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肉は光、光は肉

ウルトラマンガイア』感想・補遺

 そんなわけで、キャラクターの雑感を中心に、最終回感想の流れで拾えなかった部分などについて、つらつらと。

■高山我夢
 飛び抜けた天才にしてウルトラマンと交信した“選ばれた”ヒーロー……そんな我夢の、才気と責任感に基づく他者への無神経さ、それを、XIGで戦っていこうとするならば「克服すべき我夢の人間的問題点」として無視せずに扱ってくれたのは、今作の立ち上がりにおいて良かった点の一つ。
 またそれを、主人公の資質(アルケミースターズ)とそれにまつわる過去、更にそこから派生した破滅の回避に対する責任感(使命感)と紐付けする事により、「対人関係を中心に幾つか問題はあるが、性格が悪いわけではない」という形に納めたのは、実に上手かったと思います。
 これにより我夢は、「地球と人類の関係」というスケールの大きい問題に悩むのみならず、周辺の人間関係の構築においても成長を描いていけるキャラクターとなり、それがガイアとXIGの関係性に接続されていき、物語全体を貫く要素になっていったのも、お見事。
 今作は特に前半、「人類は生き残るべき種か?」というテーゼに取り組む事で頭でっかちになりそうなところを、怪獣バトルのエンタメ性によりひっくり返らずに踏ん張り抜いた部分があるのですが、主人公の我夢もまた、物語上の巨大なテーマに向き合うばかりではなく、自身の抱える問題が少しずつ改善されていく姿が描かれる事により、地に足の付いた作劇が成立していた、といえます。
 怪獣バトルのエンタメ性と、「人間」としての我夢、要素は違いますが、この2点を外さなかった事で生まれた足腰の強さが、今作の大きな武器となりました。
 連続性の強い長編ストーリーと、単発エピソードのバラエティ性を並立させようという作品構造も影響したのでしょうが、結果としてそれらの連結が、バトルエンタメと思弁SFとのバランスも取る事になり、テーマをこねくり回しすぎる事もなく、かといってあっけらかんと放り投げる事もなく、物語とキャラクターが渾然と絡み合って機能する事に。
 そして我夢個人の中でそれは、「量子力学分野の天才/物事の基本は、体力……!」という形で結合し、僕の脳細胞がトライセップス・エクステンションしてるぜ藤宮ぁ……!
 ……えー、「心・技(今作においては知)・体」というモチーフ自体は非常にオーソドックスでありますが、そもそも我夢を「少々いびつな天才」と置いた事もあって、それを支える「体」の要素の強調が、通して非常に印象深い作品となりました(笑)
 まあホント、まさかこんな事になるとは夢にも思いませんでしたが。
 一方で中盤、「アルケミースターズ」という要素が消えてしまって扱いきれなかったのはやや残念なところでしたが、この点は、シリーズ構成の小中さんほど、他の脚本陣の琴線に触れなかったのだろうか、と思ってはしまうところ。最終回における、ある種の生体ネットワークの構築というニュアンスで、薄ぼんやりと、やりたかった仕掛けは見せた感じでしたが。
 なおキャラ的にあまり思い入れはないのですが、最終章で、ぐっと格好いいところを見せる――“男”の顔つきになっていくのは、特撮あるあるですが、役者さん1年の成長とあいまって、良い集大成でありました。

■藤宮博也
 本感想の方向性を決定づけた筋トレハッカー。筋トレしながら登場した第5話が、(監督:原田昌樹 脚本:小中千昭 特技監督:北浦嗣巳)という本編主要メンバーなのでその後の推移は、何もかも必然であったでしょうか。
 藤宮に関しては感想本文でだいぶ触れているので改めて書く事はそんなに無いのですが、トータルで見ると、徹底しておいしいポジションだった藤宮に戦闘で不手際が多いのは、丁度良いキャラクターとしての愛嬌、でありましたでしょうか。勿論、一番の理由は「あくまでも主役ウルトラマンではない」という事でしょうが、そういう意味では最終回、真アグルの力を託された真ガイアが真アグトルニックするのではなく、最後までガイアと共に戦い抜いて蝶天使獣を共に倒した事により、アグルは名実ともに真の「ウルトラマン」となった、といえるのかもしれません。
 環境テロリストとして華々しくデビューした藤宮の抱えていたテーマ性の一つは「矛盾」であったのですが、「守りたい」と「壊したい」は表裏一体の面を持っており、根源的破滅招来体の一端には、地球自身の持つ破滅への甘美な誘惑も含まれていたのではないか、そんな事も思うところです。

