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無重力

仮面ライダーギーツ』感想・第12話

◆第12話「謀略3:スロット★フィーバー」◆ (監督:杉原輝明 脚本:高橋悠也
 見所は、他人が先に見つけた手帳を横からかすめ取って、「正々堂々勝負だ」と言い放つエース様。
 エース様、これが“面白格好いい”に跳ねるかどうかが、毎度ながら微妙なラインで悩ましい(根本的に、知識面などで下駄を履きすぎなので)。
 運営の暗躍を目撃した道長は、
 「おまえらの手ほどきは受けない。俺は俺のやり方でギーツに勝つ」
 と晴家の手をあっさりと払いのけ、台詞だけ抜き出すと格好いいですが、そもそも、ゲームを“攻略する”という概念を未だ持っていない節があり、根拠はゼロです!
 でもなんか、ツムリさんからの好感度はちょっぴりだけ上がりました!
 桜井タイクーンが復活してギーツと共闘し、満を持してのキツネとタヌキのコンビバトル! で相変わらず派手なアクションの絵で盛り上げようとはしてくるのですが、DGPとしては、周回プレイの露骨な優遇が気になるばかりで、話が進めば進むほど一応の建前が形骸化していくのですが、〔レギュラーメンバーの存在〕と〔サバイバルゲーム〕の相性の悪さなど、企画段階で明白であろう穴を、無視して走り抜けようとしていくのが、全体的な“何を見せたいのかいまいちピンと来ない”感に拍車をかけます。
 「俺たち参加者は、ゲームマスターの駒じゃない! ――俺たちの意志でここに居る。――俺たちの意志で戦っている!」
 ……そ、そうでしたっけ……?
 まあ、今残っているメンバー(複数周回組)は大体そうではあるのですが、そもそも運営に選ばれないと参加も出来ない上にろくな説明もされない仕様なのに、(シーズン1でも同じ事をしていましたが)いきなり強制招集と自由意志をすり替えて話を進めようとするので、目が点になります。
 「俺たちの運命は誰にも決めさせない。俺たちの手で決める」
 ここまでの『ギーツ』、ジャンルミックスにおいて取りこんだ要素を、ヒーローフィクションとすり合わせて今作なりの理屈を作る事なく、ヒーローフィクションを押し出したい時は基本設定を無視してヒーローがいきなり飛び出し、サバイバルゲームを押し出したい時はヒーローフィクションの理屈をおざなりして悲劇性を煽り、とその場その場の都合に合わせて欲しいところだけつまみ食いを繰り返すばかりなので、1クール目も終わるというのに『ギーツ』世界においてキャラクターが踏みしめる足場のようなものが全く見えてこず、どこに立っているのかよくわからないキャラクター達の言行がいずれも宙ぶらりん。
 その足場があってこそ、何かを動かすエネルギーを発生させられる(伝えられる)わけなのですが、特にエース様は、作品世界の土台行方不明とそれにともなう重量感の無さを体現する主人公となってしまっている為、何を言っても風船みたいにフワフワするばかりで、心に響いてこないのが大変困ります。
 主人公のつかみ所のなさは意図的なものだろうとしても、それがここぞの台詞の重みの不足になっているのは大失点で、今のところ『ギーツ』、一言でまとめれば、淡々と面白くない、が感想になるのですが、その大きな原因がこの、ヒーローフィクションを見ているのに、ヒーローフィクションとしてプラスにもマイナスにもなんにも響いてこない事、なのだろうな、と。
 ジャンルミックスがヒーローフィクションとしての面白さを引き出す作用を果たしていないのに加え、「世界を救う」システムであるデザイアグランプリ自体が物語を引っ張るミステリーの中核に置かれた事により、本来ならヒーロー性を担保する筈の「世界を救う」を素直に受け止めにくい状態が続いているのもヒーローフィクションとしての手応えの無さに拍車をかけているのが、厳しいところ。
 その点もあって今回、「一般市民を守る」とか「子供には結構優しいエース様」とかを強調してきたのでしょうが、使い捨てにせずに物語の肥やしになってほしい部分です。
 5人のライダーはスロットでフィーバーするとゴールデンしてジャマトを蹴散らし、暗号も解いて脱出に成功。老フクロウの参加権を譲渡される形でエントリーを認められた桜井タヌキは「退場者が甦る世界」という割と身も蓋もない願いをデザイアグランプリに受理されて再び仮面ライダーとなるのだった。
 なんか、みんなめでたし、みたいにまとめていますが、「世界平和」の願いを失った桜井のやさぐれぶりを参考にすると、「若くなりたい」気持ちを失ったお爺さんが、どうせ老い先短い人生なんじゃーーー! と年金を仮想通貨や小豆相場に全額投資したりしないか心配になります。
 「さあ……世界は、我々のものだぁ~。デザイアグランプリを破壊しておいで!」
 一方、ジャマトを育てる園芸おじさんが不穏さを増幅させて、つづく。
 開始から約3ヶ月が経ち、現状最大の不満点は、上述したように、ヒーローフィクションとしての手応えの無さ。
 シーズン1終盤のタヌキ覚醒においては、ヒーローとしての飛躍を描きそれなりに見所があったのですが、シーズン2入ると相変わらず、強制招集と自由意志をすり替えて世界を守る決意を持って戦っている事にしてしまい、そこにある断層を無視したまま進行。
 ちょっと変身しただけで特に何もしていないのに、毎回毎回、退場ライダーとしてヒツジ2号にバッテンがつけられる悪趣味さや、アクセントと呼ぶにはあまりにもせせこましい運営の謀略(本命は園芸の方としても)に対して、それらを上回るだけの“ヒーローフィクションとしての格好良さ”が特にないまま、ヒーロー性を強調する要素といえば〔アクション8割(勿論これは大事ですが)・その場の勢いだけの台詞2割〕といった感じで、何もない空間でぴょんぴょん跳ねているけれど、上下左右もわからない、みたいな印象になっています。
 映像的には前回今回と、屋敷や庭園がやたら明るく、ゲーム要素の下敷きにしているであろうサバイバルホラーの雰囲気が全く出ていなかったのは、気になったところ。
 恐らく、あまり暗くすると視聴者の受けが良くないなどの事情はあったのでしょうが、ならば何故こういうゲームにしたのか? という素材と調理方法のアンバランスさが、『ギーツ』全体の問題と通じるものを感じます。