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独白のネクサス

ウルトラマンネクサス』感想番外編:孤門の目、憐の目


 「僕たちは生きている。平和な日々を、ごく当たり前のものとして。例えば、その日常の裏に、得体の知れない何かが存在したとしても、多くの人が、自分とは無縁のものと思うだろう。……でも、目の前にある現実が、全て偽りだったとしたら――」
(第1話/孤門一輝)

 「――誰ひとり俺の事を知らない場所へ行ってしまえば、俺は、自分の未来を忘れていられる。そう思って、俺はあの日、ダラス・フォートワース空港発、東京行きの飛行機に乗った。ここは、とても居心地がいい。俺は、会う人みんなを好きになる。それでも……俺は時々考える。俺の命は、どこから来たんだろう?」
(第26話/千樹憐)
 随所に第1話を思わせる要素を散りばめつつの新展開の幕開けとなった第26話、第1話ではタイトル後、第26話ではアバンタイトルに置かれたモノローグの“変質”が個人的に最も印象深かったのですが、第27話に進む前に、改めて『ネクサス』序盤の問題点の整理も兼ねて、比較と分解をしてみたいと思います。
 さて、一読していただければ明らかなように、第1話の孤門モノローグが「僕たち」で始まり、平和な日常を送る人々を代弁する俯瞰的な視点であるのに対し、第26話の憐モノローグは「俺」のパーソナルな心情に終始しています。
 物語の進行後は孤門モノローグも主観人物としての「僕」になるのですが、開始時点において「僕たち」の一人とされ、視聴者の視点との接続を意図されると共に、この物語の語り手である事を示されるのが、孤門一輝というキャラクターの重要な位置づけである、といえます。
 これは、「視聴者の視点を主に誘導する主観人物」と「ヒーローとなる変身者」を分断する、今作の大きな仕掛けの一環であり、同時に、「対ビーストという世界の裏側に身を置きつつ、「僕たち」の心性を保持している存在」という、孤門の第二の位置づけに繋がっていくのですが、今作はここで早くも大きなボタンの掛け違いが発生。
 ・「対ビーストという世界の裏側」 → インスタント訓練でナイトレイダー入り
 ・「「僕たち」の心性を保持」 → そもそもダムに偽装した秘密基地暮らしなのに世間向けの情報工作を冗談だと受け止める
 孤門の経験する世界の裏と表――今作の重要な世界観――に関する表現が共に、前後左右の連動を考えずに「とにかくそれを示せればいい」極めて雑なものになってしまい、初動で示したい筈の世界観をズタズタに引き裂いてしまいました。
 インスタント訓練に関しては従来なら気にするほどの事もないのですが、なまじ第1話の冒頭でナイトレイダーをプロフェッショナルな特殊部隊めいて描写してしまった為に、その新人隊員が、1ヶ月の訓練で銃火器を振り回して戦闘機に乗れるようになるけど戦術教練とかろくに受けている気配が無い事と、著しく統一感を欠いて台無しな事に。
 定石ならここで、主人公(孤門)には特殊な能力があるので、訓練も覚悟も不足しているけど実戦に加わる、といった理由付けや話運びになるのですが、今作では孤門はあくまでも「ウルトラマンではない」ので、特殊能力者のポジションを与えられず、しかしその癖、「NR隊員には何らかの適性が必要である」事が仄めかされる為、先々の伏線としても大変中途半端な事に。
 定番や定石に頼り切るのも問題はありますが、この辺り、定番や定石というのがどうして有効で機能的なのか、が見えて逆説的に面白いところです。そして今作は、敢えてその定番や定石を裏切る作劇をしているのですが、裏切った代わりの理由付けや面白さが十分に用意されていない、というのが根幹にある問題点。
 そもそもダムに偽装した秘密基地暮らしなのに世間向けの情報工作を冗談だと受け止める、はもうこの時点で激しく頓珍漢すぎて、どうして誰も止めないままフィルム完成してしまったのかレベルなのですが、大衆の視点を強調したいあまりに、完全に足下を見失ってしまいました。
 そしてそんな孤門の保持している心性が、「俺達はインヴェード、じゃなかったビーストハントに慣れすぎちまった」隊長らに徐々に影響を与えて……という意図があったように思われるのですが、顔を合わせる度に辛いやり取りしかしない副隊長以外のNRメンバーと会話らしい会話が無いまま進行してしまった結果、中盤で唐突に隊長が記憶か精神を操作されているのではないか、という謎の信頼感を無から発生させる大惨事に至り、これは重要キャラであった筈の副隊長まで巻き込んでもはやNRの人間関係が黙示録という事に。
 以上、だいたい感想本文の繰り返しと整理になっていますが、総合して改めて見えてくるのは、第1話冒頭で「僕たち」から始まるモノローグを置いた時点で、『ネクサス』が重視しなくてはならなかったのは、「ナイトレイダー隊員としての孤門」と「日常の心性を持ち続ける孤門」の擦り合わせを丁寧に行う事だったのであり、そこを雑に処理してしまった事が、延々とその後の2クールを蝕む大きな病巣になる事に。
 また今作は、孤門に好感を持たせる状況の不備不足、というのも足を引っ張っている要因になっているのですが、これも第26話と比べるとわかりやすくて、第26話で憐が遊園地のアルバイトにおける子供への対応などで好感度を稼いでいる間に第1話の孤門が何をしていたかというと過去のトラウマからレスキュー失敗であり、これは勿論、第1話と第26話における事情の違いというのもありますが、今作にまま見られる「キャラクターの足場固め」より「曖昧な伏線の提示」を優先して足下そのものを喪失する典型的な事例といえます。
 そして、実質的な孤門一輝の初登場となる重要なシーンで提示された伏線は、後に「ウルトラマンを信じた」理由として持ち出されるわけですが、途中で一切触れられずま単純に間が空きすぎた&副隊長との会話シーンそのものが意味不明だった、のダブルパンチで全く効果的にならないことに。
 ……落ち着いて振り返ってみると、孤門の抱えていたトラウマ(途中20話ほど全く触れなかった上に、その後それを打ち消すレベルの巨大なトラウマ案件を二つも植え付けられているという、どうしてそうなった構成)が「ウルトラマンを信じる」事に繋がったのに対し、副隊長の抱えていたトラウマが「ウルトラマン絶対殺す」事に繋がっていた、というのは考えられた対比になっているのですが、その副隊長は何故かいきなり姫矢の行動に理解を示すので、全く劇中では役立っていない阿鼻叫喚。
 ついでに、第1話における孤門モノローグの失点として、ラスト、

