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衝撃の最終回

光戦隊マスクマン』感想・第51話

◆第51話「地帝城大崩壊!」◆ (監督:東條昭平 脚本:曽田博久)
 「遂に地帝城発進の時が来た!」
 ゼーバの命令により忍者二人は謁見の間に変なカプセルを設置し、コントロール装置の防衛任務を仰せつかったオヨブーは、カプセルの中に入ってパネルを操作する係に。
 地帝城の蠢動によって地上では火山の噴火やビルを飲み込む巨大な地割れが発生し、この大がかりな前兆に対し、イアルを水先案内人としたマスクマンは割とあっさりマスキードリルで地帝城に辿り着いていた(笑)
 いよいよ発進1分前、アングラ兵を蹴散らしたマスクマンは謁見の間へと乗り込み、暗黒粒子拡散の為にゼーバがイガム達を切り捨てて城を丸ごと自爆させる計画である事を告げる。
 「イガム家復活というのは、嘘だったのですか?!」
 「馬鹿め! 今頃気付いても遅い!」
 前回、リサールドグラーとイガム家の間の因縁を知っておきながら、まだそこにこだわっているのはさすがに「馬鹿め」を一切否定できませんが、イガムはイガムで物凄く人生の被害者である点は、同情の余地有り。
 イガムが幼少期より男子として育てられていたのはリサールドグラー対策の為かと思われますが、予言の成就の前に肝心のイガム家が消滅してしまった為、真実を知らないイガムは、自らが男子として育てられた「理由」と、イガム家を復興するという「目的」を強く結びつけるしかなかったのかと思われ、その妄執がイガム自信の存在意義になってしまったのかな、と。
 しかも唯一の肉親は(素性を秘密にしていたからではありますが)、それに全く理解を示さないどころか地上人と内通していては、ますます歪みもするというもので。
 「見苦しいぞイガム! 死ねと言われれば、喜んで死ぬのが我らの務め!」
 一方、地底忍びとして主の捨て駒になるのも定め、と自らの役目に徹するオヨブー(このオヨブーに見限られたバラバ、とは)は地底城を発進させてしまい、内部から崩壊していく謁見の間で、イガムをかばったフーミンは柱の下敷きとなって息絶える。
 「あなた様は、   私たちとは、世界が違う、御方。お逃げ下さい……」
 「フーミン!」
 フーミンはフーミンで主への忠義に徹し、思わずフーミンへと手を伸ばすイガムも含め、ここはキャラクターが貫かれて良かったです(「あなた様は」と「私たちとは」の間に何か言っているのですが、聞き取れず)。
 マスクマンはイガムを救出するが、激震を引き越しながら地帝城は浮上。
 「ははははははは! はははははははは!!
 オヨブーは高笑いしながら地帝城崩壊の大爆発の中に消え、なんかラスボスみたいな事に(笑)
 「マスクマンが死んじゃうなんて!!」
 一足先に脱出したゼーバの目論み通りに地帝城は地上で大爆発し、悲鳴を上げて走り去るオペレーター博士。地上には暗黒粒子が撒き散らされ、それを浴びた人も物も瞬く間に凍り付いてしまう。
 「遂にこの世は暗黒と化した。今こそ地上と地底、二つの世界を治める王とならん! ……ん?!」
 だがそこに地面を割ってマスキードリルが登場し、この終盤でドリルが大活躍。
 「マスクマン?! イアル姫、イガム王子! 生きておったか!」
 「この世にマスクマンが居る限り、地上も地底も貴様には渡さん!」
 だがマスクマンは、ゼーバの操る暗黒の力に飲み込まれ、オーラマスク不能の空間で戦う事に。
 「罪を悔いるには、あまりにも私は血にまみれているのだ」
 残されたイアルは必死にイガムを説得するが、イガムは首を縦に振らず、一人二役&双方とも衣装がややこしいので、まとめて撮って後で編集しているだろうにしても、撮影の大変そうな最終回。
 追い詰められたマスクマンが、5人の腕を組んで死中に活ありメディテーションを発動すると空に浮かび上がる巨大なマシン観音。
 「そうか……あれが私の行く道」
 それを見たイガムは突然の啓示に打たれ、イガムの内心を丁寧に掘り下げるのはあまりにも時間が無さそうでしたが本当に無かったのでどさくさ紛れに神秘体験で片付ける大惨事。
 ……惜しいところは山ほどありつつ、総合的には割と嫌いではない作品だったのですが、最終回にして完全な着地失敗で複雑骨折。
 双子の姉妹が力を合わせてペンダントをかざすと苦しみだしたゼーバは獣の姿へと戻っていき、脱ぎ捨てたローブを中心に映像的には頑張ってなんとかしようとしているのですが、成り行きはどうにもこうにも盛り上がりません。
 「暗黒粒子が消えた! おのれぇ、遂に双子が手を結んだな!」
 その正体を曝したリサールドグラー二代目に対し、暗黒空間から解放されたタケル達は、富士山をバックに光戦隊マスクマン
 マスクマンの必殺攻撃をひたすら直進しながら跳ね返すリサールドグラーは貫禄たっぷりでしたが、毎度お馴染み、死中に活ありメディテーションでオーラパワーを直撃させると、フルパワージェットカノン。だがリサールはそのエネルギーを吸収して巨大化し、出撃したGロボはゴッドハンドを溜めて飛ばす新技ギャラクシーアローで隙を作り出すと、鉄拳オーラギャラクシーを叩き込み、遂に妄執の王は地上で果て去るのであった。
 前作『フラッシュマン』から始まった2号ロボ作劇はまさに模索期であり、前作にしろ今作にしろ率直に持て余し気味に見えるのですが、前作の2号ロボ(第二形態)・グレートタイタンは、完全に箱なのでアクション的には全く面白くないものの最強感は文句なしだったのに対して、今作のギャラクシーロボは飛び抜けた強さの描写が無い為、Gロボ単独に正面から敗北するリサールドグラーの株価が急落し、最終決戦の盛り上がりを大きく削いでしまう事に。
 せっかく「心を持ったロボ」という設定なのだから、最後は自律行動を見せたGロボが作った隙をグレートファイブが突く! みたいなロボ戦が見たかったところではあります。どうせ成り行きで倒すなら、せめてグレートファイブで締めて欲しかった、のも正直。
 ゼーバの死によりチューブは崩壊、地底と地上の戦争には終止符が打たれ、啓示を受けたイガムは罪を償い喪われた命の菩提を弔う為の巡礼の旅へ……そしてイアル姫は、残された王族の責務を果たすために、地底へ戻る事に。
 「私たち、あまりにも短かった……」
 ……え、いや、あの、タケルは普通に、地底に行けばいいのでは? まあ住民感情とか色々あるかとは思いますが、どうしてそんな、別離に前のめり……?
