『忍者戦隊カクレンジャー』感想・第49-50話
◆第49話「突然!!ビンボー」◆ (監督:渡辺勝也 脚本:曽田博久)
事業に失敗して作った借金を返済するだけの金を出稼ぎで貯め、5年ぶりに家族の元に帰る二宮という中年男性を、ネコ丸に乗せたサスケ達。
男の事情を聞いた一同が感情移入を見せるのは少々古めかしい導入ながらも飲み込みやすく、今更ではありますが、カクレンジャーの善良さや青臭さの表現としては、“情に脆くてほだされやすい”が、個人的には一番、しっくり来る描写だったなと(初期に持っていたその要素は、ニンジャマンにスライド・吸収される事になりますが)。
一家の再会を見届けると、
「鶴姫も必ず親父さんに会える日が来るさ」
と目配りも利かせるが、妖怪・貧乏神が現れると、「貴様らみんな、貧乏にしてやる!」と妖術を発動し、建物の高さや全体のロケーションなどは大体そのままに、一家の暮らすアパートの外観が古びるのが、面白い映像。
サブタイトルの書き文字も少々いじり、妖術の効果範囲にいた人々は、財布の中の金がなくなり、着ているものはコミックの原始人のようなボロとなり、少々コントめいた映像から、大魔王様に服従を誓えば救済してやる、と背後の組織にしっかりと繋げて、貧乏神の手にした杖の上下で「貧」と「金」が反転するのは、秀逸なデザイン。
「人間は貧乏に弱い。愚かな生き物よのう。額に輝く妖怪の刻印、私の下僕となったのだ」
貧乏にされた人々は自ら大魔王様に跪いて忠誠を誓い、コミカルな導入から一転して人の心の弱い面をスパッとあぶり出し、大衆の移ろいを切り抜いてみせるのは、曽田先生、さすがの切れ味。
それに抗うのもまた“人の心”と、服従を拒否して逃げ出した二宮一家はカクレンジャーに助けを求めるが、スーパー変化した途端にチェンジビンボー光線を浴びたカクレンジャーは、ジャージ姿で鍋やバケツをかぶった貧乏戦隊にされてしまい……カクレ丸、折れた(笑)
カクレンジャーボールもゴムボールと化し、こんな時だけ呼び出されたシャークドライバーも自転車や台車にされ、矢玉が無ければ戦争が出来ない! と貧乏に負けたカクレンジャーは、二宮一家と共にネコ丸で逃走。
だが頼みのネコ丸もおんぼろにされるとブレーキは利かずハンドルも外れ、大暴走の末に二宮妻子が投げ出されると、カクレン一同もトラックに激突して全滅寸前、それを救ったのはニンジャマン!
……ここまでで一番、格好いいニンジャマンだったかもしれません(笑)
二宮妻子は人質にされ、事情を聞いたニンジャマンは、その救出の為に爆走。
「正義の味方ニンジャマン! 希望の光は、空の彼方からやってくるんだ!」
口上で格好つけるニンジャマンだったが、ビンボー光線により愛用の雲をボロ雑巾にされると地上に落下し、ボディやゴーグルまでヒビが入っているので、もう一撃ぐらい食らうと朽ち果てた器から魂が抜けそうです。
実質的に攻撃手段を無力化されるビンボーの恐怖に対抗する術は無いのか……ニンジャマンが師匠から聞いた情報として、もともと貧乏神は極悪な金貸しであったが、全財産を失った際に逆恨みのパワーで妖怪と化したらしい事を思い出すと、サスケがひらめキング。
偽の小判をばらまくと、生前の執着からお金を抱えた貧乏神はビンボーパワーを失ってしまい、それを見下ろし勝ち誇るカクレンジャー。
「みんな、行くぜ!」
崖上でスーパー変化を決めるとOPが流れ出す渡辺監督らしい演出で、
「「「「「「成敗」」」」」」
下忍を蹴散らしなから各自が名乗りを入れると、ニンジャマンも加えて、
「人に隠れて悪を斬る!」
「「「「「「忍者戦隊・カクレンジャー見参!!」」」」」」
と、一戦交えてから揃い踏みを決める逆パターンも綺麗に決まって、貧乏神にはカクレンジャーボールが炸裂。自転車になる為だけに出てきたシャークドライバーへの扱いが非情に過ぎますが、巨大貧乏神は三大ロボの必殺技連打で消し飛び、無事に新生活を始めた二宮家に見送られながら、一同はネコ丸を走らせて、つづく。
攻略のきっかけが師匠情報・今回も参謀ポジションはサスケ・二宮一家の持つ“心”や家族の愛情は最終的な切り札としては機能しない(絶好調時の曽田脚本なら、そこまで盛り込んでまとめてきたかなと)、といった物足りない部分はありましたが、カクレンの動機付けから妖怪の悪意、ニンジャマンの存在感から劇的な逆転、と各要素がスムーズに繋がり、今作としてはまとまりの良い秀逸回でした。
最終決戦を前にして、ニンジャマンが“6番目の戦士”として扱われるクライマックスバトル、脚本・演出のニンジャマン認識により扱いが左右されがちなのは、如何にも追加戦士について過渡期の作劇といった感ですが、駆け込みながらも綺麗にはまったのも良かったところ。
◆第50話「特選!! 妖怪の宿」◆ (監督:渡辺勝也 脚本:杉村升)
妖怪の噂と行方不明の子供達の話を聞いたカクレンジャーは、夜の山中で迷ったところにペンションを見つけて宿泊するが、その主の正体はなんと、かつて大魔王から縁を切られた妹ヤマンバと弟ダイダラボッチの妖怪姉弟。
如何にもな導入から意外な大物が登場すると、大魔王からの絶縁宣言以降、妖怪の中でものけ者扱いを受けていた姉弟は、千載一遇のチャンスとばかりカクレンジャーを襲撃し、サイゾウ・セイカイ・ジライヤが立て続けに敵の手中に落ちてしまう。
コメディトリオが偽物と入れ替わったのを確認したサスケと鶴姫は、鶴姫が囮となって敵のアジトを探り出そうとするが、突如として地が割れ火が吹き上がり、山そのものが妖怪だったダイダラボッチにサスケは行く手を防がれ、囚われの鶴姫らに迫るのは、かつてなく直球で顔が怖い妖怪ヤマンバの刃。
哀れ鶴姫三枚下ろしの寸前、ニンジャレッドが助けに入ると、ダイダラボッチの相手は巨大ニンジャマンが担当しており、「迂闊だったな」とか「甘く見過ぎたようだな」とか勝ち誇っているのですが、自前の作戦は一つも上手く行っていないぞ。
師匠(本物)たちも加勢に出現すると、ダイダラボッチは神の力で瞬殺され、カクレンジャーの合体攻撃を受けたヤマンバは大魔王の元へ逃走。大魔王は、妖怪王国建設の為、家族相手にも非情に徹していたのだ、とヤマンバの憎悪と復讐心を利用すると妖怪パワーを注ぎ込み、ヤマンバが更なる不気味な姿に変貌して、つづく。
……なんとなく今更ながらに、“悪”としての大魔王を肉付けしようという意識は見えますが、あまりにも遅かった感。
また、作品としては、“いつものノリ”だと思わせて、蓋を開けてみたらいざ最終決戦へ! とやりたかったのかもしれませんが、恐らく文字数の都合があるにしても緊張感の欠片も無いパロディみたいなサブタイトルを最終決戦編の導入とするのは、期待感を煽るという点で逆効果だった気がしてなりません。