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電撃戦隊チェンジマン』感想・最終話

◆第55話「さらば宇宙の友よ」◆ (監督:山田稔 脚本:曽田博久)
 ギルーク、残念ながら登場せず。
 やはり内心のテーマ性やチェンジマンとの対比による位置づけにおいてアハメス様と重なる部分が多い為か、ギルーク個人に決着をつけるという展開はオミットされたようで、そういう点では最後まで、アハメス様の割を食った形にはなりました(笑)
 中盤に少し小悪党寄りになっていましたが、初期の貫禄のある悪役ぶりや、スーパーギルークになってからの怪演も好きだったので、そこは残念。
 一方で考えてみると、怨霊ギルークになって以降は母星について言葉で触れた記憶がなく、これは「アマゾ星の女王」である事にこだわり続けるアハメス様との差別化もあったのでしょうが、いってみれば司令官時代のギルークと、怨霊→スーパーギルークは、似て非なる存在、という位置づけではあったのかもしれません。
 獣士化光線に最も象徴される“他者を道具にして顧みない”ゴズマの悪の具体的な形象そのものであり、ミニ・バズーという物語上の役割が大きく、キャラクターというよりシステムに寄ってしまったのは惜しまれるところですが、裏を返せば、やがてシステムが人を殺すようになる、というのはバズーの世界の行き着く果て、ではありましょうか。
 そう見るとスーパーギルークとは、世界の摂理に飲み込まれる事で、個を失い、システムと化してしまった存在であったのかもしれず(だからこそそれは、世界に増殖し続けるミニ・バズー、として示される)、ならば躊躇無く自ら獣士となって打破されるという最期は、システム化してしまった者の末路にふさわしかったのかも(自らに付けた故郷の名が最後に残ったアイデンティティだったのかもしれない、というのは色々と考えさせられます)。
 このシステム化に逆らい、世界の在り方に疑問を呈して個人として死んでいった(だからこそ墓標が残った)のがブーバといえますが、今作はスーパーギルークを通して最後に、人は気がつかない内にミニ・バズーになっているのかもしれないという恐ろしさを描いた、ようにも思えます。
 ……まあだいぶこじつけましたが、ギルーク好きだったので、思い入れを込めた消化はご容赦下さい(笑)
 宇宙獣士ギラスを撃破するも、突如宇宙へ飛び出してしまったゴズマードの中で目覚めた伊吹らは、地球に近づくハレー彗星に隠れて、巨大な星が地球へ衝突しようとしている事を知る。実はゴズマードはその星を地球に誘導しており、このままで地球は衝突の影響で木っ葉微塵に砕け散ってしまう!
 「助けて……剣さん……」
 ヒロイン力急上昇のナナの祈りに応えるかのようにシャトルベースはゴズマードを発見。伊吹らの救出の為にブリッジに乗り込むが、そこに星王バズーの巨大な姿が浮かび上がる。
 「星王バズー!」
 「バズー……?」
 「あいつが星王バズー!」
 最終回にして、チェンジマンとバズーがご対面。
 「チェンジマン、イブキ、そして、裏切り者どもよ! よくもこの星王バズーに逆らい、楯突いてくれたな! だがこの儂の最後の作戦は、もう止められんぞ。まずお前達から、血祭りにあげてやる。かっ!」
 バズーのお仕置き光線でブリッジが炎に包まれる中、「ギョダーイ! ギョダーイも助けてあげて!」とナナちゃんが叫び、地球に放置されている疑惑のあったギョダーイが回収されてホッとしました(笑)
 思えばナナ初登場回で絡んでいたのはギョダーイですし、憎き仇の一味と捉えてもいいシーマを助ける事で新たな世界への道筋を示したり、前回はギルークに一撃食らわせたり、飛び飛びとはいえ3クールに渡って登場しているナナちゃんが、様々な因縁を回収する八面六臂の大活躍。
 容姿やメンタルが地球人寄りという事もあって、地球人と異星人の架け橋として機能しているのが、作品の完成度を高めます。
 なんとかゴズマードから脱出した一同は、地球に迫る巨大な星の脅威を知るが、航路を見失い、宇宙の迷子になってしまう。しかしその時、近づいてくる光……の正体は、なんとメモリードール! そしてシャトルベースのブリッジには、天使の羽を広げたサクラが乗り込んでくる。
