東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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ただそれだけ 出来れば 英雄さ

キャプテン・マーベル』感想(ネタバレあり)


 断片的な悪夢のようなもの以外、過去の記憶を失っているクリー人の戦士ヴァースは、特殊部隊スターフォースの任務中、変身能力を持つ敵性種族・スクラルの捕虜になってしまう。スクラルの施設で記憶を探られたヴァースは、悪夢の中に登場する女性と、見た事のない飛行機に乗り込む自身の姿を目にし、己の過去に強い疑問を抱く。敵宇宙船を脱出し、惑星C-53――地球――に辿り着いたヴァースは、追跡してきたスクラルの野望を食い止めながら、自らの秘密を解き明かす事は出来るのか?!
 冒頭のスタジオロゴが、2018年に世を去ったスタン・リー仕様で、浮かび上がる「THANK YOU STAN」の文字がのっけから泣かせに来ますが、そんなスタン・リーが恒例のカメオ出演をした電車内で、殺気丸出しで老婆(スクラル人の変身)に殴りかかる緑光沢のスーツ着た女を繰り返し止めに入るアメリカ人の一般市民、勇者。
 ……まあ、振りほどいた女が別の車輌に移ると追いかけて拘束しようとしたりするわけでもないので、ちょっと中途半端な描写になった感はありますが、そんな女を若きニック・フューリーが若きコールソンと共に追いかけていた!
 というわけで時は1995年に遡り、宇宙から来た女戦士と若き日のニック・フューリーが出会うMCU作品で、例の如く例のようにシリーズ全体に関わる伏線や、飛び交う固有名詞、キャラクター関係の小ネタなどが散りばめられているのですが、「四次元キューブ……なんだっけ?」レベルでも物語を追う分には問題ないですし、何より、『エンドゲーム』前の最後の一手としては驚くほどにド正道のヒーロー物で、丁度良く個人的なツボに突き刺さり、面白かったです!
 これは今作が、『キャプテン・アメリカ』とは別の、もう一つの“アベンジャーズ・オリジン”である(その点においてはやはり、シリーズ前提の作品ではあるのですが)事から意識されたものかもしれませんが、ヴィラン側のより深い掘り下げなど、構造の複雑化が進んでいたシリーズ近作に比べると、サスペンスタッチこそ交えているものの、非常に正攻法の、正面一点突破。
 “ヒーロー誕生”を描く映画として淀みなく、MCU作品が重きを置く劇的さの配分が、良い形ではまった一本でした。
 以下、ラストまでの内容を含む、ストーリーに触れながらの感想。
 ……実のところ始めしばらくノれなかったのですが、これは私が、レーザービームがぴゅんぴゅん飛び交う的な未来装備による宇宙ドンパチに興味が薄めというのがあるからと思われ、物語の舞台が地球に移り、変身宇宙人の暗躍&上官の人がなんとなく怪しげな雰囲気を匂わせだし、自分が何者か? 誰をどこまで信じていいのか? というサスペンス要素が明確になってからは入り込めました。
 そして、上官はやはり腹に一物ありました、というのはオーソドックスな展開ながら、過去の真相が明らかになったその時、ヴァースの選択、ヴァースの持つ力の秘密、ヴァースが今の状態に置かれている理由まとめて明確になるのが実に劇的で、ヴァースが亡き博士から受け継いだもの――「選択」と「力」の関係が物語にぴたっと収まった上で、ここが綺麗に物語の折り返し地点になっている、というのがお見事。
 MCUリブート作品の一つの特性として、“全身タイツ”といった揶揄のアイコンにされがちなヒーローコスチュームを、デザインのリファインのみならず、新たに劇中で意味づけしてみせる事へのこだわりというものがありますが、それも劇的に美しくはまり、往年のアメコミヒーローを現代に甦らせるにあたり、“コミックのコスプレ”ではなく“アイコンのリビルド”をこそ重視する、という方向性の巧さも改めて感じます――その一つの象徴が「いや。戦う時は、戦闘服だ」(『キャプテン・アメリカ:ウィンターソルジャー』)であり、逆説的に辿り着く「スーツ無しじゃ駄目なら、スーツを着る資格はない」(『スパイダーマン:ホーム・カミング』)であり。
 ……まあ、燃える炎のモヒカンマスクはちょっとどうかと思いましたが!(軍神的なイメージなのか)
 かくして後半は、亡きマーベルの意志を継いだ新たなヒーローの物語となり、己を取り戻したヴァース改めキャロルは、その力で何が出来るのか、何を掴むのかを選び取り、抑圧者のかけた鎖を自らの手で引きちぎる――……くだりで脳内で串田アキラが歌い始め、ヒーローの「握ったこぶしは 誰かの幸せ守るため」であり、「倒れたら立ち上がり前よりも強くなれ」ばいいんですよ!
 もうこれ完全に山川啓介の世界だなと盛り上がりつつ感想記事のタイトルは『ウルトラマンネクサス』OP「英雄」からいただきましたが、「英雄」に「強さは愛だ」(『宇宙刑事シャリバン』ED)への意識があったのかは、ちょっと気になっている今日この頃。
 ところでこの二つの歌は共に“男の歌”である事が強調されているのは、市場への意識もあるでしょうが時代も感じる部分で(「英雄」の方は「女」が少し登場するのもまた時代を感じる部分)、今作が志向しているのはむしろ、そんな世界へのカウンターであるのかもしれませんが、一方で「ヒーローの本質」の前には偏見にまみれた枠組みそのものが無意味であると置かれ、それが劇中において性差を超越する機能性を発揮しているならば、肝心なのはそこに紡がれる人間としての魂の在り方、“生き様”といえるでしょうか。
 ちなみに本邦でも山川圭介ヒーローソングを継承したような女性ヒーローが大活躍する作品がありまして、『Go! プリンセスプリキュア』は、変身ヒーローものの傑作。
 この辺り、ジェンダー論的な部分に踏み込むには知識も無ければテーマ的な興味関心も薄いのでこれ以上は触れませんが、二つの段階を踏んだ真っ向勝負の「ヒーロー」誕生の描写が、個人的に大変ツボでありました。