■梶尾
 そういえば:フルネームを覚えていない。
 チーム・ライトニングを率いるエースパイロット、プロフェッショナルとしての誇り高さから、現場にしゃしゃり出てくる我夢と対立する役目を担った梶尾さんはやはり、


「素人がいったい何考えてる! すぐ引き返せ! 実戦は遊びじゃない!」
「僕はこの翼を、平和を壊す奴らと戦う為に作ったんです」
「そんな事はわかってる!」
(第4話)
 が出色。
 これで一気に、よく居るちょっと嫌な先輩ポジションから、それぞれの役割を重んじその想いを背負って飛んでいる人、に変わったのは序盤の大きなポイントの一つでしたが……その結果として、我夢とは別の形で、人間関係に問題のある人、になったのはご愛敬(笑)
 基本的にガラ悪いですよ梶尾さん!!
 性格的問題やヒコーキ馬鹿ぶりから、XIG内部における“もう一人の我夢”という要素も感じられますが、藤宮の存在があったので「ライパル」「相棒」という立ち位置には入らず、「憧れの先輩」にスライド(笑) …………梶尾さん大好き同盟は大変面白かったのですが、あれ、これ、敦子はまず、我夢を消すべきだった……?(おぃ)
 結果的には、(隊員の肉親とはいえ)律子さんの存在が、XIG外部に人間関係を広げる要素になりましたし、梶尾さんがヒコーキ以外の大切なものを見つける話、にもなっているので、多分に原田監督がねじこんだ感は見えますが、あって良かったな、と思います。

■敦子
 最終章、姉からのヒロイン力供給を受けるも土俵際でキャスのうっちゃりを食らい、睨み合いの末に時間切れとなった不遇のオペレーター。敦子さんに関しては率直に、あまり演技が巧くならなかった、のは痛かったなーと。まあ、基本的にこういったポジションにどのぐらいのウェイトを置くかは判断の分かれるところでしょうし、経験値を積み上げていくほどの出番がなかった面はあるのですが、最後の最後まで、“叫ぶとなんか浮く”が解消されないままだったのは、残念でした。
 後まあ、感想本文でも何度か触れましたが、敦子さんと玲子さんのキャラ付けを、どうして被らせてしまったのか。これも、当初と位置づけが変わっていった部分などあるのかもですが、我夢サイドと藤宮サイドのヒロイン候補が、ともに「姉さん女房系勝ち気なショートカット」というのは、失敗であったと思います。
 その結果、玲子さんが藤宮との絡みで突発性説経キャラにシフトしていく一方で、敦子はシナリオ都合による突発性泣きキャラにスライドし、キャラクターとしての強度がますます下がってしまう事に。どういう経緯か、梶尾さんへのボールを完全に見送られたのは痛かったですが(しかしそもそも、どうして梶尾さんにボールを投げたのか)、むしろ前半戦の内に我夢絡みでボールペンべきぃっ的な要素を入れておいた方が、キャラが広がる可能性があった気はしてなりません。

■ジョジー
 キャラクター強度、という意味では敦子より強かったジョジーですが、逆にその才媛設定ゆえに、都合の良いキャラに終始はしてしまう事に。まあジョジーの場合は、そもそも賑やかしポジションであって想定通りのウェイトだったとは思うのですが、特に後半、オペレーターズをもう一押しできなかったのは、惜しまれる部分。
 最終回感想でも触れましたが、XIGメンバーで我夢と一番相性がいいのはジョジーだと思うのですが、相性がいいゆえに、掘り下げられなかった、という部分もありましょうか。

