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さらばネクサス

ウルトラマンネクサス』感想・第36話

◆Episode36「決戦-フェアウェル-」◆ (監督:阿部雄一 脚本:太田愛 特技監督菊地雄一
 金ピカビーストはシルエットを見せつけて撤収し、上層部からの処分を待ちながら、アンノウン・ハンドの動きを警戒して封鎖地域に残る事になるナイトレイダー。
 瑞生はハイスピードで憐に告白し、身動き取れないほどに憔悴した憐は、その言葉に何も応える事ができない。
 「俺は馬鹿だ……! ……これじゃ、瑞生に何もしてやれないのに」
 瑞生が外に飛び出した後、「誰も俺が死ぬってことを知らないところへ行こう」と思って日本へ来た憐が、再びそこで誰かと繋がってしまった、繋がらずにはいられなかった結果を目の当たりに突きつけられて、血を吐くように叫ぶのは良かった。
 「僕には何もしてやれない……。見ている事しかできないのは…………悔しいんです。代わってやれるものなら……」
 「……人の人生は肩代わりできない」
 空手チョップ隊長が重々しく語り出すとどうしても笑ってしまうのですが、結局最後まで、隊長を人格者だと捉える事が出来ませんでした。せめて、人生訓を垂れ始めても違和感のない人物像として前半から描かれていれば良かったのですが、どちらかというと、「自分、なに勘違いしとんのや。ビースト野郎をこかすんは、うちらの仕事やないんか。あいつに負担かけたくないなら、腹くくらんかい!」とどやしつけそうな。
 「だからこそ、人は心を尽くして、人と、絆を結ぼうとする。……見ている事しか出来ないのなら、見ていてやれ。最後まで」
 物語全体の要素を拾って繋げて、“今の孤門に出来る事”を示す台詞そのものは良かったのですが……拾うと拾うで、色々と仕方なかったとはいえ、姫矢さん……全然、心を尽くして人と絆を結ぼうとしてなかったよね……となってしまうのは困ったところで、やはりあの性格のまま姫矢編に2クールかけたのは返す返すも構成上の判断ミスであったと思わざるを得ません。
 悲しみを残さない為、思いあまって瑞生の記憶を消そうとする憐だが、瑞生は咄嗟にそれを阻止して携帯を奪い返すと逆に憐を組み敷き、まあ瑞生さん、ほぼ確実に孤門くんより強いしな……。
 近接格闘戦を瑞生に仕掛けてはいけない、と思い知った憐は、“生の証明”とは自分一人だけのものではない事を痛感し、瑞生に謝罪。記憶を残していく事を覚悟した翌朝、孤門から先代デュナミスト――姫矢准について聞かされる。
 回想の会話シーンだけ抜き出すと、姫矢と孤門の絆ゲージが物凄く高そうに見えるのですが、見ている時は???だった事は、改めて記しておきたい(笑)
 「憐……光はもしかしたら、人に託された希望なのかもしれない。だから光は……人から人へ受け継がれていく」
 「光は……受け継がれていく希望」
 とはいえ、光とはなにか? に孤門が一つの答を出す(色々すっ飛ばされましたが、この答を出す役目はさすがに孤門に回ってきてホッとしました)に際して、姫矢に触れてくれたのは、良い目配り。
 再び闇の門が開いたその時、イラストレーターからラファエル完成の連絡が入るが、街を蹂躙していくビーストと逃げ惑う人々の姿を目にした憐は、自らの命を賭けて、遊園地でずっと見てた子供達や親や沢山の人達、お年寄りや恋人同士や、みんなの幸せな時間を守る事を決める。
 「……優、孤門。……俺は俺の光を走りきる」



ここは、とても居心地がいい。俺は、会う人みんなを好きになる。
それでも……俺は時々考える。俺の命は、どこから来たんだろう?
……そして、俺の命は、どこへ行くんだろう?
……俺の命は……どこから来たんだろう。
……俺の命は――どこへ行くんだろう。

