『ウルトラマンガイア』感想・第33話
◆第33話「伝説との闘い」◆ (監督:村石宏實 脚本:長谷川圭一 特技監督:村石宏實)
見所は、
我夢、はじめての手榴弾。
バズーカ砲も出てくるし、MAY DAY MAY DAY,SOS!
ガード:アメリカ支部が開発した自然循環補助システム・エントの視察の為、カナダへと飛んだ我夢とジョジーだが、森で姿の見えない怪獣と遭遇。僕のバック転を見せてやる、と囮を買って出た我夢だが怪獣の浴びせかける突風を受けて崖下へ転落、ガイアとアグルの力により辛くも一命を取り留めるが、黒のレザースーツに身を包んだ女性――エントの開発者でありアルケミースターズの一員でもあるキャサリン・ライアンと出会い、森の魔物退治に巻き込まれる事に……。
「やっぱり君はあの怪獣を憎んで」
「科学は自然の中で人が生きる為に与えられた素晴らしい力よ。それを伝説なんかに、否定させやしない」
アルケミースターズとしての知性を持って、科学という手段で人々の暮らしを向上させたい、と考えるゲストキャラを中心に、“文明と自然の衝突”テーゼが真っ向から展開。
エピソードとしては、巨大なライフルを操り、ジープを囮に怪獣の爆殺を試み、それでも無理なら怪獣目がけてバズーカをぶっ放すキャサリンと、それに振り回される我夢を面白がれるかどうか、がポイントなのですが、せっかく我夢&ジョジーという珍しい組み合わせをエリアルベースから離して行動させるのだから、ゲストキャラよりもむしろ、地元(どこでも設定できる話なので)でジョジーが大暴れする話、を見たかったというのが正直。
希少なシチュエーションがこれといってキャラや関係性の掘り下げに繋がらず、ジョジーが通訳係にしかならなかったのは、大変残念でした。
また、ゲストキャラの口を通して繰り返しテーゼが語られる一方、その心境の変化に我夢が及ぼす影響も少ない為、エピソード内における主人公のウェイトが軽く、悪い意味でゲストに語らせるだけのエピソードになってしまったのも短所(映像的にはそれを、派手なアクションでフォローしているのですが、基本が軍隊なので、ぶっ飛び感も弱め)。
「……怒りや憎しみで戦うんじゃない! ……ただ……守りたいだけだ。……ガイアーーーーー!!」
そしてこれまで幾度か、地球産の怪獣に対しては説得の模索をしてきた我夢が、言い訳をしつつも、人間にも非があるというエピソードの中で怪獣を容赦なく地球の隙間ビームで爆殺しようとするのも腰が据わっていない感じとなり、一部怪獣への我夢の対応のふらつきも、悪い形で出てしまいました。
――「人間もこの森と同じ。自然の一部なのよ」
――「私たちは、その素晴らしさを知る為に科学者になったんだ」
怪獣の子供の姿に、亡き両親の言葉を思い出したキャサリンがガイアを止める、というのは軟着陸としては納得できる範囲ですが、伏線ゼロの子供怪獣を出さないと着地させられなかった、というのも定番かつ難解なテーゼに対する、仕込みの甘さを感じます。
「人と自然を生かす為、その両方をもっと理解する努力が必要ね」
エントにプログラムの欠陥が見つかり、怪獣シャザックは森の守護者としてそれを教えてくれたのかもしれない……とキャサリンが考えを改め、やはりここに、主人公が積極的に関与しないというのは、ゲストキャラ中心のエピソードとしては、単純に不出来。我夢/ガイアが舞台装置にしかなっておらず、登場人物の心の動きにほとんど関われない、故に勿論、我夢の側にもフィードバックが発生しえない、というのは面白みを欠いてしまいました。
……徹頭徹尾、アルケミースターズ(交感者)であるキャサリンと、超越存在としての怪獣シャザック(擬似的なガイア)との対話を通して、視聴者に向けて問題提起をするエピソードと見れば成立しているといえますが、だとすればそれは、個人的な好みから外れた作りだったのが残念。
「きっと答は見つかるさ。地球はまだ、僕たちを見放したわけじゃないんだから」
というラストの我夢の台詞は、『ガイア』全体を貫く背骨と繋がって、良かったのですが。
次回――「プロレスラー橋本真也も出るぞ!」とナレーションさんが告げ、筋肉です。