これが正しいって やる勇気があればいい
ただそれだけ 出来れば 英雄さ

 「戦争を止める為」に戦うと言っておいて、地球に爆撃を仕掛けてくる艦隊には「皆殺しをするが、今回はやむを得まい!」だと少しどうだろう……と思ったので、基本的に軍人脳なので敵対する兵士への殺害そのものに躊躇は無いが、一隻撃沈して残りは撤退させる、というのは良いバランスでした(ここで出てきた、ハンマーフードの人はもしかして、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』においてセクシーコマンドーに敗れた人……?)。
 格付けの済んでしまった上官とのラストバトルが半ばギャグになったのはやや物足りなかったですが、これも上述の理由からは納得できる範囲。
 そこを含めて、シリーズ全体の引き要素、MCU時空におけるキャプテン・マーベルの存在に整合性を取る為の後処理シーンが少々長くなった事で映画としてはテンポが崩れ、怒濤のクライマックスから爽快なエンディングへ、と一気に持ち込めなかったのは惜しまれますが、シリーズ作品としては致し方ない部分ではあり、そこを割り引いても、十分に楽しめました。
 最後は非常に情けない扱いになった元上官さんは、押し出しの強すぎない二枚目ぶりが割と好みだけど、あれ、もしかして……と思ったらジュード・ロウで、未だに顔がちゃんと認識できていないのに言うのもなんですが、やはりジュード・ロウは結構好きな模様(森川智之の吹き替えボーナスもあると思いますが)。
 吹き替えといえば、スクラル人のリーダー的存在、タロスの声が関俊彦なのは、そういう繋がりなのか、純然たる偶然なのか。
 キャプテン・マーベル水樹奈々もはまっており、全体的に申し分ないキャスティングの中、竹中直人は相変わらず竹中直人で、現在進行形のニック・フューリー=竹中直人はもはや諦めがつくとしても、「25年前のニック・フューリー」=竹中直人は、演じ分けという点でもどうにも無理があり、特に猫をあやすシーンは完全に「ただの竹中直人」なので、フューリーが劇中で猫をあやす度に竹中直人の顔が浮かんで没入感を削がれるのは残念でしたが、まあ、いつものMCUではあり。
 『エンドゲーム』の準備運動、ぐらいの気持ちで見始めたのですが、思わぬ直球勝負が好みのポイントにはまり、なかなか面白かったです。
 ……ところで、「どこかの反抗期の姪っ子」って、スー○ーガール……?