■KCB
 今作の劇構造における玲子さんの問題点については感想本文で色々触れましたが、最終回を見ると玲子さんはあくまで「リポーター/代弁者」であるとするならば、毎度毎度、上部構造から降りてきた言葉を伝える機能性は意図されたものであったのかもしれません……というのはこじつけ。
 そして、だからいいとは夢にも思っていません(笑)
 本作における重要な「視点」の一つとして置かれたKCB、途中、田端さんの出番減少(ご病気の関係か)などあったものの、最終盤ではその田端さんも復帰して存在感を発揮。捨て置かれそうだった倫文の成長も描いてくれましたし、ピタッとピースのはまる、良い活躍でした。
 また、希望を伝える利器、としての美しさばかりではなく、真実を伝える事の意味・価値・危うさを描き、映像の持つ力、に対しての自戒と自問が盛り込まれたのは、とても良かったです。

■チーム・クロウ
 登場初回が大事故だったチーム・クロウ。「女だって遅れを取るいわれは無い」という結末は当然頷けるもので、本当にこのエピソードはXIG男性陣が駄目すぎるだけだったわけですが、頭の固いチーフが一応反省し、男女の性差問題を乗り越えた先で、では、「チーム・クロウの特性とは何なのか?」が用意されていなかった為に、三番目のチーム、という以上の意味を持たない存在に。
 勿論、XIGファイターズに一定の規模を持たせるというスケール的な存在意味はあるわけですが、クロウが出撃した際にクロウならではのリアクションがあるわけではないので、今週はクロウだ、という事に物語上の面白さが出ず仕舞い。主人公である我夢ともこれといった独自の関係性が生じない為、キャラクターとして使い切れない存在のまま終わって残念でした。
 これはファイターチーム全体の短所、ともいえますが、組織の規模を出すギミックをここまで描いて見せた、という事そのものに一定の評価をすべき部分ではありましょうか。

■チーム・ハーキュリーズ


「そ、我夢のピンチを助けたのは、俺たち」
「「「チーム・ハーキュリーズ」」」
(第11話)
 本感想の方向性を加速させ、“我夢とXIGの関係性”において、大きな役割を果たした筋肉の戦士達。ハーキュリーズの本格登場により組織としてのXIGと我夢のリアクション、双方の幅が広かったのは作品にとって非常に良い影響を与えたと思っています。また、ハーキュリーズをただの筋肉集団にせず、“大人の目線”を持ったチームとする事で、それまでになかった距離感を我夢との間に作り出した案配が絶妙で、後に傑作第45話を生む、原田×古怒田コンビが大変良い仕事。
 特に原田監督がお気に入りだったと思われるハーキュリーズですが、ウクバール回、プロレス回、怪獣の卵回、とメンバー3人がそれぞれメインで関わるエピソードを持っているのは実はハーキュリーズだけで、総合的には、チーム・ライトニングより扱いが良いという事実(笑)
 たたき上げの陸戦部隊、という事で差別化もしやすかったのでしょうが、非常に良い味わいのチームでした。ファイターを中心にした最終作戦が描かれる最終回でも出番を確保できたのは、作品全体への貢献度も考慮されたりしたのか。おにぎりタンクも好きでした。

■瀬沼
 何度か触れましたが、割と好きなキャラ。こういう、自覚的な汚れ役が居る、というのがXIGのリアリティを上げつつ組織としての奥行きを出して、いいキャラクターでした。また、あくまで汚れ役を自認しているのであり、虎の威を借る狐のような、組織内部の小悪党として描かれなかったのも良かったです。

■律子さん・黒田さん・稲森博士
 影のヒロイン軍団(笑)
 稲森博士は藤宮との関わりが深いのでやや別格ですが、エピソードゲストを拡張して、複数回に渡って登場させる事が出来たのは、今作のストーリーの連続性を高めて、とても良かったところで、その代表的なメンバー。
 どういうわけか全員、向こう側と繋がり加減なのですが……つまり敦子に足りなかったのは、受信力。
 それはまあさておき、キャスや柊、我夢の友人ズも含め、セミレギュラー、とまでも言いがたいXIG外縁のサブキャラにも、最後まで丁寧に目配りしていたのは、今作の長所でした。
 ダニエルくんはホント、物凄くいい奴だったなぁ……!