 40話近く前のゲストキャラ再登場は非常に驚きましたが、出会いは地球だったとはいえ、チェンジマンの戦いが遠い宇宙にも広がっていく希望の光をもたらしていた象徴として、今作のスケール感を上手く収束。疾風が反応を見せるのも良かったですし、今作において大きな役割を果たしてきた藤井脚本の要素を取り上げてくれたのは嬉しかったです。家畜化光線には潜在的恐怖がありますが。
 一同はサクラとメモリードールの導きにより、地球に迫る悪魔の星へと近づくが、その重力に引きずり込まれるようにして、赤茶けた大地に緊急着陸を余儀なくされ……前回の予告からなのですが、地球を飛び出し決戦は○○! という展開にどうしても脳裏を『ロボット刑事』がよぎってしまい、ラストは、まさか、アレなのか……? という妄想が消えないのが、ちょっと困りました(笑)
 そういえば:「バズー」と「バドー」は一文字違い。
 「よくぞ、我がゴズマスターへ辿り着いたな。だが、おまえ達がいくら力を合わせても、もはこの星からは生きて帰れんぞ。私に逆らっても無駄な事を、思い知らせてやる」
 チェンジマンはバズーの生み出したヒドラ兵の大軍と戦うが、倒しても倒してもソ連兵のように畑から生えてくるヒドラ兵を相手に徐々に消耗を強いられる。
 「バズーだ! バズーがヒドラ兵にパワーを与えてるんだ!」
 チェンジソード一斉射撃を放つも跳ね返されてしまったその時、何かに気付いた伊吹がシャトルを飛び出し、
 「行くぞバズーぅ!!」
 渾身のダッシュから捨て身の体当たりを決め、まあもう、格好いいから良し(笑)
 前回今回とジョーカーぶりを隠さなくなっている伊吹星人ですが、復讐という強い動機を持ちゴズマを倒す為に地球で鬼軍曹していたにも関わらず、この最終局面で自らの復讐に逸る事なく、基本的に本気を出すのはチェンジマンやナナらを守る場面である事で、長い雌伏の末にただの復讐鬼ではなく、チェンジマンのオヤジ(限りなく組長の意)であり手を取り合って戦う反ゴズマ同盟の一員である事、に精神的にシフトしているのが伝わってくるのは、正体判明後の一つ上手いポイント。
 残り時間の都合で省略した部分も多々あるでしょうが、これにより、壊滅的に胡散臭くなる事を回避しており、今作はホントこういう地雷の回避の仕方が通して絶妙です。
 巨大バズーを驚かせて一撃を与えるも弾き飛ばされた長官は、地面に転がっていたメモリードールと衝突して何とか一命を取り留めるが、駆けつけたチェンジマンと共に、ゴズマスター内部へと飲み込まれてしまう。
 「……あれは、バズーではなかった」(※独自の研究です)
 「「「ええ?!」」」
 「ホログラフィ……ま、幻だ」(※独自の研究です)
 第1話から遠征軍を怯えひれ伏させていたバズーの姿は、虚空に浮かぶ虚像に過ぎなかった!(※独自の研究です)
 「そうか! わかったぞ! この星がバズーなんだ! この星全体が星王バズーなんだ!」
 その時、飲み込まれた際の高所転落の衝撃により、匠の脳裏に電流走る!
 「なんだって? この星が?」
 「いや、星じゃない。正確に言えば、こいつは星の大きさをした、とてつもない巨大な生命体なんだ」
 「その通りだ、チェンジマン。ふははははははは、儂は宇宙の生命体を食い尽くして大きくなってきた。今度は地球を食ってやる!」
 巨大な幻像を見せたバズーは独自の研究と匠の閃きを肯定し、ここまで来るとバズーの正体はある程度推測のつくものでしたが、それを大星団ゴズマの宇宙征服の動機付けとし、バズーそのものが弱肉強食を体現する存在であったと繋げてくるのは、今作らしい巧い仕掛け。
 「そんな事させるか!」
 「儂の体の中からは出られん!」
 そしてまた、星王バズーが“哀しみを再生産する世界”を支配する摂理そのもの、という象徴的な悪であるからこそ、その正体が、星(のように巨大な生物)=一つの世界であったのは、非常に納得できます。
 「黙れ! 伊吹長官は命がけでバズーの正体を暴いてくれた! 奈々ちゃんやシーマ、ゲーターにサクラさん、みんなが勇気を出し、協力してくれたんだ。それを無駄にしてたまるか!
