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光はネクサス

ウルトラマンネクサス』感想・第37話

◆Episode37「絆-ネクサス-」◆ (監督:阿部雄一 脚本:長谷川圭一 特技監督菊地雄一
 18年前――アメリカ、コロラド。若き日の石掘に何かが取り憑いた過去が描かれ……「最終回(直前)、伏線が張られたのはつい最近だが、身内の某が実は物語の最初期(開始前)から、何者かに支配されていた事が判明する」のがアレルギーが出るレベルで苦手なパターンで、圧縮の都合があっただろうにしても大変残念。
 溝呂木にしろMP三沢にしろいっしーにしろ、黒幕の操り人形であって個性なんて無かった、というのも好きでないキャラの扱い方ですし、石掘に関しては黒幕そのものが乗っ取っており仮面を演じていたようですが、「黒幕が演じていた仮面としての石掘」が綺麗さっぱり消えてしまうので同様といえ、この、予兆皆無なのに「そんな人格は存在しなかった」というやり方も、凄く苦手。
 真相の解明手段としても「最初から乗っ取っていました」をやると、真犯人がほぼ誰でも成立する(キャラクター描写の薄い今作では特に)下策ですし、前回までの情報量からどうにもならないのはわかっていましたが、黒幕の正体も見せ方も一番苦手なパターンにはまってしまいました。
 率直なところ、溝呂木も実は人形でしたー、の辺りで今作に向き合う際の熱量が大幅に冷えてしまったのですが、何をどうしてそこに至ったのか「情念」の描写が著しく不足した悪役しか登場しないのは辛く、せめても闇の石掘にそういったものがあるかと思えば全くなく、空っぽの仮面扱いでしかなかったのが、重ねて残念。
 TLTでは来訪者達のバリアが弱まるのを覚悟でレーテの起動により大量の記憶消去を行おうとしていたが、副隊長がネクサスの素に触れたのを契機に豹変したいっしーがNR隊員に銃を向け、そこに踏み込む光の般若。
 「四番目の継承者……その銃、似合ってるじゃないですか」
 ダークいっしーはバリアを破ってセクション0に侵入すると、イラストレーターの放った銃弾を片手で軽々と受け止め、人々からビーストに関連する記憶を消す為に多量の恐怖を吸収するレーテ――来訪者達の姿を見つめる。
 「もっと恐怖を吸い込め」
 「おまえは、誰だ?!」
 「――ダークザギ」
 来訪者たちと同じ能力を持つダークザギは、記憶の改竄などの能力を使い、石掘なる隊員になりすましていた事などが皆の前で色々と説明され、予知能力を筆頭に何でもありなので、何でもありです。
 「全ては、俺が元の姿を取り戻す為の……道具だ」
 元超能力少年の回想により来訪者達がダークザギの存在に触れていた事が強引に挿入され、ダークザギが人の持つ絶望や恐怖に取り憑く事もほのめかされるのですが、それにしても、(放映が順調なら4クール目に登場予定だったのかもですが)名前ぐらいはもう少し前から出しておくべき存在であり、突然、実はダークザギというとんでもない悪人が居るんだよ! と言われても、凄まじく唐突。
 予知によりいずれ副隊長が光の継承者となる事を知っていたザギは、副隊長の母親を殺す事でビーストへの憎しみを、リコや溝呂木を利用する事で闇を植え付け、光の力を高める為に数々のビーストとの戦いを演出し、今こそ準備万端と語るのですが、その言い分が成立する為には「副隊長が憐の次の継承者になるように仕向け」ていなければならなかった筈なのですが、特にそういった描写が無かった為に、ザギの根拠も光の継承理由も「予知で見たんだもん」になってしまっており、最終回にして、ネクサスの素さんがよりにもよって副隊長を継承者に選んだ理由がさっぱりわからないのが、壊滅的惨状を招く事に。
 一応、本編でザギ?が見ていた候補者リストは何らかの適性から導けるようですし、設定上は継承理由も存在しているらしいですが、劇中で全く示されていない設定は存在しないのと同じ事なので、
 〔根本的に副隊長の心情描写が不足しすぎて意味不明(そもそも今回、石棺に触れてネクサスの光を受け入れる時点で個人的には首をひねったのですが……ビーストを倒す力は欲しい一方で、人間を越える事には拒否感のあるタイプだと思っていたので) → 憐と副隊長の関わりもろくに描かれていない → 故にどうして光が副隊長の下に飛んできたのかわからない → 「全てはザギの予知通り」でも台無しだし、「光は割と適当に継承されていた」でも台無しだし、どっちに転んでも阿鼻叫喚〕
 という、1000%負のドミノ倒し。
 それはそれとして予知凄いので、挑発に乗った副隊長はザギの目論み通りに変身。だが凪ネクサスの誕生直後、18年間その身に溜め込んでいた憎悪がレーテの吸収していた恐怖のエネルギーと同調してしまい、光の力は闇へと変換され、それを奪い取ったダークザギ復活!