 「せめて、思い出だけでも永遠に」
 イアルは首飾りをタケルに渡し、何故かその光景を、笑顔で見つめる姿長官。
 「青春は短いものなんだ」
 えええええええええ。
 「でも、君達は誰よりも激しく、だれよりも美しく燃えたんだ」
 地底も地上も、戦争の傷跡は深く(特に最終作戦で地上の死傷者がだいぶ跳ね上がった筈)、今すぐあっさりと手を取り合って和解するわけにはいかなそうなのはわかりますが、個人単位での交流を「宿命的な悲劇の別離」に押し込めてぶった切り、それらを「青春」でまとめてしまうのは、大困惑。
 この浜辺だけ突然、藤井先生が曽田先生に乗り移ったみたいな事になっているのですが、イガムの問題も抱えるイアルにとって気持ちの整理が必要なのは確かにしても、何故タケルは、最後の最後でひたすら受け身になってしまうのか。王族の責務を果たそうとする恋人の背中を涙を呑んで押す自分が格好いいとか思っていないか……?!
 「……約束してください」
 「……約束?」
 「振り返らないと。……決して振り返らないと。……さようなら」
 「さようなら」
 わ か れ た
 ペンダントを握りしめ、振り返らない約束を守ったタケルの元に仲間達が笑顔で駆け寄り、戦隊らしい青春爽やかエンドが表では展開している一方、背景では成り行きに困惑する悲恋の別離が描かれ、二重人格みたいなエンド。
 地底と地上の融和はならず(主にタケルと姿長官が悪いのでは……)、決して救われる事のないイガムの行く末を含め、いわゆるビターエンドといえるのですが、その苦みを「青春」の言葉で覆い隠し、表向きだけ明るく爽やかにまとめている為、大変、脳が処理に困っています。
 ナレーション「今、一つの戦いが終わった。若者達はそれぞれの人生に旅立っていく。頑張れ、イアル姫。頑張れ、タケル」
 「ありがとう、光戦隊マスクマン。……ありがとう」
 物語の主筋には関わらなかった長官がなんとなくまとめ、今作の一つ象徴といえる「砂浜」ではしゃぐ5人の若者達、でおわり。
 ……まあ、上述したような政治的問題を考慮に入れた時、地底世界がある程度の落ち着きを取り戻したところでイアル姫がまたひょっこりマンホールから顔を出す、なんて明るい未来図の想像も可能ではありますが、本編の描写のみを取り上げるなら、希望を残さない徹底的な別れが描かれた上で、「青春」の名の下に一夏のアバンチュール扱いされて着地しており、この1年は、いったい何だったのか。
 先に書いたように、基本的に嫌いではない作品だったのですが、イガム周りの消化不良・盛り上がり不足の最終決戦・とってつけたような別離、と最終回の要点がことごとくツボを外れてしまい、この当時のシリーズの主要なテーゼである「青春」も極めて悪い方向に転がって、大変残念な結末になってしまいました。
 ……サブタイトルにもなっているわけですが、本当にピークは「地帝城大崩壊!」。
 当時の制作事情を考えると、今作終盤と次作立ち上げを主要スタッフが重なった状態で進行している、というのはありますが、そういった環境による主要スタッフへの負荷の影響は、どうしても感じるところ。
 一方で、『電子戦隊デンジマン』から数えても8作目、シリーズのマンネリ化を防ごうとする様々なチャレンジは窺えた一作なのですが、恋愛テーマにしろ、未成熟なヒーロー像にしろ、詰め切れずに全体的に中途半端な扱いになってしまったのも残念。人間の長官ポジションが終盤の展開でキーマンにならない、というのも意識的だったとは思うのですが、結果的には単純に影が薄くなってしまい、当時の尺の短さもありますが、戦隊の難しさを感じさせられる作品となりました。
 ただ今作のチャレンジの中で、90年代以降に花開いたと思われる要素も幾つか見えるので、今となっては、種を蒔いた作品、とはいえますが、今作としての花は夏の陽炎のように浜辺に散ってしまい、そこは、「それでも俺は、いつか必ず君の元へ行く」じゃないのタケルーーー?!
 あ、後半に山田稔監督が復帰して4本を担当するも、残り47本を長石多可男&東條昭平の二人で回す、という鬼のようなローテながら、演出面では最後まで飽きさせない絵作りがされていたのは、良かったです。
 以上、『光戦隊マスクマン』感想でした。