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誰かの為に強くなれ

ウルトラマンネクサス』感想・追補

 色々と新作も始まって、先に『ネクサス』について一定の整理をつけておいた方が良さそうかな、という事で、筆の向くまま気の向くまま、つらつらと。あまり感想本文と重ならない内容にしたいとは思いますが、部分部分でくどくなったらすみません。
 そんなわけで『ウルトラマンネクサス』……
 作品を見るにあたって制作サイドの事情をどの程度まで勘案するのか?
 というのは難しい、というよりも特に正解のない個人個人の考え方の問題であると同時に、作品にもよりけりでありますが、今作のように「番組制作中に放映期間の短縮が決定し、少なく見積もっても10話ほど減った」ともなると余りにも影響が大きすぎて、「どうにも振り払いようない」&「いっそ虚心で見る」の二つの視点が欲しくなるものの、ひとまず短縮の事情を踏まえますと(以下、周辺情報に関してはコメント欄で教えていただいたものによります)、放送短縮が決まった時点で溝呂木再登場編が撮影済みだったのはまず厳しかったなーと。
 これが溝呂木再登場前に短縮が決定していたのなら、いっそ溝呂木を出さない、或いは終盤の凪のドラマとまとめる、という選択肢も出たかと思うのですが、もはや溝呂木の再登場自体は止められないが、優先すべきは憐のドラマなので、再登場前後編は1話に圧縮され、退場前後編?も強引に1話にまとめられる事になり、溝呂木自身も大きく割を食いましたが、物語の構造にトドメを刺してしまったのでは、という気がします(加えて、孤門にとって割と重要なタームだった少女リコへの謝罪もどうも雑に)。
 ……まあ、既に放映短縮で半壊はしていたわけですが、溝呂木もこんな中途半端な再登場になるなら、せめて凪のドラマに絡んだ方がまだ見せ場もまとまりもあったのでは、とIFとしては思うところであり……ただそうすると、孤門くんの見せ場が無くなり、それはそれで困ったか。
 感想を読み返していて、ラストの孤門くんの「あなたの厳しさが、僕を今まで支えてくれた!」が、溝呂木リタイア時の副隊長の台詞に対応していると気付いたのですが、どちらも、描写の積み重ねは希薄だけど台詞でそういう事にしてしまう、のも共通しているのが実に『ネクサス』。
 その「支え」が「僕らは、独りじゃないから」に繋がり、恐怖と絶望に立ち向かっていく絆の力を示す、という話の持ち込み方そのものは嫌いではないのですが、肝心要の「支え」の中身を詰め込めなかった事で『ウルトラマンネクサス』としての劇的な説得力を生みきれなかったのは残念です。
 後半の太田脚本では、憐が何をしたいのか、その憐に対して周囲が何をしたいのか、を明確にしていく事でこの「支え」の中身を描く意識が見えていたのですが、放映短縮により内容を圧縮せざるを得なかったのは痛恨。
 翻って前半戦は、“生ける屍”であった姫矢さんが絆から逆走しまくる(故にますます追い詰められていく悪循環に陥る)姿が、全体のクライマックスへの壮大な前振りであった事になるわけですが、トーンが暗すぎたのに加えて、それはそれとして孤門くんには妙に気を遣うに至る過程が人間関係が全てダイジェストで進行する為にさっぱり意味不明になってしまったのが、かえすがえすも大きな病根となりました。
 中核となる「孤門と姫矢」さえ内容が希薄なので、「孤門と副隊長」「副隊長と姫矢」「孤門と隊長」は、当然もっと空疎となり、どうしてそれで、必要な事を描けている扱いになっていたのかは、今作を通して首をひねる部分。
 実績を考えれば、それが見えないスタッフでは無かったは思うのですが……“やりたい事”はそれなりにやる一方で、その“やりたい事”を、より劇的にする為の準備運動や基盤作りに欠けており(或いはメタ前提として外付けしており)、そのくせ物語は山盛りの設定と予定表に従って決められたコースを走り続けている為に、10キロ走る為には10キロ走れるだけの体力をつけなくてはならないというサイクルが上手く構築できなかった作品かなと。
 それが、作り手と受け手の間における物語(とキャラクター)の現在地に対する認識の大きなズレを生んだと思うのですが、例えるならば「筋トレをしなかった藤宮博也」というのが、最終的な印象。
 高い志と想定している物語を現実にする為には、それを支える筋肉が必要で、にも関わらず筋肉の鍛錬が怠ったが故に、大技を決めたつもりでマットに転落しているのだが、そこで立ち止まって基礎練習からやり直すのではなく、予定があるのでまたも次のジャンプに挑戦……しては失敗、を繰り返したのが特に前半戦になったと思います。
 で、この筋肉や体力に相当するのが「キャラクターの魅力」であったり、シリーズ従来作でいえば「怪獣バトルの面白さ」であったと思うわけですが、何をもって物語を支えるのかを見失っていた節もあり、物事に必要なのは、体力……!
