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30周遅れの『シン・ウルトラマン』感想

遙か空の星

◆『シン・ウルトラマン』◆ (監督:樋口真嗣 脚本:庵野秀明
 タイトルのところで最初にちらっと「シン・ゴジラ」と出すのも、聞き覚えのあるBGMで『ウルトラQ』オマージュから始まるのも少々悪ふざけめいた印象から、「禍威獣」の呼称により、公的機関がその当て字は無いだろう……とツッコみどころを作る事で一気に世界観のリアリティラインを引き下げてくるのですが、今度はそうすると、分析屋である禍特対を中心とした禍威獣への対応シーンがパロディめいた茶番に見えてしまったのは、掴みで入りにくかったところ。
 「禍威獣」の名称でリアリティラインを大幅かつ明示的に引き下げている以上、これはリアリズムによる旧作の補完とは言いにくいわけですが、“語り直される”事が珍しくない『ゴジラ』と比べると、『ウルトラマン』の“語り直し”とは如何なるものなのかに対して、見ている私の気持ちが追いつけていないところは多分あり。
 ネロンガ放電によるミサイル撃墜シーンは格好良く、個人的には、最初はこういったインパクトで作品世界に引っ張り込んでくれる方が好みの構成ではありました。
 班長・田村君男、ごつい感担当・神永新二、生物方面担当・船縁由美、物理学方面担当・滝明久、禍特対の面々が効果的と思われる作戦を立案できないまま放電禍威獣への対処に苦慮していると、大気圏外から謎の飛翔体が、現場付近に落下。
 そして、出現する謎の巨人。
 ぬぼぉっとした銀色の巨人は、ネロンガの電撃をものともせずに受け止め、両腕を交差させて放つ強力無比な光線技で禍威獣を粉砕すると空に飛んで姿を消し……人類は、一体の禍威獣の脅威から逃れると同時に、新たな謎に直面する事になるのであった。
 巨人の対策も放り投げられた禍特対には、新たに巨人担当アナリストとして公安から浅見弘子が配属され、出勤時に移り変わる風景の中で、その属性によって雑踏から聞こえてくる“情報の精度”が変化する有様や、新メンバー目線による、ネロンガ事件以降なにやら言動と目つきがおかしい神永……といった情報の潜り込ませ方は面白いのですが、およそ2分にわたり、後頭部や首から下だけを映して浅見の顔を見せないまま進む、という演出の面白さがさっぱりわからず、雑踏シーンの効果を考えてもせいぜい、班長に書類を提出したところ――ここまでで約1分――で顔を見せた方がスッキリしたと思うのですが。
 カットを小刻みに割り、発言者のアップ或いは画面手前を8割方(人や机などで)覆い隠した画を繰り返すのも、テンポが良いというより単調で芸が無く感じ、演出の方向性はどうも肌に合わず。
 「人は、誰かの世話になり続けて生きている社会性の動物なのよ」
 「そうか……それが“群れ”か」
 机上に積み上げた大量の辞書などをめくって地球人類について理解しようとしている節の見える神永マン(仮)の姿にはおかしみがある一方、出向初日に挨拶がてら同僚の個人情報を一通り調べている事をアピールし、「職場に自分の部屋を持ち込むおたく」「役立たず」「阿呆なのこの男」呼ばわりの上で、バディには信頼関係が大事、と宣った挙げ句、単独行動が気に入らないからと同僚を古巣の公安に追跡させる浅見さん、平たく言って人格破綻者の類だと思うのですが、それを平然と受け流している周囲のメンバーの器が大きい(笑)
 ……まあ、周囲のメンバーはメンバーで、神永の微妙におかしな言行を気に懸ける素振りも無いので、人格に難のあるスペシャリスト集団、という扱いなのかもですが(でも都合よく、会話は成立している)……。
 そんなこんなの内に、放射性物質を撒き散らしながら地中を進み、核廃棄物の施設を目指すドリル禍威獣が出現し、対応に追われる禍特対。
 いよいよ施設に危険が迫る中、どさくさ紛れに指揮所を抜け出した神永は銀色の巨人へと変身(この後、別次元に存在する巨人の本体を召喚するベーターシステムと判明)すると施設を目前にしたドリル禍威獣と激突し、怪獣のリデザインは秀逸でCGも凄いのですが、どうしてBGMは、原典ママ、みたいにしてしまったのか……。
