本日は『ゴーカイジャー』感想を書きました。
光と手
◆もりみやさん
のっけからお詫びで恐縮ですが、前回のレスが何を間違えたのか途中でぶったぎれていて二ヶ所になっていてすみません。
>本筋とは関係ないところでのヒロインのお色気やフェチ的な描写がちょっと強めでそういうのが苦手な人にはお勧めしにくくなってしまったかな、という印象です。
フックとして否定する気はないのですが、放映当時、そういう方面でちょっと話題になりすぎていたのはありましたね……。
>前回は、デリカシーの無い書き方をしてしまってすみません。
いやいや、実は丁度、私の文章をある程度読んで下さっている方には書くまでもなく熱量の低下は伝わるだろうなぁ……なんて事を考えていたもので(笑) 気にされてしまったようで、かえって申し訳ないです。
>これ、信念があって良いとも取れるし、その柔軟性に欠ける姿勢がこの結果を生んだのかも……とは、思ったわけですが。
うーん……選択肢があった、と聞くと、果たしてどちらが真に誠実だったのか、ちょっと考えてしまいますね……。
>生け贄になるならフェードアウトで良かった、というのは確かにそう思います(笑)。
如何にも悲劇のトリガーにされそう感はあって、ちょっとドキドキしていたんですよね、尾白(笑)
>『オーズ』はそういう物語だったし、『ネクサス』もそういうことがやりたかったのだろうなと。
姫矢と映士の過去が被る、というのはやはりありますし、ラストで1から始まる物語、は確かに『ネクサス』と『オーズ』の共通する着地点で、両作の目指していたものが近かったのでは、というのは成る程です。
>「光は絆だ……誰かに受け継がれ再び輝く」と「俺が欲しかった力……こうすれば手に入ったんだ」は、
>現実の視聴者に向けたメッセージとしては同質のものであろう、と。
こう考えると、「手(を繋ぐ)」というモノ(行為)に繰り返し象徴してみせた『オーズ』と、「光」とは何かが観念的になって最終盤まで明かされない『ネクサス』と、どっちが良い悪いというのはまた別に、見せ方が対照的なのは興味深いですね。
>つくづく『オーズ』は、あのどす黒い内容を、「明るく楽しい演出」「一見王道お人好しに見える主人公」
>で隠ぺいして見せたものだなぁ……と、恐ろしくなるわけですが(笑)。
アンチヒーロー要素が強い物語を商業作品として成立させる為に、色々な工作を懲らしつつ、とにかくバトルは徹底的にエンタメに振る(そして実際にメダルが大成功だった)という割り切りは『オーズ』の本当に凄かったところですね。
>(それでいて、後から振り返ると主人公がとっくの昔に壊れていたことがしっかり示唆されていたりとか、ほんと凄かった)
キャラクターの造形には小林靖子の恐ろしさをつくづく感じますが、エッセンスの汲み取りとその見せ方において、もしかすると、《平成ライダー》パイロット版職人としての田崎監督の凄みが一番発揮されていた作品かもですね。