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『ガイア』そして脱線

ウルトラマンガイア』感想・第24話

◆第24話「アグルの決意」◆ (監督:北浦嗣巳 脚本:長谷川圭一 特技監督:北浦嗣巳)
 リリーと稲森を失った藤宮は、ジオベースに生身で単独テロを決行すると、これまでジオベースに収集されていた世界各地の異常現象――怪獣出現可能性地点――のデータを強奪。その情報を元に、世界各地の地底怪獣が眠っているとおぼしき地点のツボを突いていく。
 「もし藤宮が、怪獣をコントロールする事を諦めたとしたら、考えられるのは、もっと最悪の事態です」
 前回ラストで梶尾とも訣別したかと思われた我夢は、結局梶尾の車に同乗しており、チーフから首に鈴つけておけと言われているにしても、梶尾さんも大概、面倒見がいい。
 「もう、時間がない!」
 空に迫る異変を感じ取りながら、秩父に姿を見せた藤宮は、遂にコマンダーが下したウルトラマン攻撃指令によりチーム・クロウの攻撃をその背に受けながらも、渾身のウルトラ指圧で地球のツボを刺激。
 一方、藤宮を探す我夢と梶尾に、同じく藤宮を探す玲子が接触し、話を聞いてなんだかんだと同行を認める梶尾さんも大概、面倒見がいい。
 「念のため二人に言っておくが、奴が抵抗した場合、俺はためらわずに撃つ。くだらない邪魔だけはするな?」
 それはそれとして、当たるの?
 狼男回の際に射撃の特訓をしたという言及はありましたが、その後に射撃成功した際は的が大変大きかったですし、果たして、人間大の標的に梶尾リーダーは命中させる事ができるのか。
 「藤宮があなたに近づいた事には、何か理由がある筈です」
 「たぶん…… ショートカットだから 偶然」
 「え?」
 「たまたま私がそこに居たから…………でも、人と人の出会いなんて……そんなもんじゃないんですか?」
 まあ実際、「玲子さんだった」のは偶然なのかもしれませんが、「TV局に侵入」の時点で、だいぶ範囲の狭められた偶然ではあり、多分、最初に見かけたのが倫文だったらメッセージ残していないような!
 3人は山中で、地球一周指圧ラリーで消耗し、今にも倒れそうな藤宮を発見。
 「もうやめて! 人間同士が争っていったい何になるのよ?! 憎しみでしか解決できないなんて……悲しすぎるよ!」
 銃を構える梶尾と藤宮の間に玲子が割って入り……うーん……総じて今作、我夢と藤宮を除くと、というか恐らくWウルトラマンである我夢と藤宮へのバランス調整として、“女性(ゲスト)キャラが語りを担当する”機会が多めの構造なのですが、こと玲子さんに関しては、その場その場で便利な語りキャラになってしまっている感が強く、語りの内容を納得させるキャラの積み重ねに不足を覚えます。
 当初はここまで重要なポジションになる予定ではなかったのかもしれませんが、藤宮との絡みで扱いが大きくなっているだけに尚更、“玲子ならでは”という台詞に聞こえないのは、残念。
 「…………聞こえる……地球の……命の……叫びが」
 地面に倒れ伏した藤宮は、大地に耳を澄ませながら、気絶。時同じくして世界各地で地底怪獣が蠢動し、アリゾナでは戦車が出てきて、甲殻怪獣とドンパチ。対応として梶尾はエリアルベースへ戻る事になり、我夢と玲子は、気絶した藤宮を病院へと運ぶ。
 「私、今は信じたいんです」
 「え?」
 「出会いは偶然かもしれない。……でも、出会った事には、きっと意味があるって」
 「……出会った事に、意味が……」
 「そうでなきゃ、何も変えられないもの」
 玲子に藤宮を任せた我夢は病院の屋上に出ると、エスプレンダーを構えて変身。
 「藤宮! 僕だってウルトラマンなんだ!」
 実写空撮に合成したと思われるアリゾナへと飛翔する赤い光球の映像が、画面を広く使って格好いい。そろそろ2クール目の締めとなり、物語も一つの山場に向けて怒濤の展開になっていますが、映像もダイナミックな見せ方に工夫が凝らされて盛り上がりを高めます。
 アリゾナで甲殻怪獣と戦うチーム・クロウを助けたガイアは、怪獣に連続蹴りを浴びせるが……それに呼応して、跳ね起きる藤宮。
 「何故おまえは地球の意思に逆らおうとする!」
 目覚めて第一声がこれで、段々、一人宗教結社みたいになってきたぞ。
 「地球を滅びへと導くのは、人間の愚かさだ。それを知りながら邪魔する奴を、俺は倒さなければならない」
 「そんな愚かな人間を、どうして助けたりしたのよ?!」
 「…………――俺が救うのは、この地球だけだ」