 「憐……」
 「……必ず戻る」
 瑞生に約束した憐は、消耗した肉体を引きずるようにしながらネクサスへと変身して最強最大のビーストと激突し、過去のビーストの攻撃能力を持ち合わせているファイナルビーストは、全身にゴテゴテと色々生えつつ正統派の格好良さ。ビーストのデザインに関しては通して悪くないのは今作の長所ですが、それがどうも、作風の関係で生かし切れなかったのは惜しまれます。
 ここでも、敵は最強最後のビーストにふさわしい造形ながら、個人的にもう一つ盛り上がれない決戦だったのですが、姫矢編の終盤同様に、ヒロイックさよりも悲壮感が前面に出てしまっているのが、大きな原因。
 勿論、最終決戦において(に限らず)悲壮な部分が色濃く出る作品というのは過去に色々あると思いますが(シリーズでいえば、恐らくこの最終盤の下敷きになっているであろう『セブン』は明確にそういう路線でしたし)、今作の場合、登場人物の悲劇的運命を普段から強調する作劇なので、どうしても悲壮さだけが際立ってしまうのは、最後まで肌に合いませんでした。
 ……逆に考えると、例えば今作直近の『仮面ライダーファイズ』はそれこそ「悲劇的運命」と「悲壮な戦い」の連続だったのですが、今作ほどのアレルギー反応が出なかったのは、戦闘要員が複数居る・シリーズとして積み重ねてきた作風の効果、など幾つか理由はあると思うのですが、自分なりに比較分析してみると面白いかな、とは思えます。
 一つ大きな要素をあげると、「生」の部分の描き方の違い――登場人物達が見せる生命力の差――が思い浮かびますが(井上敏樹の得意技であり)、憐編の序盤にどこか《平成ライダー》的雰囲気があったのは、その「生」の部分をどう描くか、のアプローチが近かった点があったのかな、と。
 普遍的なテーマ性なので多分に偶然だとは思われますが、今作と『ファイズ』が共に、「死を思い如何に生きるか」をテーマにしていたのも興味深い一致とはいえます。……太田愛さんの物語性に《平成ライダー》と共鳴する部分があったのではないか、というか。
 ビーストに踏みつけにされるネクサスを援護するNRが次々と撃墜されていき、遂に力を失い倒れたネクサス……その魂に呼びかけたのは、思い出の貝殻を握りしめ、憐を巡るヒロイン争いに最後の殴り込みをかけるイラストレーター。
 (憐、光を信じろ!)
 (……光は、人に受け継がれる希望。……俺は、戦う! 俺は生きる! 生きて! この光を繋ぐ!)
 〔光=希望=象徴としてのウルトラマン〕の構図が完成し、再び立ち上がったネクサスは、空中から渾身の、アイ・ラブ・瑞生ぉぉぉアローを叩き込み、崩れ落ちたビーストは大爆発。
 格好良く着地も決めるネクサスだが、燐の体からは既に生命力が失われており、光はその身を離れていく……
 「ありがとう……さよなら……」
 緊急搬送される憐は瑞生の必死の呼びかけにもピクリとも動かず、悲劇は再び繰り返されるのか……と思われたその時、最後の直線で末脚を炸裂させた瑞生と唇を重ねた憐の瞼が開き、ギリギリ生きていてさすがに良かった。
 ……いやなんというか、ここで憐まで死んだら、光の折りたたみ傘があまりにも カイザギア 呪いのアイテム過ぎるので。
 ネクサスの素さんも二回連続のデュナミスト死亡は外聞が悪いでしょうし、分離時に僅かな生命力を憐に残していってくれた、とかは考えられそうでしょうか……まあ実のところ、姫矢も死亡が明示されているわけではないので、同様にネクサスの素さんのサービスを受けて、今頃南米辺りを彷徨している可能性もゼロではありませんが。
 (憐は生きる。僕たちはそう信じた。でもあの時、僕たちは憐を離れた光が誰を訪れるのか、まだ考えてもいなかった。そして、それに続く、恐ろしい出来事を)
 孤門君のモノローグと共に、ピースサインを出して病院へ運ばれていく憐を見送るNRの面々がアップで描かれ……光の棺桶が訪れた相手は、まさかの副隊長?!
 ED映像は、憐(青ネクサス)ダイジェストで――Next:The Final Episode

 (※おまけ:本編内容と全く関係ないどうでもいい余談なのですが、配信元である円谷プロ公式Youtubeの動画リストにおいて、今回のサブタイトルの表記が「決勝」になっており、危うく、日記タイトルが「ザギバス・ネクサス」になるところでした)