■筋肉
 最終章、怒濤の展開とこれまでの要素の美しい収束に、あまり与太話に流れるタイミングがなくてだいぶ自重したのですが、
 「俺達にはまだ鍛えるべき筋肉があったぜ、我夢!」
 は入れても良かったかな、と思う次第。
 あと、世界各地に飛んだXIGファイターに積み込まれたリパルサースピーカーから流れ出す音楽に合わせて地球怪獣がダンベル体操を始め、TVを見つめる人々達も息を合わせて筋トレを始め、「地球は今、一つの筋肉なんだ藤宮!!」と脈動する筋肉のパルスが光を(以下略)は文章にまとめづらくて書きませんでした!
 感想において色々ネタにしてきましたが、「修行」「訓練」とはまた違う形で、「手に入れた力を使いこなし、役割を果たせる理想の自分になる為に、一歩一歩努力を積み重ねていく」事を「筋トレ」という具体的な映像・行為に落とし込めたのは、今作において大きな発明であったと思います。
 これにより、序盤における我夢と藤宮の差異から中盤以降のフィードバック、天才的な頭脳と超越の力(オカルト的要素)を人間としての肉体が支えるという構造の明確化に加え、選ばれたもの/誰にでも出来ること、という対比も物語全体のバランスを取り、とにかく今作は、端々のバランスの取り方の巧さが目立ちます。
 ところで我夢が「役割」にこだわるのは、アルケミースターズという天稟(一種の「呪い」でもある)を得て生まれた自己を肯定する為の一手段と思えるのですが、その点で我夢にとって、決して異能の天才集団ではないが、それぞれが自らの「役割」を全うしようとするプロフェッショナル集団であるXIGに加われたというのは、大きな「救い」であったのかもしれません。
 そして、他の誰かと足並みを揃えて(むしろ引っ張られて)自らを変えていける(=事の象徴として「筋トレ」が機能している)というのは、我夢にとって得がたい大きな経験であり、つまり、筋トレは世界を繋ぐ光(おかしい……いい話でまとめる筈だったのに)。

■根源的破滅招来体
 「守ろうとする意志の中に滅びを求める意志があり、滅びを求める意志の中にもまた守ろうとする意志が同居している」というのは、若かりし日に大きな影響を受けた小説『帝都物語』(荒俣宏)以来、私の中に根付いている物の見方なのですが、地球の中にも、守ろうとする意志と、滅びを求める意志が共に存在していたのではないか、というのが個人的な一つの解釈。
 劇中においては、宇宙の野生怪獣の放擲など、“外”から来る者として描かれる事が多いので、地球の意思が根源的破滅招来体の根本であるという説は成り立たないと思いますが、宇宙のあらゆる命が内在させる滅びへの意志、破滅への潜在的願望が寄り集まった存在……なんていうのは、個人的に好きなネタの広げ方。

■地球怪獣
 で、いみじくも藤宮が「ガン細胞」と称したように、地球に依存する形で生きながらその地球を蝕み、他の生物を破滅にも追いやる人類とは、この矛盾する意志の同居を具現化した存在、とも取れるのですが、そう見た時、地球怪獣というのも、実は同質の存在なのかな、と。
 時に牙を剥き、時に共生し、地球怪獣という存在そのものが、地球の抱える矛盾した意志そのものの具現であるならば、「同じ地球に住む命」というくくりよりも、「同じ矛盾を抱えた生命形態」として同列に並べる方が、個人的にはしっくり来ます。
 そしてこの、「世界を構成する矛盾」をぐぐっとマクロに広げていった先に、「根源的破滅招来体」が存在するのではないか、とそんな事を思うのでありました。

 ……と、だいぶ与太分を補充したところで思ったより長くなって参りましたので、スタッフ関係や、もう少し掘り下げた全体の俯瞰(できれば)、好きなエピソードの話などは、次回へつづく。