 玲子の方を振り返らず、自分に言い聞かせるように声を振り絞る藤宮はアリゾナに向かおうとするが、その眠っていた病院に、秩父山中で目覚めたばかりの怪獣が迫っていた。避難の混乱で転んだ老婆に手を貸す事もなく、我が道を行こうとする藤宮だが、病室から聞こえてきた少年の悲鳴に、ふと足を止める。
 「ウルトラマーン!」
 そこでは、車椅子の少年が床に倒れており、その手には、握手をかわす赤い巨人と青い巨人を描いた絵が。
 「助けてよ! ウルトラマーン! 早く来て!」
 佇む藤宮を押しのけて玲子は少年を抱き起こし、藤宮を睨み付ける。
 「地球だけを救いたいんでしょ?! 愚かな人間は関係ないんでしょ?! 早く行きなさいよ!」
 玲子さんの台詞の説得力、に関して上で不満を述べましたが、玲子さんにはこういう台詞回しの方が断然似合っていて、ここは良い形になりました。これはこれで、スタッフ的には“藤宮に対する距離感”というニュアンスなのかもしれませんが、それならば、“XIGとの距離感”が醸成されていない状況で、蓄積の薄い大上段説教斬りを仕掛けてしまったのは、やはりよろしくなかったと思います。
 緑の雨回で説教モードを起動させてはいるのですが、そもそもあの展開に違和感がありましたし、その後、玲子のキャラクター性がそういった方向性で補強されているわけでもないので。
 アリゾナでは、そういえば初代も強かった甲殻怪獣にガイアが苦戦中。そして病院の屋上に立つ藤宮は、変身アイテムの中で明滅する光を見つめる。
 「無駄だとわかっていて……それでも守るのか、人間を。……それが、ウルトラマンだというのか?!」
 人類文明の脅威となる“地底の怪獣”が、地球の命の叫びであるとするならば、ウルトラマン”とは何なのか?
 藤宮の中では人類に対する期待と失望が常にせめぎあっており、それは前回、稲森博士がジオベースに環境再生プロジェクトを提案するも「今そんな事に回す予算ねーから」と却下された末に過激なテロへ走った姿を通して間接的に描かれているのですが、果たしてその力は、地球の希望なのか、それとも、失意なのか――。
 藤宮はアグルに変身すると病院へ迫る怪獣の突進を食い止め、変身した途端にカラータイマーが赤く点滅しているのが、藤宮の消耗と、それでも怪獣を阻む事を選んだ意志の双方を示し、シリーズの約束事を描写の掘り下げに活用してくれる演出は、好物。
 アリゾナでは、起死回生のうにょんバスターを放とうとしていたガイアの脳裏をこれまでの抹殺メモリーがよぎった結果、ガイアは沈静うにょんシュートで怪獣の戦意を喪失させる事を選び、秩父では梶尾の決断によるライトニングの支援を受けて立ち直ったアグルが、怪獣の弱点にウルトラリーゼントバスターを叩き込んで木っ葉微塵に粉砕し、二人のウルトラマンの戦いは、対照的な結末を迎える。
 映像的にも、〔怪獣←アグル/ガイア→怪獣〕と、左右方向が逆に描かれ……少年と玲子を助ける形となったアグルは病院に向けた見返り美人ポーズで自分の存在をアピールせずにはいられず、そういう所がテロリストとして割り切れないから心の隙間に忍び込まれるんですよ!
 ガイアは眠りにつく為に地底へ戻っていく怪獣を見送り、個人的に、怪獣と心が通じ合う、というのは少々ピンと来ないというか若干のアレルギーがあるのですが、ここまでエピソードを分解してきて思い至ったのは、ウルトラマンと地底怪獣は根本のところで同質の存在なのかもしれない”(少なくとも「ウルトラマンとの出会い」の意味を考える我夢は、そう感じたのか?)という事で、壬龍との交感などもありましたが、ここから『ガイア』としてどう転がしてくるのか、不安もありつつ楽しみにしたいと思います。
 藤宮は再び姿を消し、世界各地では高まる地球怪獣出現の脅威に対し、ガードヨーロッパが、地中貫通爆弾を使用。
 「それで奴らを封じ込められれば……いいんですが」
 重苦しい雰囲気で顔を見合わせるエリアルベース上層部の姿に、心音のSEが重ねられ……それは、地球の命の叫びなのか。
 EDパートでは、無言のまま目も合わせずに玲子の横を通り過ぎて歩み去る藤宮の姿が印象的に描かれ、果たして、藤宮博也はどこへ行くのか? 星空の異変、そして「時間がない」という言葉の真の意味とは……?! で、つづく。
 そろそろ物語も折り返し地点となり、稲森博士の行動をきっかけに怒濤の連続ストーリーに突入していますが、少々メタな視点として、間接的にはかなりの怪獣被害をもたらしているアグル/藤宮でさえ、子供のヒーローである事から逃れられないというのは、大変興味深い点。
 逆に言えば、そこを踏み越えてしまうと、本当にヒーローでなくなってしまう、という一線であるのかもしれませんが。
