『電撃戦隊チェンジマン』感想・第21話
◆第21話「ゴズマの大スター」◆ (監督:長石多可男 脚本:曽田博久)
冒頭からゴズマの基地に殴り込みをかけるチェンジマンだが、そこに突然現れる、ギターを持った渡り鳥。
「トーラ星の宇宙獣士ボルタ! 人呼んで、トーラボルター!」
……サ、サタデー・ナイト・フィーバー、なの?
いったいぜんたい誰がジョン・トラボルタのファンだったのかわかりませんが、軽いノリの真っ赤なニワトリ、という見た目とは裏腹に、ボルタは50の星を征服してきた凄腕の宇宙獣士。そしてその戦闘を全宇宙へ実況生中継する事で人気を博す、今風にいえばYoutuberであった。
「ふざけるな! 星の侵略を見世物なんかにされてたまるか!」
「u-hu、だが俺のファンは血を求めているんだ。それぃ!」
毎度お馴染み、侵略やってみたチャンネルが始まり、シーマすらメロメロの宇宙スター獣士は、チェンジマンの攻撃を軽々とかわすと火を噴くギターの一撃はチェンジスーツすら破壊。5人は辛くもジープで逃走するが、この戦果に面白くないのが、ギルーク司令官。アハメスの暗躍により遠征軍の指揮権を無視して勝手に暴れるボルタに苛立つギルークは、地球守備隊の基地を自ら攻撃するが、そこにもギターの音色が響き渡る……。
ボルタにときめくシーマといい、アハメスから「目立ちたがり」扱いを受けてやたら器の小さくなるギルークといい、ややコミカルに振れすぎた感があるのですが、脚本はメインライターの曽田さんなので、長石監督の演出の方が少し行きすぎたか。ブーバを筆頭に、ゴズマ側にコミカル要素を加えているのが主に長石監督なので、この辺りは探り探りといった部分がありそうですが。
守備隊を助けに行こうとするも今の状態で出て行っても犬死にするだけだ、と仲間達から一斉に制止される飛竜だが、その瞳には強い決意の炎がみなぎる。
「そうはいかん! 今こうしている間にも、ボルタは宇宙中に放送してるんだぞ。大星団ゴズマの支配下に置かれた人々に、ゴズマの強さを見せつけようとしている。地球にも! 平和を求めて戦う人間が居る事を示さないでどうするんだ!」
Youtuber獣士の生中継はただのギャグではない、という話の展開は実に今作らしく、獣士の造形には“侵略をショー化するゴズマの恐ろしさ”を示す意図もあったのでしょうが(そして時に、我が身に降りかからない闘争は簡単に娯楽として消費されるもので)、やはり少しやり過ぎて、温度差が効果的の範疇を超えて胸焼けを起こしそうな感じに。
何かを閃いた飛竜は一人で飛び出していくと、睨み合うギルークとボルタの間にバイクで飛び込み、上司とスターの板挟みになっていたカメラ担当・ゲーターから全宇宙同時配信カメラを強奪。そしてそれを用いて、ボルタの残酷侵略ショーではなく、地球の自然や平和な暮らしを全宇宙生配信するという、逆プロパガンダに打って出る!
というアイデアは非常に面白かったのですが。
違法配信よくない、とバズー怒りの直接ビームで飛竜のチャンネルジャックは中断されるが、ギルークの攻撃を受けてボルタのサングラスが外れ、たれ目の素顔にシーマは大ショック。そしてそのサングラスこそがボルタの回避能力の秘密であった事が判明し、アハメスが割り込んで軌道修正したところに、勢揃いするチェンジマン。
「ゴズマに屈しない俺達の姿を、全宇宙に示すんだ!」
ヒドラ兵を蹴散らすも、相手の動きがスローモーションで見えるようになる、ボルタのサングラスの力に苦戦するチェンジマンだったが、一騎打ちを挑んだドラゴンが逆光を利用して目をくらませ、眼鏡を破壊するとパワーバズーカで抹殺。巨大化後はさくっとサンダーボルトし、スター獣士ボルタは、地球に散るのであった。
ナレーション「チェンジマンは信じた。必ず、心ある宇宙人は立ち上がってくれると。その為にも、チェンジマンは、先頭に立って、戦わねばならないのだ。地球人の勇気と、平和を守る心を、全宇宙に、示すのだ!」
ギルーク遠征軍vsチェンジマンの戦いは、圧倒的な支配地域を誇る大星団ゴズマにとっては辺境の局地戦に過ぎない、という今作の構造は、ゴズマの強大さと脅威を減じない代わりに、チェンジマンの勝利の価値も一局面のものにしかならない、という問題を抱えていたのですが、チェンジマンの戦う姿がゴズマ支配下の人々の心も揺り動かすかもしれない事を悪の残酷ショーを逆手に取って示し、巨象に対する蟻の戦いの意味を物語の中に明確に取り込んだのは、見事な連結でした。
今作は一貫して、このスケール感の描写、マクロとミクロの繋げ方に手抜かりがなくスマート。
それだけに、終始なんだか、演出と脚本が噛み合っていない感じがあったのは、残念(児童層に対して、どう描くのが一番伝わるか、という試行錯誤の産物でもありましょうが、今作全体のテイストからも少し浮いていた感じはあり、作品全体としての今後のトーンも気になるところ)。