 これは人によってだいぶ変わる所だとは思いますが、個人的には、聞き覚えのあるBGMが流れるごとに大がかりなパロディを見せられている感覚が募ってしまい、作品の色づけとしてのBGMは、もっとオリジナリティを出していって欲しかった部分。
 禍威獣の放つ激ヤバ光線を吸収しきったウルトラマンは、ウルトラ正拳突きを顔面に叩き込んで禍威獣を撃破すると、地球人の危惧を理解しているかのように怪獣の死体を担ぎ上げて虚空へ消え、浅見はその姿に、ウルトラマンはコミュニケーション可能な存在ではと希望を抱く。
 メンバーの途中離脱問題はだいぶあやふやに処理されるのですが、戻ってきた同僚4人を指揮所の前で満足げな表情で出迎える神永さん、の図は面白かったです(笑)
 上述したBGMの問題や演出が好みと合わないなどあって、ここまでおよそ30分、率直にかなりの苦行だったのですが、ザラブ星人が出てきてから、やや感触が上向きに。
 対象が「怪獣」から「宇宙人」に変わった事により、見せ方やテンポが変化した事に加えて、ウルトラマンが地球人との信頼関係を積み重ねる前に偽ウルトラマンが出現するのも、良いアクセントになりました。
 ……相変わらず、台詞をやたらに細かく切って、それぞれ同じ構図のシーンが3カットおきに繰り返される、みたいな会話のやり取りはボディブローのように苦痛ですが、個人的にはこれ、ギャグシーンの演出だと脳が受け止めるのも、消化しづらい一因かも。
 「一つだけ教えて。あなたは外星人なの? それとも人間なの?」
 「両方だ。……あえて狭間に居るからこそ見える事もある。そう信じてここに居る」
 「私も、これを私に預けてくれた、あなたを信じる」
 ザラブ星人にとっ捕まっていた神永は浅見によって救出され、ベーターカプセルのスイッチを入れると、異次元から飛び出した手が神永の体を握りしめ、それがそのまま変身ポーズの際に突き上げた拳になる、というのは形象に意味をくっつけるリブート好みの解釈が上手くはまって面白い画。
 正体は体の表面部分しか存在しない(目に見えない?)がらんどう、というリデザインが秀逸なザラブ星人は、スペシウム光線への対策を練っていたのか、空中戦で健闘を見せるが、困った時の八つ裂き光輪で真っ二つ。
 しかし、変身シーンを全世界に公開されてしまったウルトラマン/神永は行方をくらまさざるを得なくなり、同様に音信不通となった浅見が発見されると……巨大になっていた(だから「ひろこ」か……)。
 「郷に入っては郷に従う、私の好きな言葉です」
 禍特対の前には、黒ずくめの背広に身を包み、胡散臭い笑みを顔に張り付けた人間そっくりの外星人第0号――メフィラスが姿を現し、巨大浅見隊員をサンプルとしてデモンストレーションを行ったメフィラスは、対外星人の抑止力として、ウルトラマン同様の巨大化システムの提供を日本政府へと持ちかける。
 だがそれは、外星人の力と文明に人類を精神的に屈服させ、強者への依存を当然と認識させる地獄の蓋を開く契約であり、メフィストフェレス的存在として如何にも悪魔的な風貌と性質のメフィラスは、公園でブランコに乗っているシーンが、白眉。
 ウルトラマンが神永との融合に成功したことによって図らずも、地球人類がベーターシステムに適応して強力な巨人兵器となりうる事が証明されており、巧妙に外敵の脅威を煽り続けてきたメフィラスは原典よろしく狡猾な策略で地球とそこに住む生物資源を入手しようとすると、ウルトラマンには協力ないし静観を持ちかける、が――
 「実力で阻止させてもらう。これは私の中の人間としての意志だ。光の星の掟とは関係がない」
 「そうか。その為に現生人類と融合したのか。賢しい選択だ」
 「そうではない。だが、結果的にはそうだともいえる」
 「君の行動は光の星にも伝わっている。いずれ君自身が、この惑星に災いを招くぞ」
 「そうだとしても、私はこの、弱くて群れる、小さな命を守っていきたい」
 「それは、君ではなく、君の中に居る、人間の心ではないのかウルトラマン?」
 メフィラス登場後はまた少し作品のトーンが変わり、BGMの引用もほぼ無くなると前編とは打って変わった静謐な展開が続き、白と黒で表現された、神と悪魔に近しき存在が地球の運命について飲み屋で会話をかわすのは、今作で最も独自色の出たシーン。