 みんな、それに応えるのが俺達チェンジマンだ! 最後まで頑張るぞ!」
 その、世界を支配しようとする悪そのものに対して、
 ヒーローとは何か
 を力強く宣言するチェンジドラゴン。
 悪に抗う勇気を人々にもたらすのがヒーローであり、そしてまた、そんな人々の勇気に応えるのがヒーローだ!
 という勇気の永久機関宣言は実に清々しく、そして美しい。
 立ち上がった6人はバズーの体内を右往左往し、結局、最初に飲み込まれた消化器官に戻ってきてしまうが、そこで一緒に飲み込まれたメモリードールの残骸に目を止める。
 「そうだ! パワーバズーカでギョダーイに合図して、メモリードールを、巨大化させるんだ!」
 えええええ(笑)
 目が点になる驚愕の発想でしたが、巨大化ギミックであり宇宙動物でしかないギョダーイを助けた(かつて助けようとした)事にもしっかり意味を持たせて物語の中に取り込むのが、実に最後まで今作らしい仕掛け。
 5人がそれぞれ新規カットでズーカを構えるのが最終話における戦隊の象徴として格好良く決まり、アースフォースを込めて放たれた大リーグバズーカ2号の砲火は地表へ届き、それを見たギョダーイは習性で巨大化光線を発射。チェンジマンの思惑通り、光線を浴びたメモリードールは見る見る内に巨大化し、彫像に土手っ腹を突き破られるラスボス(笑)
 意表を突かれすぎて衝撃的な展開と映像でしたが、ギョダーイの活用に加え、支配者の世界が内側から打ち破られるというのが、今作のテーゼをこれ以上なく体現しており、バズーの失墜として、これ以上ふさわしいシチュエーションはちょっと思いつかないレベル。個々の要素の意味づけの繋がり方といい、ギミックやガジェットの使い切り具合といい、実に『チェンジマン』。
 6人はゴズマスター内部からの脱出に成功するが、地球までは後わずか。伊吹らはシャトルベースで離陸し、チェンジマンはチェンジロボを起動する。
 「電撃剣!」
 宇宙空間で身を翻したチェンジロボは、アースフォースを全身に纏い赤い光球と化すと、ゴズマスターへ突撃。一つの巨大な細胞であったゴズマスター内部に切り込むと、史上最大規模のスーパーサンダーボルト惑星斬りにより、ゴズマスターを内側から両断し、ここに、大星団ゴズマを率い宇宙を哀しみに染め上げてきた星王バズーを滅ぼすのだった……!