 結果的に、藤宮の抱える葛藤が随所に織り込まれていたにしても、藤宮がヒロイン的存在と子供にほだされた、という作劇になってしまってはいるのですが、この部分は、90年代特撮ヒーローと、00年代以降の特撮ヒーローの、ドラマ性における大きな違いかもしれませんもしかして。
 この話題、色々と精査しないといけない上に掘り下げると間違いなくややこしい事になるので個人的なメモ程度のものに留めますが、濃いドラマ展開を続けすぎた時に劇中に子供を出してヒーローに声援を送らせたりする事で“子供のヒーロー”である事を内外に取り戻す、というのは割とよくある手法なのですが、近年、あまりそういった手法を見た覚えが無いのは、単純に必要に迫られていないのか、それこそ“子供騙し”の手法として敬遠されるようになったのか、というよりも根本的にあまり、子供ゲストと絡むエピソード自体が減少傾向だったりするのだろうか、みたいな事思い至りまして。
 これは主に00年代に《平成ライダー》が牽引していったドラマ性のシフトの印象が強いというのはありますし(この時期の《ウルトラ》シリーズは全く未見の為、知識なし。ただ少なくとも『オーブ』『ルーブ』に子供ゲストとのドラマは無かったような……『ジード』は多分ペガが子供ポジションかつゼロの方に娘が居るのですが、家族テーマになるとまた少し性質が変わるのですけれども、考えてみるとそもそも『マン』とか『セブン』はどうだったか、という話になり、大変ややこしい)、別に劇中で直接少年少女と絡まなくても、メタ的に“子供のヒーロー”が成立していれば何の問題も無いわけですが、一方でもしかして、内省の進んだ00年代的ヒーロー像は、物語の中で“子供の前で格好つけられるヒーロー”から逃げている一面もあるのではないか?
 これを類型の回避と見るか重要なモチーフの欠落と見るかは、作品による所も含めて捉え方次第にもなり、これ以上は過去作品を色々と精査していないと話を進められなくなるのでやりませんが(00年代の松竹系作品も未見ですし)、そういえば『エグゼイド』は中心要素が“ゲーム”だったので、“ヒーローと子供”的な要素が割と入っていたりしたのでしょうか、とか思ってみるものの、1クールで脱落したのでわからず。少なくとも、『ビルド』では子供ゲストとの絡みは記憶になく、勿論重ねて、別に直接絡まなくても“子供のヒーロー”である事は描けて、それはアプローチの問題になるわけですが、アプローチの仕方自体に考察の余地がありそうだなと(とりあえず、ここでは特撮ヒーロー物に限り、キッズアニメ類に関しては別のカテゴリとします。)。
 この辺り、『クウガ』において“無自覚な正義に支えられたヒーローを解体し、現代に立脚しうるヒーローの再構築”を目指した高寺Pは、むしろ意識的に“子供のヒーロー”としての語り直しも行っていて、これは戦隊時代には特に『ギンガマン』で重視されていた部分にして後の『響鬼』にも繋がっていくわけですが、そこへのアンチテーゼも含めて、別のアプローチを目指したのが初期《平成ライダー》において白倉Pを加速させた面もあったりしたのかもしれません。
 ちょっと『W』の最終回内容に触れますが……『ディケイド』での一区切り後、《昭和ライダー》への視線が強い『W』最終回において、「ソロヒーローとなった」翔太郎が、少年ゲストに対して男の“格好つけ”を見せてハードボイルドを示す、というのは、モチーフの連鎖という観点で見た時、非常に興味深い部分。
 で、近年の戦隊だと『キュウレンジャー』の小太郎とスティンガーの関係は、これをダイレクトにやろうとしていたのだな、というのが改めて腑に落ちるわけなのですが、最新『ルパパト』においては、パトレンジャーは“子供の前で格好つけられるヒーロー”でありルパンレンジャーは“子供と絡まないヒーロー”というのを、基本的な区分けとして意図的に仕掛けていたのかな、と今更ながら。
 宇都宮P関係でいうと、“格好つける相手である子供を自身の内側に持つ事で、常にヒーローである事が相対化される”というのが『トッキュウジャー』の発明であり凄みだったわけですが、脚本の小林靖子さんの初メイン戦隊が、「ヒーローと少年」の関係が物語構造にがっちり組み込まれていた『ギンガマン』であり、このラインの接続も感じるところ。
 まあ、小林作品でも宇都宮作品でも、接続の薄い作品はあり(明解なのは『シンケンジャー』とか)、ちょっと考えただけで反証も多数出てくるので、すべからく思いつきの暴投という可能性もありますが、ちょっと考えてみたい視点の叩き台メモという事で、脱線でした。
 次回――“ウルトラマンである”事の意味を賭け、再び激突する赤と青。それは、「明日なき対決」なのか?!