 ……またネガティブ寄りな総括になってきてしまったので、ポジティブな部分を取り上げると、感想本文でも触れましたが、まずはビーストの造形。
 最終的に、恐怖を食らう生物、とされるビーストの、根源的・生理的な恐怖感を具現化したデザインは、いずれもなかなか面白かったです。特に印象深いのは、ケルベロスとカタツムリ。ケルベロスはよく扱われるモチーフだけに、頭部のアイデアが光りました。あと、人間の体型から離れたデザイン好きとしては、終盤のカタツムリはインパクトがあって良かったです。
 それから最終回、「喪失を忘れてしまうのではなく、それを乗り越え、繋がり合う力こそが絶望に打ち勝つ希望になるのでは」というのは頷ける着地で、露悪的な表現が目立っていた今作が、最後に未来志向を綺麗に打ち出したのは良かったです。
 それと、主役ウルトラマンのデザインさえ知らなかった今作の中で、「光は、絆だ」というフレーズだけは何かで聞き知って印象に残っていたので、その本物を聞けたのは大変満足。
 姫矢さんは、“大人の男”の位置づけなので、声のトーンなどの抑えた感じも好みでした。
 ちょうど今、“半人前の若者達”をメインに据えた『ハリケンジャー』を見始めたというのがありますが、キャスト陣の喋りのトーンは丁度対照的。これは《ウルトラ》の方がシリーズとして、プロフェッショナル隊員を基本的前提にしているというのと『ネクサス』の作風とがあると思いますが、そういうところでも見せ方の色って変わるなと。
 孤門くんもとっぽくてちょっと危ない好青年なりに、レスキュー隊所属経験者だけあって、そこまで青臭さはありませんでしたし……青臭さを出さないようにした結果、イノセントが狂気に近付いてしまった面があるのですが(笑)
 好きなキャラは、MPリーダー、姫矢、瑞生、尾白、あと部分的に管理官、といった辺り。管理官はホント、キャラが好きというか、役者さんの存在感が作品を助けてくれたな、と。
 姫矢さんはなんだかんだヒーロー度が高く、瑞生はしっかりヒロインしてくれて、MPリーダーは作中における信念がしっかりしていた人物かつ今作ならではのキャラクター性であり、あと、尾白みたいなポジションのキャラは割と好きですし、太田さんの味と目配りが出たキャラだったな、と。
 憐は、嫌いなわけではないのですが、まさに第2部OPに歌われるような“青い”キャラであり(境遇ゆえに老成している面はありますが)、好みのツボとはちょっと離れたところにいるもので。尾白と針巣は、憐編が予定通りの話数だったら途中で悲劇の生け贄になっていた可能性もあったのかとは思っていたので、フェードアウトしてある意味で、良かったのか悪かったのか。最終回、新宿の群衆の中ぐらいに居ても良かったかな、とは思いましたが(キャストを呼ぶ都合も出るところではあり)。
 イラストレーターは後半ちょっと、『ガイア』でいえばダニエルくんみたいなポジションになってきて(割と苦労人なのでは……?感)、予知能力者ゆえの苦しみの部分などがもっと掘り下げられたら、好きなキャラになっていたかも。
 色々と、見せ方の部分で苦手な手法などが多く、合うか合わないかでいえば総合的には肌に合わなかった作品でありましたが、こういうシリーズ作品もあった、という事でこの機に見る事が出来て良かったです。