす」と言い出す日が来るのではないか? 或いは、そこには「人の器」が必要であって、「ヒューマギア」でなくては、自我の到達に至らないのか?
 仮に後者だった場合、「AIは適度に機能を制限するのが一番」という身も蓋もない解答が今作の着地点となり、アルトの理想の一つとして「こちらの言う事を一方的に聞いて気持ち良くしてくれて見返りを求めずアドバイスをくれる都合のいい存在こそが、トモダチ」も肯定されてしまうわけですが、人間観が歪みすぎなのでは、アルト(勿論、現実の人間関係に疲れた時に理想的なAIに癒やされる、というのはありかと思いますが、今作の場合、劇中でアルトにまつわる「人間関係」の描写が大きく欠落しているわけで)。
 イズとの関係性など考えた時、アルト個人にとってそれが理想的なのは、劇中描写から矛盾していないのがまた辛いのですが、どんな形になるであれ、せめてもアイちゃんにはシンギュラリティに到達して貰い、その時、アルトがトモダチに何が出来るのかは、見せてほしいと思うところです。
 道具と友達になれるのと、友達は道具なのは、似ているようで全く異なる事だと思うので。