 「敬礼!」
 しばらく後、地球――電撃戦隊と協力者達は富士の裾野で向かい合って敬礼をかわし、あのデザインで敬礼の真似事をするギョダーイの可愛さが、最後にヒロインレースをぶっちぎった……!(え)
 終盤、怒濤のラッシュを決めたナナちゃんですが、最終回では特に拾われず、これはまあ、仕方のなかったところでしょうか。
 「宇宙には、バズーに破壊された沢山の星を再建する仕事が残っている。私はその為に、一生を捧げようと思う」
 宿願を果たした伊吹の目元からは涙がこぼれ落ち、まさに鬼の目にも涙、と同時に、ああこの人は本当に一生を捧げるのだろうな、というヒース星人ユイ・イブキとしての真摯さが伝わってきて、役者さんのパワーもありますでしょうが、正体を明かした後の伊吹星人の描写には、秘密を持っていた事への悪印象を持たせない為の丁寧な配慮が窺えます。
 合唱系の挿入歌をバックに、向かい合うメンバーの絡んだ名場面が振り返られ、飛竜-ナナ、疾風-サクラ(最終回の登場でやたら扱いが大きい事に)と組み合わせた都合により勇馬-シーマをひねり出した結果、馬の突撃にシーマが慌てて逃げ、ペガサス大爆発!というシーンになり、それで本当に良かったのですか。
 さやかと麻衣はゲーター一家と無理に絡めなかった結果、“ここに居たかもしれない男”としてイカロスが出てきたのは、大変良かったです。麻衣はフラメンコになりましたが、初恋回とかでも良かったよーな。

 ナレーション「戦いの中で、宇宙人とチェンジマンに、様々な、ドラマが生まれた。どんなに遠く離れていても、姿形は違っていても、宇宙に、生きとし生けるものすべて、愛し合い、信じ合い、平和を願う気持ちは、同じなのだ。地球で芽生えた、愛と信頼を乗せて、今、シャトルベースは、宇宙へ帰っていく!」

 伊吹らを乗せたシャトルベースは地球を離れ、富士山をバックに歩いて行くチェンジマン5人、でおわり。
 物語として出来のピークは第52-53話で、ラスト2話は後始末編、という感じが少し出てしまいましたが、これは共通したメインスタッフが前年の最終盤をやりつつ同時進行で翌年の企画・制作も進行しているという、当時の体制的限界が出てしまった部分もあったでしょうか。ただバズーの正体とその打破は、今作の集大成としてふさわしいものであったと思います。
 何度も書いてきましたが、本当に、構造とその見せ方の良く出来た戦隊。
 特に、丁寧な仕込みと描写により、最初から最後まで物語に大宇宙規模のスケール感を感じさせ続けたのは、お見事。これにより、地球という一惑星での戦いが、バズーの支配する世界の在り方そのものとの戦いになっていくミクロからマクロへのスライドが違和感なく収まり、テーマ性に強い推進力を持たせる事ができました。
 難点をあげるとすれば、物語の完成度が高かった一方で、終盤になるほどチェンジマン個人の存在感が薄くなり、飛竜を除くと台詞も大幅減になってしまった事。中盤までで十分にキャラクターは経っていたので没個性になってしまうという事は無かったのですが、チェンジマンの物語として見た場合は、やや残念でした。
 これはまた、今作が最終盤、チェンジマンvsゴズマという構図を超えて、反ゴズマ同盟vsゴズマという構図になる事で拍車がかかり、それ自体はチェンジマンが紡ぎ上げた力として今作の象徴そのものであり、戦隊史上にも例の少ない見事なジャンプアップであったのですが、もう一回、最後にチェンジマン個々にターンが回ってくるのも見たかったかなーというのはまあ、今日的な視点からの無い物ねだりの部分はあって、当時の尺を考えると「それに応えるのが俺達チェンジマンだ!」が入っただけでもで満足しておく所ではありましょうか。
 そろそろ頭が煮えてきたので最終回感想はひとまずここで一区切りにしようと思いますが、最後にナレーションされたように「どんなに遠く離れていても、姿形は違っていても、宇宙に、生きとし生けるものすべて、愛し合い、信じ合い、平和を願う気持ちは、同じ」(これを物語の積み重ねにより説得力のある映像にまで集約してみせたのが今作の凄み)ならば、“世界の在り方”を変えていけるというのが、『電撃戦隊チェンジマン』の到達点であり、“そんな世界”と戦う――“そんな世界”を変えていく、事を目指し続けた物語であったからこそ、彼らの名は、チェンジマンであったのだな、と。
 だからこそ彼らは、膝を屈して頭を垂れ続ける事なく、勇気と共に顔を上げる――
 「レッツ・チェンジ!」
 戦隊史上でも最大規模の巨悪と、戦い続けた戦士達にふさわしい名でありました。

 構造の組み方が巧い作品なので、あまり間を受けない内に、第1話から感想を読み返してその辺りを拾いながら、総括(の雛形)を書ければと思いますが、最終回の感想は、ひとまずこれまで。『電撃戦隊チェンジマン』感想、お付き合い有り難うございました。
 アースフォースを信じろ!