 黒い巨人はひゃっはー大暴れで新宿の街を薙ぎ払い、物語の意図としては、“受け継がれてきた闇”と“受け継がれてきた光”の決戦なのでしょうが、正直、最終回で実質初登場して全て私の思うがままだったと言い出す人が即物的な破壊活動で喜び、幾ら継承システムとはいえ実質初登場のヒーローがまんまと罠にはまって硬直している構図には全く盛り上がれず、展開する物語と自分の感情の間に、物凄い温度差を感じる事になってしまいました。
 基本的に暗躍系悪役が陥りやすい落とし穴ではありますし、こういう形でまとめるしかない事情はあったのでしょうが、とにかくダークザギが何でも出来すぎて(そしてそれはそのまま、全盛期の溝呂木に感じていた不満であり)、面白み皆無の悪役になってしまったのが致命傷。
 そこで生きたキャラクターにする為に必要なのが「情念」や「愛嬌」、或いは物語から読み取れる「悪としての設定(位置づけ)」なのですが、共に物語の中で与えきれず、特に前半から今作の抱える問題点だったキャラクターの扱いの雑さは、治療不能の悪性腫瘍として全体を蝕んでしまいました。
 まあ一応、前回-今回を持ってして、〔光=希望=象徴としてのウルトラマン(ネクサス)〕、〔闇=恐怖や絶望=具現としてのダークザギ〕を示せたとはいえ、「闇のウルトラマンをやりたかった」というのがハッキリするのですが、2020年現在に見ると「闇のウルトラマン」というアイデアに新味が無くなっている上で、「光」「闇」「ウルトラマン」の中身についてはメタ前提気味になっているのが、辛い部分。
 今作そのものが普遍性よりも時代性に視点を置いている節は見えるので、中核となっているアイデアの鮮度を含めて、リアルタイムと後年の視聴では、だいぶ印象の変わるタイプの作品かも、とは思います。
 隊長は真ダークザギを止めるべく単身出撃し、孤門は凪ネクサスを捉えた闇の中へと飛び込んでいく。
 「副隊長ぉ!! 駄目だ! ……闇に飲み込まれたら、駄目だ! あなたの厳しさが、僕を今まで支えてくれた! あなたの強さが僕を勇気づけてくれた! 憎しみは乗り越えられる! 副隊長…………諦めるなぁ!!」
 『ネクサス』十八番、なんか台詞で全部そうだった事にするスタイルが炸裂し、渾身の檄に目を開いた副隊長は孤門へと手を伸ばし、繋がる絆……


――孤門、光は絆だ……!

 レーテの崩壊を背に復活したネクサスは飛翔し、孤門と副隊長は新宿へとワープするが、その時、光の折りたたみ傘を手にしていたのは――孤門一輝。
 「絆……ネクサス」
 かくして、最終回にして遂に孤門がウルトラマンに変身するのですが、うーん……どちらかというと、ここまで来たら最後まで孤門には観測者を貫いて欲しかったかなというのが正直なところ。凪ネクサス期間がもう少し長かったらまた印象が変わったかもしれませんが、とにかくあらゆる段取りが荒っぽいので、光が遂に孤門に集約されるというより、遠回りの末に結局、孤門をウルトラマンにする事から逃れられなかった、という印象に。
 「もしこの戦いで、ウルトラマンが勝利したなら……運命を、変えられるかもしれない」
 管理官に支えられるイラストレーターの呟きからメインテーマが流れ出し、毎度ながらメインテーマの盛り上げ効果は高く、そういえば川井憲次に傾倒していた頃があったな、と思い返してみたり。
 「立て孤門。おまえは絶望の淵から難度も立ち上がった。だから俺も戦えた」
 特攻殉職しかけていた隊長機を救うもザギの攻撃を受けた孤門ネクサスの胸に姫矢の声が響き、再登場は嬉しかったですが、この姫矢さん、孤門くんの妄想に侵食されすぎでは(笑)
 まるで姫矢の心を受け継ぐかのように、赤くなったネクサスは接近戦を挑み、ザギ理論によると光は強化されている筈なのに、孤門ネクサスの戦い方がなんとなくおぼつかないのは、妙なリアル(笑)
 「負けるな孤門! 俺も孤門のお陰で最後まで戦えた! ウルトラマンとして!」
 憐からのエールは頷ける範囲で、青へと変わった孤門ネクサスはアイ・ラブ・リコぉぉぉアローを放つが、ザギはこれも粉砕。
 「大丈夫。ウルトラマンは負けません」