 現在の神永は、神永をベースにしたウルトラマン人格である事もハッキリとし、今作と原典の最大の相違点は、「神永/ウルトラマンとは何か?」の掘り下げの有無であり、全体の構成としては、謎の巨人は何者なのか? が少しずつ紐解かれて、ここでウルトラマン人格の立ち位置が明確になるのですが、原典との最大の相違点、にして、今作の物語としての軸、なればこそ、個人的にはもっと早めに提示してほしい要素ではありました。
 BGMの使い方の違いも含め、前半は、“ここまでの前提条件の説明”であって、ここからが“真の『シン・ウルトラマン』”ともいえる作りなのですが、メフィラスとの対話によって神永マン人格が明確に立ち上がってくるそのポイントまで、人格の立ち位置を曖昧にしておきたかった都合によってか、禍特対の誰一人として「神永」と「神永マン」の差異ついて問いかけず、まるで「神永は最初からウルトラマンだった」と納得したような対応で話が進んでいくのも、引っかかった部分。
 それはウルトラマンからすると「仲間として受け入れられた気持ち」なのかもですが、ビフォーアフターに疑問を抱かれない「土中に眠る神永」にとっては“第二の死”ともいえる酷い話で、仕事上の付き合いだけでパーソナリティはよくわからない扱いにしても、「本当の神永はどうなったのか?」を誰も気に懸けないまま「本当の神永」が「神永マン」にすり替わってしまうのは、クライマックスの展開にも穴を開ける事に。
 神永、この作中において、ウルトラ事故死・戸籍などの法的な抹殺・人と人との関係性の中での上書き抹殺、と三度の死を描かれる事になっているのですが、禍特対本部に八つ裂き光輪の一つぐらい放っても許されそうな気はします。
 禍特対と接触した神永マンは、メフィラスのもくろみを阻止する実力行使の為に協力を求め、禁じられた言葉による契約が締結され、メフィラスが指をパチンと鳴らしてベーターボックスを召喚したその瞬間、巨大な銀色の手がボックスを鷲掴みにするのは格好良く、ザラブ星人戦で印象づけた握り拳が鮮やかに繋がりました(ここから、対メフィラスの導入までが、個人的な今作のピーク)。
 「……まさか女性の匂いでプランクブレーン内を直接探索されるとは。ウルトラマンのような紳士がそのような変態行為もいとわないとは……“目的の為には手段を選ばず。私の苦手な言葉です」
 地球人の偽装を解いて本来の姿となったメフィラスがベーターシステムの遠隔操作で巨大化すると、男声コーラスからエレキギターをかき鳴らすBGMも独自色を強く打ち出し、個人的には序盤から、こういう色づけで見たかった、という展開。
 ……まあ、それはそれで物足りないという声も出るでしょうし、作品が『シン・ウルトラマン』である以上、オマージュも含めて懐古的な要素を取り込むのは、選択として正しさはあるのでしょうが(良い悪いではなく、完全に好みの話であります。私にしても、原作の記憶あってゆえの視点からは逃れられないわけであり)。
 「メフィラス。ベーターシステムを持って、さっさとこの星から立ち去れ」
 「謹んで、お断りする」
 白と黒、二人の巨人は工場地帯で正対し、ウルトラマンさんの口調が、ちょっとぞんざいになった。
 ハジキの撃ち合いからど突き合いとなると、若干、棒人間同士の殴り合いになるのは今作CGの良し悪しですが、再び遠距離から飛び道具の撃ち合いの末、じりじりとウルトラマンを追い詰めたかに思われたメフィラスは、ウルトラマンの背後に立つ新たな超存在の姿を目にすると、突如として矛を収め、地球から手を引く事を宣言。
 「さらば、ウルトラマン
 メフィラスはベーターボックスを回収しての地球退去を選択し、ウルトラマンと暴力による決着つかずの結末は原典に基づく扱いとなりましたが、戦闘の導入の盛り上がりからすると尻つぼみではあり、個人的にはここからクライマックスまでは一気に進む流れを作ってほしかったなと。
 この後も、ここまでと同じようなテンポと構成が続いて話の流れがブチブチと寸断され、約2時間の映画のラスト30分に「一気呵成」を感じられなかったのは、今作の評価を大きく下げるところです。
 「彼は他者の為に自らの命を使う、興味深い生命体だ。私は彼を理解したい」
 「だから禁じられた人類との融合を試みたのか」
