東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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僕らの星よ えいえんに

 本日は『チェンジマン』の感想を書きながら、どういうわけか『ザンボット3』の最終回に思いを馳せてしみじみとしていました。『ザンボット3』は最終回にして、EDテーマの(歌詞の)本質が“祈り”であった事が突き刺さってくるというか、ラストシーンをEDテーマとその要素で繋げてみせたのが富野演出におけるロマンティシズムの美といえるのですが、そこで歌われている“祈り”と『チェンジマン』劇中で浮き上がってくる“祈り”には、どこか似ているものがあるな、と思いつつ、さらばアハメス様!

6/7付けレス

◆MOPさん
 >コウの言動についての批判的な反応にショックを受けたらしい赤の中の人が「コウはそんな(酷い)奴じゃない」と訴えたのに対し、
 >青の中の人が「メルトは分かってるよ」とよしよししてあげたのは知ってます。
うーん、そういう感じだったのですか。職業的に避けられぬものとはいえ、カジュアルかつダイレクトに反応が飛んできやすいというのは時代の良し悪しですね。
 >メルトがそれで良いなら私も、この、作品中には描かれてないけど台詞で既成事実になってる部分を、頑張って想像して補って行きたいと思います。
この“行間”を、毎回の演技を通してどう視聴者に伝えていく事が出来るか、というのが役者さんの意欲になって、作品の方にフォードバックされていくといいですね。それは戦隊シリーズの持つ強みでありますし。

◆chi-chanさん
 >今から考えるとチェンジマンの要素を二分割したのが10年後のオーレンジャー(アースフォース≒超力、ハードな試練で選ばれた
 >軍人戦隊)とカーレンジャー(アースフォース≒クルマジックパワー、復讐の宇宙人に選ばれた地球人戦隊)に思えまして。
考えてみると『カー』『メガ』『ギンガ』はいずれも「復讐」というテーゼが大きな要素になっていますね。恐らく、高寺Pの80年代作品への視点が影響しているのかと思いますが(『メガ』終盤、顔出し悪役の狂気で引っ張る物語性など)、原点回帰志向のあった『オー』含め、この一連の4作には10年後のアフター『チェンジマン』的な部分があるのかな、とは。
 >デカ・ゲキ・キョウリュウ・キュウでの「デフォルトで異種族な司令官」へと発展していくと見ると面白いですね。
重要ポジションに異種族キャラを置く事により色々な面で「説得力を出しやすいし感じやすい」という利点が作劇としてあるのでしょうが、流れで考えると『ゲキレン』はこの辺り、かなり攻めた戦隊だったのだなぁと改めて。
 >尺やこの後の決戦展開を見据えるとやむを得ないことだったと思いますが、状況によっては不信感が芽生えた可能性もあったような(笑
もうちょっと早かったら、ありそうでしたよね(笑)
 >なんか喋るロボも含め我々21世紀の戦隊視聴者が普通に「人間でないサポーター」に慣れている感がある気がします(笑)
元々マスコット寄りの喋るロボットは「一発でSF(或いはファンタジー)感を出しやすい」という強みがありましたが、90年代のRPGブームを経て以降は特に、ファンタジー設定を一般的に受け入れる下地の差、というのが大きいのかもですね。00年代に入るとアスカとかヒカル先生とか凄く普通に居るのは、その辺りなのかなーと。
 >つまりコウモリネコシャドーだったらしいです(笑)。
悪魔くん』しかイメージできません……(笑)

◆タイキさん
 >伊吹長官もまたこれまでの厳しい鬼軍曹の根拠が明らかになったのは良かったですが、キャラ造形に失敗してたら確実に作品ごと台無しになってた可能性が高いです。
正直割とギリギリだなとは思ったのですが、シーマやゲーターの存在がクッションとして活きる、事で、シーマやゲーターが電撃陣営に加わった展開そのものの意味も増す、というのは今作が最後まで構造の上手いところでしたね。
 >「復讐」と「狂気」が一体化すると人はどこまでも残酷になり、凄まじいエネルギーを発揮できてしまう、
 >というのも曽田戦隊終盤の敵の散り際のテーマに含まれている気がします。
最終的に情念をヒーロー側に乗せるのを避ける都合、というのもあったのかもですが、曽田さんのこだわりの出ている部分なのかもですね。この辺りを90年代に再構築したのが『メガ』終盤だったのかな、とも改めて。
 >因みにこの回は本作最高視聴率を誇り、数ある曽田戦隊の中でも前回のブーバと併せてお気に入りのベストエピソードとして語り草になっていますね。
前回今回、積みに積んできた幹部リタイア回として、ホント盛り上がりましたし、出来も良かったですね。
 >その上で黒騎士ブルブラックは「故郷を失ってしまったゴズマ幹部」と読み替えることも可能であり、
 >ヒーロー側のアース≒アースフォースという設定と併せて実に鮮やかに洗練された物語を創出しましたよね。
改めて『ギンガマン』は、こういった部分が上手く噛み合った作品でしたね。
 >結局戦隊メンバーが司令官の個人的事情に振り回され、付き合わされるだけの格好になってしまうからじゃないでしょうか。
成る程確かに、そういう視点で見ると、ダイナマンは「個人(私人)」の戦隊だからそれが物語として成立しえたけれど、チェンジマンは「軍人(公人)」の戦隊なので、そこは物語にならない、という違いといえるのかもですね。