 戦いを見上げる副隊長は力強く言い切り、その周囲では人々がウルトラマンを――希望を信じる声があがりはじめ……展開そのものは嫌いではないのですが、「最終回で名前が始めて登場」し「なまじ石掘を経由してしまった」事により、全てを裏で操っていた憎き敵感が全く無いダークザギとの戦いにどうにも盛り上がれず、ボスキャラの見せ方って大事だな、としみじみ思いました。
 後もう一つ凄くげんなりした事があって、それは、周囲の群衆の中で一番最初に子供が声をあげた事。
 東映ヒーローでも、中盤のテコ入れ期に、立場の不明瞭だったヒーローに対して急に子供達が公認ヒーローのような声援をかける演出はしばしばありますし、手法としては定番であり、“未来に繋がる希望”の象徴として子供にフォーカスするのはむしろ自然なのですが、意気込んで子供受け要素を排除していたようにしか見えない今作が、最終回にして子供に応援されるウルトラマンをやる、というのは正直素直に受け止められず。
 外せない上からのオーダーだったり、逆に最後だからこそ……などあったのかもしれませんが、作品として切り捨てていたとしか思えない部分を、最後の最後だけ拾ってみせるのは、個人的好みからはどうも不誠実に感じてしまいました。
 人々の希望を託された孤門ネクサスは銀色に光り輝く姿へと変貌し、恐らく翼のイメージなのでしょうが、背中に突き出た突起物が、ショルダーキャノンに見えて仕方ありません!
 銀のネクサスは大回転ファイヤーパンチでダークザギを宇宙空間まで打ち上げると必殺光線を放ち、地上と宇宙で光線をぶつけるスケール感は面白いアイデアではありましたが、ショルダーキャノンは使わないの?! とがっかりしたのは、私だけでありましょうか(笑)
 絆の光により壮絶な光線の打ち合いに勝利した銀のネクサスは、ダークザギの脅威を打ち破り、地球は救われた。
 雄々しく仁王立ちするネクサスの勇姿を見つめる子供達の瞳のアップが3カット入り、“ウルトラマンが忘れられた世界”に、“帰ってきたウルトラマン”へ憧憬の視線が向かうのは想定通りの着地点だったのかもしれませんが、途中過程が派手にすっ飛ばされているので、シリーズとしてはともかく、今更『ネクサス』がそれをやるのはどうなのか……という気持ちが先に立ち、個人的には飲み下しにくい演出でした。
 それから1年後――依然、地球にはビーストが出現していたが、ビーストと戦うティルトの存在は公認のものとなり、その姿は人々に希望を与えていた。
 もしかしたらそれこそが、本当にビーストと戦う力、なのかもしれない、という示唆は良かったです。
 そして、姫矢さん生きてたーーー!!
 事により、最終的に一番酷い目にあったのは、親しくなった男がダークザギだった平木隊員という事になりました。
 まあ、孤門×リコの一件もありますし、そういった喪失や傷跡は否応なく残る物語、としての着地となったのですが……そうするとそれはそれで姫矢生存とは矛盾が生じるので、どうにも部分部分で腰の据わらない最終回になったな、とは。
 ほどほどに出番があり、ほどほどに人間関係に余計な波紋を起こさず、ほどほどに当たり障りがないので真犯人にされ、36話分本当に泥人形だった事にされた石掘は、つくづく可哀想でした。仮面を被っているなら被っているで、そういう芝居があれば良かったですが、そんなもの毛ほどもなかったわけなので。
 (僕たちは生きている。たとえ昨日までの平和を失い、恐ろしい現実に直面しても。大切なものをなくし、心引き裂かれても。思いもよらない悪意に、立ちすくんだとしても。僕たちは生きる。何度も傷つき、何度も立ち上がり、僕たちは生きる。僕らは、独りじゃないから。君は――独りじゃないから)
 「諦めるな!」
 ビーストの襲撃から逃げ遅れた子供を助けた孤門が、力強く声を掛けて、おわり。
 リコはいちゃいちゃ妄想、孤門と憐もイメージシーン含めて2カットずつ登場、MPリーダーもちらっと出番があり、最終回なるべくオールキャストだったので、瑞生さん出せなかったのは、惜しい。
 アンノウン・ハンドに関してはまるで期待していなかったので、この酷さも想定内ではあったのですが、それにしても見事に苦手なツボに入ってしまい、キャラクター描写の雑さ、特に悪役の薄さが、最後の最後まで響いたのは、つくづく残念でした。
 思いの外長くなってしまったので、全体的な事についてはもう少し落ち着いて整理できて余裕があれば、何かしら補足を書くかもしれませんが、以上ひとまず、『ウルトラマンネクサス』感想でした。