 改めて、神永がウルトラマン着陸時の衝撃波から民間人をかばって死亡していた事が明確にされると、ウルトラマンがそんな神永と融合する事で地球人を理解しようとしていた事が語られるが、光の星の服務規程に違反したウルトラマンに代わり、新たに派遣された裁定者ゾーフィーは、全人類の廃棄処分を宣告。
 図らずもウルトラマン自身が示してしまった、地球人類が数十億単位の生物兵器に転用される可能性を閉ざすべく、ゾーフィーは天体制圧用最終兵器・ゼットンを起動し、先進宇宙文明の判定により地球人類滅ぶべし、をウルトラ本国がやってくる、というクライマックス。
 「もうなんでもウルトラマン頼みですね」
 「昔から人間、困った時は神頼みだ。ウルトラマンが今最も神様に近い存在だ。しがみつくのも無理はない」
 複数の構造物が組み合わさって全体で怪獣に見える、というゼットンのデザインは面白く、ウルトラマンさえ小さく見える最終兵器に立ち向かうウルトラマンだが、あらゆる攻撃が通用せず、敢えなく地球に墜落。
 (無駄な抵抗はやめよ。静かに人類の粛正の時を待て、ウルトラマン
 (いや、人間を信じて最後まで抗う。それが私の意志だ)
 神永は意識不明に陥るが、神永から託されたベーターシステムに関するデータを受け取った滝がやさぐれ状態を脱すると、人類の叡知を結集してゼットン攻略法を見出す事で人間の意志と可能性が示され、意識を取り戻した神永は、ウルトラ二段階パンチでゼットンの撃破に成功。
 最後の最後で変身シーンの原典オマージュを用いての、最終兵器を殴り飛ばす! は悪くはなかったですが、とにかくこのラスト、最終決戦としてはあまりに話のテンポが悪く、浅見さんのヒロインムーヴで強行突破しようとするにも、限度が。
 滝にはっぱをかける船縁さんはともかく、田村班長は完全に空気と化しますし、ウルトラマンの存在を認めたら国際政治が黙ってないよねといったリアリズムの横槍や、滝のバーチャル会議に尺を割くよりも、盛り上がり重視でやれる事が他にあったのではないか、と思ってしまいます。
 アクション映画としては、実に物足りない構成。
 ゼットンを撃破するも、その際に生じた異次元空間に飲み込まれてしまったウルトラマンだがゾーフィーに拾われ、これも原典オマージュのもにょもにょした空間で割と長い問答がかわされると、地球人類は要経過観察と審判を保留したゾーフィーが、ウルトラマンの強い意志を汲んでその命を与えられた神永が地球に帰還して、おわり。
 最初に気にした『ウルトラマン』の“語り直し”としては、原典の要素を抽出、大幅に圧縮・再構成した上で、あくまでも原典の物語をなぞる事を重視した、という内容。
 その為、人類粛清を決定する超文明・一つの命としてそれに抗う事を決める英雄・地球人類の知恵と勇気と可能性! といった特に新味はないクライマックスの要素を『シン・ウルトラマン』としてどうまとめるのか? と思っていたら、作品ならではの積み重ねに基づく道筋が描かれるというより、外部に用意されたシナリオに黙々と従っていくみたいな具合だったのは、個人的に盛り上がれなかった一因です。
 結局、“なぞる”事を重視するあまり、着地点が“なぞる”一択になってしまったというか、現代的なリアリティ上昇に基づくそれらしさをフレーバーとして付け加え、周辺人物との関係性も一部で強化し(実質、浅見とメフィラスだけですが)、宇宙人の陰謀や最終盤の展開に一ひねりを加え、ウルトラマンがどうして戦うかの心情も掘り下げました……の末に、でも辿り着く結論は“なぞる”でしかないので、そこから先へ飛び立つ可能性は最初から閉ざされていた、みたいな印象。
 メフィラス星人とのやり取りで明らかになるウルトラマンの罪と、英雄が招き入れた災厄からの流れ次第では、“なぞる”の先に飛べたようにも思うのですが、“なぞる”の重力に負けたというか、何を構築しても最初から、箱の大きさは“50年前の宝箱”に収まる範囲と決まっていたといいましょうか。
 その宝箱の存在を批判する気は全くもってないのですが(私にもきっと色々あるので)、個人的には、その箱を開く試みが見たかったのだろうな……という事で、私としてはピントが合わずじまいの一作でした。
 各禍威獣&外星人のリデザインとCGワークは、素晴らしかったです!