『快盗戦隊ルパンレンジャーvs警察戦隊パトレンジャー』感想・第32話〔補足〕
第32話感想、
という部分が言語化不足であった気がするので、もう少し補足をば。
「圭一郎先輩とノエルさん、どっちが正しいんでしょう?」
「さあな。……二人にもわからないから決闘するんだろう」
「え?」
「……力尽くなら、正しいも正しくないもないからな」
故につかさの、両者の葛藤をなぞりつつ、これが真の解決ではない事を暗に示す台詞は非常にクリティカルでした。
これは第31話において私が引っかかっていた〔ノエル(快盗)を「賢者」、つかさ(警察)を「愚者」、と置いて、賢者と愚者の関係性に基づいて物語が展開していた〕点と繋がり、私が最も危惧していたのは、第31話以後の物語全体がその関係性をベースに展開してしまう事、であったのですが、第32話においてこの台詞が象徴しているのは、少なくとも第32話において「賢者の正解」を持っている者は存在しない、という事です。
つまり圭一郎(警察サイド)もノエル(快盗サイド)も共に「愚者」であり、「(正解が)わからないから決闘する」。
賢者はただ正解を示し、愚者と愚者は世界に折り合いを付ける為に、「力尽くなら、正しいも正しくないもないから」拳を振るう。
故にこの台詞は前回、「賢者」と「愚者」の対比関係になってしまった警察と快盗を、「愚者」と「愚者」というフラットな対応関係に戻す事を示したという点において、非常に重要であったと思い、そこが個人的にクリティカル。
ただ同時に「ヒーローが正解を示せない世界」という告白には、危うい部分もありはするのですが、大上段から正解を振りかざさずに一歩一歩進めていく、というのは今らしいヒーロー像ではあるのかな、と思うところ。
裏を返せば、圭一郎もまた、魁利やノエル同様、泥の中でもがいている一員である、という事を示す意味もあって、敢えて強く強調したのかな、と。
……折角なのでもうちょっと筆を滑らせてみると、「出来る出来ないじゃない。やらなければいけない」からこそ自らを「賢者」の位置において(その負の面が噴出したのが第31話)快盗と警察の道しるべになろうとしている、のが高尾ノエルという男なのかもしれません
なので「X」というのは、快盗と警察を「クロス」させると共に、気高く輝き、孤高に煌めく、ノエルの目指す「星の光」でもあるのかも……とだいぶこじつけ。
今後のノエル関連としては、ノエルの言う「大事な人」が、ノエルに何を与えてくれた存在なのか、それが描かれてくれるのを期待して待ちたいです。