 「これが僕と彼女の、そしてあの――銀色の巨人との、初めての出会いだった」
 により、ただでさえ不幸そうな雰囲気のリコを、メインヒロインでは無い、と実質的に明言してしまったというのがあり、穿った目線も入っているものの、これにより1クールまるまる、“準備された通りの悲劇”を見せられる事になったのは、第1クールの印象を極めて悪くしている理由の一つになっています。
 孤門とリコも、ただでさえまったりした序盤の展開の中で、いきなり“二人の世界”に入ってしまう好感度の上げにくいカップルでしたが、第26話ではこの点も配慮されていて、過去記憶で目にした憐編のヒロインらしき女性MPの生存者への態度をしっかり描く事で好感を持てるようにしており、段取りが丁寧。
 勿論これらは、見せないといけない要素の違いもあれば、今作序盤の問題点を分析し、踏まえた上で、という面もあるのですが、それらをまとめて形にした太田愛さんの手腕が光ります。
 リコは、正体がわかってみると……というのはありますが、例えば、中盤で副隊長が少女に笑顔を向けるシーン、みたいな要素が軒並み欠落しているのがネクサス第1部で、孤門にしろ、リコにしろ、副隊長にしろ、「所属している世界」の外側の人々との関わりやリアクションを描かれない(唯一、外界での姿が描写される孤門はそれがリコとの関係に閉じていってしまう)為に、幅も奥行きも生まれなければ好感度も上がりづらく(孤門の好感度がわかりやすく上がったのは犬と少女回なのですが、それを日常との断絶に繋げてしまう話運びもあり)、孤門に至ってはキャラのアイデンティティ的な立ち位置が上手く機能していなかったのですが、視点と立ち位置の差を活かしてその辺りも初動から上手く潰してきた、といえます。
 ちなみに、第1話と第26話の対応を考えるなら、孤門-動物園-リコ、にあたるのは、憐-遊園地-尾白、なのでは?! と思わなくもないのですが、尾白、初登場回単位でもリコより遙かに好感度高いので、第2部の真ヒロインは果たしてどっちだ?!
 正直、尾白、物の弾みで殺されそうだけどなるべく死んでほしくないサブキャラの筆頭です今(笑)